●第136話【訪問】
それから一週間。
XENO関連と思われる事件や出来事はなりを潜め、束の間の平和が訪れた。
“SAVE.”では、アンナユニットやサポートビークルのオーバーホール、メンテナンスも完了し、スタッフも落ち着きを取り戻していた。
尤も先の死人還りの影響で、一部まだ落ち着きを取り戻せてない者もいたが。
『生前に、ワシの意志を遺したものがある。
それにアクセスしろ。
お前が今知ることが出来る情報は、それでわかる筈じゃ』
(仙川が言っていた事は、いったい何だったんだ?
あの男の意志を遺したもの?
今まで、それらしきものなどなかった筈だ。
あの男が遺した物の中に、何かが隠されているというのか?)
あの日から、勇次は“SAVE.”内のあらゆるものを調べ、仙川の遺言が示すものの痕跡を探し求めた。
しかし、それらしきものは全く見当たらなかった。
(あの男が、限られた時間の中でわざわざ伝えて来たのだ。
きっと、そこに何かこの先のために重要な手掛かりが秘められている筈だ。
何としても、見つけ出さなくては)
「どしたんすか、最近一人だけシリアスモードで?」
「おわっ!」
背後からいきなり声をかけられ、心臓が飛び出そうになるくらい驚く。
勇次は、青ざめた顔で声の主・今川に振り返った。
「な、なんだ脅かすな!」
「そんなつもりないっすよぉ。
もしかして、例の仙川博士の秘密ですか?
よく続きますねぇ」
「当たり前だ。
未来予知をするあの男が遺した情報となると、我々にとって重要だからな」
「でも、全く見つからないでしょ?」
「ああそうだ。
くそっ、あいつの意志なんてアバウトなもの、いったい何処にあるっていうんだ?」
悔しそうに唸る勇次に、今川はキョトンとしながら応える。
「あるじゃないっすか、俺達がまだ見られていないのが」
「何?! な、なんだそれは!」
その言葉に即座に反応し、いきなり立ち上がると両肩を掴む。
「いたた! お、落ち着いてくださいよぉ勇次さん!
忘れたんすか? 俺達が絶対手だし出来なかったアレのことを!」
「だから、それは何のことだ?!」
怒っているような顔で迫る勇次に、今川は自分の胸元を指差して示す。
「ほら、これですよ、これ」
「胸? それがどうした」
「勘悪いなぁ、俺の胸じゃないっすよ。
誰かさんが、この辺に持ってる奴」
「胸? 持ってる? ペンダントみたいな――あっ!」
ようやく、何かが繋がる。
今川の肩から手を離すと、勇次は慌てるように尋ねて来た。
「愛美、千葉愛美は今何処にいる?!」
「なんか、今日は出かけるって言ってましたよ?」
「一人でか?」
「いやさすがにそこまでは。
でも、行先ってたぶん“あっち”でそ?」
「ああ、あっちか……厄介だな」
勇次は少し困ったような表情を浮かべた。
美神戦隊アンナセイヴァー
第136話【訪問】
「ふう」
一段落した掃除の手を休め、愛美は息を吐いて高い天井を見上げた。
彼女は今、久々に迷宮園に戻って来ていた。
一時的にこちらに移籍してから結構な時間が経ったものの、ナオトと霞の、いささか自堕落気味な生活態度が心配になり、時折こうして彼らの様子を窺いに来ていたのだ。
迷宮園への立ち入りには、ナオトか霞の認可が要る。
はじめは遠慮していた二人だったが、愛美の熱望に断り切れなくなり、今では週に一度くらいのペースで訪れ、掃除や炊事を行い、時には洗濯などの面倒も見ている。
設備内はとても広く、愛美の手腕を持ってしても一日がかりになるが、メイド時代の仕事を思い出し、本人は全く悪い気はしていない。
(あれから、色々なことがあったなぁ)
アンナスレイヴァーとの闘いと、死人還り事件を経て、愛美は少し考え方が変わって来た。
それまでは、平和に生きる人々の生活を少しでも護りたいと願い、必死になってアンナローグとして闘って来た。
だが自分達と同じ装備で、より強力なパワーを以て対峙するアンナスレイヴァーの存在、しかもその大半が自分の元先輩であるという過酷な現実は、彼女の心に大きな変化をもたらさざるを得なかった。
(XENOになった先輩達は、私が知っている先輩達とは全然違っていた。
もえぎさんも、そして舞衣さんやメグさんと闘ったという夢乃さんも……もう、別人のように変わってしまった)
赤坂梓と青山理沙は、あまり変わった気がしなかったけど、と思いつつ。
愛美にとって、あの二人の変貌ぶりは凄まじい衝撃だった。
特に、直接対峙した立川もえぎ。
『あんたのアンナユニットを破壊して、中身を引きずり出してね!
それにむしゃぶりつこうって!
うん、肉も内臓も、骨も血も、ぜぇんぶ残らず噛み砕いて吸い取って♪
そうすれば、あたしとあんたはずうっと一緒ってことじゃん☆』
(もえぎさんは、もう人間じゃない。
人間を襲う存在になってしまったんだ……悲しいけれど、それは受け入れなくちゃならない事なのね)
幾多の闘いを経て、愛美の認識も、心の強さも変わりつつある。
以前のように状況に戸惑い、慌てふためき動揺しているだけでは、事態は変えられない。
本当に人々の生活を護るのであれば、自分の都合などどうでもいい。
それは、たとえ尊敬する先輩達が相手であっても。
(そう……いつまでも、自分のことで悲しんでいてはいけない。
今こうしている間にも、もしかしたら何処かで、XENOの被害を受けている人がいるかもしれないのだから)
あの日、アンナデリンジャーによって海中に引きずり込まれた瞬間、愛美の意識はハッキリと変化した。
恐らくそう遠くないうちに、もえぎと……アンナスレイヴァーと決着をつけなければならない。
そんな気がしてならなかった。
「さて、と。
そろそろ続きをしなきゃ」
誰に言うでもなく、そう呟いて掃除の続きを始めようとする。
その時、メインフロアの彼方で、見覚えのない人影を見たような気がした。
「あれ? 誰でしょう?」
明らかにナオトや霞ではない。
不思議に思った愛美は、胸から下げたサークレットを握り締めると、人影が居た辺りに走って行った。
フロアの奥、中二階への階段に続く通路の角に辿り着いた途端、愛美は、不意に姿を現した人物と鉢合わせになった。
「きゃっ?!」
「うわっ?!」
びっくりして思わず尻もちをついてしまった愛美は、突然現れた人物を見て目をパチクリした。
そこに居たのは、全く見覚えのない中年男性だった。
「え? あ、あの、あなたはいったい……?」
「お、お前は!」
推定六十代くらいの、背が高く痩せ気味な体格の猫背な男性。
彼は大きく目を剥いて、愛美を見下ろして硬直していた。
「千葉……真莉亜?!」
「え?」
「何故お前が、ここに居るんだ?!」
「え? え?
あ、あの……」
「お前がこんなところに匿われているとは!
吉祥寺も桐沢も、こりゃあさすがにわからんだろうな」
「ちょ、あの、落ち着いてください!」
立ち上がりながら、妙に激昂し始める男性をなだめようとする。
メイド服のスカートを整えながら、愛美は名乗り出ることにした。
「私は、千葉愛美と申します。
その、マリアさんという方とは別人です」
「愛美、だと?」
「ええ、はいそうです。
前にも、別な方にそのお名前で尋ねられましたが、違うんです」
「じゃあ、まさか君は……」
男が何か言いかけたその時、素早く階段を降りて来た誰かが、二人の間に割って入った。
霞だ。
「やめて、匂坂さん」
「か、霞さん?」
「ナオトさんから、詳しい話を聞きたいんだが」
「それより、まず自己紹介からでしょう」
「あ、ああ、うん」
霞の介入でようやく冷静になったのか、匂坂と呼ばれた男は数歩後ずさって二人を改めて眺めた。
「霞さん、こちらの方は?」
愛美に振り返ると、霞は手で指しながら少しめんどくさそうに語り出す。
「この人は匂坂さん。
この前から、この迷宮園にかくま……入ってもらった人だよ」
「そうなんですね、じゃあ“SAVE.”の新しいメンバーということでしょうか?」
「いや、そうじゃない。
詳しいことは、後でナオトに聞いて」
「あ、はい。
そういえば、ナオトさんは」
「朝から出かけてる」
ぶっきらぼうな返事を返すと、霞は二人を改めてフロアへ導き、互いに挨拶をさせた。
まだ怪訝な表情を浮かべている匂坂だったが、霞の紹介でアンナローグとして闘っているメンバーだという話を聞いた途端、パッと表情が明るくなった。
「じゃあ、あの時新宿で私達を助けてくれたのは!」
「あ、はい。私達です」
「そうか、そうなのか。
あの時はありがとう、あの時助けてもらわなければ、私はきっと」
「匂坂さんには、ナオトや私がいない間、ここの“賢者”の管理と情報整理、連絡係を頼むことにしてる」
どうやら、勇次をはじめとした地下迷宮のオペレーター達の役割を担う立場のようだ。
愛美には、匂坂の事情は特に説明されなかったが、それでも彼女は快く受け入れることにした。
「匂坂さん、改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。
もし何かありましたら、いつでもお気軽にお申し付けくださいね」
「あ、いや……うん」
「愛美は美味しいご飯やおやつを作ってくれるんだ」
「おやつ」
「はい♪
あ、そうですね、じゃあお近づきの印に、何かお作りしましょうか」
「あ、いや、それよりも!」
席を立とうとする愛美を呼び止め、匂坂は真剣な表情で尋ねて来る。
「君が千葉愛美なら、話は早い。
実は、折り入って君に頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
「ああそうだ、実は、とある私の知り合いに逢ってやって欲しい。
後で手紙を渡すから、それを届けて貰えないだろうか」
「はい、承らせて頂きます」
「ただ、その手紙や宛名は、決して覗かないで欲しい」
「え?」
奇妙な申し出に、愛美と霞は、思わず顔を見合わせた。
匂坂の申し出の内容は、こういうものだった。
東京葛飾区のとある町にある場所を訪問する。
そこには匂坂の古い知人が住んでおり、諸事情で自由に外出が出来ない自分に代わって、愛美から手紙を渡して欲しいという内容だ。
話を聞いて、愛美は
「承知いたしました。
それでは、お申し出に従って出かけて参ります」
「待って愛美」
早速席を立とうとする彼女を、霞が止める。
「私も行く」
「えっ?」
「まさか実装して飛んでいくつもりじゃないだろ?」
「あ」
ズバリそのつもりだった。
考えを見事に見抜かれ、強張った笑みが浮かぶ。
「心配だから。
他のみんなも、その方が安心するだろう」
「よ、よろしくお願いします」
「ありがとう。
じゃあ、行先の住所をメモするよ」
匂坂から詳しい住所を貰った愛美は、まるでおつかいに行くような気分になった。
同じ頃。
こちらは地下迷宮のミーティングルーム。
そこでは、突然現れた鷹風ナオトが、主要メンバーを集めて緊急ミーティングを希望した。
勇次、今川、ティノ、凱、そして未来が集まる。
未来は、久々に逢えたナオトに色々尋ねたい気持ちだったが、今は抑えて彼の話を聞くことにした。
「急にどうしたんだ、ナオト?」
不思議そうに尋ねる凱に、ナオトは珍しく興奮を隠し切れないような態度で応える。
「司警部から、とんでもない情報のリークがあった。
皆と共有したい」
「とんでもない情報だと?」
「ああそうだ。
XENOVIAの詳細を記したものだ」
「じゃあ、XENO側の誰かが?」
「まずは見てくれ」
そう言うと、ナオトはタブレットをプロジェクターに接続し、資料を表示する。
それは司が滝から受け取った資料をスキャンしたものだった。
非常に膨大な量なため、特に重要な部分だけをいくつか選別して表示していく。
皆、それを見て呆然としていたが、一番最初に反応を示したのは凱だった。
「これか! あいつが行っていたのは!!」
「凱、それはもしかして」
「ああ、夢乃が言っていたのは恐らくこれの事だと思う」
「資料の提供者についての情報は?」
未来の質問に、ナオトは
「先日、アンナミスティックが撃退したXENOVIA、ネクロマンサーという者だそうだ」
「あの、死人還りを起こした張本人がだと?!」
「うっそぉ! じゃあアイツ、もしかして良いヤツだったの?!」
「な、なんかこれ、罠なんじゃね?」
勇次とティノ、今川も思い思いの発言を述べる。
画面を見つめたまま、ナオトは更にいくつかの資料を表示していく。
「だが、この資料には不自然な点もある。
まだじっくり分析出来ていないが、本文内容の繋がりから、いくつか省略されているページがあるように思える」
「省略?」
「恐らく、警察側……司警部が意図的に省いたページがあるのではないかと、俺は睨んでいる」
「いったいどういうこと?
警察は、全ての情報を共有する意図はないということなの?」
「そこまではわからないが」
そこまで言うと、ナオトはタブレットの操作を止め、皆に向き直る。
「俺は司警部にコンタクトを取ってみようと思う。
このデータは提供するので、皆も内容を確認して欲しい」
「わかった」
「俺にも回してくれ」
勇次と凱の言葉に、ナオトは力強く頷いた。
「ちょっと待って、ナオトさん」
タブレットの接続を解こうとするナオトに、未来が呼びかける。
酷く真剣な眼差しで。
「なんだ」
「司警部への接触、私達も同行させて欲しいの。
アンナパラディンと、ブレイザーに」
「……」
ナオトは返答せず、ただ無表情のまま未来を真っ向から見据えた。
匂坂の書いたメモには、住所だけで固定電話番号も、肝心の宛名もない。
加えて行き方も記されていなかった。
仕方なく霞が交通手段を調べたところ、京成本線の「お花茶屋」駅が最寄りらしいことが分かった。
せいぜい一時間程度の移動距離なので、対して遠くはない。
愛美と霞は、早速そこへ向かうため身支度を始めた。
「霞さん、渋谷で買い物をしてから向かいたいのですが、宜しいでしょうか?」
「買い物? 何故?」
「手ぶらで訪問するのもなんですから、お土産を何か持っていこうと思いまして」
「あ、ああ」
几帳面だな、と言いたげな顔で霞が見つめて来る。
二人は準備が整い次第、すぐに出かけることにした。
匂坂は、あれから自室に引きこもってしまい、見送りはない。
迷宮園の出入りは全て転送ゲートによる移動で行われ、物理的に直接出入りすることは出来ない。
その為、今現在滞在している愛美ですら、ここが何処なのか分かっていない。
これは地下迷宮も同様なのだが、それほどまでに厳重に所在地が隠蔽されているのだ。
今回、二人は車両移動用ゲートの脇にある、まるでエレベーターのようなカーゴに入って移動することになった。
これを行うことで、なんとSVアークプレイスの敷地内に瞬間移動出来るのだという。
「いつも思うのですが、この出入りは本当に不思議ですね。
まるで魔法のようです」
「魔法かもしれないよ?」
「え、本当にそうなんですか?」
「知らないけど」
「そ、そうですか……」
思えば、霞と二人きりで外出なんて今までないことだった。
アンナセイヴァーとして闘う時に一緒に行動することはあっても、私生活でこうしてお出かけする機会なとなかった。
それ以前に、もう結構長い付き合いになる筈なのに、愛美は霞のことを殆ど知らない。
年齢はいくつなのか、どこ出身なのか、好きなものは何か、“SAVE.”に加わる前は何をしていたのか。
“SAVE.”の全員について詳しいわけではなかったが、ナオトと霞は、その中でも更に特殊な存在に思えてならない。
少なくとも、愛美にとってはそんな感じがする。
(よぉし、この機会に霞さんのことを、もっと良く知ることにしよう!)
先程まで、自身の過去の柵に悲しみを覚えていたが、この機会に気分を大きく変えてみよう。
愛美は、そんな風に少しでも前向きに生きてみようと考えるようになっていた。
「電車の乗り方とか、もうわかる?」
霞の急な質問に、思わず戸惑う。
以前ありさから教わった事を、必死で思い返す。
「は、はい!
自動販売機で切符を買って、それから」
「ちゃんと運賃表を見るんだよ」
「そ、そうですね! そうでした!」
JR渋谷駅に辿り着き、フンスと鼻息を荒げて券売機の前に立つ愛美。
運賃表を睨み、懸命に行先を探すが……
「あ、あれあれれ?」
「どうした?」
「か、霞さん、大変です!
お花茶屋が、載っていません!」
「は」
「この運賃表、間違っているんじゃないでしょうか?!
それとも、別な自動販売機で買わなくちゃならないですか?!」
「いや、あの」
「それとも、路線案内を間違えたのでしょうか?!
す、すみません、今調べ直しますね!
――あれぇ? 合ってます! なのに、どうしてぇ?!」
「ちょ、あ、あっち行こう」
大声でキョドりまくる愛美の様子に行き交う人々が奇異な視線を投げる。
さすがに恥ずかしくなった霞は、愛美の腕を引っ張ってその場から急速離脱した。
渋谷駅から山手線で日暮里駅に向かい、そこで別路線の京成本線に乗り換える必要があるため、ここでは途中の日暮里までの切符しか買えない。
日暮里駅で、改めて切符を買い足す必要がある。
だが、愛美はまだそこまで複雑な切符の買い方がわからないらしい。
霞は、やれやれとばかりに頭を抱えた。
なんとか切符を買って、それから手土産を購入した二人は、いよいよ自動改札をくぐって電車に乗ることになった。
普段、ナイトシェイドやナイトクローラーでしか都内を移動することがない愛美にとって、やはり交通機関はいまいち馴染まない。
大勢の人々が、まるで決まった道を辿るように移動して行く様は、彼女の目には奇異にしか映らない。
「何している、行くぞ」
「あ、はい!
えっと、あの、この内回りとか外回りって、なんのことですか?」
「山手線の路線を時計回りに回る方が外回り、逆時計回りの方が内回りだ」
「え? や、やまてせん……」
「環状線だよ。路線が円形になってるから」
「か、かんじょうせん……えんけい?」
「つまりだな」
霞は、バカ丁寧に山手線について語る。
たまたま近くにあった概略路線図があったので、それを見ながら説明することで、ようやく愛美も合点が行ったようだ。
「なるほど、凄いですね!
そうやって皆さん使い分けてらっしゃるのですね!」
「フェアリーティア出の私ですら知ってるのに」
「え、なんですか?」
「なんでもない。ほら電車が来た、乗るぞ」
「は、はい!」
「ふう、疲れる」
大きな紙袋を持ちながら、慌てて電車に飛び乗ろうとする愛美を横目に、霞は少々呆れた表情を浮かべる。
それと入れ替わるように、真っ白な紙袋を下げた若い男が電車から降り立つ。
すれ違い様、男はしげしげと愛美の姿を見つめていた。
「へえ、こんな所で」
耳に無数のピアスを着けた金髪の男性は、そう呟くと軽く肩をすくめてホームから歩き去って行った。
「凄いですね~、早いですね~!」
高速で過ぎ去って行く景色を目で追いながら、愛美はまるで子供のようにはしゃぐ。
出入口近くに立つ二人は、特に会話を弾ませることもなく、ただじっと人の波に身を任せていた。
大勢の人々の出入りも珍しいのか、愛美は事あるごとに驚きの声を上げ、いちいち霞に報告してくる。
「あの、愛美」
「はい、なんでしょう?」
「いいから、もう少し静かにしよう」
「あ、はい! そうですねわかりました!」
「ああもう、そういうのいいから」
「はい!」
「……」
やがて電車は新宿駅を過ぎていく。
ホームの表示を見て、またも愛美が反応した。
「霞さん、霞さん!
さっき新宿って、あそこで降りればあの時の場所に行けるんですか?」
「そーだけど! そういう事ここで言うな」
「す、すみません! そうでしたね!」
「まったくもう」
「霞さんって、とても静かで落ち着いてらっしゃいますよね」
唐突に、愛美が新しい話題を振って来る。
思わぬ語り掛けに、霞は一瞬ビクンと身体を震わせた。
「な、なんて?」
「霞さんは、いつも落ち着いておられて、冷静で、すごいですよね。
私、そういうタイプじゃないので感心しちゃいます」
「そ、そうか」
ほんのり顔を赤らめながら、わざとらしく視線を逸らす。
「ナオトさんも霞さんも、とても大人びていて素敵ですよね。
私も、お二人を見習って落ち着きを身に着けたいですよ~」
「そういうタイプじゃない、か」
「え、何か?」
「なんでもない。
さぁ、もう次の駅で乗り換えだ」
そう言い放つと、霞は顔を逸らして外の景色を見つめる。
愛美も、彼女の視線を追うように再び外の景色を眺めた。
「都会の景色も、素敵ですね」
「……」
「この街にも、多くの人々が居て、大仕事や生活を頑張ってらっしゃるんですね。
私達は、そういう人達を護る為に闘うのですね」
「ああ」
「これからも頑張りましょうね、霞さん」
「……」
それ以上、会話は続かない。
やがて電車は、乗り換えの日暮里駅に辿り着いた。
それから京成本線に乗り換えた二人は、お花茶屋駅に辿り着く。
都内の駅にしては小さめの駅を降り立つと、そこにはささやかながら賑やかな商店街が広がっている。
どこかのどかな雰囲気に包まれたその街の様子、愛美は何かを感じ取った。
「ああ、なんでしょう。
この雰囲気、とっても好き!
なんだかすごく懐かしい気がします!」
「愛美、ここに来た事あった?」
「いえ、初めてですよ!
でも不思議で、まるでずっと昔、ここに居たような気がするんです。
渋谷や新宿と違って、生活感があるというか、穏やかな空気といいますか。
そんなものが感じられて、とても良いと思いませんか?」
「いや、私は別に」
「そうですかー。
えっと、目的地は何処でしたっけ」
何故か少しはしゃぎ気味な愛美は、会話が次々に切り替わり落ち着きがない。
霞は呆れながらも、スマホを取り出してメモの住所を検索する。
「こっちだ。行ってみよう」
スマホアプリのマップを参照し、霞は駅に背を向けて歩き出す。
のどかな街並みをゆっくり歩きながら、愛美は周囲の景色を目に焼きつけるように眺めた。
アスファルトではなく、小さなコンクリートブロックを敷き詰めたような独特な形状の路を歩き、左右に連なる商店街を通過する。
特に大きな店舗はなく、個人経営店が多い街並みだが、それがどことなく懐かしさというか郷愁をそそる。
良く晴れ渡った空に向かって真っすぐ伸びる、白い道路、交差点。
行き交う人々はそこそこ多いが、車の通行量は多くないので、慌てることなくゆっくりと路の真ん中を歩ける。
賑やかというほどではなく、適度な落ち着きがある街。
そこには、愛美が今まで知らなかった「平和」な姿があった。
「どうした、愛美?」
いつしか路の真ん中で立ち止まっている愛美に、霞は不思議そうに声をかける。
愛美は、何故か涙ぐんでいた。
「愛美、涙……」
慌ててハンカチを取り出し、差し出す。
「え、あ、あれ?
私、いったいどうして……」
「やっぱり、ここに何かあるんじゃないのか?」
「わかりません。
でも、なんだか……ここ、初めて来た気がしないんです。
それどころか、ずっと昔……ここをしょっちゅう行き来していたような気がして」
「……」
「すみません、なんだか変ですよね私……」
霞からハンカチを受け取ると、愛美は目頭を抑えつつ、また周囲の景色を眺める。
その表情は、とても穏やかで、そしてあどけない。
霞は何となく、そんな彼女の表情に目を奪われていた。
「行こう」
「あ、はい。
それにしても、この住所には何があるんでしょうね?」
「それは私も知らない。
匂坂さんは、あえて何も教えないって雰囲気だったからな」
「そうでしたね。
行けばわかる、って態度だったような」
「ここまでくれば、そう遠くない。
急ごう」
「わかりました」
もう一度目を拭き、フン! と気合を込める。
背後から軽トラにクラクションを鳴らされたのは、その直後だった。
商店街から脇道に入り真っ直ぐ進むと、景色は一変して住宅街になる。
古い家と新しく建てられた家が混在する、何処にでもありそうなありふれた光景。
それを見た愛美は、ようやく東京らしさを感じ始める。
ふと、自身の足が勝手に進んでいることに気付く。
まだ霞が案内もしていないのに、どんどん先に進む。
まるで自分の意志ではない何かに操られるように。
「愛美、待って」
「す、すみません! つい」
「確かにこっちで合ってるけど。
どうしたんだ、まるで今から行くところを知ってるみたいだぞ?」
「そ、そうですか?
私、その地図通りに進んでいますか?」
「うん、だって見てこれ」
「あ、本当ですね。
どうしてでしょう?」
「この辺も、覚えがあるの?」
「はい……何となく、なんですけど」
「ま、行こう」
再び閑静な住宅街を歩いていく。
それから数分程歩き、商店街からも離れた静かな路地の奥。
レンガ造りの塀に囲まれた洋風の家屋の前で、愛美は何故か足を自然に止めた。
呆然と、門構えを眺める。
少し遅れて辿り着いた霞は、スマホの画面と場所を何度も確認し、呟いた。
「ここ」
「えっ?」
「匂坂さんが書いた住所、ここ」
「ええっ?!」
「愛美、なんでわかった?」
「い、いえ……なんだか、とっても心が惹かれてしまいまして、その」
そう言いながら、愛美は門の横の表札を見る。
横から顔を覗かせ、霞も。
「「 えっ? 」」
二人は、同時に吃驚した。
しばらくすると、家の中から年配の男性が姿を現した。
目を細めてこちらを見つめると、やがて大きく口を開け、目を見開いた。
三人の視線が、絡み合う。
「ま、真莉亜?」
「えっ?」
表札に記されていた苗字は、“ 千 葉 ”だった。




