第86話【適職】2/3
「俺は、夜まで地下迷宮に入る」
「そんなに詰めるんですね!
では、お掃除とお洗濯を済ませておきます」
「えっ?! だって、夕べやったんだろ?」
「何をおっしゃいます。
お掃除もお洗濯もお炊事も、毎日行うものですよ」
「ぬ、ぬぅ」
「私も、身だしなみを整えて地下迷宮に参りますので。
その時はご一緒に参りましょう♪」
「うぬぅ」
すでに、愛美の気合はノリノリである。
(そうか、本当の愛美は、日々こんな緊張感を持っていたのかあ。
それなら、仕事がなくなってストレスを溜めるのもわかる気がする)
そんな事を考えながら、勇次は、味噌汁をすすった。
出汁の効いたしじみの味噌汁は、とても美味しく、身体に染み渡っていくようだ。
「これ、美味いな」
「えっ、なんですか?」
「いや、この味噌汁、すごく美味いなと。砂取りも完璧だし」
「も、ももも、もう一回だけ、おっしゃっていただけませんか?」
「? ああ、とっても美味いぞ」
「きゃーっ♪ ありがとうございます~☆」
「何なのだ?」
「あ、はい。
私、実はお料理について直接褒められた事ってほとんどなかったものですから、とても嬉しくて♪」
「えーっ?!」
美神戦隊アンナセイヴァー
第86話【適職】2/3
夜になった。
地下迷宮での用事も済ませ、勇次の仕事は一通り完了した。
自室の鍵を開け、キッチンの電気を点ける。
ふと、美味しそうな匂いが漂って来て、夕食の準備が済んでいるのが分かる。
だが、愛美の姿がどこにもない。
「おや、さすがにもう帰ったのかな?」
そう思いながら寝室に使っている部屋に入ると、ほのかに寝息が聞こえてくる。
キッチンの明かりを頼りに足元を見ると、そこにはメイドドレスを着たまま、畳の上で横になっている愛美の姿があった。
(いかんいかん。
このままでは風邪を引くではないか)
恐らくやるべき事をすべてやり遂げ、勇次が帰ってくるまで仮眠を取ろうとしたのだろう。
愛美のすぐ横では、丁寧に整えられた寝床が用意されている。
だが、本人はそれを使わずに、畳の上で寝ているのだ。
やれやれと呟き、勇次は愛美を抱き上げて布団に運ぼうとして、再び硬直した。
愛美の身体の柔らかさが、ダイレクトに腕に伝わる。
意外に大きな愛美のバストが、シャツ越しに勇次に接触した。
「ん……んん」
(んぬっ?!)
甘い呻きが、愛美の口から僅かに漏れる。そのあまりの色っぽさに、またまた勇次の理性が悲鳴を上げた。
抱き上げたのはいいが、そこで思考が停止してしまい、勇次は…愛美を布団に移す事ができなかった。
(え、ええ~い、私はアホかっ!)
必死に自我を取り戻し、愛美を布団に横たえる。
完全に熟睡してしまっているようで、まったく目覚める様子はない。
勇次はそっと布団をかけると、その脇にごろりと倒れこんだ。
愛美は、きっと久々にはしゃいだものだから、疲れたのだろう。
(狭い部屋だからやむをえん。ここで私も寝させてもらおう)
気持ちよい眠気が襲ってくる。
勇次は、畳の固さに心地よさを見出し、ゆっくりと目を閉じた。
「旦那様」
どれくらい経っただろう。
すぐ耳元で囁く声に、意識が引き戻される。
「ん……」
「旦那様、こんな所でお眠りになっては、お風邪を召されますよ」
「えっ?」
耳にかかる吐息で、急激に意識が戻った。
畳の上で寝転がっている勇次に背後から、愛美が、まるで密着するかのように接近していた。
「わわっ!!」
「きゃあっ!」
突然起き上がったためか、愛美を驚かせたようだ。
「ま、ま、ま、愛美!
お、起きたのかっ!」
「え? は、はい。
申し訳ありません、お帰りになった事に気づきませんでした」
「そんな事はどうでもいいが、お前こそ、ちゃんと布団で寝ないと」
「そ、それはそうなのですが。
こちらの御宅には、布団が一組しかないようですので」
「うっ」
もう一組あった予備の布団は、先日虫食いにやられてしまって破棄したのを思い出す。
「だったら、お前が使えばいい」
「そうは参りません!
私はメイドですから、旦那様のお布団を使うなんて出来ません!」
さっきまで使っていたんだから、そのまま寝ていればいいのにと思ったところで、ふと先程から感じている違和感を追求する。
――旦那様、だと?
「おい、愛美」
「はい?」
「私は、いつからお前の旦那様になったのだ?」
「はい。ティノさんから言われたんです。
“世の男は、女の子から『旦那様っ♪』とか『ご主人様っ☆』って呼ばれると、とても喜ぶ”って」
わざわざティノの口調を真似て、単語の語尾まで上げて話す。
「そ、そんなもの、真に受けるなぁっ!!
てっきり、便宜上の呼称かと思ったぞ」
「でも、私もその方が感じが出ていいかな~って思うわけですが、いけませんでしょうか?」
「私は、別にお前を雇っているわけではないからな。
これはお前の一方的なボランティアなのだから、そんな所まで徹底せんでいいのだ」
「そ、そうですか。
でもここまでその気になってしまうと、今まで通りに“勇次さん”とお呼びするには、なんとなく抵抗が出てしまいまして」
「難しく考えなくてもいいだろうが」
「なんと申しましょうか。
私の中のメイドニック・エネルギーが、そう働きかけるんです」
「何が流れているんだ、お前の身体は」
「それから今川さんが『夜に寝室で“ご奉仕させていただきます♪”と言うと、殿方は泣いて喜ぶ』というお話もされておりまして」
「そんな歪んだ知識はっ!! 今すぐ忘れろ、さぁ忘れろ!!」
「ひえぇぇえ!
わ、わわかりましたあぁぁ!?」
両肩を掴まれてガクンガクン揺すられ、愛美は目をクルクル回した。
ボリボリと頭を掻き、勇次は、延々と続きそうなアホな話題を強引に止める事にした。
「あーもう、好きにしろ。
夕食をもらって、私は寝る」
「はい、それでは、すぐ用意いたします」
「ん。では、頼もう」
「今日のメニューは、フォアグラと猪のガトーオペラ仕立てトリュフ風味、ブリオッシュのトースト添えと、伊勢海老と原木冬椎茸のラグーを、自家製パスタとご一緒に。それと北寄貝の貝殻パイ包みオーブン焼き黒クワイ入り、子鳩のサルミ早摘みのサボイキャベツのバラ色ニンニク添え、そしてアールグレイティー、デザートはガリガリ君ソーダ味になります」
どうやら本格的な調理を行ったようで、料理の細かな説明を加えてくれる。
だが、何か納得が行かない。
しばらく考えて、
「ちょっと待った。
お前、料理の材料費はどうした? 私は、そういったものは渡してなかったはずだぞ」
「はい、それでしたら、私の貯金から出させていただきました」
とんでもない事を、さらりと言ってのける。
「な、なんでだ?!」
「ええ、だって、私は旦那様にお願いして、働かせていただいているんですから。
それに、お料理の献立も私が勝手に考えたものですし。
こういう場合は、私が出さないと道理が通りませんもの」
「ば、バカぬかせ!
ここまでやらせた上に金まで出させるなんて、そんな真似が出来るかっ!」
「で、でもぉ~」
「お前が私の事を主人として扱うなら、私の道理の方を通してもらおうか。
そんな事は絶対認めん!
さあ、かかった材料費を請求しろ!」
「ほ、ホントによろしいんですか~?」
「構わん。言ってみよ」
「ハイ、では――二万四千七百五十円」
「ブホォッ!!」
直後に手渡されたレシートの合計額は、確かにそれくらいになっていた。
どうやら食材以外にも、必要な調味料や道具を色々と買い込んだらしい。
「仕方ないな、うむ。よし」
訳の分からない事を呟きながら、勇次は、泣く泣く財布を開いた。
愛美の事だから、きっと糸目をつけず、良い物を選び抜いてくれたのだろう。
元々貰う気などなかったせいなのか、お金を受け取る態度が妙によそよそしい。
「旦那様、先ほど、私を布団に運んでくださったのですか?」
「ん。ま、まぁな」
「ありがとうございます!
私、とっても嬉しかったです♪」
展性チタン合金並の理性と倫理観を誇る勇次の精神も、愛美の、心の底からの感謝の気持ちがこもった甘いささやきには強烈な揺さぶりをかけられる。
『く、屈せぬ!
こんな事では、わわわ私はっ! 屈せぬのだ!!』
さすがというか何というか、愛美の用意してくれた夕食は、いずれも極上の味わいだった。
盛り付けられている食器がみすぼらしい事を除けば、その内容は豪華絢爛。
まるで、ちょっとした高級レストランの食事のようですらある。
どうやら、夕べから材料の仕込みや下味付けの準備をしていたらしく、とても大変作りこまれており、しかも味が深い。
これなら、このまま充分レストランで働けるのではないか。
勇次は、舌鼓を打ちながら本気でそう思っていた。
「むう、見事だ。愛美、素晴らしい料理の腕前だな。恐れ入った」
「そ、そんな、恐縮です」
今朝も言っていたが、褒められる事に慣れていないのは本当らしい。
愛美は顔を真っ赤にして、俯きながらモジモジしはじめた。
「素人考えだが、これは充分プロにも匹敵するレベルなんじゃないのか?
どこでこんな技術を?」
「お屋敷に入る前、色々な技術や作法をご指導いただいたのです。
調理もその一環で」
勇次の手が止まる。
「それはもしかして、井村夫人の……」
「はい、そうです。
大旦那様専属シェフだったという方々から、研修を受けさせて戴きました」
「大旦那様? それは」
「実は、私はお会いしたことがないんです。
なので、そういうお話を奥様から教えて頂いただけで」
「そうか」
いったいどれだけの期間指導されたのかわからないが、料理の技術など、数年習った程度では大したレベルにならない事は、勇次にもわかる。
愛美の若さで、これだけの腕前を身に付けている者など、恐らくそう大勢はおるまい。
本人は自覚していないのだろうが、きっと愛美は、潜在的に物凄く高いポテンシャルを持っているのだろう。
もし愛美が社会に出たら、きっと物凄い成長を見せるに違いない。
勇次は、そんな彼女が狭い世界の中でしか生きられないという現実を苦々しく思った。
「お食事の事でしたら、どうぞ今後もおまかせください。
お好きなメニューをお申し付けくださっても結構ですよ」
「うむ、わかった。ご馳走様。
さて、と」
次は風呂だ。
もう夜も更けている。早めに入らなければ、貴重な睡眠時間が失われる。
着替えを抱え、勇次は、さっさと脱衣場へ急いだ。
「風呂に入る。あとはよろしく頼む」
「はい、かしこまりました!」
「お前も、後からすぐ入るといい」
「えっ?」
「だって、お前も風呂に入らん訳にはいくまいが」
「そ、そうですが…でも、よろしいのですか?」
「こんな時間に、女性を一人で銭湯に行かせようとするほど非人情家ではない。
遠慮するな」
「はい、わかりました。それでは後ほど」
なぜか口ごもる愛美をよそに、勇次は、浴室のドアを開けた。
天井からしたたる滴を額に受け、勇次は、湯船の中でぼんやりと考え事をしていた。
この一日だけで、愛美は本当に色々やってくれた。
腐海の一歩手前まで行っていた部屋を、嫌な顔一つせず掃除し、溜まった洗濯物を片付け、さらには風呂や布団、キッチン周りの整備・清掃から炊事全般、さらには豪華な食事の準備まで。
おかげで、家の中の雰囲気はガラリと変わった。まるで、新しく引越してきた部屋にいるかのような心境だ。
これだけしてもらえたなら、先ほどの臨時出費など、安すぎるくらいだ。
これだけの逸材を、我々身内の中だけに押し込めてしまうのは、あまりにももったいない。
なんとか、アンナローグ以外にも活躍の場を与えてやりたいものだ。
勇次は明日、愛美の仕事について凱と本格的に相談してみようと考えた。
コンコン。
浴室のガラス戸が、軽くノックされる。
「旦那様―」
「む、どうした?」
「あの、よろしいでしょうか?」
「ん? ああ」
何かあったのだろうか?
勇次は、入り口に背を向けた姿勢のまま、適当に相槌を打った。
ガラガラガラ
戸の開かれる音がする。
「失礼します」
愛美の声に、なぜかエコーがかかる。
まるで、浴室内から聞こえているような――否、それどころか。
その声はすぐななめ後ろから聞こえている。
「あ、あの、旦那様?」
「……」
「お言い付け通り、後から入らせて頂きました。あの?」
「……」
「もしもーし!」
「ゴボゴボゴボ」
「きゃーっ! だ、だだだ、旦那様ぁーっ!!」
勇次、轟沈。
「だ、大丈夫ですか、旦那様?!」
愛美の呼びかけで、ようやく意識を取り戻す。
だが、自分はまだ、浴室内に居る。
視界には、心配そうな顔をして覗き込む、愛美の姿が映る。
当然、愛美は一糸まとわぬ姿だ。
顔よりも先に、形の良い乳房が目に飛び込む。
「どわわあぁぁっっっ!!!」
「きゃあっ?! ど、どうしたのですかっ?!」
「な、な、な、なぜ、何故お前がここに?!」
「はい。えーと、先ほど“後からすぐ入れ”と申されましたので」
「そりゃ、私が風呂から上がった後で、という意味だ」
「でも、先にお声をかけたら、お返事をいただきましたし」
「別な用だと思ったんだ!
まさか、お前が入ってくるとは思わなかったからな」
「そ、そうでしたか、申し訳あり………は、ハクション!!」
浴室とはいえ、長い間裸でいたためか、身体が冷えたらしい。
可愛らしいくしゃみをした後、愛美は、肩を掴んで身体をブルブル震わせた。
「ううう~、ちょっと冷えました~」
「ぬう、それはいかんな。湯船に入れ」
「だ、旦那様は?!」
「こうなっては仕方あるまい。
い、い、いいいいい一緒に入るしかなかろう」
「あ、そ、そ、そうですね! ロジャーです!」
「今回だけだからなっ!
あ、あと、お互いの方を見ない事! 良いなっ!」
「はい、わかりました!
でも、お背中を流さなくてもよろしいのですか?」
「激しく遠慮しておこう」
「そうですか、ショボ~ン」
湯船を愛美に譲り、勇次は、なるべくそちらを見ないように心がけながら、シャワーの栓をひねった。
――冷水が噴出した。
「ぎょわあっ!!!」
「きゃあぁっっ?!
だ、旦那様、大丈夫ですかっ?!?!」
思わず助けに入った愛美と、向かい合ってしまう。
全裸同士で、二人は、真正面からお互いの姿を見つめ合ってしまった。
沈黙する事、一秒間。
「ぶほおぉぉっっっ!!!」
「きゃあぁぁっっっ!!!」
次の瞬間、風呂場は、血の海と化した。
十数分後。
キッチンのテーブルにつき、火照った身体を冷ましながら、二人はため息混じりの反省会を開いていた。
「愛美、さっきのは…お互いの人生の中で、なかった事にしようではないか」
「そ、そうですね、ハハハハ…ハァ」
「とはいえ、すまん。
不可抗力とはいえ、嫁入り前の娘の裸を見てしまった。
この詫びは必ず入れる」
「そんな! これは私の不手際です。
どうかそんな事おっしゃらないで、私に罰をお与えください!」
「鼻血浴びせてしまったんだ。
これ以上罰を与えるなんて、こっちが心苦しい」
「は、はあ。それにしても、ものすごい噴射でしたね。
十リットルは出たんでしょうか」
「死んでしまうわ!」




