第18話『私の始まりは酷く暗い世界だった』
私の始まりは酷く暗い世界だった。
周りに人間はおらず、私の手には小さな妹の手が握られており、私たちの世界は二人きりだった。
昼間には僅かに周囲を照らしていた灯りも、夜には完全に消え、暗闇から聞こえてくる声に妹を抱きしめながら眠った。
大空を飛んでいく何かが巻き起こした風で、小さな体はあちらこちらへと転げまわり、命からがら逃げ出した事もある。
悪戯好きの妖精に迷い道へ案内され、出てくるのに一日以上かかった事もあった。
それでも、生きてゆかねばならぬと、私は妹を護りながら暗闇の世界を歩き続けた。
だが、そんな旅も、ある日突然終わりを迎えた。
何故なら、私でも、妹でもない声がどこからか聞こえてきたからだ。
その声は私にしか聞こえていないらしく、妹は私がその声に反応しているのを不思議そうな目で見ていたのをよく覚えている。
そして、その声は自らを闇の世界に生きる魔力を持った強大な王――魔王と名乗った。
魔王様の声が聞こえる様になってから、私と妹の生活は一変した。
ボロボロになりながら小さな果物を一つ手に入れ、妹と分け合う様な生活から、魚や小さな生物を捕って食べる生活へと変わった。
大量の果物を手に入れた事もある。
食べ物だけでなく、私や妹と同じ様にさ迷っていた人々と共に生活を始め、気が付けば多くの人に囲まれながら生きる様になっていたのだった。
そして、私と妹は魔王様から名前を貰う事になった。
その方が不便が無いからと。
この日から私は『アメリア』と名乗る様になり、妹は『ジーナ』と名乗る様になった。
更に、共に暮らし始めた人たちから、自分たちを導く存在として王になって欲しいと言われる様になってしまった。
しかし、私にとって王とは魔王様の事である。
私がその名前を名乗る訳にはいかない。
そこで私は魔王様に相談し、王様の娘は姫と名乗るのだと聞いて、妹と共に姫を名乗り始めた。
そして、多くの人々を受け入れた証として、彼らが名乗っていた家族の名も貰う。
いつしか私たちの名前は凄く長くなってしまったが、それでもみんなが大切にしている物だからと、私は一生懸命その名前を覚えるのだった。
アメリア・フェイリ・ルストス・ユイ・ミザス・シルフィニア。
ジーナは長いと拗ねていたが、大切な名前だ。覚えられないなら私が覚えるからと何とか説得した。
それから長い月日を彼らと共に歩んだ。
今思えば家族の様な存在だったと思う。
しかし、そんな日々も唐突に終わりを迎えた。
切っ掛けは私たちが住まう森に、知らない人達が来たという話を聞いた事だった。
森には私たちでは食べきれない程の食料があり、私も村の人たちも分け合えば良いと思っていた。
しかしそう思っていたのは私たちだけであった。
そう。彼らは初めから全てを奪う為に私たちの住んでいた森へ来たのだった。
彼らは私たちの村を突然襲撃し、食料や住処をその手に持った武器で破壊した。
それだけでなく、まだ幼い子供を連れ去ろうとし、その親に手を掛けようとしたのだ。
幸いと言うべきか。私たち村の人間は長く森で生活していたからか、魔王様の加護があったからか、『魔法』という不思議な力が使える様になっており、何とか侵略者を追い返す事に成功したのである。
だが、彼らは武力が無理だと分かると交渉したいと言い、共に手を合わせ闇や他の国を支配しようと言ってきた。
当然。という訳では無いが、村の人たちは誰も頷く事はなく、私たちは彼らと戦争をする事になってしまった。
今考えればそんな事をするべきでは無かった。
逃げれば良かったのだ。
闇に身を隠せば彼らには私たちを追う術は無かったのだから。
そして、戦争の結果、私たちは住んでいた場所を奪われ、多くの仲間の命を奪われ、大切な妹を奪われた。
私は村の人たちの事を魔王様にお願いし、妹を助けるべく彼らの所へ向かい、一瞬の隙を突いて妹を逃げた村の人たちの所へと向かい空に飛ばした。
しかし、それが精一杯であり、私は彼らに捕まってしまったのだった。
そして私は彼らが造ったという強固な檻の部屋に入れられる事となった。
首と手足には重い枷が付けられ、とてもじゃないが逃げられる状況では無かった。
それからの日々は思い出したくもないモノばかりだ。
遠くから聞こえてくる魔王様の声や、無事に生きている村の人たちだけが私の心の支えだった。
しかし、どれだけ時間を掛けても私から得られる物はないと気づいたのか。
もしくは私が従順であったからか、侵略者の王から私に向ける感情に変化が起こった。
強大で恐ろしい王から、一人の男へと変わり、やがて私に妻という役目を求める様になった。
しかし、どれだけ行為を繰り返そうと私に子は出来ない。
当然だろう。
私と彼らは違う生物なのだから。
私は王に諦める様に言い、ここからの解放を願った。
しかし王はそれを激しく拒否し、帰ってきたのはもはや動く事すら難しい程の枷であった。
それから私は無駄な事はするまいと、草花の様に静かな心で日々を過ごした。
その間にも侵略者の王は別の国の王に命を奪われ、またその王も別の王に命を奪われた。
私は王が命を落とす度に、新しい王の元へ運ばれ、一番奥の部屋に囚われ続けた。
どんな王も同じことを私に繰り返した。
体を求め、やがて時が過ぎれば心を求める。
その行為に何の意味もないと知りながら。
どれだけの時が過ぎただろうか。
もはや最初に私を求めた王の顔すら思い出せなくなった頃、私は一人の赤子に出会った。
それは私に心を求める王が、何かしたい事はあるかと問い、いつもの様に森へ帰りたいと答えて、それは出来ないと断られた日の事だ。
ならどうでも良いとベッドに横たわった私に、王はならばせめて町を見てみるか? と私を外へ連れ出したのだ。
無論私の両手と両足には重い枷が付けられており、周囲には私を逃がさない為に多くの人たちが立っていた。
そんな中で、うんざりしながらも、私は王と共に町を歩いて、その子を見つけたのだ。
暗い家の影に捨てられていた……アルマを。
私は久しぶりに魔法を使い、人々の隙間を抜けて、その子の元へと飛んだ。
周囲の人々は騒然となっていたが、私が赤子を抱きかかえ、逃げるつもりが無いと知ると、段々と落ち着きを取り戻し、私は赤子と共にまたあの暗い部屋へと戻される事になった。
それから私は、赤子にアルマという名を付けて、慈しみ、大事に護って日々を過ごした。
王も、そんな私に安心したのか、枷は日に日に減って行き、気が付けば首に付けた枷だけを残し、他の全てを外される事になったのである。
部屋も窓が付けられ、外の景色が見える様になった。
部屋に来る人の顔も明るくなり、私はアルマのお陰だと、また愛おしいアルマを抱きしめるのだった。
そして、アルマは緩やかに成長し、少年から青年になり、奇跡を起こしてしまった。
あの日の事は今でもハッキリと覚えている。
大きく成長したアルマが、いつもの様ににこやかに笑いながら私の部屋に入ってきて、窓を開けながら恐ろしい事を口にした事を。
「母様」
「はい。私はここに居ますよ。アルマ」
「私はずっと考えていました。貴女の楔を打ち砕く方法を」
「……? 何を言っているのですか?」
「そして、見つけました。答えは母様の中にあったのですね」
その言葉に、その笑顔に私は嫌な予感がしてアルマから逃げる様にベッドの上で後ろに動いた。
しかし、首に付けられた枷が私を逃がさない。
「っ」
「魔法使い共は森の奥へと逃げましたが、今でも母様を取り返そうと力を蓄えている。そして母様の心には未だに闇の王が巣くっている」
「やめっ」
「母様には私だけ居れば良いのです」
アルマは私の胸に手を当てて、それを引き抜いた。
光輝く剣を。
そして私が止めるよりも早くその剣を空に向かって振りぬいた。
瞬間、厚く覆われていた雲は裂け、空から光が地上に差し込んでゆく。
その光の一つはキラキラと輝く剣を持ったアルマと、私を照らしていた。
「これで、母様は私だけのモノだ」
「……アルマ」
そしてその光を受けてから私の中に聞こえていた魔王様の声や、村の人たちの声は……聞こえなくなっていた。




