第8話【姉妹】2/2
二十分ほど後。
バスルームで入浴を済ませ、用意された衣服に着替えた愛美は、舞衣達によってリビングルームに通された。
そこは、マンションというよりも、もはや高級な一軒住宅。
二辺に大きな窓を施し、外には東京のビル街が広がっている。
8LDKにも及び、トイレとバスルームは複数あり、ベランダも広い。
新築なのかリフォームなのかはわからないが、室内はどこも下ろしたてのように綺麗で、汚れもなければ使用感もない。
マンションには詳しくない愛美でも、この物件が並々ならない高級なものであることは、容易に想像できた。
これが、いきなり自分のもの、と言われても、実感など持てよう筈もない。
愛美は、あまりに変貌した環境に、ただ戸惑うしかなかった。
リビングのソファーに導かれた愛美は、緊張した面持ちで相模姉妹と向き合った。
(ああ、きっと、これから「面接」が始まるのですね……何のかはわからないけど)
完全にカチンコチンになった愛美に、舞衣は不安げな眼差しを向ける。
「あの、愛美さん。
どうか、緊張なさらないでください」
「そうだよぉ、ちゃんと説明するからね?」
「は、は、はい! お、お手柔らかにお願いいたします!」
「改めまして、私は相模舞衣と申します。
こちらは、妹の恵です」
「よろしくねー!」
ソファーから立ち上がり、またも深々と頭を下げる。
それに反応し、愛美も立ち上がった。
凱によってこのマンションに運ばれたこと。
丸一日以上、ずっと眠り続けていたこと。
その間、相模姉妹が交代でここに留まり、様子を診てくれていたこと。
それら事情を説明され、愛美は、猛烈な申し訳なさを感じ、平謝りを繰り返した。
「あの、それで私は、何の為にこちらに呼ばれたのでしょうか。
まだ、事情を知らされていないのですが」
愛美の言葉に、舞衣と恵が顔を見合わせる。
「お兄さ……北条凱からは、何かお話を伺っておりませんか?」
「私を捜しておられる方が東京にいらっしゃるというお話は伺いましたが、詳しくは」
「そっかぁ。それどころじゃなかったんだね、きっと」
掌を広げて、恵が不思議なリアクションをする。
愛美は、姿は良く似ているのに、話し方や性格が全然違うなと思いながら、姉妹を見つめた。
「わかりました。
詳しいお話は、いずれ別の方からされると思いますので、ひとまず……」
そう言うと、舞衣は再び立ち上がり、愛美に右手を差し出した。
「こちらに越して来られた愛美さんの為に、今日は生活必需品を買い揃えに参りましょう」
「そうそう! 私達も一緒に付き合うからねー」
恵も立ち上がり、愛美の手を掴む。
その温かなぬくもりと、二人の突然の申し出に、激しく動揺する。
「か、買い物ですか?!
そ、そんな、これ以上お二人にお手間をかけさせるわけには参りません!
それに、私はお金を持っておりませんし――」
「それでしたら、ご心配には及びませんよ」
「そうそう、お金の心配なんかしなくていいよー!
それに、このマンションってまだ全然物が揃ってないから、色々買わなきゃ不便だしね」
「で、でも……」
「ご安心ください。
さぁ、参りましょう」
舞衣も、愛美の手を取る。
益々強まる戸惑いと混乱にパニックになりかけている愛美は、二人に手を引かれて立ち上がった。
ぐうぅ~……
「きゃっ」
愛美の腹の虫が、可愛らしい鳴き声を上げる。
それを聞いた姉妹は、目を丸くしてクスクスと笑った。
「あ、あの、こ、これはその……失礼いたしました!」
顔を真っ赤にして縮こまる愛美を見て、恵は手を叩いた。
「そっかぁ! 愛美ちゃん、ずっと寝てたんだから、当然だよねー」
「申し訳ありません、うっかりしていました。
メグちゃん、冷蔵庫に何か入っている?」
「うん! 昨日、色々買っておいたからあるよー」
舞衣は愛美に微笑みかけると、もう少し座っているように促した。
「愛美さん、お嫌いなものはございますか?」
「は、え、ええ……好き嫌いはありませんけど。
えっ、でも、えっ?」
「聞こえたー!
愛美ちゃん、ちょっとだけ待っててね!
ご飯、すぐ作ってあげるからねー」
「メグちゃん、私もお手伝いしていい?」
「いいよー! おねがーい!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくださーい!」
愛美は、慌てて立ち上がった。
「め、メイドの私が、お嬢様方にそこまでして頂くなんて、とんでもない事です!
あの、どうかお構いなく!」
急いでキッチンに向かおうとする愛美を、舞衣が優しく諌める。
「愛美さん、私達は、主従関係ではありませんよ。
それに私達は、愛美さんのお世話を兄に指示されておりますから」
(あ、あれ?
もしかして、この方々……凄く優しい?)
「で、ですが……」
まだ不安が拭えない愛美に、舞衣はにっこり微笑んで、続ける。
「じゃあ、こうしませんか?」
「え」
「今日は、私達が愛美さんお付きのメイドになります♪」
「ええっ?!」
「あ、メグもさんせーい!」
「えええええっ?!」
「私服のままで大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします♪」
「ひ、ひえぇぇぇ?!」
またまた、舞衣が深々と頭を下げる。
愛美の困惑レベルは、頂点に達した。
ここは、東京某所。
多くの人々が往来する街の一角、もう数十年は改装された様子のない、細い路地。
そこにひしめき合うように立ち並ぶ、雑居ビルの群れ。
その一角にある、五階建ての古びたビルの入り口には、いくつかの店の看板が置かれている。
縦長の小さな黒板に、チョークで「本日のメニュー」などを手書きするタイプの看板。
通りすがりの男が、ふと、その看板に目を留めた。
「あれ? 今日、何日だったっけ?」
男は、スマホを取り出して画面を見た後、もう一度その看板を見た。
「なんだこれ、日付思いっきり間違ってんじゃん」
そう呟くと、興味なさそうに通り過ぎる。
看板に記された日付は、三日も前のものだった。
雑居ビルの中の照明が、消えている。
階段に人の行き来する気配は感じられず、各階のテナントにも、人が居る気配はない。
開け放たれた四階の表向きの窓からは、白いカーテンがたなびいている。
店内には、白い糸状の何かが張り巡らされていた。
天井や、壁だけではない。
全てが、巨大かつ尋常ではない量の糸で、びっしりと覆われているのだ。
その異様な空間には、軽やかで優しげなBGMが、静かに流れ続けていた。




