第39話【両親】3/4
更に翌日の午後二時。
凱は、ナイトシェイドに乗って単身とある場所へ向かっていた。
江東区枝川二丁目。
工場や中小企業と住宅が入り混じった、とても落ち着いた海に近いエリア。
枝川橋東交差点を抜け、住宅街に入ったナイトシェイドは、とある白い壁の家に辿り着いた。
表札に記された名前は、「猪原」。
車から降りた凱は、サングラスを外すと、躊躇うことなくインターホンを押した。
しばらく後、通話が繋がった音を確認すると、凱は相手より先に呼びかけた。
「恐れ入ります。先日連絡いたしました、北条と申します」
インターホンからは、何の返答もない。
だが、しばらくしてドアの鍵が外される音が聞こえて来た。
顔を覗かせたのは、顔色の悪い細面の中年男性だった。
「お待ちしていました、どうぞ」
「はい、失礼いたします」
想定以上に、スムーズに招き入れられる。
玄関のドアが閉じたのを合図に、ナイトシェイドは、ひとりでに走り出した。
猪原家では、リビングにもう一人、女性が待っていた。
それが中年の妻であり、かなたの母親だろうことは直ぐに見当が付く。
彼女もまた生気のない表情で、やや疲れた顔を向けてくる。
軽く会釈をして、勧められた椅子に腰掛けると、凱は名刺を取り出し、二人に差し出した。
そこには「株式会社LOADRING」営業二課課長・北条凱、と記されている。
「あの、娘のかなたについて、情報をお持ちと伺ったのですが」
「どのような情報でしょうか、襲えていただけないでしょうか」
挨拶を交わすよりも早く、夫妻は本題を切り出して来る。
凱は、リビングの端にいまだに置かれている「子供用の本棚」やかばんなどを視界の端に見止めると、軽く頷いた。
「その前に、一つお約束をして頂きたいことがございます」
凱は、そう言いながら一枚の書類を取り出す。
そこには、表題に「誓約書」と書かれている。
「誓約書……これはいったい?」
「守秘契約書です。
これからお話することは、弊社の企業秘密に大きく抵触する内容となりまして。
大変申し訳ありませんが、まずはこれからお伝えする件について、決して口外されないように、とお約束願いしたいのです」
書類の説明を聞いて、夫妻は少々退き気味だ。
そんな二人に、凱は話を続ける。
「私共は、とある事情から、かなたさんご本人との接触に成功いたしました」
「えっ?!」
「かなたに、会われたんですか?!」
「はい、証拠もお持ちしています。
事情を説明する前に、まずは――」
そう言ってタブレットを取り出そうとした時、突然、夫が立ち上がり凱の胸倉を掴んで来た。
「お前……! お前が、かなたをさらったのか!」
「あなた、止めて!」
今にも殴りかかりそうな態度だが、夫の拳が振り上げられることはない。
それを察した凱は、無抵抗かつ冷静なまま、更に話を続ける。
「落ち着いてください。
娘さんのご要望で、お二人を直接お連れしたいと思ったので、今回訪問させて頂いたんです」
「えっ」
「まず、これを見てください」
そう言うと、凱はタブレットでとある映像を映し出す。
先日、アンナミスティックが保存した動画だ。
やや見上げるような角度で、一人の少女が、こちらを向いている。
『このまま喋ればいいの? お姉ちゃん』
『うん♪ そうだよー!』
『じゃあ、喋るね!
えーと、パパ、ママ、見てますかぁ?
かなたでーす!
元気にしてるよー♪』
タブレットの映像に、夫婦は目を剥いて見入る。
そして顔を上げると、信じられないといった面持ちで、凱の顔を見た。
『えっとぉ、かなたはぁ、パパとママと、早く逢いたいです!
逢いに来てください、待ってまーす!
きっと来てね、待ってるからね~!』
『もういいの、かなたちゃん?』
『うん、なんか照れくさくって♪』
「か、かなただ……本当に、かなただ!」
「こ、これは! いったい、何時何処で撮影されたのですか?!」
「かなたは、今はもう高校生くらいの筈だ!
どうして子供の頃の動画など――」
「それについて、詳しく説明します。
ですが、まずは先程の書類にサインを。
これが、唯一の条件となりますので」
「……」
夫は、渋々書類を取ると、内容を読み込む。
続けて妻も目を通し、目配せした後、ペンを取った。
「念のため、金銭目的での契約などでは一切ありませんので、ご安心ください」
「サインはした。
それじゃあ、娘のことについて教えてくれ」
突然態度が豹変した夫と、申し訳なさそうな顔でそれを見つめる妻。
その態度に何のリアクションも示さず、凱はビジネスライクに淡々と語り出した。
動画は、つい先日撮影されたものであること。
かなたは、行方不明当時の姿のままであること。
こことは異なる並行世界に迷い込んでしまい、脱出することも、させることも困難なこと。
今は男性と一緒に、平和かつ健康に生活していること。
そして、自分達はその世界に渡ることが出来ることを、説明した。
「――おおまかな説明は、以上です。
私自身、かなたさん達と会ってお話しましたが、お二人にとても逢いたがっております。
どうか、私達と共に並行世界に渡って、かなたさんに逢ってあげて欲しいのです」
「かなたが、まだ、子供のまま……?」
「どうして、どうしてそんな?!」
「それについては、私達も詳細はわかりません。
かなたさんとの出会いは、本当に偶然だったのです。
ただ、その出会うきっかけに、弊社の企業秘密が関わっておりますので、今回このようなお願いもする必要がありました」
「……」
まだいくらか疑問が残っているといった雰囲気だが、おおむね凱の言う事を受け入れようとしているようだ。
タブレットを二人に預けると、夫婦は何度も動画をリピートし、やがて涙を浮かべ始めた。
「尚、かなたさんの居る世界の滞在限界時間は、一時間だけとなります」
「い、一時間?! そんな少しなのですか?」
「連れて帰ることは出来ないのか?!」
二人の言葉に凱は首を振り、その理由を説明した。
まだ納得が行かない様子だったが、それでも、それ以上大きな反論はして来ない。
「もうまもなく、私達は再度、向こうの世界へ転移します。
宜しければ、お二人とも、ご一緒にどうでしょうか」
「え、今からですか?!」
突然の申し出に、夫婦は戸惑う。
この急な話には、凱なりの考えがあった。
もし、考慮する時間を与えてしまった場合、夫婦は凱に対する猜疑心を高め、警察や第三者に通報してしまうかもしれない。
そうなってしまうと、もはやかなたの願いを叶えてやることは不可能だ。
だからこそ、彼らが決断をする前に引っ張り出す必要がある。
(これ、完全に詐欺師の手口まんまなんだが……そんな事、言ってられねぇからな)
「ここからは、もう信じて頂くしかありません。
かなたちゃんは、ご両親に逢いたいと泣いていました。
ご不安な点があることは、重々承知です。
ですが――お願いします」
「――わかりました」
しばしの沈黙を破り、返事を返したのは、妻だった。
「待てよ、こんな話、絶対におかしいよ!
だって、もう十年も経ったんだぞ?! それなのに――」
「だったら、私一人だけでも行くわよ!
それなら問題ないでしょう?」
「何言ってんだ、一人で行かせるなんて、出来るわけないだろう!」
言い争いを始める二人に、凱が無理やり割り込む。
「お二人の安全は、必ず保障いたします。
その点は、どうかご安心を」
「う……うう……」
五分ほどの長い沈黙の後、夫の方も、やむなしといった態度で同行を決意した。




