第37話【異界】3/3
午前11時、東京中野区弥生町二丁目・本郷通り。
その上空に辿り着いた五人は、インヴィジブルビジョンで姿を消した状態のまま、すぐに目標のマンションを発見した。
「よーし、じゃあ行くね!
――パワー・ジグラットっ!」
アンナミスティックが左手で印を結び、それを道路に向かって翳す。
“Power ziggurat, success.
Areas within a radius of 500 meters have been isolated in Phase-shifted dimensions.”
一瞬視界が青白くなるが、すぐに元に戻る。
行き交う人々や車、バイクなどの姿が消滅し、辺りは、小鳥の鳴き声すらしない程の完全な静寂に包まれた。
「もういいよぉ!
じゃあみんな、がんばっていこー!」
アンナミスティックが気合の声を上げ、ローグだけが腕を挙げて応じる。
マンションは、鉄筋コンクリートの七階建て。
通りに面した向かって左手側には大きな自動ドアがあり、ここがマンション全体の玄関のようだ。
一階中央には大きく開口した駐車場入り口があり、右手には駐輪場がある。
黒い鉄柵状の扉に覆われたドアの向こうには、エントランスが広がっている。
一度ここに入り、それから各階に移動するという、スタンダードな構造のようだ。
少女が居たのは、二階だ。
マンションの入り口は、特に何の問題もなく自動ドアが開き、中に入ることが出来た。
左手にある管理人室の窓から中を覗くが、誰の姿もない。
少々古い造りではあるものの、上品なレイアウトでまとめられたエントランスは高級感が漂い、かなり凝ったものだ。
右手側通路の先にはエレベーターがあるようで、覗き込んだアンナミスティックが、両手を広げて何かを伝えようとしている。
周囲をきょろきょろ伺いながら、メンバーは恐る恐る奥へと進んだ。
「この前の廃墟マンションみたいにさ、突然ユーレイとか出て来たりしてな♪」
「ヒィ! じじじじ、冗談は止めなさい、ブレイザー!」
「こんなんで真っ青になってて草生える」
「仮に幽霊が本当に居たとしても、ここは異世界ですから、さすがに存在していないのではないでしょうか?」
「そ、そそそ、そうよね~、ウィザード!
あなたの言う通りだわっ!
そうよねぇ、そうよねぁ~♪」
「あのー、その件なんですけど。
実はこの前、未来さんの後」
「やめてローグ! 何も喋らないでっっ!!」
「ねーねーみんなぁ!
早く二階に上がろうよぉ!」
奥にある階段で待ちくたびれたアンナミスティックが、頬をぷぅっと膨らませながら呼びかけてきた。
マンション内にエレベーターがあり、通電もしているようだったが、五人はあえて階段で移動することにした。
二階に上がると、通路を挟んで片側四部屋、併せて八部屋分のドアが並んでいる。
「さて、と。
一軒一軒声かけていくしかねーのかな」
ふぅ、と息を吐きながら、アンナブレイザーが呟く。
「ここは基本的に誰も居ない世界ですし。
呼び鈴を押して、ごめんくださーい、と言っても、応じてくださるでしょうか?」
「こんにちはーっ!」
ウィザードが言い終わるよりも先に、奥の方から元気な声が響いて来た。
アンナミスティックが、先行で呼び鈴を押しに向かっていたのだ。
「あわわ! ミスティック、行動早すぎです!」
「えー? だってぇ、時間ないんだよ?
だったらぐずぐずしてられないしー」
「そ、それはそうですけど」
「それに、あの子が居た部屋、ここだよ?」
「え? そうなんですか?」
アンナミスティックとローグが、ドアの前で問答する。
しかし、案の定、ドアの向こうから反応はない。
これがきっかけになり、五人は手分けして各部屋の呼び鈴を押してみることにした。
――どの部屋からも、反応は、ない。
階を間違えた可能性も考慮し、もう一度映像を確認するが、少女は間違いなく二階のバルコニーに居る。
「ということは、もしかして、色んな建物を行ったり来たりしてるのかな?」
アンナミスティックはそう呟くと、パワージグラットのユーティリティをモニタ内で展開し、確認する。
「こりゃあ、のっけから躓いたな。
おいパラディン、どーする? なんかいい手はない?」
「そうね、こういう時は――ねえ、ミスティック、あなたならどうする?」
ふと、何かに閃いたような顔で、アンナパラディンはミスティックに尋ねる。
「ふえ? えーっと、そうだねえ。
じゃあ、こういうのはどうかなー」
廊下の端にある避難用非常口を開き外に出ると、アンナミスティックは、ふわりと外に飛び出した。
しばらくの間を置き――
『すみませぇ~~~~ん!!!
こちらにお住まいの方、どなたかいらっしゃいませんかぁ~~???』
物凄く大きな、恵の声が響いて来た。
「ひえっ?! み、ミスティック?!」
「す、スピーカーの音量を、最大にしたんです!」
「スピーカー?! 何時の間にそんなもん持ち込んだの?」
「ブレイザー、私達のこの声、スピーカーを通して出ているのよ?」
「え? あ、そうか! これ、アンナユニットだもんなあ」
その後、アンナミスティックは五回ほど大声で呼びかけてみた。
しかし、案の定、反応らしきものはない。
このマンションだけでなく、他の建物からも、誰かが顔を覗かせることもなかった。
――が。
「えっ?!」
突然、アンナローグが右耳を手で押さえた。
「どうされました、ローグ?」
傍に居たアンナウィザードが、心配そうに尋ねる。
ローグは、驚愕の表情を浮かべ、虚空を見つめていた。
「音が――聞こえます。
これは……車の音?」
「「「 ええっ?! 」」」
「何ナニ? ローグ、どうしたのぉ?」
少し離れた場所にいたアンナミスティックが、不思議そうな顔で呼びかける。
アンナローグは、ある方向を指差しながら恐々答えた。
「あっちの方向……えっと、青梅街道方面、というのでしょうか?
そちらから、車の音が――」
「えっ?」
そう言い終らないうちに、マンションの左手方面から、確かに何かの走行音が響いて来た。
やがてそれは徐々に大きくなり、静かな街中に反響し始める。
数分後、一台の黄色いSV車が、こちらに向かってやって来た。
「おいおいおいおい……マジかよ」
「ほ、本当に、自動車が」
「ふわぁ」
「わーい☆ やっぱり、住んでる人いたんだねっ!」
大喜びするアンナミスティックとは対照的に、呆然とする他の四人。
車は、コンビニの手前辺りでキッとブレーキ音を鳴らし、停車する。
運転席から降りて来たのは、一人の少女――ではなく、細身の中年男性だった。
男性は、目を剥きながら五人を見つめていたが、やがて頬を赤らめ、少し視線を外しながら話しかけてきた。
「あの、あなた方も、もしかしてこちらに?」
「あ、はい。
実は私達は――」
「こんにちはー! 初めましてぇ☆」
アンナパラディンが話し出すよりも早く、アンナミスティックがホバー移動して男性のすぐ前に立った。
「ひっ?!」
「私達、普通の世界から来たんです!
おじさんは、この世界の住人さんなんですかぁ?」
顔をぐいっと近づけながら、中年男性に無邪気に尋ねる。
だが、その美しい顔立ちで迫られたせいか、或いは大きく開いた胸元のせいか、男性はかなり話し辛そうだ。
「あ、あの、すみませんが、ちょっと近すぎで」
「にゅあー☆ ごめんなさい!」
アンナミスティックがそう言って数歩下がった瞬間、車の助手席のドアが開いた。
「あーっ! あの時のお姉ちゃんだぁ!」
「へ?」
その声は、小さな女の子の明るい声。
アンナミスティックは、思わず凝視した。
「あっ! 居た!」
「あの子は!」
「本当に、いらっしゃいましたね!」
「おおお、遂に、感動の出会い!」
後ろに控えている四人が、感嘆の声を上げる。
車から降りて来たのは、アンナミスティックの映像に映っていた、あの少女だった。
「すごーい! お姉ちゃん達、カッコイイ!」
少女は、アンナセイヴァーを見て、ぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んだ。




