婚約破棄されたので普段は並盛りの牛丼を特盛にします。もちろん生卵付きです。
夜中にお腹空いた勢いとノリで書き上げました。タイトル通りです。
「カレン・エルドラン! 君との婚約を破棄させてもらう!」
「は……?」
アシュレイの宣言は突然だった。
大事な話があるとエルドラン家を訪ねてきた、私の婚約者である伯爵令息アシュレイ・ヴァンガード。私の自室に来るなり思いつめた顔で、開口一番に婚約破棄を突きつけられたのだ。
元々私とアシュレイは名ばかりの婚約者だ。それほど親しい間柄でもないし、家同士の繋がりも薄い。単に適齢期が来るまでに婚約者がいなければ体面が悪いというだけで設定された、形だけの婚約者に過ぎない。
「理由は……何でしょうか? 私に何か、至らない点でもありましたか?」
「俺は見てしまったんだ……。君が……君が……」
だからといって一方的に婚約を破棄されて、何も感じないわけではない。
形ばかりとは言え、私は彼を憎からず思っていたし、茶会のたびに領地で起きた出来事を楽し気に話す彼との会話は、楽しい時間でもあった。
それだけに理由が気になる。
貴族学院ではそこそこ上位の成績を修めていたし、容姿だってそれなりにお金を掛けているし、体型維持の為の運動だって欠かしていない。家格も、領地を持たない法衣貴族とはいえヴァンガード家と同じ伯爵位だ。
私は、覚悟を決めてアシュレイの言葉の続きを促す。
「何を見たというの? アシュレイ。私は神に誓って、何も後ろ暗い事などしていないわ」
「君が悪い事をしていないのはわかってる! でも俺には理解できないんだ! なんで……どうして……」
悪事ではない? 私に落ち度が無いとわかっているのに婚約破棄を? わからないわからない。一体アシュレイは何を見たというの?
「チーズ牛丼に七味をかけるなんて一体全体どういう事なんだい?! 普通はタバスコに決まってる! しかも瓶の半分も使うなんて! そんなの絶対おかしいだろう!!」
「は……?」
叫びにも似たアシュレイの断言に、頭の中が真っ白になる。彼が何を言っているのかわからない。タバスコですって?
「聞き捨てなりませんわね……アシュレイ。貴方、七味を馬鹿にしてらっしゃるの?」
「そんな事はない。でもチーズにはタバスコだろう」
「確かにそうね、でもチーズ牛丼はチーズである前に牛丼なのよ」
「いや、チーズ牛丼はチーズ料理だ。何故ならチーズだからだ。君の理論はおかしい」
あ、駄目だ。彼とはもう……わかり合えない。
いうに事欠いて、チーズ牛丼をチーズ料理だなんて……きっと彼はチーズカレーもチーズ料理と言うに違いないわ。
「そう……。もうおしまいね。私たち」
「残念だよ……。君となら、きっとうまくやっていけると思ってたのに……」
「仕方ないわ。私もチーズ牛丼と七味のマリアージュがわからない男と添い遂げるのは無理だもの」
唇を噛み締めたアシュレイが、なおも何かを言い募ろうとして……やめた。
踵をかえして出ていく彼の背中を見送りながら、私は少しだけ……そう、ほんの少しだけ、寂しいと感じた。
※
「すみません。特盛チーズ牛丼つゆだくで、生卵もください」
いきつけの牛丼屋に入り、いつもと同じオーダーを通す。ほどなくして食欲をそそる香りと共に、大きめの丼と生卵の入れられた小鉢が目の前にドンと置かれる。
けしてヤケ食いではない。普段は並盛だけど、今日に限って特盛なのはたまたまお腹がぺこぺこだったからだ。けしてアシュレイとの一件でイライラしたからなんて理由では無い。
「ああ……これよこれ。まずは卵を……」
コンコンと生卵を小鉢の縁で叩き、ヒビのはいったなめらかな手触りの殻を割って別に用意された小鉢に落とし込む。
ぷっくりと膨らんだ弾力のある黄身に箸を突き入れて崩し、シャカシャカと小気味よい音をたてて白身と黄身を切るように混ぜる。グルグルと円を回す様に混ぜるのは良くない。あくまで直線的にだ。そのほうが遥かに早く、白身と黄身が混ざりあうのだ。
続いて程よく溶けたチーズを、良く煮込まれて茶色に染まった牛肉とタマネギに絡めて混ぜる。途端に湧き上がる芳醇なつゆの芳香。暴力的なまでに胃袋を刺激してくるのに、どこか気品のある馥郁とした香りは、厳選された大豆から作られる醤油という調味料のお陰だろう。
続けて溶いた卵――の前に、七味だ。七種類もの香辛料を惜しげもなく使って作られたピリリと辛みのある七味唐辛子なくしては、牛丼は真に完成品とは言えない。と私は思っている。
卓上にある様々な調味料が置かれた一角から七味の瓶を手に取り、振りかける。その上から溶き卵を回し入れ、更に振りかける。卵と具材が絡まる様に箸で混ぜ合わせ、更に七味を振りかける。
「頂きます――」
丼を左手に持ち、口許に寄せる。右手に構えた箸でかき込むように……肉、チーズ、タマネギ、卵、七味、コメの交ざり合った至高の食べ物を口内に受け入れ……咀嚼する。
まず感じるのは甘辛いつゆだ。ひと噛みすれば肉とタマネギの豊かな味わいが舌を絡めとり、そして大量に混ざり込んだ七味唐辛子の刺激がほっぺたの内側をグサグサと突き刺していく。ああっ! たまらない! 何百回食べたとしてもけして食べ飽きる事の無いこの味。この刺激がわからないなんて……アシュレイはなんて可哀想な人なのだろうか。
私は一心不乱に丼の中身をかき込んで至福の時間を味わっていく。
貴族としての食事のマナーや優雅さ、そんなものは必要ないのだ。かつて異世界より現れ、この世界を救った我らが王国の初代国王陛下。偉大なる高祖様は、もはや帰る事も叶わぬ故郷の食べ物を再現し、その食べ物を提供する店でのルールを定められた。
貴族も平民も、奴隷すらもその店内においては平等。ただ荒ぶる本能のままに食せ――と。そして、高祖様が涙を流しながら丼を片手に持ってかき込むように食べる姿は当時の有名な画家の作品として今も伝わっている。
店内を見渡せば、Uの字型に湾曲したカウンター席やテーブル席のそこかしこで身分の区別なく人々が牛丼を楽しんでいた。肘が当たるか当たらないかという距離で、冒険者らしきあらくれた容貌の男性と、いかにも貴族然とした気品ある佇まいの男性が隣り合って牛丼に夢中になっているのだ。他国の者がみればきっと、仰天してしまうに違いない。
「いらっしゃいませー」
頭部に特徴的な角を生やした女性の給仕が、新たに現れた客に愛想よく挨拶をしている。国によっては差別の対象にすらなる魔族も、高祖様の作られた王国においては良き隣人だ。
「すいません。おひとり様はカウンターでお願いしております」
「ああ、勿論かまわない」
むっ……。この声は……。
「ではこちらへどうぞ」
「お隣失礼す……る――」
「どうぞどうぞ……。さっきぶりね、アシュレイ」
丼から顔を上げて隣に視線を移すと、苦虫を噛みつぶしたような表情のアシュレイがいた。まったく、牛丼屋でそんな顔をするなんて王国貴族にあるまじき行いだわ。
「七味使いすぎだろう……。店の迷惑を考えないのかね? ……ああ、すいません。キムチ牛丼メガ盛りとサラダを」
「キムチとサラダって意味わからないのだけど? なに? 健康アピール?」
「カレンこそ混ぜすぎだろう。それともそれはリゾットか何かか?」
まったく嫌味な男。牛丼屋にリゾットがある訳ないでしょう。男の癖にサラダとか無いわー。
「お待たせしましたー」
「ありがとう」
キムチ臭い……。あーやだやだ。折角のチーズ牛丼が台無しよ。まったく……。ってコイツ……どんだけ紅ショウガ盛るのよ!! 散々人に七味を使いすぎとかいっといてふざけてるの?
「アシュレイこそ紅ショウガ使いすぎでしょ……。店の迷惑も考えなさいよ」
「前に確認した。いくらでもどうぞ。だそうだ」
「そりゃ店員さんはそう言うしかないでしょ! 空気読めない男はこれだから……」
「なんだと! カレンこそ空気が読めない女だろうが! 今年の新年を祝う舞踏会でも陛下の祝辞の最中に食事ばかりしていて……食べてたの君だけだったぞ! 婚約者として俺がどれだけ恥ずかしい思いをしたか……」
「うっさいわね! あんただってその後、婚約者の私がいるのに王女様とダンスしていたくせに!」
「王女様はまだ七歳を迎えたばかりだろう! 子供相手に焼きもちか!」
「あのー……お客様……」
「焼きもちですって! 私が焼きもち焼くわけないでしょう! この馬鹿アシュレイ! 自信過剰男! 12歳までおねしょしてたくせに!」
「おまえええええええ! それは戦争だぞ!!」
「お客様……あの……他のお客様にご迷惑ですから……」
あああああ! もう腹が立つ! なんなのよこの男は! 七味の良さもわからない上に紅ショウガジャンキーなんてもう許せない!
「だいたいあんたは昔から――」
「お前だって――」
「五月蠅いわこのバカップル!! 静かにせんかアッ!!」
「なんですって!」「なんだと!」
Uの字カウンターの向かいから怒声を浴びせかけられた私とアシュレイは同時に相手を睨みつけ――顔面蒼白になった。
「国王……」
「陛下……」
キングサイズの丼を片手に、筋骨たくましい肉体をぷるぷると震わせて青筋たててブチ切れてる国王陛下が……そこにはいらっしゃった。
「調味料で喧嘩だと? 婚約破棄うんぬんはともかく……貴様ら子供か? そもそも高祖様の愛された牛丼屋で痴話喧嘩など言語道断である」
「はい……申し開きもございません……」
「大変申し訳ない……」
「謝るのはワシだけではなかろう。店員の女性や、他の客の人々にもだ」
こっぴどく叱りつけられた私たち二人は、国王陛下に促されるまま……店員の女性と他のお客様に謝罪をした。どう考えても私たちが悪いのは明白だった。
「ガハハ! 中々おもしれぇ見世モンだったぜぇ! つーかあんたらホントはすげぇ仲良いだろ!」
「ふむ。そこな御仁の仰る通り、なかなかの夫婦漫才ぶりでしたぞ。もう一度やり直してはいかがか?」
「私は全然気にしてないので……いつもご来店頂く常連様ですし……次からはもうすこしトーンを落として頂ければ……」
ぺこぺこと頭を下げ……大急ぎで残った牛丼を平らげて会計を済ませる。至高の食事である牛丼を味わう余裕もなく、私とアシュレイは退店する前にもう一度大きくお辞儀と謝罪をして店を後にした。
「なぁ……」
「ねぇ……」
どちらともなく声を掛け合い、私たちは同じ事を口にした。
「キング牛丼にカレールーと……」
「納豆トッピング……」
私たちの争いなど些細なことだった。
「高祖様の牛丼三箇条の三つ目、覚えてるか?」
「他人の食べ方に口を出すべからず……だったわね」
「婚約破棄なんてどうかしてた……ごめん。もう二度とそんな事は言わないからやり直さないか」
「私もさっきは言い過ぎたわ……ごめんなさい。もう一度やり直しましょう」
久しぶりに繋いだ彼の手は、少し震えていて……でもとても暖かかった。
「今度、七味とチーズ試してみるよ」
「私も紅ショウガマシマシにしてみるわ」
牛丼の食べ方は人によって千差万別。
様々な種族が手を取り合って暮らすこの王国で、私たちは平和の証である牛丼を愛し続けるだろう。これからもずっと……二人で――。
ちなみに作者は、チーズ牛丼には七味バカほど掛けるマンです。つゆはダクダクくらいが好きです。
下から押せるポイントブクマどしどし欲しいです。皆さんのお勧めの食べ方などあれば感想でおしえてくださいな。