第4話【探索】3/3
ここは、北棟。
凱ともう一人の影―― 夢乃は、目の前に突如現れた存在に喫驚した。
「なん、だ、コイツは?!」
「ぶ、豚……人間?!」
夢乃が呟く通り、「それ」は豚であり、人間であった。
否、もっそ正確表現するならば、豚の頭と体型、そして人間の手足を持ち、二足歩行する「巨人」だった。
その身長はおおよそ2メートル半、黒目のない白濁の眼でまっすぐにこちらを睨むつけている。
だらだらと粘液のようなものを口から垂らし、全身にはまばらな毛と不気味な皺が広がる。
そしてその口からは大きな牙が上に向かって伸びており、紫色の気味悪い舌先が覗く。
豚の断末魔を数倍大きくしたような、おぞましい鳴き声を立て、その異形の怪物はゆっくり二人に近付いて来た。
「まるでRPGに出てくるオークじゃねぇか、このバケモノ」
「ど、どうしてこんなのが、ここに居るのよ?!」
「知るか!
逃げるぞ! 走れ、夢乃!!」
「あ、ちょ、待って!
凱、フォトンドライブ!」
「あ、そうか!」
足首に装着された球型の機器が光を放ち、二人の身体を宙に浮かばせる。
その直後、凱と夢乃の身体は何かに撃ち出されたように滑空し、廊下を高速で移動し始めた。
その様子に、突如豚顔の巨人は怒り出し、更に声を荒げた。
「追ってくる! 早く、ドアを!」
「このまま蹴破るぞ!」
滑空しながら、凱は飛び蹴りの態勢になり、そのまま東棟へのドアへ突進する。
ドン、という大きな鈍い音と共に、観音開きのドアは勢い良く開かれた。
「きゃあっ?!」
と、その時、誰かの短い悲鳴が聞こえた。
「えっ?!」
何者かの影が、数メートルほど廊下を滑っていく。
もうもうと埃が舞い上がり、ゆっくり立ち上がった影が咳き込む。
「び、びっくりした……な、何が起きt――」
「び、びっくりした……な、何が起きt――」
突然襲い掛かった風圧に吹き飛ばされ、愛美は誇りまみれの廊下を数メートルほど滑走してしまった。
身体がところどころ痛むが、幸い、怪我はなさそうだ。
立ち上がろうとした時、何かが膝の上から転がり落ちる。
何だろう? と手を伸ばした視界の端に、逆光で佇む何か巨大な「影」が見えた。
ブモオオオォォォォオオオオオ!!!
地を揺るがすような、今まで聞いた事もないような「聲」。
影は、ありえない程の巨体を振るい、明らかに身の丈より低い廊下を、かがむ様な姿勢で無理やり突っ込んできた。
ごりごりと、天井が削られていく。
床に跪いたままの愛美は、状況が飲み込めず、ただ目の前の異様な光景を見つめるしかなかった。
思考は、完全に停止している。
「愛美! 何してんの! 逃げるよっ!!」
「え――きゃあっ?!」
突然、誰かに引っ張り上げられ、愛美は拾おうとしていた「何か」を、反射的に掴んだ。
気付くと、愛美は数十センチほどの高さに浮かんでおり、南棟の方向に後退させられていた。
「だ、誰?! 誰なのですか?! いったい、何が――」
「話は後だ! 今は脱出する!」
「が、凱さん?!
夢乃さん?!」
驚いて何度も顔を見返す愛美を抱え、凱は南棟の扉をも蹴り飛ばす。
バキッ、という凄まじい音がして、扉が蝶番ごと吹き飛んだ。
「どうする?! このまま脱出するか?!」
愛美の頭上で、凱の叫び声がする。
「凱は、愛美と一緒に外へ!」
「お前はどうすんだ?!」
「あの人達を放っておけないでしょ! 逃がさなきゃ!」
「了解!」
「ちょ、ちょっとお! ですから、一体何がどうなってるんですか?!」
「あ~もう、黙ってて!」
尚も、「影」はこっちに迫っているようで、壁やら天井を破壊しながら迫ってくる音が聞こえる。
夢乃はホバリングしながら振り返ると、ボール型の装備のピンを引き抜き、東棟の廊下に投げ込んだ。
数秒後、何かが吹き出すような音と共に、白色の煙が漂ってくる。
と同時に、苦しむような叫び声が響いて来た。
「今のうちに!」
「わかった、後は頼む!
ナイトシェイド!」
玄関ホールまで達した凱は、腕時計に向かって叫ぶ。
すると、なんと玄関のドアを突き破り、漆黒のスポーツカーが館の中に飛び込んで来た。
「ひえっ?! く、車?!」
「乗り込め!」
車のドアが、左右同時に開く。
凱は愛美を助手席に放り込むと、自身も運転席に飛び込んだ。
と同時に、漆黒の車はその場で180度ターンし、今来た方向に向き直った。
シートベルトなどしていない二人は、当然、遠心力で体勢を崩してしまった。
「きゃあっ?!」
「一旦出るぞ、ナイトシェイド!」
"了解"
女性の声が突然車内に響き渡り、愛美は、思わずきょろきょろと見回してしまう。
車はすかさず館を飛び出し、庭先を滑るように駆け抜ける。
表門を通り過ぎ、山道に出た時点で、ようやく停車した。
その間、凱は、ハンドルに触れていない。
「あの、凱さ――」
「悪いが、愛美ちゃん。
今は、俺の話を聞いてくれ!」
言葉を遮り、少し焦った口調で、凱が話し出す。
いつもの癖が出て、愛美は、つい押し黙ってしまう。
ぐっと握った手の中で、先程拾った物が存在感を示している。
「今から、このままここを脱出する。
愛美ちゃんにも、同行して欲しい」
「昨日のお話ですか?!
ですから、私には――」
そこまで話して、言葉が止まる。
「俺達の素性は、後で説明する。
だが今は、ここから逃げ出すことが最優先だ」
「あのバケモノみたいなのは、何なのですか?!
あのままでは、夢乃さんが――いいえ、他の先輩達は?!
奥様は……」
「君には申し訳ないが、他の皆は連れて行けない」
愛美の必死の言葉は、冷酷とも云える一言に切り捨てられる。
凱がシートベルトを締めたのと同時に、再びエンジンが動き出した。
"千葉愛美様、シートベルトをお締めください"
どこからともなく、女性の声が聞こえてくる。
だがそれより、愛美は、先の凱の言葉に耳を疑い、そのまま硬直していた。
「大丈夫、そこは夢乃がなんとかする。
だが今は、何より君の――って、おい、何を?!」
愛美は、突然車のドアを開けると、館に向かって駆け出した。
外は雨の降りが未だ激しく、叩きつけるような雨粒が車内にも飛び込んでくる。
「馬鹿、なんで開放した?!」
"マスターの指示で、愛美様をサブマスター登録しておりました為……"
「くそっ!!」
凱も、大急ぎで雨の中へと飛び出した。




