第37話【異界】2/3
そこには、確かに“少女”が映っていた。
茶色い壁で覆われたバルコニーの隙間から、顔を覗かせてこちらを見つめている。
初見時は、まるで「心霊写真の幽霊」のようにも思えたが、少女はしきりに動いてこちらを見ようとしているようで、最後はバルコニーの壁の上からひょこっと顔を覗かせた。
それはどう見ても、普通に生きている人間にしか見えなかった。
「ほら! 居たでしょ?
メグ、嘘つかないもん!」
「わ、わかった、わかったよ、メグちゃん。
疑ってごめん!」
「うん☆ いいよぉ♪」
「ちょおっとお、ユウジ!
これはいったいどういうこと?」
途中から参加したメカニック班リーダーが、あと数センチというところまで顔を近づけ、勇次に凄む。
彼女の名は、ティノ北沢。
金髪のボブカットとはっきりとした目鼻立ち、そして筋肉質な整ったボディが特徴だ。
いかにもメカニック担当といわんがばかりのツナギを身にまとい、少し機械油の匂いを漂わせている。
愛美とありさは、彼女とはこれが初対面だった。
「待て、ティノ!
マルチバースフェーズは、レベル1の設定のまま変わっていない筈だ!
人が、いや生き物が居る可能性など、考えられない」
「でも、実際に居るでしょうが。
あんた、深いフェーズまで入り込むようにこっそり弄くったんじゃないの?」
「いや待ってティノっちさん。
何か別なものが女の子に見えただけかもだし、ここは一旦調査した方が」
「その“別な何か”が居るなら、それはそれで調査せにゃならんだろうが」
「あ、そっか」
地下迷宮の中枢スタッフ達が、何やら専門用語を並べ立て、議論を始めてしまう。
凱とアンナセイヴァーの五人は、そんな彼らを無視して、全く別な話をしていた。
「パワージグラット」とは、アンナミスティックだけが持つ特殊能力で、XENOとの戦闘時、周辺被害を抑えるために“戦闘空間を丸ごと並行世界へ転送・隔離する”技術だ。
この世界には生物は一切居ないため、破壊行為は現実世界に全く影響しない。
たとえ東京スカイツリーをぶち折ったとしても平気なのだ。
その筈、なのだ……
「ねえお兄ちゃん。
この子、本当に人間の女の子なのかなあ?」
少し不安げな表情で、恵が尋ねる。
誰も居ない筈の世界でたった一人なのだとしたら、いったいどんな寂しい生活を送っているのだろうか。
そんな事を考えてしまった。
「それはわからないが……
もし、パワージグラットの並行世界に人が住んでるとなると、今までみたいな無茶な戦闘は出来なくなるな」
反応する凱に、未来が補足を加える。
「それに、せっかくXENOを隔離したのに、それで異世界の住人が被害に遭うなんてことになったら、私達の活動の意味が失われるわ」
「だよなあ。
誰も居ない世界だからこそ、無茶やれるんだし」
ありさが、頬杖を付きながら呟く。
「そうだよね。
もし、あの子や、他に住んでる人が居たら迷惑かけちゃうもんね~」
「このままでは、戦闘の際にパワージグラットが使えなくなっちゃいますね。
それは大変にまずいです」
困り顔の恵と舞衣に、横に座る愛美が提案した。
「そのことなんですけど、それならいっそ、この女の子に会いに行きませんか?」
予想外の提案に、五人は目を丸くする。
「愛美ちゃん、それ、どういうこと?」
「えっとですね。
この女の子が本当にあの世界で暮らしているのなら、当然異世界について詳しく知っていると思うんです」
愛美の発言に、舞衣がハッとした顔で反応する。
「そうですね! なら、あの女の子と話すことが出来れば」
「はい! あの世界の状況がわかるし、もしかしたら、戦闘に使える場所やそうでない場所を知ることが出来るかもしれません」
「一理あるわね。
ありさ、あなたはどう思う?」
目を閉じながら、未来が尋ねる。
「やってみる価値はあるかもしれねーな」
「うん、メグも、一度あの娘と話してみたいの!
ねーねー、どうすればいいかなあ?」
第一発見者も、愛美の意見に賛成のようだ。
腕組みをしながら話を聞いていた凱は、横でワーワー言い合っている三人を横目で見つめ、ため息を吐いた。
「ねえ、お兄ちゃあ~ん」
何故か猫なで声になり、凱の腕に抱きつく恵。
上目遣いで見上げると、甘えるような声で懇願し始めた。
「ねぇ~、もう一回、あの場所に行ってみてもいいでしょ~?」
「え、XENOとか関係なしに、ってこと?」
「うん、そう!
ねぇ~、いいでしょお~? お願い~」
「う、う~ん……俺はいいと思うけど……」
「お願いしてぇ~♪ ねぇねぇ」
「わ、わかった、わかったから頬ずりすんな!」
周囲などおかまいなしに、恵は身体を密着させて凱に迫る。
はたから見ると、それはもう兄に甘える妹という領域を越えた行為にすら思えた。
愛美とありさは頬を赤らめ、未来はあえて視線を外す。
そして舞衣は――
「メグちゃん! 皆さんの前ですよ、わきまえなさい!」
「ええ~。だってぇ、お兄ちゃんに最近甘えてないんだも~ん」
「おうちに帰ってからにしなさい!」
「は~い!」
珍しく、顔を紅潮させて怒る舞衣。
しかし他の三人は、「おうちに帰ったら、続きするんだ」と、全く同じ思いを抱いていた。
「そうだな、とりあえず今日は一旦解散しよう。
具体的な行動については、明日以降アイツらと一緒に考えてみるわ」
「お願いね、お兄ちゃん!」
「はいはい、わかったわかった。
ってコラ! 膝の上に乗るなっ」
「え~? 抱っこもだめぇ?」
「メグちゃん、降りなさい!」
「ぷぅっ!
おうちだといつもOKなのにぃ!」
「ちょ、おま……!!」
何とか恵に膝から降りてもらおうとする凱に、たしなめる舞衣。
愛美達は、あえて彼女達の方を直視しないようにした。
(家だといつもあんな事されてるのですか……)
(ねえ、メグって、本当に凱さんの妹なん?
本当は彼女とかじゃないの?)
(私も、前からそうなんじゃないかなって思ってました)
(あの三人の関係は、ちょっと特殊だから……ああいうもんだと思って)
(ああいうもの……意味深すぎます)
(それ、妄想膨らむだけやん)
背を丸めながら顔を寄せ合い、三人は声を潜ませた。
翌日、議論が収束せず不満たらたらな雰囲気の勇次から、アンナセイヴァーの五人に作戦指示が下った。 内容は勿論、あの異世界の少女にコンタクトを取ることだ。
夕刻や夜間だと捜索が困難になる恐れがあるため、行動開始は日中。
アンナユニットはSVアークプレイスで実装後、アンナウィザードの科学魔法「インヴィジブルビジョン」で不可視状態になり、現場に到達。
中野区弥生町二丁目、東京メトロ中野新橋駅から本郷通り方面に向かい、交差点を越えてしばらく行った先のセブンイレブン付近に向かい、ここでパワージグラットを使用。
近くに建つ茶色い壁のマンションを調査し、アンナミスティックの見た少女と思しき存在との接触を図る。
アンナユニットによる動画撮影機能を用い、その様子を記録後、地下迷宮にて分析。
そして今回、地下迷宮側で本作戦の連絡担当となるのは、勇次や今川ではなく、ティノ北沢だ。
少々ハスキーボイスなティノの声が、五人のサークレットから届く。
『ハーイ! みんな、今日はよろしくねー!』
「わ~い☆ ティノさんだぁ! やっほぉ~♪」
『ヤッホー、メグ!
今日も元気いっっぱいだね!』
「うん、メグ元気ぃ♪」
「ティノさん、本日はよろしくお願いいたします。
あの、普段あまりお話しする機会がなかったので――」
『マナミ、いつも活躍記録見てるよぉ!
あんた達のユニットを整備しているのが、あたし達メカニック班なんだよ』
「そ、そうなんですか!
それはそれは、いつも本当にお世話になっております!」
胸元のペンダントを手に持ちながら、虚空に向かって何度もお辞儀をする愛美を見て、恵はつい吹き出してしまった。
「それにしても、どうして今回はティノさんが?」
未来の質問に、ティノの元気溢れる声が応える。
『あー、ユウジやアッキーはさ、いちいち理屈っぽくてくどいんだよね!
理系っての? なんか昨日話しててイライラしちゃってさ。
だから、今回の指揮権を無理やりブン取ったって訳ぇ!』
「そ、そうですか……」
「あはは、ティノさん強い~☆」
「な、なんかすっげぇ強そうな人だな~。
頼りがいありそう」
『あとさ、アンナユニットの性能とか構造は、ダントツであたしが一番詳しいから!
ミキ! あんたのユニットの“異世界間通信”機能を、今回詳しくチェックさせて欲しいんだ』
「わかりました。そういうことなんですね」
“異世界間通信”というのは、パワージグラット施行後に、アンナユニットと地下迷宮の通信を実現させるための、新技術だ。
パワージグラットで異世界に移動したアンナユニットは、当然そのままでは現実世界に居る勇次や今川、凱達とコンタクトすることが出来ない。
また、アンナユニットが収集する映像情報などを、地下迷宮側がリアルタイムで受け取ることも出来なくなる。
この問題点を払拭するため、指揮車としても利用されるナイトシェイドと、リーダー機のアンナパラディンには、異世界間の通信を可能ならしめる機能が搭載されているのだ。
『――つまり簡単に言うと、衛星(ナイトシェイドIII)がパワージグラット施行を感知したのと同時にライブラリの設定情報を瞬時に共有してモニタライズするのね。
そこからアンナパラディンの位置を、移動速度などのスペックから相対的に推測して、ポイントを絞ってデュプリケイトエリア内の電波情報を何百何千通りとスキャニングするのよ。
そこから特定のパターンで発信されている通信情報を検知してブーストをかけて、現実世界に居るあたし達に届けるって理屈なの。
どう? 意外に単純でしょ?』
「わ、わかんねーよ、ティノさん!
あんたも、立派な理系じゃねぇか!!」
『何言ってんのよアリサ!
このくらい、文系だってカンタンに理解できるって。
ねえ、マナミ? メグ?』
「えっ? えっ? なんで、メグ?」
「はえぇぇ……す、すみません。
とりあえず、食べ物の話じゃないことだけは理解出来ました!」
「あ、ある意味強いわね、愛美」
なんだかよくわからない会話の末、時間がもったいないからということで、早速五人はアンナユニットを実装することにした。
SVアークプレイス内には、複数の棟に囲まれた中庭のようなスペースがあるが、実はここが実装用に使えるよう設計されたものなのだという。
棟に阻まれ、たとえ日中に実装しても、外部から見えることはない。
「「「「「 チャージ・アーップ!! 」」」」」
五人が同時に実装コードを唱え、光の竜巻が中庭に轟いた。




