第29話【少女】2/2
――翌日。
もうまもなく夜の帳が降りようとしている頃、地下迷宮では、先日アンナパラディンが採集した戦闘データの解析と、その簡易報告が行われていた。
少しずつ戦闘回数も機会も増え始めてきた以上、毎回の戦闘から何かを見つけ出していかないとならない。
そう勇次が判断したのだ。
「先日のサーベルタイガーは、どうやら猫の遺伝子情報を組みこんだXENOだったようだ」
「んきゃ~、あれ、猫ちゃんだったの~?! なんかすごくショック~!」
パワージグラットを張る直前に飛びかかられ、あやうく噛みつかれるところだった恵が、その時の事を思い出して身震いした。
コンクリートにすら容易に穴を開けてしまうほどの硬度と破壊力を持つ、1メートル近い大きさの牙に狙われたのだ。
モニタには、アンナパラディンが転送したサーベルタイガーの映像が克明に映し出されている。
こうして冷静な状態で見てみると、戦っていた時とはいくらか印象が違ってくるから不思議だ。
愛美は、小さくベロを出しておどける恵に笑顔を返しながら、ふとそんな事を考えていた。
「しかし、妙な話だな」
突然、間を割るように凱が口を開く。
「どうした?」
「前回のコカトリスが、鶏と蛇の特徴を併せ持った、いわば“キメラ”状態の個体だっただろ?
その前の奴らは、人間とネズミとか、熊とか、二種類の掛け合わせみたいなのばっかだったじゃないか。
なんで今回に限って、単独生物の発展形なのかなって不思議に思ってな」
凱の疑問の声に、勇次が深く頷きを返す。
「ひょっとしたら、XENOの中にも複数の進化経路があるのかもな」
「複数?」
「なんとなくそう思っただけだ。根拠はない」
二人の会話に、未来が声を差し挟む。
「人間と動物の組み合わせがあり、動物単独のタイプも居た。
もしかしたら、人間型で単独変化したXENOも居るかもしれないわけですね」
「おいおい、さすがに悪趣味だぜそれは」
眉を顰める凱に、珍しくありさが応える。
「でもさ、明らかに人間だったこの前の連中だって、一歩間違えばキメラにならなかったかもしれないんだろ?
充分ありえるんじゃないかな」
「うう~、ありさちゃぁん、怖いこと言わないでよぉ~」
半べそを掻きながら、恵が凱の腕にしがみつく。
困り顔の凱は、ほっぺを膨らましている舞衣を見て、気まずそうな表情になった。
「人間型のXENOが居る、か」
「可能性はありえますが、出来ればそうであって欲しくはないものですね……」
勇次の呟きに、愛美が静かに応えた。
ミーティングが終わり、それぞれのメンバーは帰り支度を始めていた。
珍しく研究班エリアから出ていこうとする勇次を、愛美が背後から呼びとめた。
「あの、勇次さん!」
「どうした?」
「あの、お願いがあるのですが」
「珍しいな、何だ?」
不思議そうな表情で見下ろす勇次に、ちょっと照れ臭そうな表情を向ける。
手の中でサークレットを弄びながら、愛美は、ひそひそ話をするように囁いた。
「あの、今夜、アンナユニットを使いたいんですけど、いいですか?」
「何故だ?」
「えーと、あの、その……ち、ちょっとユニットの力を使って、行きたい所がありまして」
「外出用に使用するというのか?」
突然の頼み事に少しだけ難しい顔をするが、愛美の表情を窺い、特に不穏な様子は見受けられないと判断したようだ。
勇次は、意外なほどストレートに応えた。
「判った。ただし、条件がある」
「条件、ですか?」
「これは、今準備中のシミュレーション実装の時に教えようと思ったんだが」
シミュレーション、という聞き慣れない単語に、愛美は小首を傾げる。
「アンナローグに、“ステルスモード”をテストしてもらいたい。
これを使って移動してみろ」
「捨て留守もーど…ですか?」
何か微妙に勘違いしているようだが、無視して続ける。
「これが作動している間、アンナローグの姿は、あらゆる探知機器から姿を隠せるようになる」
「えっ、そうなんですか?」
「無論、直接見ている人間の目はごまかせないがな。
それでも、普通よりは見えにくくなる筈だから、夜ならかなり効果が期待出来るだろう」
「そんな事が出来るんですかーっ。知りませんでした!」
素直に驚いて見せる愛美は、きらきらした目でサークレットに見入った。
「使い方は、AIに指示を送ればいい。
アンナローグはいつでもスクランブル状態にしておくが、あまり目立った行動はするなよ」
「はい、わかりました!」
「アンナユニットの存在は極秘だということだけは。決して忘れるなよ」
「は、はい」
最後だけ、きつい視線を携えて念を押す。
しかし、実装外出の許可を取り付けられたことで、愛美は浮き足立っていた。
「とぉ――っ」
気の抜けた声と共に、アンナローグは軽く石床を蹴った。
まるで重力から解放されたかのように、軽やかに宙へ舞い上がる。
人目につかない所でチャージアップを済ませた愛美・アンナローグは、昨日の約束を果たすため、ちづるの元へ向かって飛ぶ。
誰かに気付かれるよりも早く、アンナローグは「ステルス・モード」を発動させてみた。
「え、え――と。え、えいっ!」
“捨て留守もーどって物になってください!”と、心の中で敬語で呟く。
体感できる変化は特に何もないが、視界の端に小さなウインドウが展開し、“STEALTH-MODE READY.”の表示が確認出来た。
昨日の出会いの場所を思い浮かべ、アンナローグは、闇夜に溶け込むかのように高く、高く飛翔した。
……が、すぐに戻って来た。
「いけないいけない! 忘れ物……」
チャージアップする前に、足元に置いておいた小さな箱を取ると、アンナローグは再び飛翔した。
「お姉ちゃん、いらっしゃい!」
夜空を漂っている姿をすぐに見止め、ちづるは、窓から手を振っている。
遠くの音を聞くことができるという事は、すでに彼女も知っている。
だから、離れた距離でも呼びかけてくるのだ。
「こんばんは♪」
夕べと同じく、窓際に降り立ったアンナローグは、優しい微笑みと共に小さな白い箱をそっと差し出した。
「これはなーに?」
小首を傾げて、ちづるは白い箱に注目する。
彼女の両手に箱を預けると、ローグは器用にフォトンドライブ機能を調整し、窓の手摺りに片肘を掛けた。
「ちづるさんにお土産です。
クッキーなんですけど、よかったら食べてくださいね」
日中に手作りした、カントリーマーム風のクッキーだった。
ちづるの年齢に合わせて、ちょっと甘味を強くしている。
コーヒーや紅茶などと一緒に食べるとたまらない味わいだと、アンナローグは説明を付け加えた。
「こんな時間になんですけど、よかったら、明日のおやつの時間にでも召し上がってくださいね。
沢山作ってきましたから」
箱を手にしたちづるは、まるで宝箱をもらったかのように嬉しそうな笑顔を浮かべた。
その仕草は、なぜか少しだけ、アンナローグの胸をどきりとさせた。
「わぁーっ、ありがとう!
開けてみていい?」
“ありがとう”という言葉に、心が動揺するのがわかる。
だが、それを表面には出さず、代わりに一杯の優しさを込めた笑顔で見つめ返した。
「はい、どうぞ」
中には、湿気取りの白い紙で丁寧に包まれた、厚手のクッキーが重ねられていた。
宝石箱を覗くように興味深そうなちづるの眼差しは、無邪気でとても愛らしく思える。
その様子は、アンナローグの心の中に、今まで感じた事のない温かなものを覚えさせた。
しかしちづるは、突然その箱の蓋を閉じ、なぜか悲しげな面持ちで視線を落としてしまった。
「ど、どうしたのですか?」
「う、うん。ごめんね、なんでもないの」
「ひょっとして、クッキーお嫌いでしたか?」
不安な気持ちで尋ねるローグに、ちづるは首を横に振った。
「ううん、私、病気だから……
これ、いつ食べられるかわからないから、ママに聞かないと」
「そ、そうなんですか。
申し訳ありませんでした……」
言われてみりと、どことなく病弱そうなちづるの雰囲気、部屋の空気は、病人から感じるそれと良く似ているような気がする。
かつて屋敷にいた頃、夫人が病に倒れた時もこんな雰囲気が漂っていたものだ。
「ごめんね、お姉ちゃん。
せっかく作ってもらったのに」
「いいえ、気になさらないでください。
ちづるさんの事情を詳しく聞かなかった私が悪いんですから」
「そんな事ないよ!
じゃあね、ちづる、早く病気治してクッキー食べられるようになるね!」
そう言いつつ、ちょっとだけ無理して笑顔を作る。
そんな健気さに、アンナローグは胸を打たれた。
「はい、では、どうか一日も早く元気になってくださいね。私、応援していますから」
「うん。お姉ちゃん、あのね?」
「はい?」
「また、遊びに来て、くれる?」
「はい、来ますよ!
ちづるさんさえ良ければ、夜だけでなく昼間でも」
「昼間は、ダメ!」
突然、ちづるが大きな声で言葉を遮る。
だがすぐに、慌てて自分の口を手で塞いだ。
「ご、ごめんね。
昼間は、誰とも会えないの。
お部屋で静かにしてないといけないんだって」
「まあ……そうなんですね」
「学校もお休みしているから、外の人とも本当は会っちゃいけないんだって。
お病気が治るまで」
「そうなんですか」
だから昼間ずっと眠っていて、夜に眠れなくなってしまうのか。
だとすると、ちづるに会うのはどうしても夜にせざるをえない。
千葉愛美としてではなく、冷たい装甲で身を包んだ、アンナローグとしてしか……。
そう思うと、何故かとても悲しい気持ちに苛まれてしまう。
「ちづるさん、元気出してください。
私、貴方のお病気が治るように、いつも祈っていますからね」
「うん、ありがとう!」
もうそろそろ、戻らなければならない時間だ。
アンナローグは、この前と同じ軽い挨拶を交わし、夜の空に戻ろうと身を翻した。
「お姉ちゃん」
今まさに空に舞い上がろうとした途端、ちづるが呼び止める。
「はい、なんですか?」
「私達、お友達……だよね?」
僅かに潤んだ瞳で、何かを訴えるようなせつない眼差しを向ける。
アンナローグ・愛美は、そんなちづるの視線を、真摯に受け止めようと思った。
「お友達…じゃないの?」
先ほどまで見せなかった、ひどく不安そうな表情になる。
そんなちづるに、アンナローグは、わざと大きく首を振ってみせた。
「そんなことはありません。
お友達ですよ……そう、お友達です!」
自分でもびっくりするくらい大きな声を出す。
「よかったぁ♪
じゃあ今度は、お姉ちゃんの事もいっぱい教えてね!」
無邪気なちづるの呟きに、自然に満面の笑顔が浮かぶ。
「わかりました、約束しましょうね!」
二人は、再び“指きりげんまん”をして、その晩は別れた。




