第1話『私たちが暮らすこの世界にはいくつかの神話があります』
人の心は世界によく似ていると思う。
激しい怒りがあれば、灼熱の様に熱くなり、憧憬を映せば、黄金の季節となる。
そして、冷たい憎しみを抱けば、白い殺意に埋もれた世界になるだろう。
だから私は、柔らかな陽だまりの中で生きたいと願った。
世界への憎しみに白く染められていた私が、あの温かな熱に溶かされた様に。
私は、この柔らかい世界の中で生きようと、あの日誓ったのだった。
「お姉ちゃん!」
深い森の奥。
隠された家の近くで作業をしていた私は、遠くから私を呼ぶ声に立ち上がった。
「あー! こんな所にいた! 私、ずっと探してたんだよ?」
「ごめんなさい。ちょっと薬草を探してたんですよ」
「もー。しょうがないお姉ちゃんだなぁ。はい!」
「……?」
私は目の前に差し出されたリリィの右手を見ながら首を傾げた。
しかしリリィは私に答えを渡す訳ではなく、ん! と繰り返し言いながら右手を私に突き出す。
はて……?
「もー! なんでお姉ちゃん分からないの!? 手を繋ぎましょ! って事でしょー!?」
「あー。そうだったんですね。これはごめんなさい。でもさっきまで土掘ってましたし。汚いですよ」
「良いの! それに汚れたならお風呂に行けば良いでしょ。一緒にさ」
「でもリリィはもう十一歳ですよね? そろそろ一人でお風呂には入れる様になりませんと」
「年齢なんか関係ないモン! 仲良し姉妹は、何歳になっても一緒にお風呂に入るんだよ!」
「あら。そんなんじゃ結婚する時に大変ですよ」
「え!!!? お姉ちゃん! 結婚するの!? 誰と!? 教えて!!そいつ、魔物の餌にするから!!」
「あ、いえ。私ではなく。リリィが、ですね」
「私ぃー? 私はお姉ちゃんと結婚するから! 良いの!」
リリィは半ば無理矢理私と手を繋ぐと、そのまま家に向かって歩き出した。
そして、家に向かう為に秘密の鍵を開ける。
「えーっと、まずは森の分かれ道から右に16歩歩いて、それで大きな木の周りを2回回って、そのまま真っすぐ16歩歩いた先の木を二回叩くっと」
「よく出来ました」
「えへへー」
私は秘密の鍵を完璧な手順で開くリリィに拍手を送りながら、共に家の敷地へと入った。
そして、お風呂の準備をしてくると奥へ走るリリィを見送って、ベッドに寝ているお婆ちゃんの所へ向かう。
「お婆ちゃん。薬草取ってきましたよ」
「ありがとう。アメリア。これで少しは楽になりそうだよ」
「それは良かったです。あ。でも、癒しの力は使いますね」
「あぁ、助かるよ」
「いえいえ」
私は右手をお婆ちゃんのお腹の辺りに向けると、力を使い、お婆ちゃんの病気が治る様にと祈る。
しかし、生憎とお婆ちゃんの病気を治す事は私には出来ないのだ。
仕方のない事もある。
「……アメリア」
「どうかしましたか? お婆ちゃん」
「その右手。どうするつもりだい?」
「どう、と言われましても。使命の時が来れば行きますよ。私が行かなければリリィが向かう事になりますから」
私は右手に刻まれた『聖なる刻印』を左手で触りながら、お婆ちゃんに微笑む。
そう。この刻印は約五十年に一度、世界の果てで増え続ける闇の力を、封印する事が出来る者に刻まれた『聖人』の証なのだ。
そして同じ物がリリィの右手にも刻まれている。
「アメリア。お前がそこまでする必要は無いんだよ? リリィにはリリィの役目がある」
「そうかもしれません。でも、リリィはこの証が刻まれた時、怖いと泣いていたんです。何処へも行きたくないと」
「……アメリア」
「だから私は、リリィの代わりに、時が来れば行くと決めたのです」
「そうかい。お前の意思は変わらないんだね?」
「はい。それがリリィの姉として、私に出来る事ですから」
「リリィは、決してお前に危険な事を望まないと思うけどね」
「そうかもしれません。でも、これは決めた事ですから」
お婆ちゃんは私の言葉に深い溜息を吐くと、私の右手を両手で包み、祈る様に目を閉じた。
そして、私を真っすぐに見つめて、重い口調で言葉を紡ぐ。
「なら、一つだけ約束するんだ」
「はい」
「もしその時が来ても、絶対に無理だけはするんじゃないよ。お前の体は特別だ。聖人としての役割をこなす事も出来るだろう。しかし、それでも限界はある。だから必ず仲間を頼りな。聖人はリリィの他に四人居るからね。その四人と力を合わせるんだ。良いね? でなければきっと怖い目にあうよ」
「はい。大丈夫ですよ。私も、怖いのは苦手ですから。無理はしません」
「分かっているなら良いんだ」
お婆ちゃんの言葉に私は強く頷いた。
そして、お婆ちゃんに薬草を渡してからリリィと共にお風呂へ入る。
「お姉ちゃんと、お風呂! お風呂!」
「楽しそうですね、リリィ」
「うん! 毎日この瞬間が一番好きなんだ! 今日もお話。聞かせてくれる?」
「そうですね。では、今日は光の神話について話しましょうか」
「わー!」
手を叩くリリィに笑いかけながら、私はゆっくりと語り継がれる神話を話す。
「私たちが暮らすこの世界にはいくつかの神話があります。有名なものだと二つですね」
「一つは暗闇が支配する世界に光の護りをもたらした勇者アルマ様のお話」
「そしてもう一つは人々が闇に住まう者たちと戦う為に精霊の加護という武器を与えて下さった聖女シャーラペトラ様のお話です」
「そして今日話すのは、光の勇者アルマ様のお話になります」
ワクワクという風な顔をしながら話を聞くリリィの横で、窓から見える星空を眺めながら私は続きを語る。
「これは今からずっと昔のお話です。その頃は今よりも世界が暗く、人々の顔も暗く沈んでおりました」
「人々は未だ見えぬ明日に怯え、暗闇より襲い来る魔なる物から隠れる様に生きておりました」
「昨日まで共に笑っていた仲間が、次の日には永遠の眠りにつく様な恐ろしい世界。それが私たちのご先祖様が生きていた世界でした」
「しかし、そんな世界でも人々は諦めず、一日でも長く、一人でも多く生き残ろうと世界の闇と戦っていました」
「そんなある日、厚く暗い雲の隙間から一条の光が地上に差し込んだのです」
「その光は一人の女性を照らしていました」
「そして彼女はその聖なる光の中で、一人の赤子を生みました。その少年こそ、後の世に世界を救済されるアルマ様だったのです」
「アルマ様は人々にはない不思議な力を持っていました。その力によって、魔なる物は人々に危害を加える事が出来なくなり、人々は安心して生きていける家を手に入れる事が出来たのでした」
「この時アルマ様が使用していた聖剣は、今もなお大聖堂の奥深くで人々を護っているのです」
「おしまい」
そして、私はリリィの手を取り、その右手に刻まれた『聖なる刻印』の赤い十字を指でなぞる。
「そしてこのお話に出てきたアルマ様の証が、この刻印に刻まれた横の線になります。これは、人々を護るための盾を意味していると言われていますね」
「うん。それでこの縦の線がシャーラペトラ様が人に託した精霊の加護。つまりは人間の武器を示してるんだよね?」
「よく覚えていますね。リリィ」
「とーぜん! お姉ちゃんのお話は全部ちゃんと覚えてるんだから」
「ふふ。良い子良い子。これからもお勉強をちゃんと頑張って下さいね」
「うん!!」
私はリリィの頬を撫でながら、自分に刻んだ刻印と完全に同一の刻印を見つめた。
そして、お風呂から出てすぐにリリィの刻印を視えぬよう隠すのだった。
誰も見つける事が出来ぬようにと。




