●第85話【師匠】
※しばらくの間、物語の時系列から外れた内容の短編を公開していきます。
具体的には、第三部から第四部の間に入るくらいの時期とお考えください。
尚、今回の短編は別視点になります。
その日、彼は疲労の極地にあった。
月曜日から五連続の残業三時間、加えて一時間前の出社。
しかも、これで五週目だ。
繁忙期にも関わらず、部署内から連続で三人も退職者が出た穴埋めだったのだが、あまり要領の良くない彼がその大半を一人で引き受けざるを得ない形になったのだ。
幸いにも峠は越したし、何より明日は土曜日、久々に憂いのない休日だ。
今夜はもう時間を気にせず、寝落ちするまでPCを向き合おう。
そして、孤独を癒そう――そう思った。
重い足取り、吐き出す溜息。
午後九時を指し示す時計を一瞥すると、男は誰も待つ者がいないマンションの鍵を開ける。
暗く蒸し暑い部屋に明かりを灯すと、荒れ果てた一人暮らしの惨状が浮かび上がる。
彼の名前は、神代卓也。
四十八歳独身、加えて童貞。
言うまでもなく彼女イナイ歴は年齢と等しく、それどころか女性とまともに話した経験すらない。
そのせいか、女性についてはかなり拗らせてしまっているタイプ。
最後に、仕事と無関係の会話を女性と交わしたのは、いったい何年前だったか。
美神戦隊アンナセイヴァー
第85話【師匠】
大菊輪株式会社の勤務歴二十五年で、役職は主任。
社内では「結婚したくない男ナンバーワン」に選ばれるほどの無愛想でコミュ障。
女性社員も、直接会話を避けて他の男性社員を通じて用件を伝えてくるほどの存在。
一部では「魔王」「会社の裏のドン」等と呼ばれているが、これ全て遠回しに“近寄り難い”という意味だ。
そんな彼の唯一の楽しみは、深夜のインターネット閲覧。
いつくくったか覚えていないゴミ袋を蹴飛ばしながら、くたびれたスーツのジャケットを脱ぎ捨てる。
殆どのスペースが埋まっているテーブルにドサッと置かれたコンビニ袋の中には、500mlのコーラのペットボトルとチーズハムのブリトー、先週発売されたドカ盛ナポリタンパスタ(500g)とサンドイッチ、そしておにぎり各種三個、最後にプリン。
夕飯か夜食かよくわからない程、ダラダラと飯を食いながら続けるネット徘徊は、彼の日々のストレスを発散させる数少ないものだ。
時には古いYOUTUVEの動画を探り、ある時はSNSで気に入らないアカウントの発言に難癖をつけ、またある時はエロ画像や動画を収集する。
もう二十年以上も繰り返して来た、ルーチンワークのような生活スタイル。
自分は孤独だ、もうどんな出会いも、縁にも巡り逢えず、このまま孤独死の道をまっしぐらに進むんだ。
いつしか彼の心には、そんな諦めの想いが芽生えていた。
デスクトップPCの電源を入れると、卓也はブラウザのブックマークから最近のお気に入りのページに飛ぶ。
そこは「みつば@掲示板」という、もう二十年以上経つのにいまだに“生まれたばかりの~”と銘打っている謎の匿名掲示板だ。
そのとあるサーバ内に有志が立てる、特定の話題のスレッドがあり、ここに参加するのが卓也のルーチンになっている。
スレッドの名前は、
“コス集団考察スレ”
本日の前スレはもう表示数MAXの千レスに達したようで、既にPART-2のスレが立っている。
卓也は、前スレのログを漁るところから始め、同時に夕飯を貪り始めた。
このスレッドの趣旨は、だいたい一年前辺りから都内各所で発見されている、“正体不明のコスプレ集団”の目撃情報を基に、その正体や行動目的を考察するというものだ。
勿論、ここに集まる者達はいずれも匿名で、当然素性など知る由もない。
しかし、このスレッドは書き込んだ者のIDが強制的に表示されるようになっているので、少なくとも参加人数の概要は知れるし、自作自演も不可能ではないが若干手間がかかる。
その上、参加者がスレッドの暗黙ルールを遵守しているので、ここでの会話は恐らく今最も密度が高い「ネット上の会議室」の様相を呈している。
と、少なくとも卓也は思っていた。
今日の話題は、先日祐天寺に現れたコスプレ集団についてだった。
目黒区祐天寺の周辺で、トカゲのような巨大なバケモノの目撃例が多発し、当日はSNSがその話題で爆発的に賑わった。
閑古鳥状態だった某有名SNSが、この件で一気にタイムラインを活性化させ、在りし日の賑わいを蘇らせた事でネットニュースにもなった程だが、このスレの住人達の注目点はそこではない。
そのバケモノが人々に襲い掛かろうとしていた時、空から降りて来た赤色とオレンジ色のコスチュームをまとった少女達も、また大きな注目を集めていた。
少女達はすぐに姿を消してしまったが、その後に青とピンクの少女の姿も目撃され、更にはグリーンの少女まで居たという報告もあり、この時の各掲示板やSNSは様々な意味で非常に盛り上がった。
謎のコスプレ集団は、最低でも五人存在する。
そのコスチュームから、恐らく全員女性と考えられる。
特に機械のようなものは装備していないにも関わらず、空を飛ぶことが出来る。
非常に性的な格好をしており、特に下半身の露出がヤバイ。
いずれも姿を現した後、すぐに消えてしまう。
消えたのと同時に、バケモノらしき者の姿も消える。
当初は、事件現場に現れる迷惑系または野次馬系のYOUTUVERかと思われたが、「彼女達に助けられた」「学校のグランドで闘ってるのを見た」などの証言も飛び出し、少なくとも得体の知れないバケモノを始末するために行動しているようだという事は、窺い知れた。
その為、このスレッドに集まる人達をはじめ、世間で彼女達の情報を集めている人達は、コス集団を「何かしらの目的でバケモノの人的被害を抑えているグループ」と認識し始めていた。
今の所、彼女達と会話をした者はいない。
否、居るのかもしれないが、表には出て来ていない。
卓也は今、そんな「謎のコスプレ集団」の存在に人生最大の興味と関心を覚えている。
特に、ピンク色の髪とコスを身につけた少女がお気に入りだ。
実は、コス集団にはそれぞれファンがいるようで、ピンクは特に人気が高い。
以前SNSで人気投票をやっていた者が居たが、それによるとピンク、オレンジ、青、緑、赤の順番で人気が高いらしい。
卓也は、いつかピンクを間近で見てみたいと願っており、その為の情報収集を欠かさないようにと、このスレッド以外にも情報がありそうなコミュニティを回っていた。
(はぁ、ピンクちゃん可愛いよなあ。
あんな格好で目の前に現れたら、たまんねぇだろうなあ~)
ツインテール、程好いサイズの胸、スレンダーな体格、お尻ギリギリの丈のミニスカート、絶対領域。
全てが卓也のツボにハマっている。
そして、何処かで偶然手に入れる事が出来た「顔付きの画像」がまた素晴らしい。
コス集団は、それぞれ顔までハッキリ撮影された画像は少なく、ぼんやりとしたものしかネット上に出回っていないのだが、一枚だけピンクの横顔が明確に写っているものがあったのだ。
動画の一部から取り出した画像のようで、明確と言っても他に比べたらという程度で、鮮明とは言い難い。
しかしそれは、卓也にとっての宝物だった。
おまけに、めくれ上がったスカートからは形のいいヒップも見えている。
もうこれで、熱い吐息を何度吐き出したことだろうか。
(ああ……逢いてぇ、ピンクちゃんに逢いてぇなぁ。
どっかで撮影会とかしてくんないかな? 無理かな?)
既に壁紙はピンクの画像連続で設定、スレッドでも、まず先に「ピンク」で検索し情報を辿る。
しかし今回は、赤やオレンジ、そして時折反響が大きくなる青の話題が中心のようだ。
“警察何やってんだろうな?バケモノの件で何も手を打ってないだろ”
“あの姉ちゃん達警察ちゃうんかい”
“警察があんな破廉恥な制服導入するわきゃあないだろ”
“いつあれが女だと確定した”
“お前はあの丸見え画像を見てないのか?”
“オレンジのデカ乳いいよなあ 挟まれてぇ”
“それより青のケツだろ
乳も最高だけどあのエロケツは抜ける”
“赤は男説あったよな?”
“おまいらピンクの素晴らしさがわかっとらんな”
考察のネタが尽きたのか、流れが変わったところでつい自分の想いを吐き出してしまう。
“SAVE.”が追っているXENOを巡る事件は、世間一般的には「意味不明なバケモノが現れる怪事件」という認識であり、以前から発生している連続猟奇殺人事件との関連性は、今の所考慮されてはいない。
とはいえ、一部の者達は二つの事件に関連を見出しており、事件が発生した現場とバケモノが目撃された地域がほぼ重なるという点に着目している。
そしてこのスレッドの住人も、大半がそのパターンだ。
バケモノの正体は何か?
何かの極秘研究所が生み出した生物兵器が流出したのでは?
それを内々に処分する為の工作部隊がコス集団の正体なのでは?
スレッドの考察の方向性は、だいたいこんなものだ。
しかし卓也は、ピンクはそんな裏のある娘じゃない! きっと人々を護るために真正面からバケモノと闘っているんだ! と、固く信じていた。
根拠など、全くないのだが。
三十分ほどスレッドを眺めるも、今日は取り立てて新しい目撃情報もないようだ。
卓也は食い残していた食料を流し込むような勢いで胃袋に収めると、コーラをグビ飲みして一息吐いた。
「十時……か。居るかな」
卓也は、一旦ブラウザを閉じると、「Misfit」というアプリケーションを立ち上げる。
これは、かつて存在していたインターネット・コミュニケーションツール「Skipe」や「Yapooチャット」などのサービスに似ており、昨今の様々なセキュリティ問題に対応する為にあえて複雑な機能を削除している。
いわば、簡素極まりない専用チャットであり、旧世代チャットツールの復刻版のようなものだ。
近年のZ00Mのような顔見せが前提のシステムではないので、互いの素性を隠したまま会話が楽しめる点が評価されている。
卓也は、こんなものを今更使うくらいなら、あの時のサービスをそのまま継続してりゃ良かったのに……等と、いつも思っていた。
SNSとも連携されており、プライベートルームという特定フォロワーのみが入れるスペースにログインすると、卓也は急にそわそわし始める。
しばらくすると、画面に
“MANAMI 様がログインしました。”
と書かれたウィンドウがインサートされる。
卓也は、表情こそ変えないものの、鼻息を荒げて「よしゃ!」と小さく叫んだ。
「MANAMI」とは、最近ネット上で知り合った今一番会話している相手のアカウント名だ。
“こんばんは、お師匠様。
遅くなってしまいまして、誠に申し訳ありませんでした。”
メッセージウィンドウに、MANAMIからのメッセージが表示される。
「お師匠様」というのは、卓也のことだ。
卓也は、目にも止まらぬタッチタイピングで、MANAMIへの返信メッセージを入力した。
“こんばんは 今日も元気?MANAMIちゃん”
“はい、元気ですよー! お師匠様もお仕事本当にお疲れ様です。
今日も、残業頑張られたのですか?”
“そうだよ けどMANAMIちゃんに逢えるかなと思って頑張った!”
“ありがとうございます! でも、どうか無理はなさらないでお身体を労わってくださいね?”
“こちらこそありがとう 嬉しいよ”
“あ、そうそう聞いてください!
私のお友達に、アニメ好きな方がおられるのですが、お師匠様から教わったお話をしたらとても興味深そうでしたよ!”
“アニメの話って何の奴だっけ”
“宇宙戦士パロディオスという作品ですね。
最終回が「前編」で終わったという。”
“ああ あれか! あんな話が受けたの?”
“はい、そうなんです!
その方は知らなかったみたいで、凄く観たいって興奮されてましたよ。
普段はとっても大人しくて清楚な方なんですが。”
“え
その人も女性なの?”
“はい、そうなんです! とってもお綺麗で優しい方なんですよ。”
もしかして、勧誘の手口?
卓也の猜疑心が疼く。
MANAMIはインターネット初心者だと言っていたが、どうやらPC操作も全然のようだ。
キータッチは非常に遅く、向こうの反応を待つ間に、こちらは三~四くらいの長文レスポンスがいける。
最初の頃は、いちいち待っていられなくてどんどん書き進めて行ったのだが、最近はだんだん向こうのスピードが分かって来たので、しばし待つ余裕が生まれる。
出会って、そろそろ二ヶ月だろうか?
最初はコス集団考察スレ参加者の募集で導入したアプリだったが、今ではそっちの部屋には殆ど参加していない。
それより、偶然「Misfit」内で知り合ったMANAMIとの会話が今のメインだ。
MANAMIIは、ここ数ヶ月ろくにログインしていなかったSNSのTL上に突如姿を現した“自称・元メイドの女の子”だ。
手当たり次第にフォローしまくっているのか、何の交流もない筈の自分をいきなりフォローしてきた。
しかも、ご丁寧にフォローした人全員に挨拶の書き込みを行っている。
物凄く真面目な人物だな、とは思ったが、卓也が真っ先に疑ったのは、
コイツ、本当に女なのか?
という点だった。
ネット上で、女性だと思って会話していたら実は男で……というパターンはしょっちゅうだが、その逆はない。
その為、卓也も古くからネット上に存在する“ネット上に女性などいない。女性を自称している連中は一人の例外もなく全てネカマだ”という概念を、割と本気で信じていた。
しかしこのMANAMIだけは、そういう気がしない。
本人は、つい最近までインターネットを全く使ったことがないという嘘くさい自己紹介をしていたが、話をするにつれ、割とマジなんじゃないのかなと感じ始めている。
だが逆に、それ故に教えを請われることが多く、卓也はこれまでもMANAMIに様々な知識を伝えてきた。
「お師匠様」という呼称は、そこから来ている。
アカウント名もそれにちなみ、今では「TAKU@師匠」と変えている。
“お師匠様が来られたという通知が来ましたので、ログインしてみました。
ですが、申し訳ありません。
明日も朝が早いので、あと三十分くらいしか居られません。”
MANAMIは毎朝五時起きとの事なので、就寝が早い。
それでもギリギリまで自分に付き合ってくれる気持ちが嬉しかった。
いや、ホッとしている場合じゃない。
今日は、どうしても伝えなきゃならない事があるんだ。
“あのさ、実はお願いがあるんだけど”
“はい、なんでしょうか?”
ここまで書いたところで、指が止まる。
次のキーが、打てない。
(あああ慌てるな、俺!
MANAMIが本当に女の子のわけがないんだ!
そもそも女がこういう形でネットやってるわきゃないんだ。
いいか、確かめるんだ。確かめるだけなんだからな!)
意を決して、卓也はいよいよ一歩踏み出す事にした。
“MANAMIちゃんがよければ、近いうちに、一度逢わない?”
文章を書き込み、ENTERキーを押……そうとして、押せない。
心の中で、何かがブレーキをかけている。
MANAMIがもし出会い系の業者なら、なんだかんだ理由をつけてこの申し出には乗って来ない。
否、乗れる筈がない。
相手が女性のサクラだった場合でも、同様だ。
まずステップの第一段階として、自分を怪しいサイトに誘導してくるだろう。
つまり、ここからの反応で、MANAMIの正体が窺い知れることになる。
MANAMIのことを疑いながらも、心のどこかでホンモノの女性であることを願って来た。
しかし、いざ実際にその可能性が高まると、女性への免疫が皆無な卓也は、もはや戸惑う以外何も出来ない。
卓也は、何故か唐突にコーラを掴むと、グビグビとラッパ飲みし始めた。
“お師匠様、どうされました?”
こちらのレスポンスが長時間途切れたせいか、MANAMIが心配するような書き込みを行う。
卓也は、それを否定する書き込みをしようとして、ついうっかり、ENTERキーを押してしまった。
メッセージウィンドウでスタンバイ状態だったメッセージが、飛んでいく。
(あ)
お誘いの文章は、見事にMANAMIに伝わってしまった。
“光栄です! 尊敬するお師匠様とお会い出来るなんて、素敵です!”
まさかの反応。
MANAMIは、信じられないくらいあっさりと快諾してしまった。
えっ、いいの?
キモオタの俺と? マジで?
“あの 本当にいいの?”
“勿論です! 私、お友達が少ないのでとても嬉しいんです!”
いよっしゃあああああああああ!!!
予想外の展開に、卓也のボルテージは一気に高まる。
思わず、隣の迷惑を考えずに大声を上げてしまった。
卓也の都合を考えてくれたMANAMIは、明日の土曜日の午後で待ち合わせを希望して来た。
本来であれば、いかにも勧誘臭い振りであり、普段の冷静な卓也なら警戒するところだ。
しかし、MANAMIと逢えるという現実に心が支配され、もはやそんな事は微塵も考えていない。
“あ でも俺 ものすごく冴えない奴だけど大丈夫?”
“どういうことでしょう?”
“なんつうか 女性と会うのに相応しい服を持ってないっていうか”
“私は、そんな事気にしませんよ!
それに私も、そんなにお洒落な服は持っておりませんから”
“そうなの?”
だったら普段着でも全然OKじゃん! と、駄目男特有の思考に傾く。
普通なら、ここで何を着ていくべきか、全体のコーデをどう整えるかといった方向性に考えが向くべきなのだろうが、悲しきかな卓也にはそんなスキルは欠片もない。
時間は午後一時、場所はJR四ッ谷駅の近くにある、若葉東公園、迎賓館前。
MANAMIの最寄や都合も聞かず、卓也は自分の活動圏内を躊躇わず選択した。
しかしMANAMIは、文句や意見一つ言わずに快諾。
話は、トントン拍子で決まってしまった。
“じゃあ俺の携帯番号教えるから”
“申し訳ありません!
実は私、携帯電話を持っていないんです”
(え? マジで?)
一瞬目を疑ったが、インターネットどころかPCすらも触った事がなく、最近になって知り合いからようやく教わったというくらいだから、ありえなくもないか……と、無理矢理自分を納得させる。
“俺は黒のブルゾンに黒のズボン穿いてて頭に赤いバンダナ巻いてるから
たぶんすぐ判ると思うよ”
“承知いたしました。
それでは、明日はよろしくお願いいたします。
おやすみなさい、お師匠様。”
“おやすみなさい”
“MANAMI 様がログアウトしました。”
時計を見ると、十時半近くになっている。
どうやら、本来ログアウトすべき時間を延長してまで付き合ってくれたようだ。
卓也はMANAMIに深く感謝しながら、明日に備えて早寝――をするわけでもなく、再び例のスレッドに戻った。
“そういや東陽町の辺りでバケモノ見たってツイートがあったな”
“マジ?俺まさにそこに住んでんだけど!”
“何型? 何型?”
“今度のはでっかなニワトリみたいな奴だって話だ
写真もあったけど不鮮明だな”
“被害はまだ出てないみたいだね”
新しい話題が出たようで、別な意味で卓也のボルテージがまた上がる。
考察スレは、新しい情報の考察に入り、どんなバケモノが何処で何をしようとしているのか、コス集団は現れるか、確認しに行くなら何処が相応しいかといった話題で盛り上がりを見せ始めた。
そして卓也も、その後午前二時になるまでスレッドに張り付き続けた。
翌日、午後二時。
卓也は、自宅のマンションを出た。
待ち合わせ場所までは、だいたい十分くらいで行ける筈だ。
起きてからまだ二時間、身だしなみも適当に、使い込んだ上着を羽織り愛用のリュックを背負う。
幸いにも、今日は晴天で雨が降る様子もない。
人生初のデート……ということに、脳内ではいつの間にか変化している。
しかし、時間の勘違いには、まだ気付いていない。
若葉東公園、迎賓館前に到着するが、周囲を見回してもそれらしき人物は見当たらない。
待ち合わせをしていると思しき人は何人かおり、女性もいるのだが、卓也に話しかけて来る人はいない。
それどころか、自分をチラ見し、顔を背ける人までいる。
(おかしいな、まだ来ていないのかな?)
卓也は、公園を突っ切る大きな路の端に寄ると、暇つぶしにスマホで例のスレを覗くことにした。
すると、スレッドが異様な速度で伸びている事に気がつく。
(え? 何かあったのか?)
慌ててスレを辿ると、どうやらつい先程、東陽町に例の鶏型のバケモノが現れたらしい事がわかる。
しかも今回は被害者が出ており、現場は大混乱状態のようだ。
スレ住人の有志の何人かは現場へ向かっているとのことだが、ここまでの話だと、既にコス集団は現場に到着しているようだ。
はじめに赤とオレンジが駆けつけたとの事だが、まだ消えることはないらしい。
しばらくスレを見ていると、現場に駆けつけた有志の報告により、より詳しい情報がアップされた。
どうやらその後、ピンクと青、緑のコスプレ集団が追加で現れ、その途端にバケモノを含めて全員その場から姿を消してしまったという。
警察もやって来たようだが、結局何も出来ず、現場の隔離を行っているだけのようだ。
ピンクが現れたと聞いて、卓也は今すぐ東陽町に行こうかと考えるが、駅方面に走り出そうとしてはたと気付く。
……MANAMIとの約束あるじゃん!
卓也は、今すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑えに抑え、MANAMIの到来を待ち続ける事にした。
もしかしたら、MANAMIは自分を釣る為の誰かのイタズラで、俺はそれにまんまと乗せられたのかもしれない……という気分になってくる。
しかし、「Misfit」での彼女の態度は、どう考えても嘘とは思えない。
卓也は、もはや薄まってしまった希望にすがり、もう少しだけ待ってみようと思い立つ。
自分が一時間以上も待ち合わせ時間に遅れていたという事には、最後まで気付くこともなく。
午後三時。
まだ、誰も自分に声を掛けてくる者はいない。
午後四時。
さっきまで周りにいた人達も既に居なくなり、自分だけが残っている。
迎賓館の門に立つ警備員も、怪しいものを見る目でこちらを睨んでくる。
午後五時。
既に三時間も待ち続けたが、MANAMIは来る気配がない。
泣き出しそうな気持ちを抑えながら、卓也は「またか……」と寂しく呟く。
空の色が紅色に染まり始め、夜の帳が下り始めた頃。
周りの人々が、突然驚きの声を上げた。
つられて、彼らの視線を辿る。
彼らは皆、空を見上げていた。
「なんだあれ?」
「人間? 空飛んでる?」
「女の子か? 宇宙人? 幽霊?」
見上げた卓也は、目を見開き、あんぐりと口を開けた。
空に浮かんでいたのは、ピンク色の髪と衣装の、あのコスプレ集団の一人だった。
間違いなく、あの画像に写っている人そのものだ。
卓也は、まるで夢でも見ているような気分で、ピンク色の少女を見上げた。
夕焼けの空でもはっきり姿がわかるその少女は、ゆっくりと降下し、なんと卓也のすぐ目の前に着地した。
一瞬まくれ上がったスカートを手で押さえると、ピンクの少女は、何故かとてもせつなそうな眼差しを向けてくる。
その瞬間、卓也は、気付いた。
少女の右肩が大きく砕け、中から機械が露出している。
布製と思われたバタフライスリーブは、まるで金属のようにひび割れており、所々でスパークしている。
言葉を失った卓也は、目の前に立つ不思議な少女の姿を、しっかりと目に焼き付けようとした。
想像を絶する美しさ。
若さと可愛らしさを兼ね備えた美貌。
整ったスタイル、そして輝くような姿。
それはどれを取っても、卓也の意識を釘付けにしてしまう。
呆然としている卓也に向かって、ピンク色の少女は、突然深々と頭を下げる。
困惑する卓也をよそに頭を上げると、少女は軽く膝を曲げ、一気に空へとジャンプした。
やがて光輝き、少女は、あっという間に空の彼方へと飛び去ってしまった。
ほんの僅かな時間の、不思議な出来事。
卓也は、少女が消えた後もしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
“俺ピンクを間近で見たぞ!すげー可愛かった!今まで見た女の誰より可愛かった!”
“マジかよいくつくらいだった?”
“嘘松乙”
“いや待てSNSで書き込みあるぞ
迎賓館前か?誰かと向き合ってる写真あるわ”
“うpキボンヌ”
“自分で探せ
迎賓館で即ヒットだ”
“マジな話かよ!
スレ主GJだな!顔晒されてるけど”
“マジかよ!”
その夜、コス集団のスレッドは非常に盛り上がった。
最初にスレを立てたのは、卓也だった。
自分が立てたスレが爆発的に盛り上がるという経験は初めてで、卓也の承認欲求は非常に満たされた。
だが、まだもやもやした気持ちが残る。
結局MANAMIは何者だったんだろう?
それに、あのピンクの女はどうして俺の前に?
既に頭がピンクの少女に向いてしまった卓也は、MANAMIは自分をかつごうとしたか、実物を見て逢うのを拒絶したのだと判断した。
実際、挙動が怪しい女性が何人か居たので、恐らくそのどれかがMANAMIだったのだろうと納得する事にする。
いつものことだ、気にするな……
そう自分に言い聞かせた卓也は、「Misfit」に通知が届いている記録を発見する。
慌ててログインするが、自分以外は誰も入って来ていない。
通知は、MANAMIからのものだった。
“お師匠様、大変申し訳ありませんでした。
一時間以上待っていたのですが、急用が入ってしまい戻らなければならなくなってしまいました。
お会い出来なくて本当にごめんなさい!
次からは、こんな事がないように充分注意いたします。
またログインした時は、楽しいお話を教えてくださいね。”
卓也は、慌てて夕べのログを辿り、自分が大幅に遅刻していた事にようやく気付いた。
それにも関わらず、MANAMIは待っていてくれたのか! と、申し訳ない気持ちに苛まれる。
でも、携帯を持っていない筈のMANAMIが、どうして急用なんて気付けたんだ?
と、オタク特有の疑り深さが発動する。
結局、MANAMI がどういう目的で何をしようとしたのか、卓也には最後まで理解が及ばなかった。
「確かにそんなのあったなぁ」
「でしょ? 同じ頃に別なヤツもあったじゃない?
なんつったっけ、あのなんか、惑星みたいな名前のヤツ」
「サターン、か?」
「そう! それそれ!!
うちにはそっちがあってさぁ」
「我が家はPS1の方だったな」
「おっ、二人とも、何の話っすか?」
「お疲れアッキー!
子供の頃に持ってたゲーム機の話だよ」
「ゲームっすか?
懐かしいっすね! ガキの頃なら俺、WiiとかDSやってましたよ!」
「俺が高校の頃だ……」
「ね、年齢差」
「二十年くらい経ってるんじゃないっすかね。
もうすっかりレトロゲームって感じっすよねぇ」
「その調子じゃ、PS1とかサターンは、もはや化石の部類だな」
「あ、勇次さんそれ知ってますよ!
据え置き機の黎明期のヤツっすよね?」
「れ……」
「今川さん、それは違いますよ!」ベベーン
「え、ま、愛美ちゃん?!」
「いつの間に来たんだ、お前は?!」
「で、違うって何が?」
「はい、据え置き機……コンシューマーゲーム機の事と思いますが、黎明期はもっと古いです。
PS1やサターンよりも二十年くらい昔になります」
「え?! 二十年?!」
「1972年のオデッセイから始まって、ホーム・ポンやテレビテニス、ブレイクアウトのような、ハードとソフトが一体化したものから始まって」
「ほえ?」
「70年代後半に一度衰退期を向かえ、その後にROMカートリッジ交換型のゲーム機が出始めます。
チャンネルFとかアタリ2600や5200、インテレビジョンなどが代表的なものですね。
日本の代表的なゲーム機、ファミリーコンピューターですらもっと後で――」
「ま、待て待て待て!
私ですら聞いたことない名前ばかりだぞ?!」
「ちょ、マナミ、なんでそんなに詳しいの?!」
「ここまででやっと70年代。80年代に入ると――」
「あ、あの、ちょっと? 愛美ちゃん?」
「誰だ、この子に余計な知識を植え込んだヤツは?!」
「私の“お師匠様”から教わりました!」
「「「 お師匠様?! 」」」
今年もご閲覧くださり、本当にありがとうございます。
2024年も、どうぞ引き続きよろしくお願いいたします!




