第34話【千鶴】4/4
「命を救う事だけが、助ける事じゃないのよ!」
その言葉が、ローグの胸に、深く突き刺さった。
(……どういう……事?)
「千鶴さんの友達なら、彼女の声を聞いたのなら、助けてあげなさい。
本当の意味で……解放してあげなさい。
それが、友達としてあなたが出来る事よ』
「……!」
灰色のボディが、再びピンク色に染まり始める。
失われた眼の輝きが、再び蘇る。
次の瞬間、エンジェルライナーがXENOの手を振り払い、両肩のアクティブバインダーを作動させ、アンナローグはありったけの力で飛翔した。
XENOの腕が届かない上空で、ホバーリングする。
四本のエンジェルライナーが一つに重なっていく。
アンナローグは、両腕を真横に真っ直ぐ伸ばし、、息を深く吸い込んで目を閉じた。
「ローグ、わかってくれたのね」
夜空に浮かぶアンナローグの姿に、アンナパラディンは、ホイールブレードを収納する。
彼女の姿は、まるで空中に浮かんだ“十字架”のようだ。
アンナローグは、理解した。
XENOは、捕食した者のあらゆる情報を吸収し、擬態する。
普通の人間の目には、区別がつかないくらいに、このXENOも千鶴の姿を借りていただけだ。
だから、ここにいるのも、本当の千鶴じゃない。
千鶴は、もうとっくに……自分が出会うよりもずっと前に、死んでいる。
ここにいるのは、千鶴の肉体を蝕み、彼女の存在を貶めた忌まわしき存在。
だがその中に、千鶴の、本物の千鶴の悲しみが閉じ込められている気がした。
XENOの本能の叫びに混じる声は、千鶴という少女が遺した心。
本来そこにある筈のない、千鶴自身の、無垢な魂。
ならば、それを――解放する!
『オネエチャン!』
再び、千鶴の声が聞こえた。
悲しい声、悲しい想い……すべてが、あまりにもリアルだった。
もう、疑う余地はない。
アンナローグの心に、さらなる決意が生まれた。
“待っていてください、ちづるさん。
今、貴方を助けます!!”
身体を伸ばし、上半身を後ろに思い切りのけぞらせる。
束ねられたエンジェルライナーは背後に回り込み、一枚の大きな“刃”のように広がった。
月光を全身に浴び、妖艶な青白い光をまとわせる。
その姿に、四人は、思わず目を奪われる。
(この技は、あなたには使いたくなかった――)
それは、今まで誰一人として、見た事のない技のモーションだった。
次の瞬間、アンナローグは垂直に落下した。
否、正しくは、落下ではない。
背面からの推進力を全て上方に向け、全力で“下に”飛んだのだ。
落下加速に凄まじい推進力が更に加わり、上半身を思い切り前に振り下ろす。
背後でまとまっていたエンジェルライナーが、綺麗な半円を描き、まるで巨大な“鉈”のように叩き付けられていく。
「ライジング・ヘブン!」
上空から垂直に振り下ろされたエンジェルライナーは、青白い光の軌跡を描き、XENOの真芯を的確に捉えた。
ほんの僅かな静寂の後、XENOの身体が真っ二つに裂け、アスファルトに倒れた。
破壊音が、微妙に遅れて聞こえて来る。
それと同時に、XENOの肉体が次々に崩れ始めた。
エンジェルライナーの“鉈”は、XENOだけでなく、アスファルトをも深く斬り裂いていた。
「核が、破壊された?」
「い、一撃で?」
「いつのまに、あんな技を」
驚愕するアンナブレイザー達の前で、アンナパラディンだけは、複雑な表情でその光景を見つめていた。
全てが、終わった。
「ちづる……さん」
止めどなく、涙が溢れてくる。
これしか方法はなかったと、さんざん自分に言い聞かせたのに、それでも、自分の心を納得させる事は出来なかった。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁ―――っ!!」
崩れ落ちていく肉隗の前で、アンナローグは、号泣した。
何度も路面を叩き、砕く。
もう、それしか、出来なかった。
「よくやったわ」
優しい声と共に、肩に手が置かれる。
顔を上げなくても、それが誰かはすぐにわかった。
「さあ、もう行きましょう」
「……」
「お別れの場は、この場所ではない筈よ」
腕を掴まれて、ゆっくり抱き上げられる。
姿勢を上げた瞬間、視界に入れたくなかったXENOの残骸が見えた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……」
「もっと早く……もっと早く、ちづるさんの苦しみに気付いてあげられたら」
アンナローグは、パラディンの胸の中にすがり、尚も号泣する。
無言で見守る三人を前に、アンナパラディンは、そっとローグの頭を撫でた。
とても、優しく。
「結局、向坂千鶴の母親はどうなる?」
「さぁな。
夫の失踪についていずれ警察から追求されるだろうけど、あの取り乱し方じゃ、上手く隠し通すなんて到底無理だろな」
「ということは、夫殺害と死体遺棄の罪を被せられる可能性が高いというわけか」
「そういうことだ。
だが、それも報いだろう。
娘のために、赤の他人を犠牲にしていたんだからな」
「その件だが、恐らく向坂千鶴が捕食したのは、結局のところ父親だけかもしれん」
「えっ?」
「今回はサーベルタイガーとネコマタ、そして向坂千鶴と、三体ものXENOが暗躍していた。
だがその割には、被害数が妙に少ない。
サーベルタイガーの件は言わずともかな、ネコマタのトラップの件や今回の戦闘を合わせて考えると、目白で起きた事件には、恐らく彼女は殆ど関わっていまい」
「そうなのか?
まあ、だからって、全く罪がないわけじゃないけどな」
「待て凱。
重要なのは、そこじゃない」
「ん? どういうことだ?」
「お前も、アンナローグの記録映像を観ただろう?
向坂千鶴は、人間と全く変わらない姿に擬態していただけでなく、人としての理性を維持し続けていたんだ。
他のXENOが、あの短期間であれだけの捕食行動を行っていたにも関わらず、だ」
「おい、それってつまり……」
「ああ、今回の件で、恐ろしい可能性が露呈したのかもしれん。
もし、向坂千鶴のように、高い理性と擬態能力を併せ持つXENOが、この人間社会に紛れ込んでいるとしたら――」
「可能性は、ゼロではないな。
もし本当にそうだったら、あの子らの闘いは、もっと過酷になるんじゃないか……」
SVアークプレイスの、ミーティングルーム。
深夜に二人だけで交わされた会話は、ここで途切れた。
それから、三ヶ月ほど経ったある日。
突き刺さるような陽光、むせ返るような暑さ。
残暑とはいえ、まだまだ暑さが続く中、愛美は、都内の小さな墓地を一人で訪れていた。
千鶴の墓は、墓地の端の方に、こぢんまりと佇んでいる。
正面に立つと、まるで墓所と一対一で向かい合っているように思えた。
愛美は、道中で買ってきた花束をそっと供え、線香に火を灯す。
そして、作ってきたクッキーを数枚、小皿に並べた。
「こんにちは、ちづるさん」
どこか寂しそうな墓石に、か弱そうな千鶴のイメージが重なる。
「私、ちづるさんとの想い出は決して忘れません。
ええ、決して。
あの時出会ったあなたは、本当の千鶴さんだった。
私は、そう信じています」
どこか寂しげな、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
不意に、涙腺が緩みそうになった。
「私がまた泣いたら、ちづるさん、きっと笑われるでしょうね、みっともないって。
だから私は、もう泣きませんよ」
右手の小指を差し出し、そっと墓石の表面をなぞる。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら、ハリセンボン呑ーます。
――指切りしましたからね、約束です」
また涙が溢れそうになったが、無理に押し留めた。
愛美の心の声に反応するように、一陣の風が、前髪を巻き上げる。
蝉の声に混じり、誰かが微笑む声が、聞こえたような気がした。
「ありがとう、ちづるさん。
――さようなら」
そう呟き、愛美は空を見上げる。
突き抜けるような青空と白い雲が、目に飛び込んで来た。
ちづるさん
天使だったのは、私ではなくて
貴方だったのかもしれませんね――




