第30話【暗闇】2/2
「ごめんな、舞衣、メグ。
そういう訳だから、少しだけ力を貸してくれ」
「いえ、そんな。
こういう事でしたら、いつでもお言いつけください」
ずいぶん下手に出た頼みだというのに、舞衣は、それ以上にかしこまって頼みを聞いてくれた。
「メグもオッケーだよ。
お姉ちゃん、頑張ってね!」
「うん、メグちゃんも協力お願いね」
件の現場調査には、舞衣――アンナウィザードが協力することになった。
ナイトシェイドの各種センサーと、アンナウィザードに搭載されている環境探知機能をリンクさせ、そこにパイロットである舞衣自身の目視や接触などの感覚情報を合わせ、様々な見地からサンプルやデータを回収。
これを繰り返すことで、XENO検知に辿り着くデータを集めるという寸法だ。
だが、その為にはクロスチャージングが必要なため、必然的に恵も協力を余儀なくされる。
アンナミスティックは、ほぼ付き添いレベルになってしまうのだが、恵はそれでも、嫌な顔一つせずに協力を快諾した。
行きつけのレストランで腹ごしらえをした後、三人はナイトシェイドに乗り、SVアークプレイス敷地内でクロスチャージングを実行。
凱は先に現場付近に移動し、そこで二人と合流するという段取りとなった。
午後九時。
科学魔法「インヴィジブルビジョン」で姿を消したアンナウィザードとミスティックは、凱と共に現場周辺調査を開始した。
道が狭い都合、ナイトシェイドは自動運転で周辺を走り回りながら、凱の腕時計(シェイドII)を経由してデータを受け取り、分析を行う。
不審者に思われないよう、スマホを観ながら歩く通行人の体を装い、凱も周辺を観察した。
「特に、牙の跡のようなものはないみたいだな」
『こっちも何もないよー。
この前のとは、違うXENOじゃないのかな?』
アンナミスティックの声が、Bluetoothのイヤホン越しに響く。
『周辺の各所の形状をスキャンしながら見ていますが、少なくとも、サーベルタイガーの時のような痕跡は見当たりません。
ただ、個人的に気になることが』
アンナウィザードの通信に、反応する。
「何か見つかったのか?」
『いえ、そういうわけじゃないんですけど。
この小路、街灯が犯行現場に立っている、この一本しかないんです』
『んにゃ? それでそれで?』
アンナミスティックが、通信に割り込んでくる。
凱は、思わず足を止め、聞き入った。
「続けてくれ」
『この小路は、とても暗いんです。
もしこの街灯がなかったら、多分殆ど何も見えないかもしれません』
『あー、そっかあ。
こっち側、塀もあって周りのおうちの光も届きにくいんだね』
「都内なのに珍しいな、そこまで真っ暗ってのは。
……で、それから?」
『はい。つまり逆に考えれば、この街灯の真下を通った人は、周辺に潜んでいた犯人にとって――』
ウィザードの言いたいことが、ようやく理解出来た。
凱は、即座に現場に戻ると、問題の街灯の傍に立ち、周囲をぐるりと見回した。
(一見、何かが隠れられそうなところはないな。
あるとしたら、近所の家の敷地内に隠れるくらいしかない……けど)
よくよく見ると、近くにもう一本街灯はあるのだが、故障しているようで点灯していない。
その為、極端に暗くなっているようだ。
道幅はせいぜい三メートル弱程度しかなく、軽自動車でも入り込むのは困難そうだ。
その上、路の両脇には民家がみっちりと立ち並んでいる。
区画の影響なのか、どの家も、XENOが身を潜められそうなほどの広い庭はない。
こんな所で人が襲われ、姿をくらますなど、普通では考えられない状況だ。
普通であるなら、だが。
(もしありうるとすれば……いや、さすがにそれはないか)
路の両脇に立つ民家を見上げながら、凱は、顎に指を充てて考え込む。
その時、不意に誰かの欠伸の声が聞こえた。
「眠そうだな」
『ご、ごめんなさい。大丈夫です』
声の主は、アンナウィザードのようだ。
時刻は、もうすぐ22時半。
いつもなら、彼女達はもう寝室に入っている頃だ。
「二人とも、今日はここまでにして撤収しよう」
『はーい!』
『お兄様、私、やっぱりもう少しがんばりたいです』
素直に応えるアンナミスティックに対して、アンナウィザードは、少しだけ口調を強めて主張する。
何の成果もないままで帰ってしまったら、自分が何の役にも立たなかった事になってしまう。
彼女の性格から、そんな風に考えているだろうことは、容易に想像が付く。
だが凱は、その反応を察していたように、虚空に向かって首を振った。
「明日も学校があるんだから、素直に出直そう。
また今度頼むから」
『でも、せめてもう少しだけ!
私、お兄様のお部屋に泊まりますから。だから……』
『あー、お姉ちゃんどさくさ紛れにずるいー!
それなら私も、もちょっとがんばるーっ!』
余計なところに飛び火したなー……と思いながら、凱はなんとか思い留まらせようとする。
確かに舞衣達のやる気はありがたいが、育ての兄として、これ以上無理をさせたくないという気持ちの方が上回る。
「わかったわかった。
じゃあ、二人ともうちに泊まっていいから、今夜はもう――」
そう凱が言いかけた時、突然、アンナウィザードが驚きの声を上げた。
「どうした、舞衣?!」
『アンナ……ローグ?』
「えっ?」
思わず、周囲を見回す。
どうやらアンナミスティックも同じことをしているようで、「えっ? えっ?」と呟いている。
「どこだ?」
『あの、向こうの……お兄様から見て、右斜め上に」
指示された方向を凝視すると、すぐ手前に建っている家の上空に、人影のようなものがふわりと浮かんでいるように見える。
だが、凱にはそれが人間であるか、ましてやアンナローグであると判別出来る自信が持てなかった。
「ほ、本当にそうか?」
「間違いありません。長いリボンが見えます」
「え、そ、そう?」
さらに目を懲らすが、まったくわからない。
先に言われてなければ、幽霊にすら思えるほどだ。
その直後、影はふわりと高く舞い上がり、視界から完全に消えた。
『あやや~、いなくなっちゃったね』
『私達に気付いた様子はありませんでしたが。
どうして、こんな所にいらしたんでしょう』
「ここしばらく、ずっと夜間出かけていたけど、ここが目的地だったのかな?」
手前の家には、古ぼけた感じの表札がかかっている。
『向坂』という名字が確認できた。
(しかし、現場のすぐ近くにアンナローグ……?)
ナイトシェイドを呼び寄せ、大きな通りに戻ろうとする凱は、何か言い様のない違和感に苛まれた。
「それで、結局XENOについては、何も新しい発見はなかったのね」
未来の質問に、舞衣は頷きを返す。
「現場の状況と大気中の成分を分析して、サンプルも回収しましたが、新しい発見は何もありませんでした」
「そうか、やはり何もなかったか」
「となると、全く新しいXENOか、それ以外の何かによる事件ってこと?」
「それは、今のところはなんとも……」
翌日の夕方。
学校帰りにSVアークプレイスのMTルームに集まったメンバーと凱、そして勇次と今川は、先日の報告を受けて首を捻っていた。
ほぼいつもの面々が揃っているが、愛美だけはここに居ない。
恵の話で、最近はいつも、この時間は仮眠を取っているとのことだった。
「あと、偶然なんですけど。
現場の近くでアンナローグを見ました」
「アンナローグ?」
「そうそう! 本当にすぐ近くだったよねー。
愛美ちゃんは、メグ達に気付かなかったみたいなんだけど」
「凄い偶然で、びっくりしましたね」
顔を見合わせ驚き具合を語り合う相模姉妹に、未来とありさは怪訝な表情を向ける。
どうやら、勇次達も同じ気持ちのようだ。
「ねえ舞衣、個体認識は確認しなかったの?」
「す、すみません、うっかり……」
未来に質問に、舞衣は顔を赤らめ、申し訳なさそうに返答する。
「アンナローグは、ここしばらく、毎晩外出している。
時間帯もほぼ同じで、毎晩午後23時までには帰還しているな」
勇次の呟きに、今まで黙っていた今川が反応する。
「例の犯行推定時刻って、確か未明でしたよね?
ってことは、アンナローグが帰った後ってことですよね」
「何が言いたい? 今川」
「いや、まさかとは思うんですけど。
待っていた、なんてことは……ないですよね、さすがに!」
たはは、と頭を掻きながら、自分の発言を笑って誤魔化そうとする。
しかし、今川の言葉に勇次と凱、そして未来とありさの表情が、瞬時に強張った。
「それ、もし当たってたら」
「相当な計画性を以って行動が可能な、相当知能の高いXENOが潜んでいる可能性があるということですね」
ありさと未来が思いを述べ、勇次達が頷く。
舞衣と恵は、その様子をただ黙って聞いているが、顔色は双方青ざめていた。
「もしかしたら、アンナローグの映像データに、何か記録が残っているかもしれません。
それを分析して――」
未来がそこまで言いかけた時、突然、恵が反論した。
「待って!
でも、それには愛美ちゃんのお友達も映っているんだよ!
それじゃあ、愛美ちゃんに悪いよ!」
「確かに、愛美さんもお友達のことはナイショにしていましたから、私はあまり気が乗りません……」
舞衣も、恵に同調する。
それに勇次が何かを言いかけるが、凱はそれを手で制した。
「二人の気持ちはわかる。
だがもし、アンナローグの映像に重要なヒントが隠れていたのに、それを見過ごして被害が増えてしまったら、後悔どころの騒ぎじゃ済まないぞ」
「う……」
親が子供を諭すように、優しくかつ厳しく返す。
反論を呑み込み、うつむいてしまった二人を見て、ありさと未来は無言で頷き合った。
「あのさ凱さん、それにみんな。
ちょっといいかな?」
「今の話ですが、愛美に直接話してみようと思います。
よろしいでしょうか?」
二人の提案に、その場の全員が頷いた。
「いってきま~す……」
誰にも聞こえないようなか細い声で囁くと、愛美は、今日もこっそりと玄関を抜け出した。
マンションの屋上に上がり、そこでこっそりチャージアップを行う。
もっとも、あんな派手な演出効果がつきまとうチャージアップに、こっそりも何もないのだが。
「チャージ、アーップ」
鋭い閃光と、一瞬の衝撃音を残し、桃色の輝きと化した愛美は、暗い空へとその身を躍らせた。
それから僅かに遅れて、地上に出現した二つの輝きが、彼女の後を追って飛び立った。
赤色と、オレンジ色の光が。
「ちづるさん、こんばんは」
窓ガラスを軽くノックし、閉ざされたカーテンの向こうの反応を待つ。
部屋の中は暗く、ちづるが起きているようにはとても思えない。
(今夜も、もうお休みになられたのでしょうか)
これで、三日連続だ。
もしかして、急に体調が悪くなったのだろうか。
先週末辺りから、ちづるの文章量が少しずつ減り始めていることを、愛美は気にしていた。
決して面倒になったわけではないようで、少ない文章でも多くの想いを伝えようと、懸命に書き連ねている様子が窺える。
いつしか愛美は、その文章を読むにつれ、自分もちづると共に病と戦っているような錯覚に陥っていた。
(やっぱり、明日、日中に来てみようかな)
一度はっきりと断られてはいるが、もしちづるが苦しんでいるのなら、せめて一言声をかけてあげたかった。
そして、毎晩遅くに訪れるアンナローグとしてではなく、“千葉愛美”という一個人として会いたい、素顔で語り合いたいという願いもあった。
このままでは、もしちづるに万一の事があったとしても、それに気付かないまま、毎晩訪れる事になるのだろうか。
そう考えると、居ても立ってもいられなかったのだ。
窓の外に滞空しながら、独りそんな想いに駆られる。
ふと我にったアンナローグは、交換日記の入ったクリアファイルを手すり部分に立てかけ、そっと身を翻した。
「誰に会いに来ていたの?」
数十メートルほど上昇した所で、突然背後から声をかけられる。
驚いて振り返ると、少し離れた所で、薄い光に包まれた女性の姿が浮かび上がった。
「未来さん――アンナパラディン?」




