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02:それはそうだが、違う。なんか違う。

 夜になると魔犬が来る。

 家畜はもちろん人間にも容赦なく襲いかかり、陽が暮れたら外に出てはいけない。それは年寄りから子供まで誰でも知っていることだ。

 とある森にほど近い小さな町では、魔犬が湧くようになってひと月を数える。

 魔犬の巣は唐突にできることがあり、今まで森の恵みを享受していた町では平和な夜が一変したのだ。遠吠えに身を強ばらせ、震える手で戸締りを確認し息を殺す日が毎晩となるまであっという間だった。


 住民たちは夜に外に出ないことはもちろん、日中も森に近づくことをやめ、扉を補強したり町の門を二重にしたり。破壊されては直して強固なものに変え、イタチごっこが繰り返される。

 初めは、魔犬の目撃情報から。まだ危害を加えられることはなく、お互いに警戒しているくらいですんだのだが、森へ入ると襲われるようになり、町まで襲いにくるようになったという話だ。

 今では毎晩襲撃を受けているために、主だった抵抗組織を持っていなかった町から要望があり、それに応える形で王都から騎士たちが派遣される。それが数日前のことだった。

 状況の把握のためにまずは十人程度の小隊ではあるが、武器の扱いに慣れた屈強な男たちにより被害は抑えられて住民たちもひと息ついたところだ。

 数日の襲撃に対抗してわかったことは群れがかなり大きいこと。

 これに加えて、今までの経験から魔犬は子供などの弱いものから狙う知恵があり、回を重ねるごとに学習能力により手強くなることもわかっている。

 町の被害を報告しつつ応援が必要な事態だと進言もしたあとに、ソーンディルは眉を顰めた。――ある日を境に、魔犬がぱったりと来なくなった。


 朝から森へ入ると、なんの変哲もない木々の広がるいつもの光景だ。日のあるうちは動物たちの姿もあり鳥の囀りだって聞こえている。

 もっと深く入った緑の濃くなる場所に魔犬の巣があり、そこを叩く必要があることはわかっていたが、対抗できる人間が少なく今まで夜を耐え忍ぶ日々が続いていたところだ。

 鳴りを潜めていることが薄気味悪く、数人を町に残し、二人の部下を連れて更に奥まで進むと明らかに違和感のある場所があった。

 茂みが刈られ、地面も踏み荒らされている。

 なんだ? と足を止めたそのとき、うわ!? と悲鳴が上がり部下が盛大に転んだ。それに一歩踏み込んだもう一人にはひゅっと岩が降ってきて、既のところで避けたはいいがその先で何かが足に絡まって宙に引っ張り上げられる。

 よく見ると、落ち葉で隠してあるが不自然に窪んだ場所があったり、蔦が張られていたりと罠が仕掛けられているようだった。罠? なぜ? 誰が?


「あれ。こんにちは?」


 警戒して腰を低くしたとき、落ち葉を踏む音がして場違いなくらい暢気な声がかけられた。

 くしゃくしゃな髪をした男が、木の枝を何本も担いで不思議そうにこちらを見ている。

 よれよれのシャツに土のついたズボン。小汚い格好の相手はこちらが黙ったままでいることに、言葉が通じないのかななどと見当違いなことを呟きながら、宙吊りでもがいている部下に手を伸ばして下ろしますよとあっさり解放。

 よく見れば木の上には(やぐら)が組まれ、槍やら岩やらが配置されている。

 この男が魔犬と日々戦っていたのだろうと察し、相手を注意深く見つめた。


「何者だ」


 低く問えば、首を傾げられる。


「ええと、迷子すかね」

「は?」


 思ってもいない単語に、ソーンディルはらしくもなく間抜けな声を出してしまった。

 深緑の瞳を見開いても相手は緊張感もなく頬をかいて笑う。


「たぶん、五日前なんですけど。気づいたらここにいて、なんか犬が襲ってくるから身を守ってただけで。――そっちは、この辺の人ですか?」

「……魔犬の様子がおかしかったため、町から様子を見にきた」


 その原因は、おそらく今目の前にいる男だ。

 町に魔犬が来なくなったのは五日前の夜。これは記録もしているために間違いなかった。

 男は、特に武器を持っている様子はない。筋力はそれなりにありそうだが、無骨とは言えず騎士や傭兵にも見えない。一番近いとすれば農夫かなにかだろうか。ただし、どれも違う気がした。

 こちらが注意深く窺っているのとは対照的に、相手は天気の話でもするような口調だ。


「魔犬ていうんすね。毎晩頑張ってるのになかなか減らなくて困ってたんですけど、地元の人が来たならなんとかなるって思っていいです?」

「いや、巣を叩かないと無理だ」

「ふーん?」


 巣かあ、なるほどなあ。なんて言っているが、そもそもがおかしくて部下を含めて戸惑いが隠せない。

 ソーンディルは不審な男を上から下まで見ながら眉を寄せる。


「森に迷い込んで、殺されそうになったから応戦していた? 櫓まで組んで? たった一人でか?」


 毛先が明後日の方向に飛び散っている茶髪には、小さな枯葉がついているのにおそらく本人は気づいていない。

 つり目がちな茶色い目をきょとんとさせて、男は肩をすくめてみせる。


「俺しかいなかったし。知らない場所で歩き回ったらもっと迷うから、目印つけながら出ようとは思ったんですけどねえ。なにせ毎晩犬が来るんで対策しないと死ぬし。意外と手応えありそうだったんで、落ち着いたら出口探すつもりでした」


 言いながら、部下を引っ掛けた蔓を元に戻し、岩は幹の根元にまとめ、足元の落ち葉をならして罠の痕跡を消していく。

 使い古した三本の松明が足下に転がっているのも拾って。散らばっている石も集めて。緩んだ蔓を結び直して。

 手際よく工作する様子は慣れていることが窺えた。

 ただし、手練れという感じはしない。罠も櫓も完璧な代物とは言えず即席で作ったことが見て取れる。だからこそ、男の存在が余計に異様なものに思えた。


「迷子と言うが、連れ去りかなにかか? 家はどこだ」

「いやー、ちょっとわかんないですねえ。簡単には帰れないことは確かなんすけど」

「遠いのか?」

「近くはなさそうです」

「それなら、なぜ暢気にこんなところに留まるんだ」


 要領を得ないことに加え、腹が立つくらいに相手に危機感が感じられずに思わず声が尖ってしまったが。

 それにもかかわらず、やはり相手は気にした様子もない。この期に及んでもへらへらと緊張感のない笑みまで浮かべている。


「植生とか全然違うんで帰れるまで長丁場になりそうだな~て思ったから、とりあえず凌げるようにしただけとしか。そしたら犬が襲ってきたんで、初めの話に戻りますが対策して、落ち着いたら森を出たいとは思ってて」


 それはそうだが、違う。なんか違う。

 なんと言ったらよいのかと言葉を探すソーンディルに構わず、不審な男は枝の束を幹に寄せて下すと、引っ掛けてあった鞄のようなものを背負いながら森の奥を示す。


「でもとりあえず、巣を探す必要があるんですね。明るいうちに行っちゃいましょうか」

「は?」

「だから、巣。――魔犬をどうにかするために来たんでしょ?」


 早ければ早いほうがいいので、さっさと行きましょう。

 ここは森の中腹。時刻は昼に至っていない。

 今から町へ戻ってこの男を聴取したいのが本音だ。けれどもそれでは魔犬討伐を明日以降にせざるを得ない。被害に怯える住民を思うと、討伐が優先だとソーンディルの意志は固まっている。

 得体の知れない男ではあるが、目的は同じならば利用するのも手だろう。行動を共にすることでわかることがあるかもしれない。

 隊長、どうしますか。と部下たちが腕を組んで難しい顔をしているのに、ソーンディルはしばしの沈黙を挟んでから頷いた。確かに、早いに越したことはないのだ。


「場所を知っているのか」


 ザクザクと森の奥へ進む男に三人でついていく。

 部下たちは警戒とは別に妙な距離を取っている様子があるが、自分と同じようにどう接していいのかがわからないのだろうとソーンディルは思った。

 ほとんど一直線に歩く相手に低く尋ねると、あっさりと首を振られる。


「いや、知らないです」

「……そのわりには、迷いのない足取りだな」


 ガサリと落ち葉が音を立てた。

 男が足を止めて奥を指差す。


「いつもあっちから来るんすよ」


 木々が重なり暗く見える森の奥。

 山の麓に広がる恵みの森は、進むにつれて手付かずの荒々しさを増している。幹の太い木々が茂り、朽ちかけた倒木に苔むした岩肌。


「陽が落ちて二つ目の月が出る頃から遠吠えが始まって走ってくる。暗くても猫みたいに目が光ってるからなんとなく方角ならわかるんで」


 歩みが再開された。

 その横顔をソーンディルはじっと眺めてから息を吐く。嘘の気配がまったくなかった。

 二つ目の月が出るのは完全に日が落ちて、夜に染まった時刻である。魔犬は、日中はぱったりと動きをなくすのが特徴だ。夕方から動き出し、夜に活発になる。それは対峙する騎士たちでは知られた事実だった。

 ソーンディルは小さく息をついてから、傍に改めて口を開いた。


「私は、ソーンディルという。騎士団に属している。お前の名はなんというんだ」

「日向です」


 ヒューガは暢気によろしくなどと言っている。

 この森に一人で降り立ち、魔犬と対峙していて、初対面の騎士相手にこの妙に落ち着いた態度が心底不審なのだが。

 まったく悪意も打算も感じられない暢気な空気に、ソーンディルは驚きを通り越して呆れてしまった。

 しばらく進むと、木々の茂みの先に大きな岩がそびえているのが見えた。傾斜に寄りかかるようにしているそれは、他にも大小の岩が折り重なって下のほうに小さな洞窟ができていた。そこは、昼間ではあるが邪気をまとっているように見える。

 遠目にそれが確認できたとき、ソーンディルはヒューガを手で制す。


「巣がある」


 言って岩場を指さした。

 ねばつくような邪気が呼応するかのように一瞬濃くなったように色を変えた。日暮れになって魔犬が活発になると、邪気はもっと濃くなり一体に漂うことになるが、出現の目安にもなるため把握するに越したことはない。


「洞窟や岩、倒木の隙間など、ある程度の広さと条件がそろうと魔犬が沸いて巣になる。今回はあれで間違いがない」

「あんまり近づくと気づかれるかな。仮にも犬だし」

「いや、今の時間なら大丈夫だ。ただし、日暮れ前には撤退する必要がある」


 ふーん、なるほど昼はいいのか。ヒューガはまじまじと眺めてから、今立っている場所から巣の周辺に視線を巡らせる。


「出てきたところに落とし穴と、杭の罠っていうの? 先を尖らせた木を穴の中と周りに仕込んで置いて。あとは櫓作ったほうがいいですね。巣の目の前でいいです? そこの二本の木を柱にする感じで」


 そして、腕を組んだままさらに続けた。


「準備している間は、念のため火を焚いて煙を充満させましょうか。そうすれば俺たちの匂いはわからないだろうし。残りにくくなりそうだし。もちろん、夜の本番はガンガン炊いて鼻を利かなくしましょうね」

「櫓と罠を、本当にここに作るのか」


 まさか、こんな言葉を聞くとは思っていなかった。場所を確認してあとはソーンディルたちに任せるものとばかり。

 部下たちまで目を丸くしているが、ヒューガは困ったように眉を寄せた。


「え、じゃあ真っ向勝負するんですか? そのほうが危なくないです? 相手と対等に戦う必要ないでしょ。俊敏さが厄介なら近づかせないで上から狙うほうが楽だし、なにより安全。俺、死にたくないんで」


 別に地面が良ければそれは好きにしてもらっていいですけど。

 いきなり常識人のように正論を言ってきたのに、三人そろって口をつぐんだ。思わず視線を交わしてお互いの顔を見てしまい、黙ったままでいるとヒューガが不思議そうに首を傾げた。


「まだ周りを見ますか?」

「いや、場所がわかれば今は十分だ」


 こほんと咳払いをしてソーンディルが答えると、あっさりヒューガは体の向きを変える。


「じゃあ、今日は戻って明日の朝になったら準備しちゃいましょう。俺が作った櫓も足しにするように壊しておくんで」


 部下が巣の位置を記録し終えたのを確認してから、元来た道なき道に足を戻す。

 今度は部下が先導するように進むのに、ヒューガと並んでついていく。

 軽い口調で自身の拠点のことを話すので今度はソーンディルが首を傾げることになった。


「町に戻らない気か?」


 ヒューガは迷いなく頷く。


「お金持ってないし」

「宿は我々で取ってあるから提供できるが」

「いや、大丈夫す。あと一晩くらいどうってことないんで」

「慢心は感心しない」

「同感です。なので、今までと違う行動によって相手に悟らせるのはもったいないですよ」


 いるはずの俺がいないことでガチギレしてきても困るでしょ。

 大したことのないように言われると、そんなものかと思いたくなるが。一人で魔犬に立ち向かおうとすることはよっぽど腕に覚えがあるか、自殺行為なのである。

 大丈夫大丈夫、下には下りないし。などと手をひらひらさせて三度断られたので、渋々ソーンディルは櫓の前でヒューガと別れることになった。


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