第31話【疑問】2/2
翌日。
「ここで間違いない?」
「はい、そうです」
不安げな表情を浮かべ、愛美は“その家”の玄関前に立ち尽くした。
午後二時。
夕べの約束通り、愛美は未来と共に、ちづるの家を訪問した。
こんな時間に訪れるちづるの家は、夜に見ていたものとはまた違った雰囲気を感じさせる。
日中でもさほど人通りの多くないこの住宅街は、小綺麗ではあるものの、どことなく寂れたような印象が否めない。
この家も、古い造りのせいか、あまり生気の感じられない寂しげな様子がある。
小さな庭や塀の上には、鉢植えやプランターが並べられ、手入れも行き届いているようだ。
「えっ」
二階を見上げた愛美は、吃驚した。
「どうしたの?」
心配そうに、未来が尋ねる。
愛美は、震える手で二階を指差した。
「そ、そんな、どうして?!」
二階の全ての窓は、分厚い雨戸で閉ざされている。
勿論、ちづるの部屋も例外ではない。
「本当にこの家なの?
昼間だから、間違えたんじゃないの?」
「いえ! 間違いありません!
あの窓の手すりに、私は交換日記を置いていたんです!」
隣に立つ未来は、まるでその光景をすべて目に焼き付けるかのように、じっくりと観察する。
一方の愛美は、もうすぐちづるに会えるという気持ちを無理矢理に奮い立たせ、軽く頭を振った。
「とりあえず、行きましょう」
「は、はい」
チャイムを押して、しばらく待つ。
しばらく待つが、何のリアクションもない。
未来が再度チャイムを押そうとした瞬間、ゆっくりと、玄関のドアが開いた。
「どなた?」
中から出て来たのは、中年の女性だ。
ずいぶんと生気のない顔で、まるで幽霊のような印象を覚えさせる人物だ。
その、独特の気配に気圧されながらも、愛美は丁寧に頭を下げて挨拶した。
「突然申し訳ございません。
私達は、こちらのお嬢様の知り合いの者なのですが」
怪訝な表情を浮かべる女性の雰囲気を察し、未来が愛美に先んじて名乗り出る。
だが、女性は彼女の言葉にカッと目を見開いた。
「む、娘?」
「はい、ちづるさんの。
私は付き添いですが、この千葉愛美が、いつもお嬢様と仲良くしていただいておりまして」
「こ、こんにちは、初めまして!
ちづるさんの、お母様でしょうか!
わ、私、千葉愛美と申します!」
ややこわばった表情のままで、無理矢理明るい口調で挨拶する。
だが女性は、未来の言葉の直後から、身体をガタガタ震わせていた。
その様子に気がつかないまま、愛美は更に続ける。
「実は、最近ちづるさんとお会い出来ないもので、心配しておりました。
もしかして、お加減が優れないのかと思ったのですが、お見舞いにと思いましt――」
「か、帰ってください!!」
愛美の言葉を遮るように、女性は怒鳴りつけると、バタンとドアを閉めてしまった。
「えっ?! ち、ちょっと待ってください!」
あまりに予想外な態度に、愛美は、閉じられたドアにすがった。
「あの、夜遅くに会いに来ていた事はお詫びいたします!
ですが、ですが、ちづるさんが心配なのは本当なんです!
お願いですから、どうか―――」
『うちに娘などおりません! 何かの間違いです!』
固く閉じられたドアの向こうから、異常に高ぶった女性の声が響く。
その言葉に、二人の顔が強張った。
「そんな! 私、ずっとこちらでお会いしてたんです!
あの窓で!」
思わず声を荒げ、ちづるの部屋の方を見上げる。
だが、そこは先程も確認したように、鉛色の雨戸によって完全に閉じられている。
愛美の心の中に、焦燥と混乱、そして猛烈な悲しみの気持ちがこみ上げてきた。
「そんな事って……そんな事って!
いったい、どうしてですか?!」
自分でも信じられないくらいの大きな声を出しながら、愛美は、玄関のドアを両手で叩いた。
すがるような気持ちで、必死に中の女性に呼びかけるが、もう何の反応もない。
「お願いです、ちづるさんに会わせてください!
ちづるさんに、ちづるさんに、せめて一言伝えたい事があるんですっ!!」
「愛美、もうやめなさい」
なおもすがろうとする愛美の両肩に、未来の手が置かれる。
ゆっくりと、しかし力強く愛美を引き剥がすと、未来はドアの向こう側に声をかけた。
「すみません、こちらの思い違いだったようです。
大変失礼致しました」
「未来さん!」
「いいから、ここは退きなさい」
無理矢理外へと引っぱり出すと、未来は、小路から不思議そうに覗き込んでいる男性に一礼した。
「待って、待ってください!
ちづるさんが、ちづるさんが!!」
なおも食い下がろうとする愛美に向かって、近所の人と思われる初老の男性が、ぼそりと声を掛けてきた。
「あんた達、ここの千鶴ちゃんと知り合いだったの?」
「はい、そうです」
とりあえず、取り乱している愛美に代わり、未来が返答する。
すると、妻らしき中年女性も姿を現した。
腕にはとても可愛らしい子猫を抱いており、やがて話に加わってくる。
「向坂さんの所の千鶴ちゃんでしょ?
そりゃあんた、あの子はもう、ここにはいないよ」
「いないって、何処かへ行かれてるんですか?」
未来が、平静な表情で夫婦に尋ねる。
そんな彼女に、二人は、一瞬顔を見合わせてから語り出した。
「あの子ね、先月、亡くなったんだよ」
「急だったもんねえ、本当に可哀想にさぁ」
女性の腕の中の子猫が目を開け、未来達をじっと見つめて「にゃーん」と鳴いた。
呆然と虚空を見つめたまま、愛美は、未来に強引に手を引かれ、近くの寂れた公園までやって来ていた。
向坂家の女性……恐らく千鶴の母親だろうが、彼女の言葉と、近所の人達が教えた事実は、確かに繋がった。
と同時に、愛美の心には、とてつもなく大きなダメージが残った。
ちづるが、死んだ?
ちづるが、いない?
しかも、一ヶ月前?
深い悲しみがあったが、それ以前に、情報が整理出来ない。
言葉を紡ぐ事も忘れ、愛美は、潤んだ瞳で少し曇り出した空を見つめた。
「先月に亡くなられたなんて、どういう事なの?」
さすがの未来も、状況がうまく呑み込めないようだ。
その後、向かいの家に住む夫婦から詳しい話を聞いた。
向坂千鶴は、長年子供が出来なかった向坂夫婦が、やっと授かった一人娘だった。
しかし生まれつき身体が弱く、いつも両親か母親と共に、病院に通ったり、時には入院もしていたという。
それでも、精一杯元気で明るく振舞うため、向かいの夫婦もとても彼女を気に入っていた。
また、夫婦の飼っている猫とも仲良しで、よく家に遊びに来ては遊んでいったらしい。
だが先月、千鶴は急に体調を崩してしまい、そのまま――
両親は彼女の死を大変悲しみ、その泣き声や呻き声は、夫婦の家にまで聞こえてきた程だったという。
明らかに、愛美の話とかみ合っていない。
しかし、向坂の母親の態度を見る限り、彼らの証言が嘘だとは到底思えなかった。
愛美が嘘をつかない性格だという事はよくわかっているし、第一嘘をつく必要がない。
これは、存在しない友人を作り上げての一人芝居や、虚言壁では決してない。
それだけは、深く確信していた。
だが少なくとも、現実と愛美の認識が大きくずれていることだけは、疑いようがない。
「ちづるさんは、間違いなく生きて……ちゃんと普通に生きていました!
間違いありません!!」
未来の呟きが耳に届いたのか、愛美が反論する。
泣き声が混じり、かなり聞き取りにくいが、愛美はこれ以上ない程真剣な面持ちで、懸命に訴える。
そう、あんなにしっかりと、はっきりと言葉を交わし、プレゼントも交換日記もしていたのだ。
そんなちづるが、死んでいる訳がない。
愛美の脳裏に、ちづるの姿が浮かぶ。
にっこりと、あどけなく微笑む優しい表情を思い浮かべる彼女の姿を。
「愛美、もう少しだけ、私に付き合って」
突然、何かを思いついたように未来が呟いた。




