4話
ザインのいる部屋を後にしたセシリアは、ため込んでいた息をゆっくりと吐いた。
(最後の言葉、いったいどんな意味だったんだろう)
──人が死ぬ。
それは冒険者組合で働いていたセシリアにとっては日常茶飯事だ。
セシリアが職員になってまだ間もないころ、普段よく接していた冒険者が死んで悲しみに涙を流したこともある。だが今では心にわずかな波が立つこともない。
王都を出るときに対応したあの女癖の悪い冒険者も知り合ってから既に一年以上が経つが、もし仮に彼が死んだとしても今のセシリアはただ事務的に仕事をこなすだけだろう。
だが、そんなセシリアにザインの一言は重くのしかかった。
「お話、終わりました?」
「ほぇっ!」
物思いに耽っていたセシリアを驚かせたのは、ここまで道案内をしてくれたカレンだった。
考え事をしているうちにどうやら玄関口まで戻って来ていたようだ。
「……ほぇ?」
「い、今のは忘れてください!」
真っ赤に染まった頬を隠すように手で覆いながら、セシリアはカレンに懇願する。
(ギルドの中ではクール系として振る舞ってきたのに、こんなとこでボロだしちゃうなんてぇ)
それもほぼ初対面の相手にこんなところを見られたら印象が定着してしまう可能性が高い。逆に初対面だからこそまだマシだったともいえるが。
「アハハ、分かりました。このことは秘密、ですね」
カレンは可愛らしく人差し指を唇に当てて微笑んだ。
(にしてもカレンさんもかわいいのよね。ミカさんもかわいいし、ザインさんといい魔獣人には美形が多いのかしら)
「それでどうでした?」
カレンは急にセシリアに問い掛ける。
「ザインさん、結構変わってる人だったでしょう?」
セシリアが何のことか問い返す前にカレンが言葉を続けたが、セシリアは別の意味で言葉に詰まってしまった。
(冷たい、とも違うし頑固でも傲慢なわけでもない。う~ん……)
ザインはセシリアにとって今まであったことのない人間だった。それがさっきの僅かな時間でもわかった。
「ふふっ、ザインさんにあった人はみんなそんな感じになるんです。かくいう私も初めて会った時には近寄りがたくて警戒してましたから」
セシリアが何も言わなくてもカレンは話を続ける。
「でも、誤解されやすいだけでザインさんは本当に優しい方です。私が出会ったどんな人よりも、暖かく家族思いの方です」
無意識なのか、カレンは仲間ではなく家族という言葉を使った。
「奴隷だった私を救い上げてくれたのもザインさんなんです」
「えっ!?」
カレンの口から告げられた衝撃の事実に思わずセシリアが声を漏らす。
「意外ですか? 確か王都では奴隷制度自体が廃止されつつあるんでしたよね」
セシリアは制度として知っているだけでなく、実際に見たこともあった。しかしそれらは遠くから見たというだけでこうして対面して言葉を交わすことはなかった。
それに、今のカレンの姿はセシリアの知っている奴隷とは大きくかけ離れた姿だ。
「奴隷として売り出されていた私をザインさんが買い取って、奴隷ではなく、このようにギルドの一員として迎え入れてくださったんです」
奴隷を買い取って共に仕事をする。それは冒険者のなかにもあることだが、それはあくまでも仲間ではなく奴隷としての扱いであり、荷物持ちやもしもの時の囮役としてだ。
こうして今目の前にいるカレンが元奴隷ということはセシリアに少なくない衝撃を与えた。
「私のような境遇の方はこのギルドにはたくさんいらっしゃいます。その誰もがザインさんに助けられてこのギルドに入った人たちです」
カレンの目にはギルドに対しての優しい光に満ちていた。
それは少なくともセシリアの知る奴隷がすることのできる目ではなかった。
(ノケモノたちの家。魔獣人、この世界で最も孤独な人々が集ま
る場所……。ここは本当にこの人たちにとっての家なんだ)
「はは、私の話なんて面白くないですよね。他にも知りたいことがあれば何でも言ってくださいね。案内しますよ」
カレンはシリアスな顔で考え込んでしまったセシリアを見て、空気を変えようと明るい声を出した。
「ええ、では一通り案内してもらえますか?」
「分かりました! ではまずこちらへどうぞ」
カレンの案内に従って広間、食堂、中庭の順にギルド内を探索する。
「広いですね」
王都でもなかなか見ない大きな建物に思わず感嘆する。
「でしょう? ギルドのみんなで集めたお金で頑張って増築を重ねてきたんですよ」
(ああ、どおりで……)
建物の中を歩いていると不自然に雰囲気が変わる箇所がいくつかあった。そこが新しく追加されきた場所なのだろう。
カレンの後ろを歩いていると、彼女の艶やかな長い黒髪がどうしても目に止まる。
「綺麗な髪ですね」
「えへへ、そうですか」
人差し指で頬を掻く仕草がカレンにはとても似合っていた。
「私にはセシリアさんみたいな柔らかい髪が羨ましいです」
「ふふ、ザインさんとも同じような話をしましたよ」
「確かに、ザインさんも黒髪ですもんね」
カレンとザインでは同じ黒でもその見え方は全く違うものではあったが、黒髪は黒髪だ。
「こういうの”隣の芝生は青い”ってやつですね」
セシリアが今まで聞いたことがない言葉だったが、おそらくカレンの生まれた故郷の言葉なのだろうと心の中で片付けた。
そうして他愛のない雑談を交えながら廊下を歩いて行くと、扉がいくつも並んでいる場所へと辿り着いた。
「ここが私たちの部屋です」
「ギルドで暮らしているんですか?」
「はい、私たちでは宿を取ることもことも難しかったりしますから」
ここにも魔獣人としての弊害があるのかとセシリアは人知れず魔獣人に対しての同情が沸き上がっていた。
「あ、男性と女性の寮は分かれているので安心してくださいね!」
セシリアとしてはそこら辺は特に気にしていなかったのだが、ギルドとして冒険者組合職員のセシリアにはなるべく健全だと思ってもらいたいのだろうか。
「そしてここがセシリアさんの部屋です!」
そんなことを考えていたせいで、カレンの言った言葉が一瞬理解できなかった。
「……今なんと?」
「ここがセシリアさんのための部屋です!」
訊き返したセシリアに、カレンは笑顔で同じ言葉を繰り返す。
(えっ、どういうこと?)
セシリアは笑顔を向けてくるカレンに歪な笑い顔を見せることしかできない。
「わ、私は仕事で来ているので、休憩するための自室などは要りませんが……」
「何言ってるんですかぁ。流石にお客さんを広間や応接室で寝かせるわけにはいきませんよ。特にセシリアさんは女性なんですから」
セシリアはまだ思い違いかもしれないというわずかな期待に縋ったが、それもあえなく否定された。
(そんな話聞いてないわよ!)
実際に王都の中でも知名度の高い大きなギルドではそういったことがあるそうだが、今回の話に関してはセシリアは何も聞いていない。普通にベイストの冒険者組合支部に寝泊まりする予定だった。
それに、カレン達を見て何となく平気にはなっているものの、セシリアの中ではまだ魔獣人に対して普通の人間と同じ認識は出来ていない。
セシリアの頭の中に、先程通ってきた広間にいた口に牙が生えた目付きの悪い冒険者の姿がよみがえる。
「あの、気持ちはありがたいんですが、私は別に宿を取っているので」
「そうですか。それは残念です……」
さっきまでの笑顔がまるで嘘のように、しゅんとしてしまったカレンを見て、セシリアの良心が酷く傷つく。
(う~どうしたら良いのよ)
顔を伏せてしまったカレンの前で右往左往としていると、後ろから本日二度目の声が掛かる。
「カレン~、ザインさんが呼んでるよっ」
「ミカさん。わかりました。セシリアさん、申し訳ありませんが私はここで」
セシリアの背中からひょっこり顔を出したミカに返事をすると、カレンはそのまま横をすり抜けるようにして廊下の奥へと姿を消してしまった。
「ここでにゃにしてるの?」
自分より背の高いセシリアの顔を下から覗き込みながら、ミカは好奇心に満ちた顔でセシリアに訊いてくる。
(どうしよう。せっかく仲良くなれそうだったのに……)
ギルドという空間で部外者であるセシリアが良好な関係を築ける絶好のチャンスを逃した彼女の耳にはミカの言葉は聞こえていなかった。
その後、喪心状態のままミカに連れられてギルド内を歩き回った後、セシリアの足はいつの間にかベイストの冒険者組合支部の前で止まっていた。
(あとでミカさんにも謝っておかないと)
結局ずっと気落ちしたまま扉を開けると、もう暗くなっているというのに組合の中は賑やかな喧騒に包まれていた。
流石にもう依頼が貼ってある板を眺める者はほとんどいなかったが──その数少ない冒険者のあくまで明日の下見だろう──報酬を受け取るためにカウンターには所狭しと冒険者が並んでいた。
その脇を通り抜けて支部長のいる部屋に向かうと、丁度部屋から出てきたところだった。
「おお、クローネさんか」
「こんばんは、レンバットさん」
支部長であるザック・レンバットとは昨日顔を合わせたところだ。
支部長と平職員の関係ではあるが、セシリアは王都から来た職員ということでぞ
んざいな対応をされることはなかった。
「ちょうどいいところでした。私が泊まる部屋を教えていただきたいのですが」
そう言うと、ザックは顔と比べて小さな目を瞬かせて困ったような顔を浮かべた。
(あれ……?)
セシリアの中で嫌な予感がどんどん膨らんでくる。
「そう言われましても、クローネさんがどこに宿を取ってらっしゃるのか|私《わ
たくし》共は把握できておりませんので」
(あぁ、やっぱり)
今までは監察員として派遣された時には組合の部屋か、それが無い時には近くの宿泊施設に監察員のための部屋を観察期間中の間貸し切りにしてもらえていた。
だがどうやら今回はそういったものは無いようだ。
「もしかして泊まる場所が無い、とか? よろしければこちらで手配しましょうか?」
「いえ! 大丈夫ですので、お気になさらず」
ここで流石に「他人がやってくれていると思ってました」なんてことは大人として、貴族として言うわけにはいかない。あまりにも恥ずかしすぎる。
ここで全てを人任せにして、人のせいにできるのは余程のご令嬢でない限りできないことだ。セシリアはそうでないし、そうはなりたくなかった。
「おや、そうですか。それでは私はこれで」
ザックは部屋から出てきた時よりも急ぎ足で階段を駆け下りていった。
「どこか宿を探すかぁ……」
誰もいなくなった廊下で一人ため息を漏らすと、受付に挨拶を済ませてから外に出る。
とりあえず組合に隣接している宿に確認を取ったが、やはり空いている部屋は無いという。
(やっぱり駄目か。他の宿は……)
昨日と今日の昼に歩いた記憶を頼りに、宿を目指して夜の街を歩く。
だが、冒険者でひしめきあっているベイストでこの時間から空きのある宿を探すのは難しい。数軒回ったところでセシリアの心は折れてしまった。
ベイストは王都と比べても道が綺麗に整備されている。なんなら王都でも使用されているところが少ない魔導クリスタルによる高価な街灯がいたるところに設置されていて、夜に至ってはベイストのほうが明るい。
だが道が狭く、路地の多いベイストの景観は、セシリアの恐怖を煽るには十分すぎるものだった。
無意識のうちに、セシリアの足はある建物の前で止まっていた。
門を開ける前にふと思い直し、握りこぶしをつくった手の横側で門を叩く。
応答を期待したものではなく、ただ単にこんな夜更けになんの知らせもなく門を開けることに拒否感を覚えた故の自己満足でしかない行動だったが、セシリアの予想に反してすぐに門の奥から返事をする声が聞こえた。
「はーい!」
セシリアが驚く間もなく勢い良く開かれた門の先には、ミカとカレンの姿があった。
「良かった。やっぱりセシリアさんでした」
そう言って、カレンはおもむろにセシリアの手を取って門の中に引っ張る。
「あの、どうして私だと?」
「ゼンツさんが教えてくれたんです。昼間来ていた人が夜中なのに街を出歩いていた、って」
セシリアはゼンツというギルドメンバーを知らないが、後で感謝しておかねばなるまい、と心にメモしておいた。
「ありがとうございます。それにこんな遅い時間まで待ってくださって……」
申し訳ない気持ちでいっぱいのセシリアの顔を見て、カレンが「気にしないでください」と声をかけようとしたが、それよりも先にセシリアの真横から突然声が発生した。
「まったく本当よ」
今まで全く認識できなかった気配がすぐそばで発生したことで、セシリアの心臓が止まりそうになる。
(いったいなに!?)
「ここに来るかも分からないのに待つだなんて。それにさっきも、この人じゃなくて不審者だったらどうするつもりだったのよ」
声の主は門のすぐ横の塀に体を預けてた姿勢で、鋭い目をカレン達に向ける。
「そこはほら、アルルさんがどうにかしてくれますから」
「はぁ、付き合ってるこっちの身にもなってほしいけどね」
「でもほら、実際本当に来ましたし、無駄じゃなかったですから。ね、セシリアさん」
カレンに話を振られたことで、セシリアはようやく呼吸を思い出す。
「っ! そ、そうですね。アルルさんもありがとうございます」
カレンの台詞から目の前の女性がアルルであろうと推測しての発言だったが、どうやら間違っていなかったようでアルルは「ふん、私はもう寝る」とだけ言って先にギルドの建物へと入っていってしまった。
闇に紛れる前のアルルにはミカと同じ猫耳以外にも、お尻に尻尾が生えていたということが夜目が利かないセシリアにも確認できた。
「そうだ! セシリアさんは寝る場所が無かったからここに来られたんですよね?」
カレンはアルルの後ろ姿に視線が釘付けだったセシリアの正面に回ると、その目を覗き組むように顔を近付ける。
「は、はい。恥ずかしながら」
「だったらすぐに部屋に案内しますね! あ、でも今まで宿を探していたということはまだお風呂には入っていませんよね、先に浴場に案内します!」
またまた手を握られてグングンと引っ張られる。
「ミカはもういいでしょー。もう眠たいニャ」
「そんなこといってミカ。実は貴方まだお風呂入ってないでしょう? 一緒に行くわよ」
不満を垂らしていたミカの顔がギクッ、と固まる。
カレンは固まるミカの腕を容赦なく掴むと、疲労困憊のセシリアとともに浴場へと引きずっていく。
「いやにゃあ! お風呂は嫌いにゃあ!!!」
嫌がるミカを横目に、とりあえずゆっくりできるならいいや、とセシリアは手を引く引力に身を任せた。