第68話『そう。この世界はまるで誰かの理想郷だ』
フェイムークという名前の人に手を引っ張られ、大教会と呼ばれる場所に連れてこられた私は、奥の部屋に入れられた。
そこは暗くて、冷たくて、酷く寂しい場所だった。
「……」
「そう怖い顔をしないで欲しいですね。聖女殿」
「この様な方法で無理矢理連れてこられて、笑えというのは無理な話です」
「まぁ、でしょうね」
私の言葉に妙に素直に頷くフェイムークに私は、警戒をしたまま少し距離を取った。
「おっと失礼。手を繋いだままでしたね。申し訳ございません」
私はフェイムークから距離を取り、彼が居る入り口から部屋の奥へと逃げた。
距離があればとりあえず少しは安心出来る。
ただ、二人きりで部屋にいるというのは落ち着かないから、私は手首をさすりながら、視線だけはジッとフェイムークを捉えたままで居るのだった。
「ふふ。小動物の様ですね。意味も無いというのに警戒している様は実に滑稽だ」
「……」
「一つ面白い話をしましょうか。聖女殿も緊張されている様子だ。少しくらい気を紛らわせる方が初夜もうまくゆく」
私はフェイムークの言葉を徹底的に無視して、口をキュッと閉じた。
カーネリアン君はリアムさんの所へ向かっているし、みんなを信じて、私は逃げる機会を待とう。
何かあった際には魔術をぶつけて逃げても良い。
後は聖都を離れれば、この人たちが人々を傷つける理由は無くなるのだ。
なら、後は逃げだすチャンスさえ見つける事が出来れば……。
「聖女殿は、魔法使いという種族を御存知ですか? そして魔法使いには姫と呼ばれる存在がいた事を、聖女殿はご存知ですか?」
フェイムークの言葉に、ふと先日出会った人の事を私は思いだしていた。
アシナーガヒコさん。姫様という方を大事にされている人だった。
「まぁ、魔法使いは半ば伝説の存在となっていますからね。知らないのも無理はない。しかし、私は聖女殿の名を聞いた時、貴女を閉じ込めておく場所はここ以外にないと確信が持てましたよ」
「……?」
「そう。この部屋は、かつて魔法使いの姫を捕らえていた部屋と全く同じ仕掛けがされた部屋なのですよ! そして、彼女の名は……アメリア! アメリア・フェイリ・ルストス・ユイ・ミザス・シルフィニア!」
「っ、アメ……リア?」
「やはり同じ名の存在は気になりますか。まぁ、当然でしょうね。名とはそれだけ重要な意味を持つ。名はその存在を示すもの。この部屋には多くの物が存在します。例えば、『アメリア』という存在の力を封じる装置や、『アメリア』という存在を従わせるものだ」
フェイムークがそう言った瞬間、部屋の中に光が走り、私の体がグッと重くなった。
いや、違う。
私の中に居るお姉ちゃんが何かの影響を受けているんだ。
そして、それはお姉ちゃんと深く繋がっている私にも影響を与える。
「うっ」
「ふふ。眉唾物だと思っていたが、なかなかどうして! 素晴らしい物の様ですね! この部屋は! 流石は数多くの王を狂わせ、自らの子すら狂わせた魔性の女! 魔法使いの姫アメリアを封じ込める為の部屋だ! 貴女も同じ名で生まれてしまったが故に、苦しんでいる。素晴らしいな」
「こ、こんなの」
「ふふ。無理はしない方が良い。かの魔法使いですらこの部屋から逃れるには多大な犠牲を払う必要があったほどだ。ただの人間である君には動く事すら難しいだろう。しかし、安心してくれ。私に忠誠を誓えば、苦痛はない。むしろ喜びとなるだろう」
勝手な事ばかり言う人だ。
しかし、お姉ちゃんの影響が大きいからか、自由に動けないのも確かだ。
どうする?
こんな状態じゃあ、リアムさん達が何か行動してくれているとしても、私が合わせられない。
こんな所で止まっていられないのに。
お姉ちゃんが待ってる空の果てに行かないといけないのに!!
「っ」
「大分辛そうだな。しかし、無理はしなくても良い。ベッドもある。食事も運ばせよう。余計な事は何も考えなくても良い」
「わたしは」
段々と落ちてゆく瞼と、消えそうになっていく意識を必死に繋ぎとめて、私はここから逃げ出そうとした。
しかし、入り口の所に立っていたフェイムークに容易く捕まってしまい、そのままベッドに落とされる。
「さて。あまり暴れるものじゃないですよ。聖女殿。子供は親を見て育つと言いますしね。聖女らしく淑やかであるべきだ。そうでしょう?」
「かってな、りそうです」
「人とはそういう物ですよ。聖女殿。人は身勝手に己の理想を他者へ押し付けるのです。私も、そして貴女も!」
「わたしが、ちがう」
「同じですよ。おっと、どうやらもう限界の様ですね。では今はゆるりと休まれよ。旅の疲れもあるでしょう。目覚めた時はより深く装置の力が馴染んでいるでしょうから。その時を楽しみにしていますよ」
私はフェイムークの声を聞きながら、深く沈む意識の中に身を委ねた。
限界を超える事など出来ず、ただ夢の世界へと足を運ぶ。
しかし、奇妙な事に、夢として私が見ている景色は私が見た事のない景色であった。
どこか知らない森の中。
私は二人の少女を見下ろしながら空中を飛んでいた。
少女たちは互いに手を握りながら、眠っており、その表情には微笑みが浮かんでいる。
この場所が安心出来る場所だからだろうか。
そんな事を考えていると、遠くから何やら声が聞こえてくる事に私は気づいた。
『アメリア様ー! ジーナ様!』
その声はおそらく少女たちの名を呼んでいたのだろう。
少女の一人が緩やかに目を覚ました。
体を起こし、長い髪を後ろに流す。
現れたのは……間違いなく私の知っているお姉ちゃんだった。
(お姉……ちゃん!?)
『もう朝ですか。ジーナ。朝ですよ。起きましょうね』
『えー。まだ眠いよぅ』
『しょうがない子ですね。ではまだ寝ていて下さい。私は先に朝の準備をしていますから』
『えー。お姉ちゃんも一緒に寝よ?』
『私は朝の準備をしないと駄目ですから』
『むー。どうしても?』
『はい。どうしても』
『んー!! なら、ジーナも起きる! おはよー!』
『あら、元気でとても良いですね』
『えへへー。褒められた!』
少女たちは楽しそうに、嬉しそうに互いを慈しみあっていた。
そして、その光景を見ているだけで、私は涙が溢れるのを感じる。
だって、その光景は。
あのジーナと呼ばれている子がお姉ちゃんに甘えている姿は、かつての私と同じ姿なのだから!
『じゃあジーナ。一緒に行きましょうか』
『うん』
ジーナという名の少女とお姉ちゃんそっくりの女の子は手を繋ぎながら、寝床と思われる場所から出て、森の中を歩く。
その場所には家というほど立派な建物はなく、草木を組み合わせて作った様な簡素な建物ばかりがある場所であったが、みすぼらしさは感じない。
むしろ、森の奥で自然に暮らすのならばちょうどいい姿にも見える。
そう。この世界はまるで誰かの理想郷だ。
道行く人は二人に笑顔で話しかけ、二人も出会う人全てに笑顔で挨拶しながら先へ進み、少しばかり高い場所に用意された椅子に座った。
お姉ちゃんとジーナと呼ばれた子が並んで座る姿は酷く自然なものに見える。
『じゃあ今日も一日お願いしますね。皆さん』
『はい! アメリア姫様!』
そして、お姉ちゃんと同じ名前のその人がまるでお姉ちゃんと同じ姿に見えて、私は混乱した頭のまま自分を抱きしめるのだった。




