6「Faithlessness①」
緑色のリボンをした子と目が合った。存在感が妙に希薄で、それなのに目を惹かれる。そんな不思議な子。
「お願いがあるの」
「な、なに?」
向こう側が見えそうな、透明な声。でもなにかが濁っていて、決して本心は見えない。表情もなくて、なにを考えているのか全く分かりそうもない。
「そのリボンを15分貸してほしい。それで、そのことを誰にも言わないで」
「なんで?」
「秘密。だけど無償で、とは言わない。5,000ポイント」
1ポイントに1円の価値がある、学校での通貨。それを入学当日クラスに行く前に、個人に使う。こんな面白い子もいるんだ。
「もうひとつ条件。影で様子を見る許可をちょうだい」
「分かった。本当に誰にも言わないで」
邪魔をされる心配はしないんだ。
「ポイントに誓って。私は佐藤。あなたは?」
「まだ分からない」
「端末を見れば分かるよ」
「だからまだ分からないの。後払いでお願い」
やりたいことは分かった。でも、一体なんの意味があるんだろう。
「分かった。良いよ」
自分がしていた赤いリボンを取って、リボンを付けてあげる。極々僅かにだけど、表情が変わった。多分、笑った。
「ありがとう」
言うが早いか、歩き出す。
立ち止まって辺りを見回していた子にぶつかった。決して“と”ではない。“に”で間違いない。明らかにぶつかりに行った。
まさか、この隙にすり替えるつもり?どこに持っているかも分からないのに。
軽く謝り合った2人。明らかにぶつかられたのに謝るなんて、相手の子は優しいを通り過ぎてお人好しと言える。
でも、なんであの子?元から狙っていたみたいだけど。
再び私の前に立ち、取ったリボンを今度は私に付けてくれる。端末を確認して私の目をしっかりと見た。
「ポイント送る」
QRコードを出すとそれが読み取られる。すぐにポイントが送られて来た。
「約束」
「うん、ポイントに誓って」
小さく頷くと、私に背を向けて歩き出す。
「待って。あなたの名前は?」
振り返ったときに、長い黒髪が綺麗に揺れた。スカートが計算されたように、綺麗になびいた。艶めく唇に、自然と目が行った。
***
担任の説明を聞いて、じわじわと理解していった。
『各クラスのクラス委員、Aクラス鈴本、Bクラス吉江、Cクラス栗原、Dクラス佐々木。以上4名で勝負を行います』
そしてこの瞬間、私は自分の安易さを呪った。
私はこれから3年間、このクラスに常に不誠実でなくてはいけない。ポイントに誓って、約束をしてしまったから。
佐々木さんは、ぶつかられた子だった。本当のクラス委員は―――
端末を入れ替えることで名前を入れ替え、クラス委員を押し付けた。
どうやってクラス委員について知ったのかは分からない。聞いても教えてくれるとは思えない。
分かるのはただ一点だけ。
私は自分が思っているよりも遥かに愚か。
『Bクラス吉江の所持ポイントがなくなりましたので、負けとなります。Bクラス吉江は退室して下さい』
アナウンスで我に返る。鈴本くんが4万ポイント、佐々木さんが5万ポイント。Bクラス吉江くんが負け。
鈴本くん、当てたんだ。すごい…。
『親をDクラス佐々木に交代し、第六ゲームを開始します』
これで最後になるかも。それなら、鈴本くんの勝ちになる。
『親、Dクラス佐々木。宣言して下さい』
2位1万、♦4の宣言。鈴本くんの勝ち決定。今までのは、ただの勘だったんだ。
『Aクラス鈴本、宣言して下さい』
2位1万、♥6の宣言。よし。
『第六ゲーム勝者、Aクラス鈴本。親が二巡したため、クラス委員によるインディアンポーカー対決を終了します』
良い勝負だった。佐々木さんを選んだのは、一先ず間違いではなかったってことで良いのかな。
テレビが砂嵐に戻る直前、鈴本くんがなにか言いかけていた。独り言って様子ではなかったから、佐々木さんに話しかけたんだろうと思う。
彼女が本物の佐々木さんではないと知っている身としては、気になる。
「もう戻って良い?背中痛い」
誰も動こうとしないことに痺れを切らしたんだと思う。
普段なら黙って集団を演じそうな自主性のなさそうな人。表情と言葉の色が薄くて、仕草という仕草がない。
「鈴本くんが教室に戻って来るかもしれないし、待とうよ」
「仮に戻って来たとして、だからなに?」
負けたなら励ますことは、クラスメイトの義務に含まれるかもしれない。でも勝っている。
しかもポイントを増やしている。カードを大きく外したことだってない。第四ゲームの3人ともKだったあれは悔しかったかもしれないけど。
それに教室に来るという保証はない。すぐに寮の自室に戻るかも。私ならそうしたいし、そういう人は多いと思う。
それでも待つこと自体を頭から否定しないこの女子生徒は、案外良い人なのかもしれない。
「連絡しようか。教室でみんな待ってるよって」
意外な発言をした男子生徒が視線を集める。困ったような仕草をしても、表情は笑顔のまま。
「教室に入らずにドアの前にいる鈴本くんに、僕が声をかけたんだよ。教室の様子がおかしいって戸惑ってたよ」
あの空気を作ったのは、鈴本くんだと思い込んでいた。
沢山の人が同じ色をしただけの、ただの空間。気持ち悪いくらい、教室の中が同じ色で満ちていた。
「僕も入りたくないなって思って、時間稼ぎに連絡先の交換をしたんだ。機械に慣れてない祖父母のように、ゆっくり操作したよ」
いつまでも穏やかに微笑む。それは、少し不気味でもあった。
「そして教室に入って、同じようにした。妙にオーラがあるとは思うよ。でも鈴本くんも、高校生になりたてのただの子供だよ」
「――長とは組織の頂点である。それと同時に、組織全体の犬だ。組織の存続と利益のためなら、あらゆる非道も喜んで行う――わたしの好きな言葉」
随分と黒々しい言葉たち。私は使わない言葉だけど、言いたいことはなんとなく分かる。
クラスのリーダー。それになるために必要なことを、鈴本くんはしただけ。なりなくないけど、決まったからには仕方がない。
少しでもAクラスという集団を演じた鈴本くんには、勝負のあと集団がどう演じるのか分かったんだと思う。あ、でもそれなら…
教室のドアが、開いた。
「鈴本くん、お疲れ様」
「ありがとう」
なんて言うんだろう。これで、この後の一言で、Aクラスの方針が決まってしまうかもしれない。
「途中、ハラハラさせただろ。悪かったな。勝ったことになっているが、元手を考えれば佐々木の勝ちと言って良いだろう」
「そんなことないよ。プラスになったポイントはDクラスより多いんだから。それに、鈴本くんすごかったよ」
Aクラスは、完璧を目指すことになった。けれど“一定の成果”が認められれば許される。そしてそれは、クラスの雰囲気で決定される。
違う色が無理矢理ひとつの色にされた。そんな瞬間だった。