第14話【前兆】3/3
「まーなみちゃん♪ げんきぃー??」
弾けるような声で、恵が呼びかける。
しかし、インターホンからは何の反応も返ってこない。
「あれれぇ? おかしいなあ。
まーなみちゃーん! あーそーぼっ!」
小学校低学年のように呼びかけるが、それでもダメだ。
「う~ん、声が小さいのかなぁ?」ス~ッ
鼻から一杯に空気を吸い込んだところで、少し遅れてやって来た舞衣が声をかけて来た。
「メグちゃん、どうしたの?」
「ぷはー! お姉ちゃん、愛美ちゃんお留守みたいなのー」
吸い込んだ息を吐き出しながら、恵がちょっと変な声で応える。
「そうですか。良いお天気だし、お出かけでもしたのかしら?」
「だったらいいねー。
少し元気になってくれたのかな?」
「そうだといいですが。
どうしましょう? 地下迷宮にでも行く?」
「うーん、そうだねー。
あー、ねえねえお姉ちゃん。
メグ達、練習する時もまたあの格好になるのぉ?」
顔を覗き込むように、恵が無邪気に尋ねてくる。
「どうなんでしょう?
直接乗り込むのなら、変わらないと思うんだけど」
「そっかあ!」
何か納得したようで、恵は舞衣の手を引いて、地下迷宮へ向かうためのエレベーターに向かった。
室内の様子を知る由など、彼女達には全くない。
リビングのテーブルの上では、金色の装飾具に飾られた宝石のペンダントが鈍く輝いていた。
日差しは先ほどより強まっているようで、こんな季節なのにじっとりと暑い。
愛美は、以前ナイトシェイドに乗って向かった方向を何となく思い返しながら、歩道を歩いてみることにした。
薄地の淡い桃色のワンピースと、白くつばが広い帽子。
それだけを持って、SVアークプレイスを出る。
行き先は、決めていない。
でも、とにかく、ここから出て行かなければならないと思った。
自分が役に立てない以上、ここに滞在する資格はない。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。
外出着だけはやむなく借りることにして、以前から持っていたメイド服だけを袋に詰めて持ち出す。
それ以外は、所持金も含めて、何もない。
アークプレイスの敷地を出た辺りで、愛美は振り返り、軽く一礼した。
(これから、何処に行けばいいんだろう?
どこかのお屋敷で、雇って頂けると嬉しいなあ)
生まれて初めて一人で歩く東京の街。
見たこともないような巨大なビルと、行き交う沢山の自動車、そして人。
反射熱のせいで、むせ返るような暑さを感じながら、愛美はただひたすら路を歩いた。
アークプレイスの建物が、どんどん小さくなっていく。
胸の辺りを指で軽く撫でると、愛美は前を向いて歩き出す。
今までの事を、全て振り切ろうとするように。
以前、先輩メイドの立川もえぎに聞いたことがある。
大きな街では、バスやタクシー、電車など色々な乗り物があり、好きなところまで連れて行ってくれるのだと。
しかし、愛美はそういった物に乗ったことも、ましてや見たこともなかった。
何がタクシーで、何がそうでないのか。
たまたま近くを走っていたバスを見かけ、ようやく情報と現物が結びついたくらいだ。
究極の世間知らず・千葉愛美は、もえぎから授かった知識を最大限利用してみることにした。
しばらく歩いていると、道端で休んでいる老人が居た。
恐る恐る近付くと、愛美は囁くように尋ねた。
「あのう、申し訳ございません」
「んん? はい?」
老人の男性は、突然話しかけてきた愛美に少しだけ驚いたが、耳を傾けてくれた。
「ここから遠くに移動したいのですが、どうすればいいのかわからなくて。
大変恐縮ですが、どうすればいいのか、お尋ねしても宜しいものでしょうか?」
物凄く畏まった態度と口調に、老人は不思議そうな顔をした。
「ああ、それならそこにあるバス亭から、バスに乗ればいいよ。
何処に行きたいの? 渋谷?」
「ええ、それがよくわからなくて。
東京以外の場所に行くとしたら、どうすればいいのでしょうか?」
老人は、露骨に「何を言い出すんだこの子は」といった顔つきになり、それでも丁寧に教えようとしてくれた。
十分前後話をして、丁寧にお礼を述べると、愛美は教わったことを早速実践することにした。
まずは、バスだ。
幸い、すぐ近くにバス停があり、何人かの人が並んでいる。
愛美は、何も疑いもせず、その列の最後尾に並んだ。
バスは、十分程度の待ち時間でやって来た。
初めて間近で見るバスに、愛美は何故かときめきを覚えた。
(これが、バス!
昔、麓の町まで買い物に行った時、一度だけ近くで見たことはあったけど、乗るのは初めてです!)
先頭部の入り口から、愛美以外の全員が乗り込む。
少し遅れた愛美は、急いでステップに足をかけた。
「どうぞ、よろしくお願いいたします!」
運転手に向かって元気に挨拶すると、愛美はそのまま中に入っていく。
幾人かの乗客が、不思議そうな顔つきでこちらも見つめていた。
『お客さん、お客さん、ちょっと待って』
運転手の声が、スピーカーを通じて車内に響く。
『先に運賃を支払ってくださいね』
「はい? え、私ですか?」
『そう、最後に乗られた、あなた』
「えっと、何を、ですか?」
『だから、運賃! 先払いですよ』
「えっ?! そ、そんな!
こ、こんなに人が居るところで、いきなりなんて事を仰るんですか?!」
『そ、そうじゃなくて! 運賃、う・ん・ち・ん!
230円、先にここへ入れてから乗ってくださいね』
「“ん”が付くんですね? ああ、良かった安心しました!」
『お客さん、真面目に言ってるの?』
運転手と愛美のやりとりに、車内からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
しかして、愛美は手持ちが全くない。
事情を説明すると、運転手は呆れたため息と共に
『お金がないなら、バスに乗っちゃいけませんよ』
という、乗車拒否宣言を叩き付けてきた。
「ひえっ?! す、すみませんでしたっ!」
顔中を真っ赤にして、愛美は大慌てでバスから飛び降りた。
走り去るバスに向かって、何度もお辞儀を繰り返す。
バス作戦は、大失敗に終わった。
「どうしよう。
じゃあ、歩いて行くしかないかあ」
お金がない以上、タクシーや電車を利用することも出来ないだろう、と、愛美は今更ながら思い知った。
バスの進んだ方向に向かって歩けば、時間はかかっても、何処かに辿り着けるかも知れない。
そう思い立った愛美は、炎天下の中、とぼとぼと歩き始めた。
ここは、JR原宿駅。
二番線ホーム、階段付近で、一人の少年がぼんやりと線路を眺めていた。
高校生くらいだろうか。
スマホを片手に、時折周囲をきょろきょろと見回している。
そこに、水色のワンピースに麦藁帽子を目深に被った、小学生くらいの少女が近付いて来た。
手から下げている白い紙袋を差し出すと、それを少年に渡す。
「これをお願いします」
「う、うん……」
それだけ言うと、麦藁帽子の少女は、エスカレーターに乗って姿を消した。
ホームの端まで移動すると、少年は、周りに人がいないことを確かめ、紙袋の中身を覗き込んだ。
白い封筒と、ひんやり冷たい小さな「箱」。
封筒の中には、分厚い札束がぎっしりと詰め込まれていた。
恐る恐る小箱の蓋を開くと、保冷剤に囲まれた白い円筒状のカプセルが一つ収められている。
「これを、適当なところに置いてくれば、それでいいんだよな!」
独り言を呟くと、少年は封筒をポケットにねじ込み、ホームに入ってきた山手線に乗り込んだ。
(あ、じゃあこの車内に置いてけば、もうそれで仕事終わりじゃん!
たったそんだけで、こんなに貰えるのかよ!
すげぇな、このバイト♪)
そんな事を思いながら、少年は、箱の入った紙袋を網棚に載せて空いている席に座った。
この荷物は、その後、JR東京駅にある「お忘れ物承り所」に渡る事となる。




