第12話【現実】3/3 -第2章 完-
「……?!」
「な、何、コレ?」
そこには、“地獄”が広がっていた。
狭いフロアの中央に、数個の机とオフィスチェアが固めて並べられた小規模オフィス。
島を取り囲むように設置された棚やキャビネット、給水設備のあるフロアを仕切るための古びたパーティション。
壁際の柱付近に立っているコート掛け、ロッカー。
そして、それらを覆い尽くすように張り巡らされた糸と、無数に宙吊りにされた「繭」。
その数は、一つや二つではない。
中を見た瞬間だけで、少なくとも五体以上は確実にある。
アンナローグは、一瞬でその光景の意味を悟り、無意識に口元を手で覆った。
「うっ……!」
「これ、まさか……そんな」
良く見ると、机の固まった“島”の向こう側に隠れるような形で、“開封済み”の繭がいくつか散乱している。
意を決し、アンナミスティックがフォトンドライブでゆっくり接近していく。
ようやく嘔吐感を抑えたアンナローグは、島の向こうで硬直しているアンナミスティックの後ろ姿に気付いた。
「あ、あの――」
「こっちに、来ちゃダメ!」
「えっ?!」
「酷い……どうして、どうして、こんなことを……」
声が、震えている。
否、声だけではない。
アンナミスティックの両肩が、小刻みに震えている。
(あれ、もしかして、恵さん……)
覚悟を決めて、アンナローグもミスティックの傍に行くことにした。
すぐに、その行為を後悔することになるのだが。
「――うぐっ?!」
割られた繭の残骸。
その中には、ドス黒く染まった気味悪い液状のものが、べったりと付着していた。
その周辺に散らばる白いものが、人間の「骨」であることは、すぐに理解出来る。
もはやどの部位なのかも分からないほど細分化された肉片が、あちこちに散らばっている。
開けられた繭は思ったよりも数が多く、その数は――
有毒ガスの発生源に気付いたアンナローグは、再び嘔吐感に襲われ、慌てて屋上へ駆け上った。
だがその瞬間、無言で横に立つアンナミスティックの頬に、一筋の涙が光っているように見えた。
「うぇ……っっ! げぇ……!」
屋上に辿り着いたアンナローグは、咄嗟に実装を解除すると、それ以上もう我慢が出来なかった。
あれが、XENOの餌場だということは、すぐに検討がつく。
恐らくジャイアントスパイダーは、このビルやその周辺のビルの隙間に隠れ住み、ビル内の人間や訪問者を捕縛し殺害、その死体を隠して貪っていたのだろう。
一時の苦しみが過ぎ、少しだけ冷静さを取り戻した愛美は、ハンカチで口元を覆った。
だが……
「ひぃっ?!」
悪夢は、まだ続いていた。
屋上にも、あの繭と思われる塊のシルエットが、いくつも並んでいた。
大半が既に“開封済み”のようだ。
街の明かりが周囲を明るく照らし、屋上に広がっている惨劇を明確に浮かび上がらせる。
「―――っっ!!」
たまらず、愛美はその場で失神した。
アンナウィザードとミスティックに気付かれ、介抱されたのは、その数分後だった。
『――分かった。
突然の事態にも関わらず、しかも初陣で、よくここまで対処できたな。
ご苦労だった』
ここは、ナイトシェイドの中。
舞衣と恵、そして愛美は、全員青ざめた表情で搭乗していた。
かの雑居ビルは、その後の調査のまとめによって、推定二十人を超える犠牲者が出ていることがわかった。
推定たった三日間で起きた被害としては、想像以上だ。
いや、もしかしたら、もっと以前から秘密裏に進行していたのかもしれない。
アンナウィザードが調査した別な雑居ビルも同様の状態であり、そこは途中の階で階段が塞がれ、上層階には行けなくなっていた。
そしてエレベーターも破壊されており、捕らわれた人が絶対に脱出出来ないような工夫が施されていた。
あの周辺に妙に人気が少なかったのも、もしかしたらこれが原因だったのではないか、と舞衣が結論付けた。
肝心のジャイアントスパイダー自体は、あまり人の出入りがなさそうなビルを根城にし、人目に付き難い場所を巧みに移動しつつ、捕食行動を繰り返していただろう事が推測出来る。
無論、こんな事は、ただ巨大化しただけの虫が出来るような行為ではない。
誰も言葉にしなかったが、その行動には、明確な“知性”が感じられた。
それ以上のことは―-現場の処理については、もう警察に任せるしかない。
三人は、それ以上現場を乱さないよう、出来るだけの配慮をしてから、秘密裏にビルを脱出。
実装を解除して倒れていた愛美は、二人に介抱された。
『蛭田様。
皆様は、非常に憔悴しきっておられます。
また、時刻もかなり遅くなっておりますので、本日はお休み頂いた方が賢明かと』
『わかった。
凱が、マンションで待機している筈だ。
後はあいつに任せてやれ』
『承知しました』
誰も話そうとしない車内に、ナイトシェイドと勇次の会話の声だけが響く。
舞衣はただぼうっと外を見つめ、後部座席では、恵が愛美の背中をさすっている。
だが本人の表情も、今にも泣き出してしまいそうだった。
「――子供がね、居たの」
突然、恵が話し出した。
「あの中にね、子供の……たぶん、まだちっちゃい女の子だと思う。
ぼろぼろになってたけど、可愛い服と……ちっちゃなぬいぐるみがあってね」
「……」
「きっと、ママとかパパに連れて来てもらったんじゃないかな。
美味しいパンケーキを食べられるって、楽しみに……してたんじゃないかな。
それなのに……」
「恵さん……」
恵は、泣いていた。
こぼれる涙を拭おうともせず、顔を伏せて、泣いていた。
あの時、肩を震わせていた理由は――
「愛美さん」
今度は、舞衣が静かに語りかけてきた。
「は、はい?」
「あれが、XENOなんです。
私達人間を襲い、幸せな生活を蝕む“天敵”です」
「……」
「私も、初めて本物と出会いましたけど……
許しては、おけません」
「舞衣、さん……」
舞衣が、静かに怒っていることは、すぐに分かった。
こちらに顔を向けず、正面を見つめたままの姿勢で、出来るだけ冷静な口調で語る。
だかそんな彼女の肩も、僅かに震えているのが分かった。
「お願いです。
愛美さんのお力を貸してください。
私達と共に、XENOと闘うために」
「うっ……」
腹の奥で、再び重苦しい何かが渦を巻くような感覚に襲われる。
今の愛美には、舞衣の呼びかけに応えられるような気力はない。
しばらくの間を置き、車内に、恵のすすり泣く声が響いた。
ナイトシェイドから降り、呆然とアークプレイスのマンションに帰り着いた三人は、入り口で待っていた凱と再会した。
「お疲れ。
よく頑張ったな、みんな。
――偉いぞ」
その言葉で、相模姉妹の緊張がいっぺんに解けた。
「お、お兄様ぁ~!」
「お兄ちゃあん! う、うわぁ~ん!!」
堪えていたものが、一気にこみ上げてくる。
二人は凱の胸に飛び込み、大声で泣きじゃくる。
その姿に、先ほどまでの凛々しさは、もうない。
きっと、一生懸命、気を張っていたのだろう。
我慢し続けて来たのだろう。
慣れたような動きと判断で、見事に対処してはいたが、彼女達は、今回が初めての実戦。
そして、過酷な現実に触れたのも――全てが想像を超えるものだった筈だ。
それなのに彼女達は、人々の生活を脅かし、冷酷で無惨な死を与える存在“XENO”と闘わなければならない使命を、必死の思いで貫いたのだ。
その上で、まだ事態に追いつけない愛美を懸命にフォローし、勇気付けようと気を遣い続けた。
並大抵の優しさではないことを、改めて実感する。
だがそんな姉妹も、自分とさほど年が変わらない、ごく普通の女の子なのだ。
いくら事情を知っているとはいえ、かなり辛い想いに耐えていたことだろう。
――気持ちは、とてもよくわかる。
痛いほどに。
だけど、それは――
泣き続ける二人を抱き締める凱に声もかけず、愛美は、そのまま室内に入っていった。
三人の様子を窺い続けるほどの気力は、もうない。
今はただ、朝に目覚めたあのベッドに埋もれて眠りたい。
それしか、考えることが出来なかった。
(そういえば、あの時に聞いた悲鳴――
あれは結局、何だったんだろう?)
そんな事を思いながら、愛美は、深い眠りの海に沈んでいった。




