●第138話【手紙】
「ま、真莉亜?」
「えっ?」
表札に記されていた苗字は、“ 千 葉 ”だった。
庭に居た年配の男性は、愛美の方を見ながら目を大きく見開き、身体を震わせている。
手にしていたプラスチックのバケツを取り落としても、拾おうとすらしない。
震える口で、絞り出すように言葉を放つ。
「か、帰って来てくれたのか!!」
「え? え?」
「良かった……本当に良かった!
ちょっと待ってくれ、今、母さんにも連絡するから」
「あ、あの、ちょ」
急いでスマホを取り出そうとする男性と、彼の謎の挙動に戸惑う愛美。
そんな両者の意識をリセットさせるかのように、霞が彼女にしては大きな声で呼びかける。
無感情に。
「こちら、千葉さんのお宅で間違いないですね?」
「え? あ、はぁ」
「預かりものをお渡しに参りました」
霞は、上体に斜めがけしたバッグから匂坂の手紙を取り出すと、柵越しに男性に手渡した。
呆然とする彼からわざとらしく視線を逸らすと、愛美の肩を掴む。
「さぁ、帰るぞ」
「あ、あの、霞さん」
ちょっとだけお待ちください」
「ま、真莉亜」
愛美は、今にも泣き出しそうな程目を潤ませている男性に向かって、深々と頭を下げながら述べた。
「私の名前は、千葉愛美と申します。
誠に申し訳ありませんが、真莉亜さんという方とは別人です」
その言葉に、嬉しそうだった男性の顔は、みるみる悲しみに染まって行った。
美神戦隊アンナセイヴァー
第138話【手紙】
それから十分後。
愛美と霞の二人は、何故か千葉家の応接間に居た。
外観から綺麗な洋風の造りの家と思われたが、内装もそれに見合った豪華なものだ。
いかにも高級そうなソファーに座り、二人はどこか居心地が悪そうに身を寄せ合っている。
だが愛美の方は、何故かとても懐かしそうな顔で部屋を眺めていた。
「もう、愛美ったら。
すぐ帰ろうと思ったのに」
「でも、あのまま黙って帰ってしまっては失礼じゃないかと思いまして。
それに、手土産も渡さないといけなかったですし」
「それはそうかもしれないけどさぁ」
「すみません霞さん、もうしばらくお付き合いしてください」
「でもぉ」
「帰りにコンビニで、霞さんの大好きなお菓子をご馳走しますから」
「何時間でも付き合うぞ」
神速の切り替わりに微笑んでいると、やがて男性が盆を持ちながら入って来た。
二人の前に、ティーカップが置かれる。
温かで芳醇な紅茶の香りが漂い、二人は一瞬うっとりした表情を浮かべた。
「わざわざお土産まで頂いて、本当にすみません。
妻がいないもので、こんなものしかお出し出来なくて……」
「いえそんな、どうぞお構いなく」
「いい香り」
霞が鼻をスンスンさせていると、二人の向かいに座った男性は、物珍しそうに愛美の顔を見つめて来た。
「いや、それにしてもそっくりだ。
うちの娘に」
「そんなに似ているのでしょうか、その、真莉亜さんという方に?」
「ええ、瓜二つなんですよ。
見て下さい、これがうちの娘の写真でして」
何処から取り出したのか、男性はアルバムを開いて二人に見せる。
そこに写っていたのは、確かに愛美だった。
否、もはや愛美以外に考えられない。
そのくらい、写真の人物は愛美そのものだった。
「えっと、愛美さん……でよろしかったですね?
先程は本当に失礼しました」
丁寧に頭を下げる男性に、愛美は思わず立ち上がると、久々に秒間五回のおじぎをする。
「い、いえいえ! こ、こちらこそ突然お邪魔してしまいまして!」
「早すぎて見えない。凄い」
霞は、男性が何かを話し出そうとするよりも早く、話題を切り出した。
「匂坂とは、お知り合いで?」
霞の言葉に一瞬呆気に取られるも、男性はすぐに優しい笑顔を浮かべて答える。
「ええ、あいつとは学生時代からの腐れ縁でしてね。
そうですか、元気にやっとりますか」
「ええ、まあ」
「失礼ですが、お二人は何処かの研究施設の?」
「えっと、せ」
「はい、そのようなものです」
愛美の返答を遮るように、霞が答える。
「うちの娘は、十五年以上も前に家を出ましてね。
それっきり一度も連絡を寄越さないんですよ」
突然話題が戻され、今度は霞が呆気に取られる。
「ですが、偶然でしょうが匂坂と同じ研究所に所属したようで、あいつから教えてもらったんですよ。
それ自体、もう昔の話なんですが。
――あ、すみません、つまらない話で」
男性は、照れ笑いを浮かべながら頭を掻き顔を赤らめる。
ティーカップを手に取りながら、愛美はなぜか、その仕草をじっと見つめていた。
「どうした、愛美?」
不意に話しかけられ、我に返る。
「え、あ、はい! すみません!」
「どうして謝る」
「あ、あの……な、なんででしょう?」
「あはは、せっかくいらして頂いたのですから、どうぞごゆっくりおくつろぎください。
久しぶりのお客様なので、私も嬉しくなってしまいまして」
男性の髪には白いものが多く混じり、恐らくもう六十代にはなっているだろう。
皺の多いその顔はとても穏やかで優しく、そして話しぶりも丁寧で上品だ。
二人は、この男性がとても良い人そうであると、直感で感じていた。
だが愛美は、それ以上に何か熱いものがこみ上げて来るのも感じ取っていた。
「あの、宜しければお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「私ですか、私は千葉康介と申します。
今はもう隠居の身ではありますが、以前は匂坂と同じく研究に明け暮れておりましてね」
「そうなんですね! 素敵です♪」
「……」
それから、他愛ない世間話が続き、特に康介と名乗る男性と愛美の会話が弾み出す。
やがて会話からあぶれ始めた霞は、退屈そうに室内をキョロキョロと見回した。
「そういえば、匂坂からの手紙を読まなくてもいいんですか?」
会話に入れなくなって来た状況に少しだけ苛立ちながら、霞が不躾に話を振る。
ハッとした康介は、
「おお、そうでした。
ではちょっと失礼しますね」
そう言って、先程渡された手紙を読み始めた。
――が、直ぐにその表情が険しくなる。
やがて手紙を読み終えると、康介はそれを丁寧に封筒に戻し、溜息をついた。
「そ、そんな……」
「え? あの、いったい何が……」
「君は……やはり……いや、でも」
「?」
康介の奇妙な態度の変化に、二人は小首を傾げた。
同じ頃、ここはJR渋谷駅ハチ公口前。
スマホを見るふりをしながら、スーツ姿の高輪翼は、しきりに辺りをキョロキョロと見回していた。
やがて、一人の男性が近付いてくる。
耳に無数のピアスを着けた、背の高い金髪の男性……その手には、白い紙袋がぶら下げられている。
高輪は、彼の左薬指に嵌められたリングに目が留まった。
「あんただね? 連絡して来たバイトの」
「え、あ、そうです!」
緊張した面持ちで、身体をギクシャクさせながら男性の方を向く。
そんな態度とは裏腹に、高輪は懸命に、それでいて冷静に、男の特徴を記憶しようとしていた。
「これ。報酬も入ってるからさ」
「あ、ありがとう……ございます」
「後は頼んだよ、じゃあな」
男は、それだけ言うと直ぐに踵を返して駅の中に戻って行く。
受け取った紙袋をしげしげと見つめると、高輪はすぐに渋谷センター街の方に向かって歩き出す。
スマホでメールを打ちながら
“たった今、ブツを受け取りました。
予定の場所に向かいます
高輪”
彼女がスクランブル交差点を渡ろうとしたのとほぼ同時に、二人のスーツ姿の男が、金髪男性の後を追って駅の中に消えて行った。
渋谷センター街を真っ直ぐ進み、道幅が狭くなり始めた頃、高輪は周囲を見回すとある商業ビルの脇道に滑り込む。
辺りに誰も居ないことを確認すると、奥の方に置かれている黄色いコーンの脇に紙袋をそのまま置いた。
“指定位置にブツを配置完了しました。
これより撤収します
高輪”
メールを送信すると、高輪はまるで逃げるようにその場を後にする。
それから、十分ほど後、どこからともなくサングラスをかけた背の低い女性がやって来て、白い紙袋を掴み上げた。
スーツを張り上げる大きな胸で、紙袋を支えるように抱える。
「これか……」
サングラスを外し、中を覗き込むと、女性は携帯を取り出した。
「こちら青葉台! 例のブツを回収しました!」
『了解、すぐに車に戻ってくれ』
「はい!」
青葉台つつじは、紙袋を大事そうに抱えると、急いで路地から飛び出し、元・東急百貨店方面に向かって走り出した。
一台のセダンが、彼女の傍に停車する。
「早く乗って」
「はい、課長!」
息を切らしながら、青葉台がセダンの助手席に乗り込む。
後部座席に座っていた金沢景子が紙袋を受け取ると、真剣な眼差しで中身を確認し始めた。
「札束が入った封筒が一つと、フィルムケースのようなものに入った氷漬けのカプセルが九本。
それと保冷剤が沢山」
「こ、これが……本当にXENOなんですか?!」
「恐らく間違いないだろう。
金沢さん、じゃあ頼む」
「わかりました」
そう言うと、金沢は手袋を嵌めて脇に置かれていたアイスボックスのようなものを開く。
途端に、車内に冷気が迸った。
「きゃあっ!」
「少しだけ我慢してくださいね」
「気を付けるんだ金沢さん。
肌を触れさせるな」
「わかっています」
超低温に維持された冷凍ボックスの中に、金沢はカプセルの詰められた箱を置く。
バタンと音を立てて蓋を閉めた瞬間、シュウゥという排気音が響いた。
「ふぅ、二人ともお疲れさん」
「これを、今から科警研に持ち込むんですね!」
やや興奮気味の青葉台に、対照的な程冷静な金沢が反応する。
「そうよ、これでXENOがどんなものかわかると思う」
「急ぐぞ、シートベルトを着けてくれ」
司は皆にそう促すと、ステアリングを握りギアを入れた。
(高輪、無事に帰還するんだぞ)
心の中でそう呟きながら、司はアクセルを踏み締めた。
一方、JR渋谷駅の山手線ホーム内では。
「申し訳ありません、見失いました!」
「何をしてるんだ、あんなに目立つ姿だったのに!」
「そ、それが、ホントに突然消えたんです!」
「そんな馬鹿なことが……」
スーツ姿の二人組の男達が、ホームの隅に集まって状況の確認を行っている。
慌てふためく彼らの前を、セーラー服姿の少女が通り過ぎて行った。
その左薬指には、金色の指輪が嵌められている。
少女は横目で男達を見つめると、ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、ホームにやって来た電車に乗り込んだ。
――JR渋谷駅で十代の女子高生が行方不明になった、というニュースが報じられるのは、その日の晩のことだった。
一時間以上千葉家に滞在していた愛美達は、康介に丁寧にお別れを告げた後、駅へ急いだ。
途中、何度も振り返る愛美に、霞は少し呆れたような口調で尋ねる。
「まだ後ろ髪ひかれてるの?」
「す、すみません! でも、つい……」
「優しそうな人だったね」
「ええ、とても優しい方ですね」
何となく、会話が途切れる。
商店街を抜け、もうすぐ駅に着くというところで、愛美はふと足を止め、前を歩く霞を呼び止めた。
「あの」
「なに?
コンビニなら渋谷に着いてからでも」
「そ、そうじゃなくて!」
愛美は、先程手紙を読んだ直後の康介の顔を思い出しながら、ぼそぼそと呟く。
「霞さんは、何もお尋ねにならないんですね」
「なんの話」
「あの手紙の内容のことです。
たぶんあそこには、私のことが書かれていたんだと思います」
「そうかもね」
「あの……もしかして霞さんはご存じなんですか?
私のことを……私の正体のことを?」
その言葉に、霞が肩越しに振り返る。
いつものような無表情だが、どこかせつなそうな雰囲気を感じさせる眼差し。
愛美は、一瞬息を呑んだ。
「ああ、知ってる」
「そ、それはいったい何処で?!」
「それは言えない。
でも、安心して。
誰にも言う気はない」
「霞さんは……あの、もしかしてナオトさんも?」
「……」
はっきりと返事はしないものの、その態度で判断がつく。
やはり、二人は知っているのだ。
自分が、人間ではないことを。
人造育成生体という、千葉真莉亜の細胞から作り出されたクローン人間。
そしてこの世で唯一、寿命を持たない不老不死の存在。
歪んだ研究から偶発的に生まれた、奇跡にして異常な“物体”。
人間でもなく、XENOでもない。
親もなく、家族も居ない、ただ一人だけの存在――
以前、吉祥寺研究所の奥深くで井村大玄に言われたことが脳裏に蘇る。
『つまりだな、千葉愛美。
私がお前を食べれば、私は不老不死の夢を叶えることが出来るのだよ』
思わず身震いするが、同時に、奇妙な感覚を覚える。
先程、千葉家にお邪魔した時に感じた、とても懐かしい感覚。
そして……
「愛美、どうしたの」
物思いは、霞の声で遮られる。
「早く帰らないと、皆が心配するぞ」
「あ、はい!」
駅に近付いた時、すぐ傍にコンビニがあることに気付く。
前を歩く霞の頭からピン! と猫耳が立ったのを確認すると、愛美は微笑みながら彼女の肩を叩いた。
「ここでお買い物をしましょう」
「え、でも」
「霞さんのお好きなものを買いましょう」
「え、本当にいいの?」
「ええ、でも、その代わりというわけじゃないんですけど……」
愛美は、霞にそっと耳打ちした。
生えっぱなしの猫耳の方に。
「今日ね、真莉亜が来たんだよ」
帰宅した妻に、康介はおかえりの挨拶よりも早く、話題を切り出した。
靴を脱いで下駄箱に片付けようとしていた康介の妻は、その言葉に大層驚いたようだ。
「ええ! もう居ないの?
帰っちゃったの?」
「ああ、さっきまで居たんだけどね。
ただ、彼女は――」
そこまで話した時、突然チャイムが鳴り響く。
玄関に立ち尽くしていた二人は、慌てて玄関のドアを開けた。
夕暮れの空が、庭先を赤く染め上げる。
その中に、息を弾ませた愛美が立っていた。
「真莉亜?!」
「愛美ちゃん! どうしたの、忘れ物かい?」
「えっ? あなた何を――」
状況が分からず慌てふためく妻をよそに、康介は吸い寄せられるように愛美に近付いていく。
胸を押さえ、呼吸を整えると、愛美は改めて二人に深々と頭を下げた。
「あの、す、すみません!
よ、よろしければ、あの……ま、また、伺わせて頂いてもよろしいでしょうか?」
懸命に紡ぎ出した言葉に、康介は潤んだ瞳で静かに頷く。
玄関に立っていた妻も、愛美の前にやって来た。
「は、初めまして!
私、千葉愛美と申します!
真莉亜さんではないんですけど、あの――」
「晃子、この娘はね、真莉亜じゃない。
だが正真正銘、私達の血を継いでいる子なんだ」
「まさか、研究の?
――この子が……?」
晃子と呼ばれた妻は、康介の言葉に驚き手を口に当てる。
信じられないといった驚きの表情を浮かべるも、その眼差しは侮蔑や蔑みのそれではない。
「あの、急に戻って来てすみません!
日を改めて、また……よろしいでしょうか?」
「ああ、勿論だよ。
いつでも来なさい」
「ああ、ありがとうございます!」
「私も、歓迎しますよ。
愛美さん、でしたね?」
「はい!」
「もっと良く、お顔を見せてくれない?」
「はい……」
晃子は、愛美に接近したじっと顔を見つめる。
やがて細い指を頬に触れさせ、まるで赤子の顔を撫でるように優しくなぞった。
彼女の目に、光るものが見える。
「本当にそっくり……真莉亜そのものにしか思えないわ」
「匂坂のおかげだよ」
「ああ、なんということでしょう。
今日は嬉しくて眠れそうにないわ」
「す、すみません! あの、本当にすみません!!」
秒速六回のお辞儀をして、スススと後ずさる。
あまり長居しては、霞に悪い。
「あの、友人を待たせておりますので、本日はこれで失礼いたします!
それでは、ありがとうございました!」
「ああ……」
笑顔で見送ってくれる夫妻の姿が、とてもかけがえのない大切なものに思え、愛美は激しく後ろ髪を引かれる。
だがそんな気持ちを振り切ると、そのまま門の外へ出た。
「本当に、いつでもいらっしゃい。
待っているからね」
「さようなら、気を付けて」
二人が、笑顔で手を振ってくれる。
愛美は、泣き出したい気持ちに捉われたが、必死で我慢して笑顔で手を振り返した。
(私の中に、このおうちの記憶がある……真莉亜さんのご両親の記憶がある。
それが、私をこんな気持ちにさせているんだわ。
――本当は、私の記憶ではないのに)
二人の姿が見えなくなった瞬間、愛美の頬に一筋の涙が零れた。
「愛美、おっそーい」
「も、申し訳ありません!
あ、もうお菓子食べてたんですか?
晩御飯の時間も近いのに」
「だって」
「今夜は、迷宮園で皆さんの晩御飯を作りますね。
ナオトさんの分も、匂坂さんの分も」
「愛美、なんだか張り切ってない?」
「うふふ、そうでしょうか?」
まるでスキップするような軽い足取りで、愛美は駅の階段を駆け上って行く。
それを後ろから見つめながら、霞は少しだけ呆れた笑顔を浮かべた。
「霞さん!」
突然、階段の上から愛美が呼びかける。
無言で顔だけ上げると、
「今日は、本当にありがとうございました!
霞さんと一緒にお出かけ出来て、本当に楽しかったです!!」
と、大きな声で礼を述べた。
周囲を行き交う人々が、何事かと振り返る。
霞は、顔を真っ赤に紅潮させると、慌てて階段を駆け上り、
「そういうのいいから!」
「え、きゃっ!」
愛美の腕を掴むと、そのまま小走りに改札口へ急いだ。




