第2話【来訪】3/3
コンコン
ドアをノックすると、中から少々慌て気味に声が返ってくる。
愛美はワゴンと共に入室すると、深々とお辞儀をした。
リュックの中身をぶちまけていた凱は、申し訳なさそうに向き直った。
「ごめんごめん、ここ携帯の電波届かないんだよね!
暇だからもう寝ようかなと……って、おっ?! まさか、食べ物?」
思わず身を乗り出す凱に、愛美は少々たじろいだ。
「はい、お腹が空いてらっしゃるかと思いまして。
簡単なもので恐縮ですが」
そう言いながら、ワゴンの上に載せられた料理をテーブルの上に運び、クローシュを取る。
その中から、綺麗に盛り付けられたスパゲティが姿を現した。
「ありがとう! 助かるよっっ!!
おお、ミートソース?! 美味そう!」
「ボロネーゼですね。
申し訳ありません、こういったものしか用意できなくて」
恐縮している愛美だったが、料理は見た目・ボリューム共に、凱には申し分ないレベルだった。
平麺のパスタに、沢山の挽肉と野菜を使ったソースがたっぷりと載っている。
控えめに粉チーズもかけられ、冷水を入れた小型のピッチャーまで用意されている。
それは、とても飛び込みの客をもてなすランクの料理ではない。
凱は料理の香りを嗅ぐと、感嘆の声を漏らした。
「ありがとう、愛美ちゃん。
まさか、ここまでもてなしてもらえるなんて。
君は、本当に優しい良い子なんだね」
「お、お褒めに預かり、光栄です!」
顔を真っ赤にしながら、愛美は慌てて料理を勧めた。
ピッチャーを手に取り、凱の傍に立ちグラスに水を注ぐために待機までする。
あっという間に料理をたいらげ、水をゴクゴク飲み干してご馳走様をすると、凱は愛美に話しかけた。
「なあ、愛美ちゃん」
「はい、何でしょうか」
「実は俺、ある噂を聞いてここに来たんだけどさ。
何か知ってたら、教えてくれないかな」
「噂、ですか?」
凱は、先ほどまでの無闇に明るい態度ではなく、落ち着いた口調で語り始める。
先ほどまでとのギャップに戸惑いはしたものの、愛美は何となく、彼の言葉に耳を傾けたくなった。
凱によると、噂とはこういうものだった。
この山の付近で、以前、大きな動物の姿を見たという者が現れた。
ここからそう遠く離れていないところにある登山道で、野犬でも熊でもない、もっと大きな生物の影のようなものを目撃したとの話で、それはUMAなのではないかとも噂された。
当然、インターネット上でもその噂は広まったのだが、いつまで経っても噂が検証されることはなかった。
そしてやがて、その噂もいつしか囁かれることがなくなり、人々の記憶から消えていった。
「――でさ、なんで、噂の検証がされなかったか、わかるかい?」
「いえ、想像もつきませんが」
「実は、検証しようとした連中はいたんだよ。それも、結構な人数がね」
「えっと、それも、いんたぁねっと……という何かの集まりなのでしょうか?」
「え?」
「はい?」
凱の話は続く。
彼のように、動画サイトで自主撮影した動画をアップしてアクセス数や収入を稼ごうとする者達の中に、そういった噂話の実態を探ろうと試みる者が当然のように現れた。
そして、実際に検証を行う為に、その登山道へ向かっていったのだ。
だが、いまだにその検証動画が上げられた兆しはないという。
「ええっ? ど、どうしてなんですか?」
不思議そうに尋ねる愛美に、凱は、何処か辛そうな表情を浮かべて静かに呟く。
「みんな、帰って来なかったんだ」
「え」
「みんな行方不明になった。一人残らずな」
「そ、そんな!
どうしてなんですか?!」
「それがいまだに謎って訳さ。
だから、俺みたいなのg――」
凱がそこまで呟いた時、突然、ドアが勢い良く開かれた。
「はいはい、消灯時間ーっ!!
お客さん、もう22時ですよー! あたし達も今日はこれで営業終了でーす!」
声の主は、もえぎだった。
少々苛立ち気味の声で、荒々しく呼びかける。
「うえっ?! ここ、消灯時間あるの?!」
「そーなんです! 本日決まりました!」
「ええっ?! は、初耳ですよ、もえぎさん?」
「そんなご無体な! 今、大事な話をしてたのに」
残念そうに呟く凱を無視して、もえぎはさっさと食器とピッチャーを片付けると、ワゴンを押して愛美と共に部屋を出て行こうとする。
「そ、それでは、また明日の朝に。
おやすみなさいませ」
「うぃ~、お疲れ様っしたぁ!
愛美ちゃん、メシありがとう!」
「は、はい!
明日も、朝食をお持ちしますので」
「うっひょぉ! そこまでしてもらえるの! 感激だぜぇ!」
「あ~、時代遅れのYOUTUVERは煩い!」
バン! と強くドアを閉じ、もえぎは愛美を引っ張るように出て行ってしまった。
即座にドアに聞き耳を立て、足音が遠ざかったのを確認すると、凱はリュックの中から小さなポーチを取り出し、腰に固定した。
「ま、好都合なんだけどね」
凱は、更にいくつかの道具を取り出し、羽織っていたベストの内側にしまいこむと、腕時計を壁に翳した。
「ナイトシェイド。
この館のマップを出せるか?」
“作成します”
腕時計から、女性の声が響く。
と同時に、壁にプロジェクターの映像のようなものが映し出された。
午後11時を回り、館の中は静まり返っている。
キッチンの片付けを終え、暗い中で廊下の残り部分をモップがけしていた愛美は、妙な違和感を覚えて手を止めた。
(あれ? 外から物音?)
愛美は手近な窓から外を眺めてみるが、暗闇が広がるだけで何も見えない。
しばし考えた後、愛美は意を決して、玄関の錠を外した。
(何かが落ちるような音が、確かこっちの方から?)
玄関のドアを開け、愛美は音を感じた左手の方に目を凝らす。
特に、異常のようなものは見えない。
外に出た愛美は、館の外周に沿うように歩いていくと、あることに気付いた。
(足跡……?)
地面の一部に、靴で土を蹴ったような痕跡がある。
見上げた愛美は、小さな嗚咽を漏らした。
(この上は――凱さんのお部屋?!)
愛美は、慌てて屋敷内に駆け戻った。