●第134話【隠匿】
ありさの手料理は、想像以上に美味しかった。
とても味わい深く、それでいて全然くどさがない。
これなら、腹持ちも良さそうだし胃もたれも心配なさそうだ。
言うだけの事はあるんだなと、未来は素直に感激した。
「おいしかったわ。ありさ、本当に料理上手なのね」
「おだてても何も出ないよ」
「そんなつもりじゃないわよ。
これなら、いつ彼氏が出来ても大丈夫よね」
ガラガラガッシャーン! と食器がぶつかる音が響く。
「ちょ、おま! い、いきなり何言い出すんだ!」
「あら、私何かおかしな事言った?」
「あ、あのなあ……ああ良かった、割れてなかった~」
落とした皿を大事そうに拾い上げると、ありさはふと振り返ってテーブルにつく未来の顔を見る。
「何よ、どうしたの?」
「あのさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど、聞いていい?」
「いいわよ、どうぞ?」
「立ち入った話になるから、不快だったら答えないで話を打ち切ってくれ」
「何よ改まって」
小首を傾げながら自然な笑顔で待つ未来に、ありさはとても申し訳なさそうに尋ねた。
「おじさんとおばさんがXENOに殺されたって話。
あれ、本当なのか?」
未来の笑顔が、途絶える。
「あ、いや、疑ってるわけじゃないんだよ。
なんていうかさ、やっぱなんか受け入れ難くって。
ほら、あたしも色々良くして頂いたし」
「本当よ」
「……」
「いい機会だし、いつか話さなきゃならないと思っていたことだから、話すわ」
「なんか、ごめん」
「いいのよ、気にしないで」
テーブルの上のコーヒーカップから漂う湯気が、一筋天井へ昇って行く。
未来は、まるで独り言でも話すように語り出した。
美神戦隊アンナセイヴァー
第134話【隠匿】
未来が七歳の時。
その日は、両親が共に出かけなければならない日だった。
小学二年生になったばかりだったが、未来は自分から留守番を申し出た。
両親も彼女の気持ちを汲んで留守番を任せることにした。
予定では、翌日の夕方には帰って来る筈だった。
一人で学校に行き、帰宅した未来は、宿題をやりながら一人大人しく両親の帰りを待ち続けた。
だが、両親からの連絡もなければ、チャイムが鳴ることもなかった。
その日の22時頃、突然仙川博士から電話がかかって来た。
内容は、両親の死を伝えるものだった。
「――そ、それで?」
「その後のことはよく覚えてないわ。
泣かなかったことだけは、覚えているけど」
「いやそこ、普通泣くんじゃね?」
「普通はそうかもしれないわね。
でも、うちは……両親があまり私に関心を抱かない感じだったから」
「は……え?」
未来の話は続く。
その後、親戚の間をたらい回しにされ、気付いた時には仙川の導きを受けて“SAVE.”の一員に加わっていた。
どうしてそうなったのかは、記憶が曖昧だ。
しかし、その後に仙川達から「両親の死の真実」を語られた時は、さすがに衝撃が走った。
「父と母は、井村大玄の所有する実験施設内で、とある事故に巻き込まれたわ。
その事故の影響で、研究施設内に突如XENOが発生したそうよ」
「じ、事故でXENOが?!」
「そうなのよ。
具体的な話はわからないけど、ある実験をしている最中、施設内で突然事故が起こったらしいの」
「う、う~ん……それで、おじさんとおばさんがXENOに殺されたって?
なんか繋がりがようわからん」
「具体的にどういう過程で、っていうのはさすがに」
「そりゃま、小学二年生に理解出来るとは――って、おいちょっと待って」
何か気になったのか、ありさが掌を向ける。
「小学二年生だった時の話だろそれ?
そんな小さな時に、未来一人で留守番なんかさせるか普通?」
「そう言われても、私の記憶とも合致してるから」
「う、う~ん、あんたがそういうならそうなんかもだけど。
なんかそこ、腑に落ちないなあ」
「あなたに我が家の事情の何がわかるのよ」
「え、だって」
「話を続けるわ」
ありさの質問を遮るように、未来は更に続ける。
仙川によると、その事故の時にXENOが出現したが、それ以外にも何か別なものも姿を現したようだ。
そして仙川達は、未来の両親の死よりも、むしろそちらの方を重視していたような記憶がある。
「別な物? それって何?」
「それが全く記憶にないのよ。
私の記憶にないということは、聞いてないということね」
「聞いたけど忘れたって可能性は?」
「ないわ。
日常生活の細かいことならともかく、そういう重要な話なら絶対に忘れない」
未来は、自分の記憶力に絶対の自信を持っている。
実際それを裏付けるだけの確かな裏付けがあり、ありさもこれまで何度もそれを見聞きして知っている。
なので、未来が違うと言ったらそれは間違いないこと……そういう刷り込みがありさの中にもあった。
「でもね、私も知りたいのよ。
その時、本当は何があったのかを」
「その手掛かりが、この家に隠されてると?」
「ええ、そうよ。
それを、まだ仙川博士が居るうちに見つけ出して、必ず――」
「それなんだけどさ、ちょっといい?」
今度はありさが話を遮る。
少し不機嫌そうな顔をすると、ありさは片手で小さく「ごめん」とジェスチュアして続ける。
「それなら、もっと確実な方法が試せない?
今この期間限定で」
「何よそのお得商品の宣伝みたいな」
「こういうの不謹慎かもしれないけどさ。
直接聞けば良くない?」
「え、誰に?
仙川博士は絶対に無理よ。あの人は……」
「いんや、おじさんとおばさんに」
「……っ!」
ありさのそんな一言に、未来はテーブルをバン! と叩いた。
「わ! び、びっくりした!!」
「そういうこと、軽々しく言わないで!」
「え、あ、ご、ごめん……」
「父も母も、出て来るわけないわ」
「で、でもさ。
今は死人還りが」
「あれは、亡くなった人に戻って来て欲しいという気持ちがあってこそらしいわよ」
「じ、じゃあ、あんたは」
「……」
未来は、もうそれ以上何も話さなかった。
それから更に二時間程家の中を調べたが、これといった成果は上がらなかった。
そしてその間、未来は本当に必要最低限の会話しかせず、静かな怒りを感じさせる態度だった。
猛省したありさも、それ以上何も話しかけることはなく、無駄に静かな夜は更けて行った。
翌朝、ありさが起きるより早く未来は家探しを始めていた。
眠い目をこすってベッドから起きて来たありさは、歯磨きをしながら未来の様子を窺った。
「なあ、あのさ」
「おはようありさ」
「朝飯も食べないでやってるの?」
「うん」
「ちゃんと食べないと頭も働かないぜ?
今なんか準備するから」
「ありがと」
昨日のことを引きずっているのか、会話が最小限のままだ。
これでは埒があかないと思いもしたが、余計な事を言って拗らせるのも本意ではない。
ありさは、スマホにメモした恵直伝の朝食レシピを見ながら、昨日買った食パンをカットし始めた。
厚切り食パンの内側を四角くくり抜き、薄切りにしてまた戻す。
それをトースターで焼いた後、バターで焼いた目玉焼きを内側に敷く。
そこに恵の手作りマヨネーズと塩コショウで仕上げる。
「おっ、初めて作った割にはうまく行ったかも!
お~い未来、でけたぞー」
「はーい」
随分離れたところから返事が聞こえる。
テーブルに朝食を並べ、飲み物を用意しようとしたその瞬間、
『でもこれなら、いつ彼氏が出来ても大丈夫よね』
昨日の未来の言葉を不意に思い出し、ありさは顔を赤らめその場で地団駄を踏んだ。
「何今のドスンドスンって音?」
「なんでもない、なんでもない、まったくなんでもない」
「?」
朝食をさらりと済ませ、さて作業の続きをとなった途端、ありさが急に立ち止まった。
「どうしたの、ありさ?」
「あ、いや、あのさ。
な~んか引っ掛かって」
「何? 奥歯にもやしでも挟まったの?」
「何をどうやったら、使ってもいないもやしが歯に挟まるんだよ?!」
「冗談よ。
何かあった?」
「いやさ、さっき食べてる時にちょっと思ったことがあるんだけど」
床下収納ってあるでしょ?」
「ああ、古いおうちのキッチンによくあるアレ?」
「ああいうの、この家にもないかなってふと思って」
「……」
即座に記憶を辿るが、家の中でそのようなものを見た記憶はない。
しかし、
「可能性はあるわね」
「未来が普段あまり入ることがなかった部屋って、ある?」
「あるわ、父の書斎。
一応そこも調べたんだけど」
「行ってみよう」
二人は頷き合うと、早速書斎へ向かう事にした。
父親の書斎は一階の一番奥にある。
重たい扉を開き明かりを点けると、背の高い本棚にぎっしりと専門書らしきものが詰め込まれているのが見える。
まるで図書館のような、少しかび臭い匂いを感じながら、二人は頷き合い調査を開始した。
左右の壁に設置された専門書ばかりの本棚は、既に未来が調べ尽くしている。
二人は協力しあってカーペットをめくり床を調べたが、床下収納のようなものは見当たらなかった。
三十分程時間をかけて他の場所も調べたが、特に目新しい発見はなかった。
「くそ~、やっぱりないかあ」
「よくよく考えたら、いちいちカーペットをめくって床下収納使う意味もないわね」
「か~、そういやそうだった!」
「でも、ありさの発想は無意味じゃないかも。
本やメディアの中に手がかりがあるとは限らないし」
「まあ、それ以前に手がかりそのものが全くなかった可能性もあるがな~」
床に大の字になりながら、ありさが力なく呟く。
ふと部屋の本棚を見ると、あまりの大きさと迫力にいささか恐怖を感じる。
「なあ未来、この本棚って地震が起きて倒れて来たら大変だよね?」
「たぶん耐震対策はされていると思うわ。
壁にがっちり固定されているみたいだし」
「へえ、随分お金かけて作ったんだね。
これ、沢山本詰まってるし、相当な重量あるんじゃね?」
「そうね、厚みもあるし、手前と奥で本が置けるから相当なものよ」
「だろうなぁ……ん?」
突然、ありさがガバッと身を起こすと、父の机の端に腰掛けている未来にずいっと迫った。
「な、何よ?!」
「手前と奥で本が置ける?」
「え、ええ」
「それって、そんだけ奥行きがあるってことだよね?」
「そうね」
「俺ならマジンガーZを空から攻めるね。
じゃなくって、あたしならその奥行に目をつけるね」
「……」
改めて、本棚の調査が行われる。
左右に分かれて本棚を手分けして調べていると、ものの数分もしないうちにありさが声を上げた。
「未来! ここ!」
「どうしたの?」
「この棚だけ、サイズの大きい本が入ってるんだけどさ。
隣の棚と比べてみると、ホラ」
分厚い表紙の大判のファイル類を取り除き、同じように空にした隣の棚と比べると、ありさのいう通り明らかにここだけ奥行きが浅い。
一つずつ棚を調べていたら、絶対に気付かないほどの微妙な差。
未来は、心底驚嘆した。
「すごいわ、ありさ!
あなたを連れて来て大正解だったかもね」
「いやまだだ、まだわからんよ?」
ありさのいう通り、確かに奥行に差があっても、ただそういう構造だった、で終わる可能性もある。
未来は、手を入れたりスマホのライトで照らしたりして、棚の奥を調べてみた。
「これ、何かしら?」
良く調べてみると、一番奥の壁の一角に小さなレンズのようなものが設置されている。
保護用に鋼鉄聖の枠が嵌め込まれており、本を押し込んでもレンズが保護される構造になっている。
未来の目が細められた。
「ねえありさ、これどう思う?」
「え、あ、うん」
「ちょっと! 何見てるの?!」
「あんたのアルバム~」
未来が棚を調べている間に、ありさは今取り出したファイルを勝手に開いていた。
それはアルバムのようで、いくつもの写真が丁寧に整理され貼り付けられている。
その中には、予想だにしなかったものが沢山収められていた。
未来の、赤ん坊の時の写真。
物心ついただろう頃の、明るく微笑む写真。
両親が、とても嬉しそうに未来を抱く写真。
写真以外にも、別なページには未来の出生時の書類の写しや控え、そして未来の描いた両親の似顔絵などが、すべて大切に保管されていた。
「……」
言葉が、出なかった。
そのアルバムの中には、両親の溢れんばかりの愛情が詰め込まれていた。
恐らく、アルバムに収めるほど写真を出力できなかったのだろう。
十数枚の選りすぐりの写真だけを収め、残りは数枚のSDカードに残されているようで、それもまとめられている。
細かな字で、小さなシール面に記述が施されている。
その所々に、未来の名前が記述されていた。
写真の横には、それぞれの撮影日と状況が書き込まれている。
それはとても、愛情の乏しい父と母のものとは思えない。
「あ、ああ……」
「み、未来?!」
その瞬間、未来はすべてを思い出した。
あの時、両親の事故死を伝えられたその日、未来は……両親との思い出を「封印」したのだ。
あまりにも悲しくて、あまりにもせつなくて、それから逃れるため、無意識に。
だから、今まで思い出せなかった。
自分の記憶力への自信が枷となり、思い出す事を拒絶していたのだ。
両親の思い出の残る家を遠ざけ、暖かで優しい記憶の残る寝室への侵入を避けて。
長い間離れ離れになっていても、決して忘れる事のなかった両親との思い出が、十一年もの年月を飛び越え、一度に未来の胸中に蘇ってきた。
もう、声が出なかった。
否、出せなかった。
肩に置かれたありさの手が、とても熱く感じられる。
「おじさんとおばさんは、決して未来の事を愛してなかったわけじゃない。
それがわかっただけでも、本当によかった」
まるで自分の事のように喜ぶありさを見て、未来は、少し照れながらそっと目元を拭う。
「そうね……」
「あたしも安心したよ。
あたしの記憶だと、あんた二人に凄く可愛がられてたもんね」
「もう……ありさったら」
こういう時は決して茶化さず、真剣に付き合ってくれる。
ありさのそういう気概に、未来は絶対的な信頼を置いていた。
父が、母が、自分のことを愛しており、思い出を大事にしていた事はよくわかった。
だが、それだけでこの場は収まらない。
どうしてそんな物が、ここに置かれていたのか。
専門書ばかりで固められた本棚のこの一角だけに、何故娘のアルバムをしまっていたのか。
ここまでありさの勘に導かれて来た以上、ここからは、何としても自分が謎を解きたい。
未来は、そう思って再度アルバムを点検し出した。
「こんなところにレンズがあるなんて、奥に絶対何かがある証拠よ。
それに、このアルバムには何かある。
無意味に置いてある筈がないわ」
「あたしもそう思う。
でもさ、レンズってことは、そこに何かを映す? 見せる? ってことだよね?」
「そうだと思う。
多分だけど、何かのコードじゃないかなって。
そうすれば開くみたいな」
「怪しいとしたら、この最後のページに挟まってるSDカード?」
極薄のケースに収納された数枚のSDカードを手に取ってみるが、これを何で展開すればいいのかわからない。
端末を持ち込めば分かるかもしれないが、未来は何か違うと予感していた。
もう一度アルバムを確認するが、やはり何もおかしな所はない。
だがありさが、横から覗き込んで何かに気付いた。
「なあここ」
「どうしたの?」
「このページだけさ、写真が一枚しか貼られてないね」
ありさの指摘通り、中間辺りのあるページには、何故か大判の写真が一枚だけ貼られている。
周囲には余白がまだあり、整理すればまだ数枚貼れそうなものなのにだ。
「あら、これ」
「どした?」
「見て、この端の部分、なんだか妙に貼り付きが甘い感じしない?」
未来は、そのページの保護シートの端に注目した。
何故か角の一部だけ、極端に粘着力が落ちているようだ。
それはまるで、何度も貼り直しをしたかのような。
「もしかしたら」
「え、え? 何か思いついた?」
「うん、試してみる」
そう言うが早いか、未来は保護シートを剥がし、貼られていた写真を取り外す。
それを棚の奥のレンズに翳してみた。
すると、
――カチャッ
奥で何かのロックが外れる音がした。
「ビンゴね」
「うっそぉ! こういう仕掛けなん?!」
「そうね、でもなんでこの写真……」
未来は、手に取った写真を初めて意識して眺めた。
それは、初めて登園した後に家族全員が揃った時のもの。
セルフタイマーだろうか、そこには両親に囲まれて笑顔でピースサインをしている幼い未来の姿があった。
「あたしがもし親だったら、この写真を選ぶわ絶対に」
「……」
「さあ、中を確認するんだろ?」
「そうね、そうだったわ!」
再度ロックがかからないうちにと、棚の奥に手を入れる。
やはり本棚は二重構造になっているようで、レンズの付いた奥の板は隠し金庫のように手前に向かって開いた。
中から出て来たのは、B5サイズくらいの大きさの薄いファイルだった。
表紙がオレンジ色なことに少々驚くが、未来は早速中身を確認することにした。
中には父のものと思われる手記と、何かの図面のようなものがある。
その図面を見つめ、二人は首を傾げた。
「これ、何?」
「何って……よくわかんないよ。
なんかの“杖”みたいな?」
「そうよね、まるで何かのゲームに出て来そうな」
二人が言う通り、その図面に描かれているものは正に“杖”だった。
長い柄の先に大きな珠が取り付けられており、それを固定する爪のようなものもある。
大きさについても記載があり、長さは二メートル、珠の大きさは直径三十センチ程。
構造やデザインは非常にシンプルで、特段凝った構造には思えないが、これだけ見ると、正にファンタジー世界が舞台のゲームで魔法使いが持っていそうな杖そのものだ。
だが、どうしてこんなものがわざわざ隠されているのかが理解出来ない。
「こんなものの話、聞いた記憶が全くないわ」
「あ、ちょっと待て。
ここになんか書いてあるぞ?」
ありさは、同じファイルに収められていた手記に目を通す。
かなり長い内容だが、そこには奇妙な記述がいくつもあった。
“爆発現場で発見保護された少年と少女は”
“井村は、爆発現場を再利用及び隠蔽する目的で研究所を設立”
“発見された杖は、グレイスロッドと命名”
“グレイスロッドを運搬しようとした所員二名が蒸発する事故が起きたため”
「じ、蒸発?! なんだそれ?!」
「爆発現場で……少年と少女?!」
その内容は、二人がそれまで全く知らない事情ばかりだった。
今まで“SAVE.”にかなり深く関り、詳しい事情も把握しているつもりだった未来も、これにはさすがに驚くしかない。
文章の中には仙川博士の名前もあり、明らかに“SAVE.”と無関係とは言えない。
ある程度読んだところで、二人はそっとファイルを閉じ、静かに息を吐いた。
「おい、これってさ。
もしかしてメチャクチャヤバイ事書いてないか?」
「そうね、私もそう思う。
あと、ありさは気付いた?」
「ん、何が?」
「この手記の内容ね、まるで誰かに説明しているみたいな書き方なのよ」
「……」
「普通こういうのって、既に事情をある程度知ってる人向けに備忘録的にまとめるものじゃない?」
「そうかもしれない。
じゃあ、なんでわざわざこんな?」
「わからない……」
とりあえず進展があったということで、二人は一旦休憩することにした。
揃ってキッチンに戻り、コーヒーでも淹れようかという話になったその時、
ピンポーン
急に、呼び鈴が鳴った。
「え、誰かしら?」
「なんだろ? あたし出ようか」
「お願いしてもいい?」
「ああ、いいよ。
ちょっと待ってな」
普段誰も居ない家に客が来るなんてありえないし、ましてや宅配などもありえない。
奇妙な雰囲気を感じていると、やがて玄関の方から、ありさの驚くような声が聞こえて来た。
「ありさ?! どうしたの?!」
咄嗟に左手首のサークレットを確認する。
急いで玄関に走ると、そこには呆然と立ち尽くすありさの姿があった。
「ありさ、どうしたの?!」
「あ、あ、あ……」
何かに驚いているようで、しきりにドアの方を指差す。
そこには、予想もしていなかった出来事が起きていた。
「未来――かい?」
「まあ、すっかり大人になって!」
玄関には、一組の男女が立っていた。
三十代後半くらいの年代の、とても落ち着いた雰囲気。
そして何より、心の奥底から湧き上がってくる感情。
目を剥いて唖然としていた未来の目から、涙が零れ落ちる。
「パパ……ママ……」
「や、やっぱり!
おじさんとおばさん?!」
「じゃあこちらの人は、ありさちゃんか!
二人とも、大きくなったんだなあ」
「良かった……あなた達に逢えて、本当に良かった」
「パパ……ママ」
「ただいま、未来」
「ただいま」
「パパ……ママあぁぁ!!」
懐かしい、優しい笑顔。
それは決して、愛情を持たない者の表情ではなかった。
未来はそのまま、涙を拭いもせずに両親の胸に飛び込んで行く。
声を抑えもせず、大声で泣きながら。
なりふり構わずに。
そして、その様子を眺めるありさの目にも、大粒の涙が溢れていた。




