第66話『お姉ちゃん……お姉ちゃんに会いたいよ』
釣り。
それは何度もお姉ちゃんから聞き、憧れた物の名前である。
しかし、お姉ちゃんは危険だからと釣りの許可をしてくれず、私は川の傍でお姉ちゃんが釣りをしている姿を見ているばかりだった。
だが! 今は違う!!
私は立派な大人になったし。もう釣りをしても問題ないだろう。
という訳で、リアムさんに教えて貰いながら釣りを実践する事にした。
「良いか? リリィ。とにかく心を落ち着けるんだ。釣れなくてもイライラしてはいけない。緩やかに空気の流れを感じて、魚を待つんだ」
「なんかどっかで聞いた様なアドバイスね。リアム?」
「黙ってろ。キャロン。お前はさっさと釣れ」
「はいはい。分かりましたよ」
「よし。後は実践だ。やってみろ」
「はい」
私は離れていくリアムさんの背に別れを告げながら、両手でグッと釣竿を握り締めて、川の中でプカプカと浮かぶウキ? を眺めた。
川の中で呑気に流れているソレは、たまに沈んだり、浮かんだりを繰り返しながら水の上で泳いでいる。
気楽なものだ。
そして、私もそれを見ていると、何だか落ち着いた気持ちになってくる。
あぁ。そうだ。
一度だけどうしてもと我儘を言って、お姉ちゃんが釣りをしている横に座っていた事があった。
お姉ちゃんと二人でゆったりと流れていく時間は、とても心地よくて、いつの間にか眠ってしまったのをよく覚えている。
そんな私にもお姉ちゃんは、よく眠れた? なんて笑ってくれて、私はそんなお姉ちゃんの事が大好きだったのだ。
「お姉ちゃん……お姉ちゃんに会いたいよ」
私の呟いた声は風に紛れて何処かへ消えていった。
魚釣りを始めてそれなりに時間が経ったが、私は未だに一匹も釣れていなかった。
中々に難しいものだ。
何となくウキを見ていて、そろそろかな。なんて竿を上にあげると、餌を食べられてしまっているのだ。
「あー。また食べられてしまいました」
「惜しいな。リリィちゃんはもっとパッと上げてしまった方が良いかもね」
「そうなんですか?」
「あぁ。リリィちゃんには迷いがある様に見える。ここだというタイミングを見つけたら迷わず竿を引くんだ」
「はい。フィンさん」
私はフィンさんのアドバイスを聞きながら、挑戦するがやはり魚は釣れないのだった。
「うぅ……ごめんなさい」
「気にしない。気にしない! アドバイスしてる奴が悪いんだからさ」
「なんだとキャロン!」
「そうだそうだ。俺たちだって前よりずっと成長したんだぞ!」
「はいはい。その成果が出てないんじゃ口だけよ。アンタら」
「なんだと!? おい、どういう意味だ!」
「そのままの意味よ!」
「あー。やっぱり喧嘩になったか。ごめん。リリィちゃん。ちょっと向こうで話してるから、ここで釣りをしててくれ」
「はい! ごゆっくり!」
「悪いね。おーい! あんまり無茶をするなよ!」
離れた場所でわいわいと騒ぐリアムさん達から視線を逸らし、私は再び釣りに意識を向ける。
しかし、川に何か影の様な物がかかっている事に気づき、何だろうかと顔を上げてみれば、川の向こう側に何かが居る事に気づいた。
それは川向こうの深い森の奥に居て、私をジッと見ている様だった。
「……どなたでしょうか?」
私は何となく、その人? の様な何かに声を掛けてみる事にした。
そして私の声にその人は驚きながらも反応してくれる。
「おぉ。姫様によく似たお嬢さん。はじめまして。私はアシナーガヒコ。かつて姫様と共に地を駆けた勇敢なるケンタウルスさ」
「けんた?」
「ケンタウルスさ! お嬢さん! いや、そうか、知らないのであれば実際に見た方が早いな。見てくれ! 私の立派なヤッコゥを! ヤッコゥ!!」
何だかよく分からない声を上げながらアシナーガヒコさんは草むらから出て来て、その全身を私に見せてくれた。
かの人は上半身が人の体をしており、下半身はお姉ちゃんが絵で教えてくれた馬によく似た姿をしていた。
「人と獣。確かお姉ちゃんが言っていました。獣人さんでしょうか?」
「いや、ご期待に沿えず申し訳ないが、私はウマ息子ではなく、神獣の一種だな。人間と魔法使いの戦争では姫様を背に乗せて戦ったんだ。あの時は私のヤッコゥ! が思わずヤッコゥしていたな」
「そうなんですね」
「あぁ。私の武勇伝を語り始めれば長くなる。いつか君が興味を持った時は私の背に乗りながら緩やかに聞いてくれ。今の君は目的があって旅をしているのだろう?」
「はい。そうですね」
「ふむ。旅をするというのは良い事だ。新しい場所へ行けば心が躍る様な気持ちを味わえるからな」
「そうですね。私も最近旅を始めたばかりですが、分かります」
「分かるか。素晴らしい。良い感性をお持ちだ。そういう所も姫様とよく似ておられる」
先ほどから何度か出てくる名前に私は首を傾げながら聞く。
「姫様、ですか?」
「そう。姫様さ。この世で最も美しく気高い精神を持った御方だ。だが、心優しいあの方は誰も見捨てられず、世界の果てに消えてしまった。悲しい事だ」
「……」
「おや。どうやら君も私と同じ喪失の悲しみを持って居るようだ。大切な人を亡くしたんだね」
「……はい。お姉ちゃんを」
「そうか。姉か。それは悲しい事だ。姉妹という事は長い時間を共に過ごしていたのだろう。私も君の気持ちを思い、胸が痛い」
辛そうに首を振りながら、震えるアシナーガヒコさんに、私は少しだけ嬉しい気持ちを感じながら笑う。
でも、アシナーガヒコさんの苦しみに寄り添う事が出来ない事は少しだけ残念だった。
私ばかり慰められているというのは申し訳ない。
「君は本当に姫様とよく似ているのだね。あの御方もよく苦しんでいる人に寄り添っては何も出来ぬと嘆いていたよ」
「……私は、それほど凄い人じゃないです。ただ、お姉ちゃんがそういう人だったので、私もそうなりたいと願っているだけです」
「だとしても、立派なものだ。君を見ていると分かる。お姉さんは、とても立派な人だったのだろう。そして君をよく慈しんでいた。素晴らしい事だ。私もヤッコゥも喜んでいる」
「ありがとうございます」
「ふむ。ここで出会えたのは運命か」
「アシナーガヒコさん?」
「少女よ。名前を聞いても良いかな?」
「はい。私はリリィといいます」
「そうか。リリィ。ではいつか君の旅が終わったら、東の果てにある草原へ向かうと良い」
「草原、ですか?」
「そう。我が一族もあの場所を離れて久しいが、かつてはかの草原を自由に走り回り、全身で生命を感じていた。どこまでも続く果てのない大地と、遠い空は君の心を自由に解き放ってくれるだろう。その心の奥に眠った悩みも空へ向かうはずだ」
「……」
「私は終ぞ、あの場所に姫様を案内する事は出来なかったが、姫様の様な君に出会えたことを私は運命だと信じる。君の未来に幸福がある事を願っているよ」
アシナーガヒコさんはそれだけ言うと、再び森の中へ入っていった。
そして、それから少ししてリアムさん達が帰ってきて再び釣りを行うが、私は前よりも集中出来なくなっていた。
しかし、それでも前とは比べ物にならない程、簡単に魚が釣れ、私はアシナーガヒコさんが何かしてくれたのかもしれないと、一人森へ感謝を告げるのだった。




