●第9話【不安】1/3
雑居ビルの中の照明が、消えている。
階段に人の行き来する気配は感じられず、各階のテナントにも、人が居る気配はない。
開け放たれた四階の表向きの窓からは、白いカーテンがたなびいている。
店内には、白い糸状の何かが張り巡らされていた。
天井や、壁だけではない。
全てが、巨大かつ尋常ではない量の糸で、びっしりと覆われているのだ。
その異様な空間には、軽やかで優しげなBGMが、静かに流れ続けていた。
美神戦隊アンナセイヴァー
第9話 【不安】
「はい、ど~ぞ♪」
恵が作ってくれた料理は、リゾットだった。
事前に炊いておいたご飯を使い、牛乳と少量のチーズ、コンソメで味付けをした簡素なものだったが、本当にささっと手早く作り上げており、愛美はその手際に感心して見とれていた。
調理をした恵も、それを手伝った舞衣の包丁さばきも、決して付け焼刃ではなく、明らかに扱い慣れた手つきだ。
良く炒められた玉ねぎの香りが食欲をそそり、愛美の空腹感を刺激する。
丁寧に礼を述べ、手を合わせていただきますをすると、愛美はありがたく料理を頂くことにした。
「――美味しい!」
優しい味わいと、深いコクが口の中に広がる。
それに何よりも、自分の為だけに料理を作ってくれたという事実が、愛美の感動中枢を激しく刺激した。
丸一日以上何も食べなかったが、これなら消化も良さそうだ。
「本当に、本当に美味しいです! ありがとうございます!」
一口食べるごとに、感想と礼を述べる。
恵は、そんな彼女を見て、目を細め喜んだ。
「良かったぁ! お口に合って」
「こんな、いきなり押しかけたような私なんかの為に、ここまでしていただけて……グスッ」
「そんな、愛美さん、泣かないで!」
「わわ、愛美ちゃ~ん!
お、おかわりもあるからね、もっと食べたかったら遠慮しないで言ってね!」
「はい、ありがとうございます……」
思わず感動の涙に咽ぶ。
愛美は、やっぱりこの人達は本当に優しい人に違いない、と実感し、少しでも疑った自分を恥じた。
空は快晴、気温も丁度良い塩梅で、風も冷たくない。
まさに、お出かけ日和。
食事を終えて元気が出てきた愛美は、相模姉妹に連れ出され、外出することにした。
マンションの外に出て、先程まで自分が居た建物の外観を見て、その大きさと豪華さに驚愕する。
「ポカーン……」
「ここは、“SVアークプレイス”と申します。
この棟だけでなく、向こうに見える棟まで、全部そうなんですよ」
舞衣が指差す方向に立ち並ぶ棟は、一つや二つではない。
都内の真ん中に、こんなに広大なマンション街があるという凄さは、素人の愛美でも容易に理解できた。
この広さは、かつて居た井村邸の敷地の何倍になるのだろうか。
「す、すごい……もう、なんて言っていいのか」
「ねっ、スゴイおっきいでしょ!」
愛美の右手を取りながら、恵が笑顔で付け加える。
「こ、こんな所に、わわわ、私が住んで……
そ、そ、そんなこと、許されるのでしょうか?!」
「大丈夫ですよ、ここは全て、私達“SAVE.”の所有施設ですので。
どうかお気になさらないでください」
「せ、西部? 西武??」
「愛美ちゃん、“SAVE.”だよ。
エス、エー、ブイ、イーの、セーブ!」
「ああ、すみません!
って、私達の、というのは?」
「詳しくは、おいおい説明しますね。
ただ今は、愛美さんが何も気にされないで、ここをお使い頂けるということだけ分かっていただければ」
(そ、そ、そんなトンでもないこと、急に言われたって!)
先程から続く混乱に、更に拍車がかかる。
すると、恵が指を伸ばし、愛美の胸元をツンとつついた。
「あ、でもね。
ここに居る間は、これは絶対に身に付けておいてね」
「え? これをですか?」
恵が指したのは、井村邸で愛美が拾った宝石のような物体だ。
金色の金属で周囲を包んだ半球型の宝石――のように見えるアクセサリー。
半球の中では、光の角度によって白い模様が浮かび上がる。
これに、恵がネックレスのチェーンをつけてくれたものを、愛美は首から提げていた。
「これは、いったい何なのでしょう?」
愛美の問いに、舞衣が笑顔で答える。
「これは、“パーソナルユニット”という物です」
「パーソナル……ユニット?」
「うん、これを持ってないと、このマンションに入れないんだよ」
そう言うと、恵は左手の甲を向ける。
薬指には、少々大きめな石座の付いた指輪が嵌められていた。
「これ、メグのパーソナルユニットぉ♪」
「左の薬指に?」
「ええ、そうです。
私も」
続けて、舞衣も左手を見せる。
その薬指にも、同じような指輪が嵌っていた。
(ということは、お二人とも、結婚前提の彼氏さんがいらっしゃるんだ。
そりゃあ、こんなに美人さんなら、当然かな)
妙に納得した愛美は、無意識に頷いた。
「お二人も、持っているのですね?」
「そうです。
私達だけでなく、このマンションの住人全員が、それぞれ別々の形のものを持っています」
「え? 全員が?」
「うん、そうだよ!
これ、このマンションの入場許可証みたいなものなの」
「ほ、ほえ~」
(東京って、すごいんだ。
こういうのがないと、マンションに住むことも許されないんだ……せ、セキュリティというものなのかな)
「それでは、お出かけしましょう」
マンションの各棟に囲まれている、緑多い公園。
その中を突っ切るように歩いていくと、やがて大きな道路に出る。
その脇の停車用エリアに、見覚えのある黒い車が停まっていた。
「あ、ナイトシェイドもう来てる!」
「え? ナイトシェイドさんですか?」
「ええ、今日のドライバーさんです」
ナイトシェイド。
井村邸での出来事で、愛美はこの車――の形をした自立AI搭載の装甲車ロボットを良く理解していた。
トヨタスープラ3.0GTターボAのボディを持ち、光沢のある黒い外装で包み込まれ、足周りはホイールベースまで漆黒に染まっている。
正直、周辺を走る車と比べると聊か古めかしい感は否めないが、その攻撃的とも云える鋭いノーズとすらりとした全体のシルエットは、独自の美しさと洗練さを感じさせる。
……が、これが会話可能で、しかも自力で走ることが出来るスーパーマシンだとは、はたからは知る由もないだろう。
『舞衣様、恵様、愛美様。
おはようございます』
ナイトシェイドに近付くと、女性の声で挨拶される。
「おっはよー、ナイトシェイド!
今日も元気ぃ?」
『恵様、ありがとうございます。
システムオールグリーン、状態は完璧です』
「それは良かったです。
それでは、本日はよろしくお願いします」
『畏まりました、舞衣様』
助手席側のドアが自動で開き、背凭れが倒れ、シートが前方にスライドする。
中を覗き込むと、車内には誰も載っていなかった。
「えっ?! ナイトシェイドさん、お一人で来られたのですか?!」
『はい、愛美様。
その通りです』
「ナイトシェイドはね、自分で判断して一人で走れるんだよ」
「す、すごい……んですけど、お二人は、車の免許はお持ちなのですか?」
愛美の質問に、姉妹は首を横に振る。
「ナイトシェイドは自動運転レベル5認定車両なので、搭乗者は運転免許不要なのです」
「そ、そうなんですか……なんかすごい」
正直、舞衣の説明は微塵も理解出来なかったが、愛美は「そういうもんなんだろう」と無理やり納得することにした。
「愛美ちゃん、前から中を見て」
「え? はい」
恵に促され、愛美はフロントウィンドウから車内を覗き込む。
すると、運転席には凱が座っていた。
慌ててドアから中を覗くが、やっぱり運転席は空だ。
にも関わらず、表から見ると、間違いなく凱が座っている。
数回これを繰り返した後、愛美は、頭に一杯のハテナを浮かべていた。
「ど、ど、どういうことなんですか?!
もしかして、が、凱さんの、ゆゆゆ、幽霊?!」
「そんなわけないでしょ~」
「これは、ナイトシェイドがスクリーンにお兄さ……兄の姿を映し出しているのです」
「ほえ~! で、でも、何故なんですか?」
「このお兄ちゃんの映像はね、周りの車の運転手さんを脅かさないようにするためなんだよ」
「へえぇ~!」
愛美は、ナイトシェイドの“なんだかよくわからない機能”に、改めて感心した。
都内の、雑居ビル。
三日前から出しっ放しにされている看板の前を、一人の少女が横切る。
背の丈から、小学生くらいと思われるその少女は、つばの広い麦藁帽子を目深に被り、水色のワンピースをたなびかせながら、ビル脇の小路に入り込む。
完全に人気のない細い路地をゆっくり進むと、少女は、足元に転がっている何かに目を止めた。
それは、半透明の円筒型ケース。
蓋は少し離れた所に転がっているようだ。
少女はスカートの裾を膝裏に当てながらしゃがむと、そのケースを手に取った。
下に向いた開口部から、透明な粘液が滴り落ちる。
蓋も拾い上げた少女は、頭上を見上げる。
五階の窓が大きく開かれているのを見て、少女は満足そうに口元を歪めた。
ナイトシェイドは、くすの木通りを走り、恵比寿通りを山手線沿いに渋谷方面へ向かう。
愛美を運転席の後ろに乗せ、その横に恵、助手席には舞衣が搭乗した。
車内では、少女三人の楽しげな会話が繰り広げられていた。
最初は緊張気味だった愛美も、しきりに話題を振ってくる姉妹に徐々に感化され、積極的に会話に混じるようになってきた。
やがて愛美と相模姉妹の三人は、渋谷に辿り着いた。
JR渋谷駅前、渋谷中央街のゲート前で降りた後、ナイトシェイドは何処かに走り去ってしまう。
残った三人は、晴れ渡った空を見上げた。
「ほわぁ~」
愛美は、周囲の様子に圧倒されていた。
大勢の行き交う人々、無数の車の流れ、高いビルの数々。
いずれも、これまでの愛美の生活では見ることがなかった、想像を超える都会の光景だった。
「ヒカリエ行こうか!」
スマホを見ながら、恵が提案する。
同意する舞衣に、ただ促される愛美。
右も左もわからない以上、ここは二人にお任せするしかなかった。
「では、愛美様♪」
突然、舞衣がおかしな呼び方で声をかけて来た。
「はい?! 様?」
「ええ、本日は私達、愛美さんお付きのメイドですから」
「そーだよぉ、愛美サマ♪」
「ひえっ?!」
「先に買い物を済ませて、その後は色んなお店をゆっくり回りませんか?」
「は、はい、お任せいたします!」
「承知いたしました、愛美様。
それでは、ご案内いたしますね☆」
「いこーいこー、愛美サマぁ♪」
「わ、わ、さ、様付けは、勘弁してくださ~い!」
姉妹に両手を引かれ、愛美は渋谷の街に紛れ込んで行った。




