第2話【来訪】2/3
愛美は、夢乃に教わった二階の客室へ、凱を案内した。
二つの部屋が連結した構造で、専用の洗面所バス・トイレも付いている。
更に、ベッドルームは奥の部屋に分けられており、リビングにあたる空間もかなり広い。
まるでちょっとしたホテルの一室のような、豪華な部屋。
軽く興奮した凱は、取り出したカメラで早速室内の撮影を始めようとした。
「うっひょおー! こんないい部屋貸して貰えるなんてラッキー!
あざーす!」
「あ、あの! 撮影は困ります!」
「え? あ、ダメなの?」
「はい、このお屋敷は個人のお宅ですので、その、
よその方が観られるようなところに出されては……」
「ああ、そうだね、了解」
愛美の言葉に、凱は素直に従う。
揉めるかもしれないと身構えていた愛美は、そんな凱の態度に拍子抜けした。
「北条様、とお呼びしてよろしかったでしょうか?」
「ああ、“凱”でいいよ!」
「えっと、では……凱、様?」
「様、はなくて良いって!
俺、堅苦しいのは苦手でさ」
「あ、はい。では、凱さんと呼ばせて頂きますね」
「想像以上に、物腰が丁寧だなあ、愛美ちゃんて」
「え? あ、ありがとうございます」
思わぬ言葉に、頬を赤らめる。
そんな愛美の態度に、凱は思わず微笑んだ。
愛美は、荷物を降ろしてソファに腰を下ろした凱に向かって、説明を始めた。
この館は、「婦人」なる人物が所有する邸宅であること。
彼女は現在療養中で、ここから反対側に当たる一階の寝室で寝たきりになっていること。
婦人の世話をする為、この館内には、愛美を含めて五人のメイドが住み込み勤務をしていること。
滞在中は、この部屋のものを自由に使っても良いが、他の部屋には絶対に行かないで欲しいこと。
それらの事情を告げた上で、更に付け加える。
「何かありましたら、いつでもお声をかけてください」
「はいよ! 愛美ちゃん了解!」
勢い良く敬礼のポーズを取る凱に、愛美ははにかんだ笑顔を向け、深々と頭を下げる。
「それでは、失礼いたします」
再び深く礼をすると、愛美は退室する。
部屋に一人残された凱は、ふぅ、と息を吐くと、しばしの間を置き、廊下へのドアを開けた。
廊下に誰も居ないことを確認すると、凱は腕時計を口元に寄せる。
「――今のが、“千葉愛美”だ。
ナイトシェイド、そこからトレス出来るか」
凱の言葉に反応するように、腕時計の文字盤に『OK』の文字が浮かび上がった。
三十分程して、愛美は凱の為に作った料理をワゴンに載せると、廊下に出ようとする。
そこに、もえぎが姿を現した。
「愛美、わざわざご飯まで作ってあげたの?」
「あ、はい!
凱さん、お腹が空いておられるようでしたので」
「なに、いきなり親しげな呼び方になってんの」
「ち、違います!
これは、あのお客様のご要望で……」
顔を真っ赤にして否定する愛美をジト目で見つめると、もえぎはハァと息をついた。
「まぁいいけど、あんな怪しい奴に、そこまでしてやらなくてもいいじゃん。
朝になったら、とっとと追い出してさあ」
そこまで呟いた時、不意に、背後からのノック音が聞こえて来た。
振り返ると、キッチンの入り口に夢乃が立っていた。
「もえぎ、そりゃあいくらなんでも可哀想だって」
「で、でも」
「奥様と先輩達には報告したし、承諾も取っといたわ。
一応、あんなんでもお客様扱いだから、それなりの対応をしてやってね」
夢乃の言葉に頷きを返す愛美と、不満そうなもえぎ。
「夢乃先輩、いいんですか、本当に?」
「いいのよ。
逆にいい加減な対応をして追い出したら、ネットでどんな話を吹聴されるかわかったもんじゃないじゃん」
「あ、そーか! そういうことね」
ようやく納得したのか、もえぎは手をポンと叩く。
だが、愛美はまた置いてけぼりだ。
「あ、あの、い、いんたぁねっと……というものですか?
私、よくわかってないのですが」
「ああ、愛美はインターネット、やったことないんだよね」
「今時珍しい子だよね、アンタって」
「す、すみません! 今度、勉強して参ります!」
「いいのいいの。
どうせ、ここには回線もWi-fiもないし、携帯の電波も届かないんだから」
呆れるようなジェスチュアをする夢乃に、もえぎも腕組みしながら頷く。
「まあそれに、明日は奥様の大事な日なんだから。
下手にトラブルに発展するようなことは、避けなきゃ……ね」
「はい、そうでしたね!」
大きく頷く愛美に満面の笑みを返す。
だがそんな夢乃に、もえぎは眉をしかめて尋ねた。
「それなんですけどぉ、夢乃先輩。
明日、いったい何をやるんですか?
奥様のお誕生日……でもないし」
「わ、私も、その話を知りたかったんです!
夢乃さん、いったい何が行われるのですか?」
もえぎと愛美の突然の質問に、夢乃は少々詰まる。
しばしの間を置き、彼女は声を潜めて話し出した。
「明日はね……」
「は、はい」
「な、何でしょう?」
「実はね……」
「ゴクリ……」
「……」
「――私も知らないんだな、これが!」
どてっ!×2
二人は、同時にずっこけた。
「な、なんなんですか、それー!」
「いや、だってさ!
私だって聞かされてないんだから、しょうがないじゃんか!
ねぇ、愛美ぃ?」
「え? あ、はい!」
「どうしても知りたかったら、もえぎ、あんたが聞いてきてよ。
梓センパイと、理沙センパイにぃ~」
「うぇっ?!」
二人の先輩の名を聞いたもえぎの表情が強張る。
その様子に、夢乃は何故か愉快そうに微笑んだ。
そして、そんな二人のやりとりに、愛美はまたも付いて行けなくなっていた。
「あの、すみません!
私、お食事を運んで参ります!」
「いってら~」
「襲われそうになったら、すぐあたしらを呼ぶのよ~!」
心配しているんだかしてないんだか、よくわからない声に見送られ、愛美は食事の乗ったワゴンを押して廊下へと出た。
もうすぐ凱の部屋へたどり着くというところで、突然背後に人の気配を感じ、愛美は思わず足を止めた。
「――あら、食事?」
「ひっ?! あ、梓さん?!」
「ごめんなさいね、脅かしてしまって」
いつの間にか愛美の背後に立っていたのは、愛美にとって一番上の先輩にあたるメイド・梓だった。
切れ長で何処となく色香を感じさせる眼差しが、上から注がれる。
「こんな時間にお客なんて、珍しいと思って。
ごめんなさい、邪魔してしまったみたいね」
「い、いえ、そんなことは!」
「遅い時間まで、貴女に面倒をかけて悪いわね」
そう呟くと、細く長い梓の指が、愛美の顎を優しく撫でる。
一瞬、愛美は息が止まりそうになった。
まるで口づけをするかのように顔を寄せた梓は、そのまま愛美の耳元に唇を寄せた。
「適当にもてなしたら、明日は早めに山を降りるように、お客さんに伝えてね」
「は……はい、わかりました」
「明日は、奥様にも、私達にも、大事な日になるのだから。
その為にも……ね?」
顔を離す直前、梓の吐息が、愛美の耳にかかる。
その瞬間、ぞくっという感覚が彼女の背筋を駆け抜けた。
「後はお願いね、愛美」
「は……はい」
呆然とした愛美は、梓が二階への階段に消えるまで、その後姿を見送った。
(び、びっくりした。いつ、ここに来たんだろう?)
胸がまだ、どきどきしている。
だが、すぐにやるべきことを思い返し、愛美は凱の客室へと向かった。