03:これはそういうものです、以上。
日が昇って、さっそく櫓の解体に取り掛かった。
自分が作ったものだからそれほど凝った作りではないため、壊すのは割と簡単である。いくつかの枝が折れたり曲がったりして使えなくなったものの、おおむねきれいに片付けることができた。
持ちやすいように一抱えにまとめていると、ざくざくと落ち葉を踏みしめる足音がたくさん聞こえてきた。
「あ、お疲れ様です」
「ヒューガ。無事なようだな」
隊長さんが騎士たちを率いてやってきたようだ。
手にしていた木材を一度置いて頷く。そしてポケットに入れていたスマホを取り出しながら口を開いた。
「まあ、安全なところから叩いてるだけなんで。ただ、昨日は気が荒くなってる感じがありましたよ。たぶんヌシ? 一回り大きい犬がいました」
見てもらうほうが話は早いだろうと、スマホで撮っておいた動画を再生する。
ナイトモードは普段使ったことがなかったけれど、なかなかうまく撮れるものだなあと感心した。
「は? え、おい」
「目が赤く光っててさあ、ほらこれこれ。暗いけど目はわかりやすいですよね」
唸り声や噛み付く音なんかもかなりリアルに収められているので、昨晩の襲撃の様子はバッチリである。臨場感もたっぷりだ。
「……ヒューガ。ちょっと待て、なんだこれは。なぜこんなことができる。絵が動く? は?」
と、ここまで友達にこんなことがあったんだと動画を見せる気持ちでやったのだが。
顔色を変えた隊長さんに、なるほど、と心の中で合点した。
そうだった、たぶんここにはスマホはないし動画を撮る技術もないやつだ。騎士が剣を構えて森に入ってくる環境なのだし。
部下の人も含めてポカンとした顔をしていた。
今まで冷静さと同居していた隊長さんが別居しそうだったので、順番に彼らの顔を見てから何事もなかったようにスマホをしまった。
「気にしないでください」
さあ、行きましょう。準備準備。
まとめておいた素材を担ぐ。
「待て待て待て、気にするに決まっているだろうが」
「ええと、これはそういうものです。以上」
終わり終わり。拗れそうな話はしないに限る。スマホの構造とか動画が取れる原理とか聞かれても困るし。
櫓に使っていた大量の木の枝と、蔓と、先を尖らせた槍もどきと。昨日はふたりだけだった部下は、今日は全部で二十人くらいいそうで、これなら運ぶことにも苦労しなさそうだ。
「とにかく準備しましょう。時間がもったいないですよ」
「あとで詳しく聞くからな」
低くそう言った隊長さんは呆れた顔をしていたけれど。すぐに部下たちへ向き直り、山になっていた素材たちを運ぶ指示を飛ばす。
昨日の部下ふたりが巣の位置を先導してくれるし、向かいながら手ごろな素材を集めることも任務になったらしくたくさんの男たちが手ごろな木を切ったり、蔓を採ったり、大きな葉を集めたりもしている。これは、素人のこちらの出番はないかもしれない。
「いやあ、人手があるって楽だなあ」
現地についても、それは変わりなく。植わっている木を主な支柱にしつつ、足りないところは長い木を切ってきて補う。穴を掘るのも早いのでしっかり下のほうを埋めることができるし、強固なものができそうでわくわくしてきた。
足場にするスノコ状の木の枝もどんどん並べられていき、気持ちの良いくらいの手際である。
「……一人であそこまで作るほうがどうかしている」
結びかた、こうすると固くできてほどくのはここ引っ張れば楽ですよとか、材料並べたりだとか、手伝えることはやったけれど。
感心してほとんど眺めているだけでよいので呟いたら、横で図面を広げていた隊長さんが呆れた顔をした。
「昨日のうちに全員と手順を打ち合わせていたからな。本職ではないが、それなりに皆経験はある」
「騎士って大変なんですねえ」
馬に乗って甲冑をかぶってかっこいい花形な職業なのかと思いきや、なんでも屋みたいな立ち位置らしい。
それじゃあ余計に隊長さんは苦労していそうだなあと、勝手に思って頷いてしまった。広げていた図面は、素人が作ったあの櫓を参考にして書かれた設計図だったらしく、本当にこの人は律儀で真面目な人なんだなあと思った。
準備が功を奏して、魔犬討伐は思いの外スムーズに進行した。
櫓は全部で五つ作った。大小あるうちのそれに、騎士たちが分散して配置され各々の武器を持って息を殺して日暮れを待ってしばらく。
そのときになると、騎士たちが身を強張らせたのがわかった。
みんな巣の入り口を凝視しているから、いよいよ出てくるのかと目を凝らすが自分にはなにも見えない。騎士だと訓練を積んでいて気配がわかるのかもしれないなと、なんでも屋の能力への称賛が増えた。
煌々と燃やされた焚火と松明によって、魔犬の姿ははっきりと見える。
匂い消しに炊いた大きな葉っぱのおかげか、怒ったように穴から飛び出してきた影は、仕掛けておいた落とし穴と鋭い杭の餌食になった。つんざくような悲鳴に次から次へと魔犬たちが出てくる。
「深追いはするな! 落とせばいい! 弓は巣を狙え!」
隊長さんの声に合わせて騎士たちがどんどんと犬を退けていく。
櫓に上ろうと躍起になる魔犬を長い槍で蹴散らし、飛び出てくるやつには弓の雨をお見舞いする。
完全に日が落ちて夜の帳が下りたら、戦っている人の邪魔にならないように松明を地面にいくつか投げてやった。焚火をいくつか蹴散らされているので、これで多少の光源になるだろう。
そして、二つ目の月が見えたとき。
ひときわ大きな影が地面を揺らす声を響かせた。
「ヌシが出た! 火矢、放て!」
櫓に体当たりしてくる体に弓が一斉に向けられる。柱にした枝がいくつかお折られて傾く足場から、何人かが木に飛び移って凌ぐ。まだ誰も地面に落ちていない。
真上からは槍、周囲から火矢。
櫓を壊しきるよりも、それらがヌシを貫くほうが早かった。
甲高く、耳が痛くなるような声を最後に、ヌシは櫓に突っ込んだけれど。壊れて崩れた木の下で息絶えたヌシは、しばらくするとドロリと闇に溶けて消えた。
「巣の奥にある核を壊す。負傷したものは手当てを優先しろ。ヒューガ、お前もここを動くな」
「わかりました」
いててて、と腕をさすったり地面に座り込んだりした数人の騎士たち。あとは昨日隊長さんと一緒にいたふたりが残って、その以外の人たちが岩の隙間から中へと入っていく。
それを見送りながら立てない騎士に肩を貸して体を起こし、用意されていた布と水で傷口を洗ったり包帯を巻いたりと手伝っていると、周りがはっと息をのんだのがわかった。なんだろうと思っていると、隊長さんたちが一斉に出てくる。
全員が全速力で走っているのではと思うくらい必死に出てくると、岩が間を置かずしてガラガラと崩れた。ずしんと重い音がして周りから鳥が飛び立つ。
「任務完了だ」
真面目な顔でそう言う隊長さんに、みんなそろって笑顔で歓声を上げた。
心なしか隊長さんの表情もホッとしているように見える。怪我人は出たが、全員無事だ。
よかったなあと思いながら、朝とは打って変わって和やかな雰囲気の騎士一行に交じって周りを片付け、数時間の休憩を挟んでから夜明けとともに町を目指すことになった。
森は意外と大きかったが、昼になる前には町に着くことができたようである。
騎士たちがそう言っていたので、たぶんそうなのだろう。
初めに櫓を作った場所から体感で一時間くらい歩いた先にあった。
帰ってきたぞー! と歓声が上がったと思うと、家々からいろんな人たちが出てきて出迎えてくれる。みんな喜んでいるのがよくわかる。
弾むような足取りの彼らに背中を押されながら辿り着いたのは、ジョッキの看板がかかった店。どうやら酒場のようだ。二階には宿があるらしく、映画なんかの世界に来たような気持ちになってきた。
入った入った! と満面の笑みを浮かべた店主が、ギイギイすごい音を立てる扉を開けて出迎えてくれる。閉めるときもつっかかってうまくいかないのを、勢いよく蹴とばしてバンと大きな音が響いたが、それに負けないくらいの喧騒で賑やかな宴が始まったのである。
「皆、ご苦労だった。住民たちの厚意だ、有難くいただこう」
湯気の立つ料理を前に騎士たちの歓声が上がった。
隊長さんの言葉を合図にどんどん次の料理も、ジョッキに注がれた酒も運び込まれてきて一気に活気づいていく。
「怪我のある者は無理はするな。羽目を外しすぎるなよ」
釘をさすのを忘れないところが、実に隊長さんらしいなあと思って大人しく座っていると、隣にその人が椅子を引いて腰かけた。
「ヒューガ、今回の助力に感謝している。お前も遠慮はいらない、好きなものを飲んで食べてくれ」
「それならお言葉に甘えて。ちなみに、あんまり固形じゃないのってどれです?」
言うと、隊長さんがまじまじとこちらを眺めてから眉を寄せた。
「好き嫌いは」
「ないっす」
「ではいくつか頼むからそれを」
「はーい」
あのヌシはやたらでかかったなあ、体当たりで落ちるかと思ったぜ、などなど昨晩のことで盛り上がる声を聞きながらちびちび水を飲んでいると、すぐに隊長さんが戻ってくる。
なにかを口に運ぶでもなく、こちらにまっすぐな視線を向けてきた。
「……いつから食べていないんだ」
声を落とした問いかけに、苦笑を浮かべて頬をかく。
「隊長さんたちに会った日は犬の肉を少し齧ったんですけど、ちょっとヤバそうだったので次の日は水と木の実にしました」
「その前は」
「似たようなもんですねえ」
おまちどう。まだたくさんあるからね。と女将さんが料理を置くのに礼を言うと、あたたかな食事の匂いに腹が鳴った。
「食べられそうか?」
「たぶん。じゃ、遠慮なく。いただきます」
玉ねぎのスープのようなものと、芋を潰したやつと、煮込んだ豆。
腹はぺこぺこでかっこみたいところだけど、まともな食事などしていない日が続いたから我慢して少しずつ食べていく。
それを、目の前の緑色の目が見守るようにじっと見つめていた。
騎士であり、こんな現地に赴くタイプの人だから、こちらの体の状態に察しがついたのだろう。お堅い真面目な雰囲気を持つ人だが、話が通じないわけではない。だからこそ部下から慕われているのがわかる。
黙々と食べ、大した量ではないのに時間をかけたから、周りの皿が空になる頃にはこちらも完食となった。胃があたたかくて変な感じがする。うまかった。
「まだ食べるか?」
周りと話をしながらもこちらの様子も気にしてくれる隊長さんは、本当に気の休まることがあるのか疑問だ。そんなに気を遣うことないのに。
でもそれが隊長さんらしくて、思わず笑いながら首を振った。
「いや、もう十分です。ご馳走様でした」
普段から考えたら雀の涙ほどしか食べていないが。
今は無理をするわけにはいかないなと自重。できればどこかで休めたらいいのだが。
「……部屋は一室追加で取ってある。二階の一番奥だ」
「いいんすか。ありがとうございます」
至れり尽くせりとはこのことだ。この人、仕事ができるんだなあ。などと感心しながら、差し出された鍵を受け取った。
空になった皿と器を他のと合わせて重ねてから、店の人にも礼を言って席を立つ。
じゃあ、遠慮なく使わせてもらおう。まだグラスを掲げている男たちにも一声かけて、ギシギシいう階段を上った。
帰れるかはさておき、とりあえず安全を手に入れられてよかったなあとホッとした。
眩しさに目を開けると、カーテンを引き忘れた窓から煌々と日が差して目を擦る。
よく寝たので頭がぼうっとした。
腹がぐうと鳴る。空っぽなのがわかった。
確か、飯を食ったあとに部屋に行って、簡素なシャワーをありがたく使わせてもらってからベッドに行ったはずだ。久しぶりのシャワーが気持ちよすぎて鼻歌が出ちゃうくらいテンションが上がったのも覚えている。三徹してハイになってるとか、そういう感じのヤバさは確かにあった。
それでもちゃんと汚れたシャツとかジーンズとかを一気に洗ってから寝たはず。真っ裸なのはこの際しかたがないと割り切ったのも、覚えている。
疲れていたのにそこまでやったのはえらいと自画自賛だ。
椅子とかその辺のものにかけておいた洗濯物は見事に乾いていて、一晩で乾くなんてラッキーだなあとゴワつくそれらに腕をとおし、バキバキいう体を伸ばしてから荷物を持って下に降りた。
「起きたか」
ちょうど朝食をとっていたらしい隊長さんがこちらを振り返ったので、そのままそのテーブルにご一緒させてもらうことにする。
「めちゃくちゃ寝ました」
「だろうな。一日中起きなかった」
「うん?」
一日中?
はてと首を傾げると、隊長さんが苦笑する。
「昨日一日寝ていた」
「俺が?」
「ああ。少しも顔を見せないから様子をうかがったが、ただただよく寝ていた」
「へ~。じゃあ、町に戻って二日目?」
「そうだ」
そりゃあジーンズも完璧に乾くはずだ。
まあ、疲れていたんだろうなあ。なんて他人事のように思うけれど、この人が嘘をつくこともないし正直真偽はあまり重要でもない。気にしないことにしよう。
メニューがよくわからないと言う自分の代わりに注文をしてくれた隊長さんは、こちらの顔を窺うような視線を寄越した。
「私たちは経過観察で数日町に留まる。それまでは礼として部屋と食事は提供できるから使え。店のものにも話はとおしてある」
「ありがとうございます」
「使い古しで悪いが、服も一式用意した」
「それも助かります」
たぶん、体調とか気にしているんだろうなあ。この人、仕事ができるうえに本当にどこまでも真面目なんだなあ。
隊長という立場であるにもかかわらず、存在が不審なこちらに対して気遣いがすごい。魔犬討伐が完了した今、明らかな不審者にここまでして大丈夫なのだろうか。
「でも、いいんすか。俺、無一文で迷子ですけど」
「私がそうすると決めたからいいも悪いもないな。人を見る目は持ち合わせている」
「お人好しなんですねえ」
「……そういうことではない」
簡単に信じていいのか。こちらとしては助かるが。ちょっと心配になってしまう。
そんな気持ちが見え透いてしまったのか、嫌そうに眉を寄せた隊長さんは、それでも甲斐甲斐しく世話を焼いて気配りも欠かさない。右も左もわからない場所だから、申し訳ないとは思いつつその厚意を受け取らせてもらった。
町に来てから、三日目。いや、寝ていた一日があるから正確には四日目。
様子を見ているが森に異変はない。このままなにもなければ、明日、騎士たちは王都へ戻ることにするそうだ。
そんな彼らに混ざりながら食事をしたり町を歩き回ったり。
テンションの上がっている町人たちがひっきりなしに酒場へ来るからか、建て付けが悪くてすごい音を立てていた扉が、ついに壊れた。
閉まらねえな、といつものように蹴とばしたのがトドメになったらしい。吹っ飛んで町の通りがよく見える。
「あ、じゃあ俺が直しますよ。道具あるし」
おいおい、こりゃあ困った。お前がいつも乱暴にするから、いやいやお前だって毎回蹴ってただろ、なんて言っているのを聞きながら隣の椅子に置いていたリュックを引っかけて入り口に立つ。
何事だ? と隊長さんまでやってきたので扉が壊れただけですよと笑って答えた。
「ヒューガ、大丈夫なのか」
「扉が割れたりはしていないから、蝶番を付け直せばたぶん問題ないと思います」
「そうか」
言いながらひん曲がった蝶番を叩いて直し、釘を打ち付けて固定する。
なんとなく板のゆがみがある気もするから縁をいくらか削ってみた。隊長さんの手を借りて扉を立ててから、そのまま抑えてもらっている間に取り付けてしまう。
音は多少するものの、ちゃんと開閉する扉になったはずだ。
「なんとかなりましたね。開けてみます」
言って、閉じた状態の扉を開けて。
町の通りへ出る。
そう、そのはずだった。
目の前には、雑木林。
足元には茗荷とか雑草とか、あと山茶花の木。
じいさんの家の裏だとすぐにわかり、振り返ると勝手口の扉がバタンと閉じたところだった。
「……なるほど?」
突然行って、突然帰ってきたらしい。
夢なのかと思ったが、リュックの汚れはそのままだし着ているものもお下がりのシャツ。物的証拠が夢ではないと教えてくれる。
それなら、またそのうちに行くことにもなるかもしれないなと頷いて、もう一度扉を開けた。
じいさんがぎょっとした顔で、さっき帰ったんじゃなかったのか? と言っているので玄関扉を作り直した直後でよいらしい。
狐につつまれたときはこういう感じなのかもなあと思いながら、ちょっと扉の開け具合を確かめただけと変な返事をして手を振った。
さらにもう一度勝手口を開いたけれど、そこにあるのは雑木林に変わりなく拍子抜けして肩をすくめた。
思い出すのは、賑やかな酒場の声とそんな中でも律儀に姿勢を正した背中。
ひとまず、いつなんどき森に放り出されてもいいように、扉をくぐるときには万全の体制でいたいものである。