●第29話【少女】1/2
―――あなたは、誰?
突然、アンナローグの耳に、かすかな声が届いた。
どうやら、幼い少女の声のようだ。
人間の数千倍の感度を持つ集音マイクが、何かを拾ったらしい。
「えっ?」
滞空したまま、思わず周囲をきょろきょろと見まわす。
暗い空、住宅街の上空に浮かんでいたアンナローグは、何事かと驚きつつも、声の聞こえた方角に注意を払った。
―――どうして、お空を飛んでいるの?
また、聞こえてくる。
今度は、よりはっきりと。
「誰ですか?」
アンナローグは、思わず反射的に呟いた。
だが、声が届く筈もない。
―――お空を飛べるって、いいなあ
―――きっと、天使様なのね?
愛美の意思に反応して、AIが音源探知機能で声の方向を分析した。
「あなたは……?」
美神戦隊アンナセイヴァー
第29話 【少女】
蒼い月の光をまといながら、アンナローグの肢体が宙に舞い上がる。
「はぁっ!」
鋭い気合いの声と共に、アンナローグは、直立姿勢のまま横に高速回転を始める。
超高速のスピンが生む遠心力によって、アンナローグの頭部から伸びるリボン状の器官“エンジェルライナー”が、大きく広がっていく。
薄い皮膜状のリボンが、みるみるうちに硬度を増し、無数の衝撃波を生み出してXENO……UC-08「サーベルタイガー」を狙う。
あらゆる方向から襲いかかる“見えない大気の刃”は、情け容赦なく、四メートルにも及ぶ巨大な肉体を切り刻んでいく。
低空で猛回転するアンナローグの姿は、まるで小型の台風のようだ。
それまで他のアンナユニットの攻撃を防ぎ続けてきた強固なボディも、この攻撃で、遂に限界に達した。
アンナローグが回転を止める頃、サーべルタイガーの胸部に露出した眼球状組織・核は、粉々に粉砕されていた。
そしてそれは、サーベルタイガーの肉体の崩壊を意味する。
まるで軽やかに踊るダンサーのように、宙空でくるりと弧を描き、着地する。
凶器と化していた四本のエンジェルライナーが、硬度を失ってふわりと風にたなびいた。
「や、やりました!」
安堵の息を漏らすアンナローグに、アンナウィザード達が接近する。
「ローグ、お見事です。
お疲れ様でした」
『ローグ、すっごーい!
私達があんなに苦労した相手なのに、殆ど瞬殺だったじゃん!』
やや離れた所に待機していたアンナミスティックからの通信が入り、アンナローグのモニタに、見慣れたポニーテールの少女の顔が映る。
「本当に素晴らしいです。
練習してきた甲斐がありましたね」
「はい、ありがとうございます!」
二人の賛辞を受け、照れ臭そうに笑う。
確かに、なかなか辛い練習だった。
たまたまTVで観たフィギュアスケートの映像に感動し、その動きの中に技のヒントを見出したものの、それを実戦に生かすのは並大抵の練習では済まなかった。
高速回転を維持しながら対象物を破壊するのは困難を極める。
しかし、それが初の実戦投入で見事成功した事で、アンナローグ・愛美は少しだけ自信を持ち始めていた。
「戦闘記録終了。
ミスティック、パワージグラットの限界時間は、あとどのくらい?」
アンナパラディンが飛来し、ミスティックに尋ねる。
「えーとね、あと8分くらいかな」
「そう。みんな、聞いて」
少し何かを考えるような仕草の後、アンナパラディンは皆を呼び集めた。
「蛭田博士や凱さんと相談したんだけど、これまでの戦闘で、私達の存在はネット上で噂に上っているわ。
ワーベアとの戦闘の跡や、この前のコカトリスの件も、被害状況の写真がSNSにアップされてるし、色々と憶測が飛び交っているわ」
「わー、やっぱりそうなっちまうかぁ」
後ろ頭に手を回し、アンナブレイザーがしかめっ面になる。
アンナローグは、それを見て、何となくポーズを真似してみた。
「まだ私達の存在を具体的にピックアップしたような書き込みは見当たらないらしいけど、このままだと警察や他の機関に知られてしまうのも時間の問題ね。
だから、盗撮や追跡を回避する目的で、これからは各自バラバラに散って、それから実装を解除して欲しいの」
「えーっ、どうしてもぉ?
私、愛美ちゃんと一緒に帰りたーい」
「なるほど、用心には用心をって事なんですね?」
アンナミスティックとアンナローグが、それぞれの反応を示す。
「そうよ。幸いチャージオフは各自個別で行えるんだから、お願いするわね」
「ハーイ、ハーイ、しっつもーん!
家からすっごく遠い所でチャージオフしちまったらどーしますかーっ?」
シュタッと元気に手を上げ、アンナブレイザーが問いかける。
それに対して、アンナウィザードが「待ってました」とばかりに返答する。
「私達の位置はお兄様が捕捉しているそうですので、ナイトシェイドが迎えに来てくれるそうです」
「あ~、あのおしゃべり機能満載の真っ黒い車ね」
以前乗った事のある車の正体を知って、激しく驚いた事を思い返し、ブレイザーが複雑な表情を浮かべる。
「その辺は各自工夫してって事ね。じゃあ……」
「そろそろ解散、しましょうか」
アンナウィザードの一言を合図に、五人はフォトンドライブの閃光をたなびかせて宙に舞った。
ほんの一瞬で、先程まで激しい戦闘が行われていた場に、静寂が訪れる。
五人は、それぞれ別々の方向に旋回すると、光の帯となって遠い彼方へと消えていった。
アンナローグが少女の声を聞いたのは、それから僅か数分後の事であった。
「こんばんは♪」
アンナローグは、窓辺に立つ少女に向かって優しく話しかけた。
「きゃあっ?!」
「驚かせてごめんなさい。
貴方ですか? 先ほど私に話しかけていたのは」
「え? き、聞こえたの?」
「はい、聞こえましたよ」
声の主は、突然眼前までやってきた桃色の天使の姿に圧倒されているようだ。
アンナローグは、窓際すれすれにホバーリングしている。
フォトンドライブの浮遊能力で、少女よりやや高い目線の位置をキープした。
「あ……こ、こんばんはっ!」
「はい♪ でも、驚きました。
まさか私の事が見えていたなんて。
すごく目がいいのですね?」
「え? え、え~と、あの…その…」
少女は、親しげに話しかけるアンナローグに緊張した表情を向けつつも、なんとか返事を返そうとする。 言葉がうまく見つからないのか、くりくりした瞳を行ったり来たりさせるのが精一杯のようだ。
「私は、アンナローグです。
貴方は?」
「わ、私?
わ、わ、私は……ちづる」
「ちづるさんですか。よろしくお願いいたします」
「は、はい、よ、よろしく!」
「怖がらなくてもいいですよ。
私は、これからお家に帰る所だったんです」
「お姉ちゃんは」
「?」
「お姉ちゃんは、天使様なの?」
アンナローグの優しい言葉に気を許したのか、ちづると名乗った少女は、静かにそう尋ねた。
「どうしてですか?」
「だって、あんなに綺麗にお空飛んでたでしょ?
きっと天使様だと思ったの」
「まあ、それは光栄です」
「違うの?」
「ええ、残念ながら違いますよ。
こう見えても、ちづるさんと同じ人間なんです」
その言葉がよほど意外だったのか、ちづるはきょとんとした表情で、ローグの全身をじろじろと見回した。
「ほんとー?」
「ほんとーですよ。
ですから、どうかご心配なく」
「うん♪」
なんとか納得してくれたようで、ちづるは、やっと安堵の微笑みを返してくれる。
おかっぱ頭で幼い顔立ちの少女は、薄暗がりでもはっきりわかるほどの白い頬を振わせ、楽しそうに笑った。
声の主・ちづるは、自宅の窓から夜の景色を眺めていたら、街明かりに照らし出されたアンナローグの姿を見止め、思わず見入っていたのだという。
丁度着地点を探して、高速移動から低速浮遊に切り替えたためだろうか、アンナローグの姿は、宙に舞う美しい天使のように映ったらしい。
温和な雰囲気で親しげに話しかけるアンナローグにすっかり警戒心を解いたのか、自然な明るい表情を浮かべ、ちづるは彼女との会話を楽しんだ。
「ちづるさんは、こんな遅くまで起きているのですか?」
「えっ?」
ふと思い立った疑問を口にしてみる。
すると、今まで明るかったちづるの表情は急に暗くなり、まるでふてくされるようにうつむいてしまった。
「眠くないの」
「まあ、それは」
「昼間いつも寝ているから、夜は眠れないの」
「お病気なのですか?」
コクリと無言で頷くと、ちづるは、どこか寂しそうな眼差しでアンナローグを見つめてきた。
その瞳は、何故かとても悲しそうな光が宿っている気がする。
アンナローグは、ちづるの次の言葉をじっと待ってみた。
「あのね、お姉ちゃんは、いつもこの辺に来るの?」
「え? いいえ。
そういう訳ではありませんが」
「そうなの? 残念だなあ」
ちづるの表情が益々曇る。
あまりはっきりとはわからないが、確かこの辺は、SVアークプレイスから結構な距離がある筈だった。
この辺で、再びXENOが出現でもしない限りは、来る事などまずないような気さえする。
とても残念そうにしているちづるを見るうちに、アンナローグは、いたたまれない気持ちになって来た。
「ちづるさんは、私がここに来たら、嬉しいのですか?」
ちづるの手を取り、目線を合わせてゆっくり囁く。
「わかりました。
じゃあ、ちづるさんに会うために、私ここに来ます」
「え、ホント?」
「はい、本当です!
ちづるさんが夜に起きていらっしゃるなら、時々お話ししに来ますよ。
だから元気出してくださいね」
「うん! じゃあ、約束!」
「はい、約束です!」
再び明るさを取り戻したちづるは、嬉しそうに右手の小指を差し出した。
「指きり、して?」
「指きり?」
「えー、知らないの?
約束するときにやるんだよ」
「そ、そうなんですか?
ごめんなさい、知りませんでした」
ちづるの小さく細い指がアンナローグの手を引き、小指と小指を重ねるように導く。
「こうして…ゆーびきりげーんまん、ウソついたら針千本のーます♪ って言うの」
「それで約束した事になるんですね? わかりました」
「はい、じゃあ。
ゆーびきーりげーんまん、ウーソついたーら」
「はーりせーんぼーん、のーますっ♪」
とても無邪気なやりとりに、思わず二人とも吹き出してしまう。
出会ってほんの少しの時間しか経っていない筈なのに、もう、お互いの事を良く知っているような感覚に捉われる。
アンナローグは、ちづると結んだ小指を見つめ、もう一度微笑んだ。
「お姉ちゃんの指、硬-い。どうして?」
「ごめんなさい、これは、私の本当の手じゃないんです。
機械の手ですから」
「えーっ、じゃあ、今の指きりもなしっこ?」
頬をぷーっと膨らませて、思い切り不満の意を示す。
だが、そんなちづるの表情はとても愛らしく、ローグは、不謹慎と理解しつつもつい吹き出してしまった。
「そんな事ないですよ。
私の指は鋼鉄の指でも、今のでちゃんと、気持ちを繋ぎましたから」
「気持ちを繋ぐ?」
「はい。つまり、約束はきちんとしたって事です」
そう優しく囁くと、ちづるはようやく納得したようで、再びにっこりと微笑みを浮かべた。
「ちづる、まだ起きてるの?」
突然、家の中から女性の声が聞こえてきた。
「あ、ママだ!」
「まあ、それでは……」
「うん、また明日ねーっ!」
「はい、また明日。
ちづるさん、お休みなさい」
「おやすみー」
母親らしき人物に気付かれるよりも早く、アンナローグは、静かに大空へと舞い上がった。
浮上していく最中、ずっとちづるがこちらを見上げているのがわかる。
アンナローグは、思わず下に向かって、手を振り返した。




