8「Escape from escape①」
クラス委員戦の後、教室に入って来た吉江くんは浮かない表情をしていた。元手が多いにも関わらず、あっさり負けたことを考えれば当然だ。
「お疲れ」
「ありがとうございます。あんなに手酷くやられてしまうとは思いませんでした。クラス委員なんて、やっぱり柄じゃなかったみたいです」
「いきなり勝負しろって言われて、あの2人みたいな勝負が出来る方がすごいけどな。吉江くんは頑張ったと思う」
ホームルームが終わった後すぐに出て行った生徒にも声をかけていた。本当に良い人なのか、良い人を演じているのか。
「そう言ってもらえると、ありがたいです」
「柄ではなかったって言っておいて、やる気満々ね」
「決まったことですから。でもそうですね。僕も矛盾していると思います。では、こうしませんか?」
黒板に自分の名前を書くと、足立さんにチョークを渡す。
「今ここには27人のクラスメイトの内23人がいます。投票するんです。誰が“その役割”を果たすのか」
勝負で信用を得られなかったから躍起になっているのか。やりたくないなら譲れば良いだけのこと。
もちろん面倒は起こるだろうが、今だって十分面倒だ。
「自分で言ったんだから自分でやろうよ。僕は嫌だよ、リーダーなんて」
黒板には森川と書かれている。
「投票しようと言ったのは私ではないわ。他薦がいけないなんて、誰か言った?私には出来ないもの」
「それなら吉江くんで良いと思う」
「どうして選んだのかも分からないのに、学校の決定に全て従うつもり?」
分からないことはないけど、肯定は出来ない。そんな都合の良いことは許されない。許して良いはずがない。
「足立さん、それは間違ってる。変える力を得てからしか、夢を見てはいけない。妄想ならいくらでも膨らませて良いと思う。だけど夢は、それを叶えられる可能性のある人しか見てはいけない。だから間違ってる」
俺のこの考えが、全ての人に対して正しいなんて思わない。それに、夢と妄想の境目なんて曖昧だ。
だけど言わなかったら絶対に伝わらない。言わなくても察してくれなんて、甘えだ。俺はあんな風にはならない。
「少なくとも、正しくない」
兄さんみたいに操り人形でいるのは嫌だ。だからここに来たんだ。ここで結果を残して、自由になりたい。
俺は、自由が欲しいだけなんだ。
「俺も田口くんの意見に賛成だ。他人が選んだリーダーが気に食わない。だが自分には出来ない。だから自分が選んだ他人にやらせる」
三谷くんの目付きは、元々鋭い方だと思う。その目付きが、更に鋭くなる。
「それで良いと、本気で思っているのか」
「ウチもおかしいと思う」
重くなった空気を、水野さんは意に介さなかった。欠伸をした後、続ける。
「自己紹介を促したりして、リーダーシップは多分十分あるんだと思うよ?でも変な理由で推薦された人にリーダーなんて、してほしくないな」
「そもそも僕自身が嫌だって言ってるんだけどね」
「結局、それが全てだ」
今後勝負で学校から役割が与えられるであろう、学校から指名された吉江くん。他薦でやる気のない森川くん。
どちらがリーダーをやるべきなのかは明白だ。
「僕部屋に戻るね。付き合ってられないよ」
「押し付けられていても知らないからな」
三谷くんの言うことはブレてない。何故なら三谷くんは、吉江くんを応援してるわけではないからだ。
便宜上相応しい人物がいるにも関わらず何故、他の人物をリーダーに据え置くのか。そう聞いてるだけ。
リーダーに据えようとしている人物と提案した人物が同一人物であれば、もう少しこの言い争いは分かり易かったのかもしれない。
「折角逃げて来たのに。子供だって大人だって、みんな自分勝手じゃないか。僕はやらない。絶対に。誰も信じない」
絶対、がどちらに付くのかは分からない。だけど、森川くんが自己紹介を促した理由がなんとなく分かった気がする。
自分勝手な大人から逃げて、自由になれたと思った。そう信じたかった。
信じられる人を見つけたかった。そんな時間が少しでも多くあることを願った。こんな結果を見せられれば、泣きたくなる。当事者でなくとも泣きたいくらいだ。
ドアを閉めるときに、ちらりと見えた森川くんは泣いてなかった。でも多分、心の中では静かに泣いてる。
「俺が行く。俺たちって互いのこと知らねぇだろ。誰がなに言ったってなんも聞こえねぇよ。けどさ、軽音に入部するつもりだって言ってただろ?趣味ってのは最強なんだ。任せとけ」
踏み出しかけてた足を戻して、小倉くんの背中を見送った。
***
入学式から1ヶ月が経っても、リーダーのことは保留になったままだった。1ヶ月間ああいった勝負は行われてない。
森川くんは無事小倉くんと打ち解け、軽音学部で楽しく過ごしてるらしい。小倉くんのことだけは信用してるみたいで良かった。
足立さんは子犬系の堀井さんに懐かれてる。非科学科学実証部というものを作りたいらしい。一体なにをするのだろうか。
三谷くんと水野さんは、何故か気の弱そうな林さんを真ん中に置いて平和そうな日々を送ってる。
本人が嫌がっても党派は存在してる。吉江くん派が9人。森川くん派が8人。無所属が8人。仲の良い人に合わせてるだけの人もいる。
俺は気ままなぼっちライフ中なので無所属だ。将棋部に入部したが、一度も行ってない。幽霊部員というやつだ。
「3人1組になれ」
こういうことは初めてだ。吉江くんが余るだろうな。吉江くん派は、吉江くんのなにかに賛同してるわけではない。
便宜上のことか、森川くんが気に入らないかのどちらかだ。誰からも嫌われない人はいない。注目されれば嫌われやすくもなる。
逆に森川くん派は、森川くんを慕ってる人が多い。森川くんはほぼ宣言通り、小倉くん以外は信じてないけど。
吉江くん派は無所属に近い人もいる。適当に声をかけてペアを調整。俺は余ってしまいそうな吉江くんと加藤くんに声をかけた。
「気を遣ってもらってすみません。僕が余るとただでさえ歪なことが更に歪になってしまいます」
「なに考えてそう言ってるのか知らないけど、常に難しく考えて生きてて楽しいの。俺はただ…」
分かってる。でも、もう少し。まだ逃げてたい。
「面倒な役をやりたくないから、媚を売ろうとしただけ」
逃げて辿り着いたここから、逃げてたい。
「任せられそうな方がいて、良かったです」
だけど眼鏡の奥のこの瞳からは、どう足搔いても逃げられない気がした。