5話
「う~~ん」
目が覚めるといつもと違う天井が目に入る。
自室でもなければ王都の冒険者組合の仮眠室の天井でもない。素朴な木造特有の木目が、規則性の無い、それでいてとても自然的な柄を作り出していた。
(そうだ。私、ギルドに泊ったんだ。)
あの後は、カレンに連れられて女性用の大浴場に行き、既に入浴を済ませていたカレンを除いた二人でお風呂に入った。
今更ではあるが、このノケモノたちの家というギルドはかなりの大きさがある。それこそ王都の大手ギルドに匹敵するほどに。
お風呂も大きいだけでなく湯を沸かすシステムも魔法で半自動になっていて、これも王都の貴族たちですら手が届かない者──貴族の場合冒険者と違って魔力を持つ者を別途雇う必要があるというのも原因だが──がいるほどの高価なものだ。
入浴中はさしたるハプニングも無く、三人ともさっぱりした状態──約一名微妙そうな顔をしていたが──で部屋に戻り床に就いた。
入浴中なぜか視線を向けられていた気がするのは余所者だからだ
ろう。
「……仕事しないと」
寝ぼけ眼をこすりながらベッドから足を下す。
出窓から差す光はまだ薄く、これならば遅れるということはないだろう。
(なんなら、荷物を組合に取りに行ってもいいわね)
セシリアが王都から持ってきていた着替えなどの大きな荷物はベイストの冒険者組合支部の職員控室に置きっぱなしだ。昨日は気が動転していたこともあってすっかりそのことを失念していた。
今はカレンから借りた服を着ているのだが、いつまでもこのままというわけにはいかない。荷物の中には仕事で使う物もあるし、なによりもカレンに申し訳ない。それに、カレンから借りたこの服は少し胸元が苦しいのだ。
「後でカレンさんには感謝しないと」
昨日お風呂に入っている最中にカレンに軽い洗濯をしてもらっていた組合職員の制服に着替えて、借りていた服を制服が掛かっていた場所に掛ける。
昨日着ていたものなうえに、入浴中の僅かな時間に軽く洗ってもらっていただけなのに制服は新品のように綺麗で、少しいい匂いがした。
組合の中に入ると、朝早くだというのに冒険者の姿がちらほらと見えた。
(流石は冒険者の街、といったところね)
昨日とは違う受付嬢に用件を告げ、控え室に入る。
「あったあった」
鞄一つに纏められた荷物を持ち上げ、来たばかりだというのに早々に組合から退出すると、ちょうど冒険者の一団が入ってくるところだった。
「王都の方で獣狩りを早めるらしいぜ」
先頭を歩く背中に槍を携えた男が仲間に話しかけた。
「うへぇ。また仕事少なくなりそう」
「まぁもしかしたらこっちにも仕事回ってくるかもしれないぞ」
「いやよぉ、あんまりあの仕事はしたくないわ」
「まあまあ」
仕事の話と、仲間を取りなすリーダーの声。冒険者組合の中ではありふれた会話がセシリアの耳に入った。
すれ違いざまに聞こえただけなのでそれ以降の会話は聞こえなかったが、その後も四人の冒険者たちは話しながら受付へと歩いて行った。
(獣狩り……。ここにもその余波は来るのだろうか)
獣狩りは数年前に発令されたもので、国内の魔獣人を違法に取り扱う奴隷商売の取り締まりを主としたものだ。
魔獣人はその見た目と特異性から見世物や闘技場で戦う戦士として高値で取引されることが多い。
そしてそこで働く──働かされる──魔獣人たちが逃げて闇ギルドに入ったり犯罪者になった場合、通常の人間に比べ性質が悪いことになる。
それは魔獣人は基本的に身体的な能力が通常の人間よりも高いからだ。例えば、昨日会ったミカやアルルのような猫の特徴を持つ魔獣人は他の者よりも夜目が利き、隠密行動が得意とされている。その能力は昨日セシリアが身をもって体感したものでもある。
王国内では魔獣人による犯罪が多発していて、それがかねてより問題になっていた。これを解決するための法案であることに間違いはないのだが、だからといってこれは魔獣人を救うための法案ではない。
国の兵士や国に雇われた冒険者などによって違法な奴隷商人から開放された魔獣人がどうなるのか……。
昨日会った人たちの顔を思い出すと、セシリアにはあまり考えたくないことだった。
その後も気持ちを切り替えられないまま陰鬱とした顔のままギルドに戻ると、荷物を自室に置いてから広間へと向かった。
「あ、セシリアさん。おはようございます!」
街中にある酒場のような構造になっている広間に顔を出すと、昨日も見た口から長い犬歯を覗かせる目付きの悪い冒険者と話していたカレンが、真っ先に挨拶をしてくれる。
「おはようございます」
覇気の無い笑顔で返事をすると、カレンは心配そうに駆け寄ってきた。
「昨夜あまり寝られませんでしたか?」
「いえ、お陰様でぐっすり眠れました」
実際昨日の夜にとてもよく寝れたのは事実である。
「そうですか」
セシリアの出す踏み込まれたくない雰囲気を読んだのか、カレンもこれ以上言及することは無かった。
「セシリアさんはこの後どうされますか?」
「ザインさんへの報告は日の終わりで良いそうですので、特に今からの予定というのはありませんね」
「でしたら、ぜひセシリアさんを皆さんに紹介させてください」
カレンはウキウキとした笑顔でそう言ったが、セシリアの視界の片隅には先程までカレンと話していたあの冒険者の顔がある。
思わず視線を向けてしまうと、元から視線を集めていたセシリアとその冒険者で目が合う。
ここで慌てて目を逸らすわけにもいかず、セシリアは数秒間見つめあってしまう。
「ぜひ、お願いします」
なんとか不自然にならない程度の間で返事をすると、カレンはセシリアの視線の先にいる人物の前へと立った。
「この人がゼンツさんです。昨日セシリアさんが歩いていたことを教えてくれた方です」
(えっ、この人が)
再度頭を軽く下げるゼンツに、セシリアは慌てて頭を下げる。
「昨日は本当に助かりました。」
「いや、気にしないでくれ。それに、昨日の夜はこいつがずっとあわあわして鬱陶しかったからな」
「鬱陶しいって酷いですよ! ゼンツさん!」
カレンは自分を見ながらニヤッと笑うゼンツに、上目遣いで抗議する。
その様子はまるで、本物の兄妹のように見えた。
ゼンツの牙、カレンの爪。それらは確かに異質なものだ。
『見た目が恐ろしいと感じる者もいますが、そういった者が決して心まで恐ろしいとは限りません』
昨日聞いたザインの声がセシリアの頭の中に甦る。
捨て去ったと思っていた偏見や先入観が未だに自身の中に残っていたということをセシリアは心の中で恥じた。
「ほら、他の奴らも紹介してやれよ」
ゼンツはひとしきり笑った後、カレンの目から逃れるように他の面々へと顔を向けた。
「むぅ……」
カレンは依然不服そうにしていたが、セシリアを待たせてしまっていることに気付いいたのかすぐさま顔を引き締めなおした。
カレンが「えーっとー」と誰から紹介するか悩んでいると、エメラルドグリーンの色の髪を持つ女性が前に歩いてきた。
「クリスティアです」
そういって差し伸べてきた手を、セシリアは躊躇なく握り返す。
「これからよろしくお願いします」
「えぇ、こちらこそ」
おっとりとした雰囲気で、セシリアよりも4、5歳上なことを伺わせる落ち着いた話し方だった。
クリスティアを筆頭に、続々と他のメンバーも集まってくる。
最初に、小さな体躯を持つ愛着のある顔をしたチャルフィンという少年と、頭に犬や狼に似た耳を持つコニーという少年が来た。
「初めまして、これからよろしくおねがいします」
「よろしくな!!」
──コニーは10代中盤、チャルフィンは10と少ししかなさそうに見えるが、こんな彼らは一体過去にどんな辛い経験をして、そしてどうしてここに来たのだろうか。
セシリアは表情を崩すことなく笑顔で受け答えしながら、不意にそんなことを思った。
「それなら次は私だな」
そうやって大きな足音を立てて歩いてきたのは、きらびやかなブロンドの髪を持つ大柄な女性だった。
そして先程までは気付かなかったが、その女性の足は普通の人間とは違い、太い脚の先には大きな蹄があった。大きな足音の原因はこの蹄のせいだろう。
「ふふ、私の脚線美に惚れたか? だがあいにく人生の伴侶は私よりも脚が太いやつと決めていてな」
呆気に取られているセシリアを無視して、馬の脚を持つ女性は話を続ける。
「私は男だろうが女だろうがどっちでも構わないが、残念だが貴方では少し細すぎるな」
「メリーナさん! セシリアさんが困ってますよ!」
構わず話を続けようとしたメリーナをカレンが制止する。
「おっとすまない。名前を言ってなかったな。私はメリーナ。見ての通り足が馬の魔獣人だ」
そういってスカート状になっていた下半身の布をたくし上げると、その中には本人の髪と同じように光を煌々と反射させる、綺麗な毛並の馬の脚があった。
(ミカさんやアルルさんも分かりやすかったけど、メリーナさんは……)
ミカやアルルは特定の部位だけが変化または追加されているのに対し、メリーナは下半身全てが変化している。防止や服で隠せる他の人に比べ、靴を履くことすら困難なメリーナは市井ではさぞ目立ってしまうことだろう。
「良い毛並だろう? これでも女だからな、身だしなみには気を付けているんだ」
セシリアの心配を他所に、メリーナは美しい顔でにやりと笑うとそのまま出入り口から離れた場所にあるカウンターの方へとツカツカと歩いて行った。
「ほら、お前もいつまでも隠れてないで出て来いって」
メリーナはカウンター越しに手を伸ばすと、台で隠れていた下から一人の女性を引っ張り出した。
「ふあぁぁ!!!」
メリーナの脚に負けず劣らず太い腕──メリーナの名誉に誓って太っているというわけではない──に持ち上げられて、カウンターの奥からかわいい悲鳴とともに小柄な姿が現れた。
「よいしょっと」
セシリアの前に引っ張り出されると、まるでグズった子供が親に立たされるかのようにメリーナに扱われる。
「あらあら、メリーナさんは力持ちですねぇ」
「ティアさんそういう話ですか!?」
カレンとクリスティアがお互い別々のことに驚いている横で、メリーナが手に人をぶら下げたままセシリアの前へと歩いてくる。
もともとの身長差に加え顔の半分を隠す大きなフードのせいで顔が分からないうえに、全身ぶかぶかのコートを着ているせいで体格が分からなかったが、セシリアは声から目の前の人物が女性であると判断した。
「ほら」
俯いたまま動かない少女を急かすようにメリーナがお尻を軽く叩く。
「わわ、わたしはフィーニと言います」
顔に掛かるフードを両手でさらに下に下げながら、フィーニは深々とお辞儀した。
「お願いしますね、フィーニさん」
今までのように軽く手を前に出したが、フィーニはそれを握り返すことなく顔を俯けたまましたまま身じろぎ一つしない。
出した手をいつ引き戻すか気まずい──本人以外の見てる側も──沈黙が流れた後、メリーナが声を上げる。
「まったく、失礼だぞ。フィーニ」
「仕方がない子ねぇ」
「どうか気を悪くしないでください。フィーニさんにも悪気があるわけではないんです」
「いえいえ、大丈夫です」
そんな会話が行き交う中でも、目の前の小さな少女は動かない。
「これでもフィーニさんはノケモノたちの家でも指折りの凄い方なんですよ!」
再度沈黙が下りる前に、カレンが話題をつなぐ。
(この子が……?)
正直セシリアの目にはそこら辺の内気な女の子と大差ないように見える。
(もしかしたら何か凄い魔物の魔獣人なのかも……。それを隠すために全身をコートで包んでいるとか)
そんな予測を立てつつ、これも偏見の一部なのかもしれないと思い至った。
(う~ん、難しいなぁ)
「えっと、フィーニさんは普段何をされているんですか?」
カレンではなく本人に直接訪ねたが、帰ってきたのは沈黙だけだった。
「フィーニさん?」
「うぅぅ!」
カレンが近付きながら心配そうに言うと、フィーニは耐えきれなくなったように広間から出て行ってしまった。
「フィーニさん!」
カレンが呼び止めようとしたが、フィーニはそのまま女子部屋へと続く廊下の奥に消えてしまった。
「フィーニさんには本当に悪気はないんです! 本当はいい子で気が利くんですよ。それに……」
フォローを続けるカレンに「気にしてませんよ」と笑顔を返しながら、セシリアの内心は暗く沈んでいた。
(やっぱりノケモノたちの家に受け入れてもらうのには時間かかるなぁ)
フィーニが消えていった廊下を見ながら、セシリアの心はまたまた折れかけていた。