第16話【掃除】2/3
翌朝。
ありさは、とても不思議な感覚で目が覚めた。
ほのかに漂ってくる、味噌汁の香り。
米が炊き上がる時の、甘くほんわかした匂い。
それは、この部屋で嗅いだことが全くなかったもの。
つい先程までの、まとわりつくような重たい眠気すら、一瞬で消し飛ぶような“幸福の匂い”。
「えっウソ?! 何このマンガみたいな展開!!」
夕べ泊めた少女が、朝早く起床して、自分の為に朝食を準備してくれる。
これは、世の独身男性が夢見る、最高のシチュエーション!
それが、現実にこの場にあるのだ。
ありさは、自分が男に生まれてきたことに神に感謝……しそうになって、女だったことを思い出した。
布団から抜け出すと、恐る恐るキッチンを覗き込む。
そこには、夕べ貸した寝巻き代わりのトレーナーを羽織い、エプロンを着けて何やら調理をしている愛美の後ろ姿があった。
否、それだけではない。
あれだけ積み重ねられていたゴミが、一つもない!
その上、夕べより更に掃除が進んでいるみたいだ。
時計は、午前7時半。
飛び起きたありさは、慌てて愛美に駆け寄った。
「あ、おはようございます!」
「おはよう! って愛美、いつから起きてるの?」
「はい、五時にはもう」
「早起きすぎでしょ! 寝たの12時過ぎだよ?!」
「ええ、もう身体が習慣付いているもので」
「あ、それ、ご飯作ってくれてるの?」
「はい! 夕べ、お休みになられる前に確認しましたら、お望みとの事でしたので」
「ああ、そだっけ。
ごめん、忘れてた――ってか! それより、ゴミどうしたの?!」
「はい! 外に――」
その言葉に目をまん丸にしたありさは、更に慌てて部屋を飛び出していった。
数分後、ありさは、呆然とした顔で戻って来た。
「お帰りなさい」
「ねえ、アンタ……大家に会ったの?」
「はい! たまたまお外におられましたので、ご挨拶を」
「んで、ゴミのことを?」
「そうです。ありささんのお部屋のご事情を伝えました。
そうしたら、明日まで庭先に置いておいて構わないと、お許しを得ましたので」
「んで、アレを。
一人で全部、運んでくれたの?」
「はい、もしかして……出しゃばり過ぎましたでしょうか?」
「いや! いや! そ、そんなこたぁないよ!
ありがとう! 本当に助かった!」
「良かった! それは何よりです!
あ、こちら、大家さんからの頂き物でして」
そう言いながら、愛美は程良く焼いた鱈の切り身をグリルから取り出し、皿に盛り付けた。
「でも、大家にこっぴどく叱られた。ショボ~ン」
愛美は、無言でありさの肩を優しく叩いた。
ご飯に味噌汁、焼き魚というシンプルな構成だが、まごうかたなき手作り朝食。
ありさは感動しながらそれをたいらげ、何度も愛美に感謝の言葉を述べた。
愛美も、予想以上に喜んでくれるありさの態度に、いくらか心が温かくなった。
食後、愛美は夕べ泊めてもらったお礼として、部屋の掃除を申し出た。
さすがに、家主も協力すると申し出たが、ここは元メイドの面目躍如。
愛美は自身の過去を少し明かし、本職だから任せて欲しいと申し出を断った。
午前10時を回る頃。
部屋は、見違えるほどに綺麗に片付いた。
「すげー! 床がこんなに見える! 埃っぽくない!
愛美ぃ! ありがとう! あんたスゴイよ! メイドってのは本当なんだね!」
「喜んで頂けて光栄です。
こちらこそ、本当にありがとうございました」
そう言うと、愛美はそろそろ部屋を出ようと申し出る。
ありさは、そんな彼女を引き止めた。
「ねえ、あんた具体的にこれからどーすんよ?
このまま何も決めないで外出したって、何処にも行けないよ?
昨日みたいなことになっても、またあたしが助けられるとは限らないんだしさ」
「た、確かにそうですが。
かといって、いつまでもご迷惑をおかけするわけには」
「いいっていいって!
身の振り決まるまで、ここに居ればいいじゃない。
あ、あたし?
あたしだったら、全然大丈夫だよ?
愛美のこと、かなり気に入ってるからね!」
「重ね重ね、ありがとうございます、ありささん!
嬉しいです、ありささんのような方と出会えて、私は幸せです!」
なんだか告白されてるような状況に、ありさはつい吹き出してしまった。
と同時に、益々目が離せない存在だな、とも思い始めていた。
「それと、夕べ洗濯したあんたのワンピースと下着、まだ乾いてなくね?」
「あっ! そうでした!」
意外なところでポンコツっぷりを披露する愛美に、ありさはほくそ笑む。
お尻を手で押さえ、愛美は、再度居間に戻ることにした。
その後、ありさは愛美の身の上話を聞きたいと申し出た。
その上で、今後どうするべきかを一緒に考えようという。
「これも何かの縁だしさ。
あたしも出来る限り協力するわ。
なんでも言ってね」
「本当に申し訳ありません、ありがとうございます!」
ありがたい申し出に更なる感謝の気持ちを抱き、愛美は、またも秒速五回のお辞儀をした。
部屋の窓を開け、換気をしながら、適当にテレビを点ける。
おおよそ十代の少女らしからぬ生活スタイルだが、愛美は特に気にすることなく、ありさに向き合った。
話す内容は、井村邸で働いていた時から、今に至るまで。
先輩メイド達と共に、井村婦人を支えながら懸命に奉仕してきたこと。
その仕事を、突然クビにされたこと。
凱という人物が来訪した事をきっかけに、おかしな事態に巻き込まれるようになったこと。
そこまで話した時点で、ありさは、小首を傾げて愛美に尋ねて来た。
「ねえ、ちょっと気になったんだけどさ。
そのお屋敷って、住み込みで朝から晩まで働いていたんだよね?」
「はい、そうです」
「それで、どれくらいもらっていたの?」
「もらっていた……とは?」
「お給料のこと。
そんだけ真面目に働いていたんなら、結構貰ってたんじゃない?」
「……?」
今度は、愛美が小首を傾げる。
その仕草に、ありさは愕然とした。
「あのさ、まさかとは思うけど」
「はい?」
「お金、貰ってなかったの?」
「えっと、どなたから、ですか?」
「そりゃあ、雇い主なんだから、その井村って人からだよ」
「そ、そんな恐れ多い! 奥様からお金を頂くなんて、そんなはしたない真似など出来ません!」
「はえぇぇ?!」
まさかの、無給!
ありさは、目を点にしてあんぐり口を開けた。
「私は、奥様にお仕えしている身でした。
ですので、奥様から施しを賜るような身分ではなく――」
「あいやや、ちょっと待った!
あんた、何処まで世間知らずなんだよ!」
ありさは、愛美に「給与形態」について簡単に説明した。
彼女自身、アルバイトで生活費を稼ぎながら通学している身だと明かし、給与を貰う為に働いていることと、それがないと生きていけない理由を話した。
……が、愛美はまだ理解に乏しいようで、困惑した表情のままだ。
そして愛美自身も、ありさの説明が今ひとつピンと来なかった。
「あんた、そんなんじゃ、この先何処に勤めたってまともに生活していけないじゃん?」
「そ、そうなんですか……今まで、全然考えたことがありませんでした」
「ダメだぁ、これじゃ心配過ぎて目が離せないやーん!」




