第15話【邂逅】3/3
「そりゃあさ、お金持ってなきゃ何にも乗れないってば」
ショートカットの少女は愉快そうに微笑むと、ずびーと音を立てて丼のつゆを啜った。
「すみません、世間知らずで……」
「もしかして、あんたってどっかのお嬢様?
なんか、服装もそれっぽいし」
「ととと、とんでもありません!
私は、使用人の立場です」
「使用人? なんだかよくわかんないね。
まあ、とにかく今は食べよう」
「もぐ……ふ、ふぁい」
口の中の熱い天ぷらを転がしながら、少し慌てて返答する。
そんな愛美の様子を愉快そうに見つめながら、少女は小皿に置かれたおいなりさんを、一口でほおばった。
場所を大きく移動し、二人は駅の近くの立ち食いそば屋に入っていた。
中年男性やくたびれた若者達が集う場に、ちょっとそぐわない少女二人。
しかし、さも当然といった風に注文を済ませると、少女は慣れた態度で食べ始めていた。
愛美は、少女のおごりで天ぷらそばを食べていたが、店内や周囲人々、そして雰囲気の珍しさに目を奪われ、かなり遅れて食べ始めてしまった。
「……っんぐっ、と。
ホイごっそさん!」
「まいどー」
店員の声に嬉しそうな笑顔を浮かべると、少女は愛美に尋ねた。
「で、えーと、あんた名前は?」
「は、はい! 千葉愛美と言います」
「うん、愛美ちゃんか。
最近まで、何処に居たの?」
「はい。SVアークプレイスという所におりました」
「それって、あのバッカでかいマンションがいっぱいあるとこ?
なんだ、そんなに遠くないじゃない」
「そ、そうなんですか?
私、地理とか良くわからないものでして」
「ふーん、田舎から出てきたの?」
愛美の態度に少しの疑問も抱いた様子を見せず、少女はカウンターに丼を返却する。
「ね、おそばおいしい?」
「は、はい! 初めて戴くのですが、とっても美味しいです!
私、心の底から感動しております!」
周囲の客が思わず視線を向けるほど、元気な声で答える。
「良かったね、大将!
感動モンだってよ!」
照れ笑いする店長と思しき男性に、少女が冷やかしの声をかける。
愛美は、少女の元気で明るい態度に、今まで出会ったどのタイプの女性とも違う何かを感じていた。
「ここの店ってね、実は結構穴場なんだよ」
「そうなんですか?」
「うんそう。
あたしが生まれるずっと前からやってるお店なんだけどねー」
少女の話に頷きながら、愛美は天ぷらそばを食べ続ける。
よほどお腹が空いていたのか、気が付くとつゆも残さず完食していた。
「ご馳走様でした!
本当に、素晴らしいお味でした! ありがとうございました!」
愛美の礼に、店長は顔を赤らめ、照れまくる。
彼女に丼の片付け方を教えた後、少女は先に店の外に出た。
「あの辺は、もう一人で行き来しちゃいけないよ。
ああいうのがごろごろしてるからさ」
「は、はい!」
突然の少女の言葉に、面食らう。
「あんた可愛いから、またすぐ狙われるって」
少女は微笑みながら呟くが、どこか抗し難い迫力がある。
そんな彼女の態度に、愛美は少しだけ恐縮した。
「わかりました、今後は気をつけます。
あの、ええと、ところで」
「ん、どしたの?」
「そういえば、お名前を伺っていませんが」
「あ、そうだったっけ?
ごめん! 全然気が回らなかった。アハハ!」
女の子にしては豪快な笑い声を立てると、少女は改まって愛美を見つめた。
「あたしはね、石川ありさ。
よろしくっ!」
ぐっ、と親指を立て、屈託のない笑顔を咲かせる。
清々しさすら感じさせるその表情と態度に、愛美は憧れのようなものを感じ始めていた。
同じ頃、ここはJR東京駅。
各路線を走る電車の中に置き忘れられた忘れ物は、ここ「お忘れ物承り所」に集められる。
数々の遺失物が運び込まれ、係の男は、いつものように呆れ顔になっていた。
「ったく、なんでこんなものを忘れるかな~?」
傘やスマホ、携帯ゲーム機、かばんならまだわかる。
中にはオムツ、入れ歯、掃除機、薙刀、こいのぼりなんてものもある。
また、明らかに家に持ち帰る途中で忘れたのだろうという、食品関係も数多い。
今日も、様々な食品が入れられた袋が届いている。
規則により、日持ちのしなさそうなものは即処分となるのだが、面倒なのは、それをいちいち確認しなければならないことだ。
ぶつぶつ文句を言いながら、職員の男は、袋の中身の確認作業を続けた。
「ん? なんだこりゃ?」
とある白い紙袋を開けると、その中には奇妙なものが入っていた。
既に冷気を失い、常温で軟化している保冷剤が詰め込まれた、小さな紙製の箱。
更にその中央には、まるで昔のフィルムケースを思わせる白い蓋つきのカプセルが収められていた。
「何が入ってんだ?」
男はカプセルを取り出すと、蓋を外して中を覗き込む。
だが次の瞬間、短い悲鳴を上げ、男はカプセルを取り落としてしまった。
「な、な、なんだありゃ?!」
落としたカプセルの中から、何かがドロリと零れ出た。
それは、半透明なゼリー状の物体。
しかも、その中には血管のようなものが無数に走っており、更に――
「ひぃっ!」
“目が合った”。
――その謎の物体には、目が付いていたのだ。
正しくは、目というよりも「眼球」。
いわばその物体は、眼球に血管を持ったスライムのようだ。
それは、滑るような素早い動きで床を這い、あっという間に何処かの隙間に潜り込み、姿を消した。
「なな、なんだ?! 今の……い、生き物か?」
今まで見たことも聞いたこともない、謎の生物のようなもの。
その、あまりにもグロテスクな見た目は、作り物には到底思えなかった。
男は、仕方なく懐中電灯を持ち、棚の下や隙間などを覗いて調べようと考えた。
「疲れてるからかなあ、何かの見間違いだといいがなあ」
ぶつぶつ言いながら、男は床に這い蹲って、遺失物を置いた棚の下を覗き込む。
そして――再び、目が合った。
「あ」
男が最期に見たのは、視界いっぱいに広がる血管のようなものだった。
「あれ? おーい、北園!」
関係者専用通路を移動していた駅員は、奥の方でよたよた歩いている男の姿を見つけ、声をかけた。
「何やってんだよお前? まだ交代時間じゃなかったろ?」
駆け寄り、肩に手をかける。
ゆっくり振り返った男の顔には――
「――うぎゃあぁぁぁぁあああ!!」
駅員の悲鳴が、木霊する。
男の顔は、巨大な“一つ目”になっていた。
まるで、昔の怪談に登場する一つ目小僧のように。
そしてその口には、大きな鼠の下半身が覗いている。
更にシャツの胸元とズボンは、血で真っ赤に染まっていた。
「ひ、ひいい! ば、バケモノぉ!!」
駅員は、必死でその場から逃げようとする。
だが異常に素早い動きで、男は彼の腕を掴んだ。
メキメキメキ……と、骨が軋む音がする。
「痛ぇ!! う、うわぁぁぁ!!
や、やめびゃ……」
ぐじゅっ、という、何かが潰れたような水音が響く。
一瞬で頭を潰された男の亡骸が、崩れ落ちる。
一つ目の男は、口の中の鼠をゴクリと飲み込むと、駅員の死体に覆い被さった。
不気味な租借音が、誰も来ない通路に鳴り響いた。




