17「Escape from escape②」
期末試験でも、ボーナスゲームがが行われた。中間試験のとき行われたものに似て非なるルール。
クラスの中で誰が一番点数が低いか、当てる。
内部分裂をさせるのが目的かもしれない。でもBクラスには元々そういう節あるから、関係ないと言えばない。
夏休みの宿題の量はそこまで多いと感じなかった。
堀井さんとだらだらと一緒にやったり、ショッピングしたり、映画を見たりと、楽しい夏休みを送っていた。
全てを思い通りにしようという父から逃げた先で、また逃げているだけ。そんなの分かっている。でも、どうして良いのか分からない。
ただ、それも今日で終わりかもしれない。そんな予感がある。
登校日の今日、必ずゲームが行われる。
そしてその予感が、ゲームのタイトルを聞いた瞬間現実味を帯びて襲って来た。
「君たちにはこれから、クラス対抗水中ボール鬼を行ってもらう」
水
それは、私が一番嫌いな罰だった。
「ルールは――」
声が遠くなる。聞かないと。後で聞かれたときに答えられないと、また。また、同じことの繰り返し。
嫌
「待って下さい」
堀井さんの声だけが、妙にはっきりと聞こえた。
「不参加って出来ませんか?足立さん、とてもゲームところではないです。なにに誘っても来てくれたけど、プールだけは嫌がって。だから」
「今回は6人1組だ」
担任の声も聞こえるようになった。私にとって堀井さんは、思いの外大きな存在になっていたらしい。
「水に入るのは組んだ6人の内ひとりと、組まなかった3人。この7人だ。不参加は必ず不利になる。まずはルール説明を聞け。足立、聞けるな」
「…はい」
ボールを持っていられる時間の制限は、期末テストの点数に準ずる。
6人1組の生徒は、他の5人の現代文、数学ⅠかA、英語、理科系科目、社会科系科目の点数。この内、ひとり一教科を選択したときの、5人の合計。
組まなかった生徒はどれか二教科。
1点1秒。500点の場合8分33秒。
組まなかった生徒は当然ボールが持てる時間が短くなる。だけど、ボールを当てたときの得点が通常1点のところ、3点になる。
当てられたときは一律マイナス1点。
終了後1点が1,000ポイントとして還元される。ただし、終了時に鬼だったクラスを除く3クラスのみ。
得点がマイナスだった場合、そのクラス全員から1点につき1,000ポイント没収。そのクラスが終了時に鬼だった場合、1点につき2,000ポイントになる。
ボールを持てる時間がなくなった生徒もゲームには参加し続ける。
鬼のときに時間がなくなった場合や、時間がなく当てられた場合、同じクラスの生徒が鬼になる。
鬼でいる間がボールを持っている時間の定義のため、手元にボールがなくとも時間が減っていく。
ボールは奪うことも出来る。ただし一度触れてから10秒以内に一度両手でしっかり持たなければ、当てられたと判定される。
1ラウンド8分。ラウンド毎に2分の休憩。これを4ラウンド。
終了時点で残っていたボールを持てる時間は、なににも還元されない。
「プールサイドに立たない生徒は、不参加とする。6人1組が4組組めない場合、つまり不参加の生徒が1名でもいた場合」
担任が私に視線を移す。
「当てた際の得点が3点になる生徒を選出することは出来ない」
「そんな…。でも今からそんな様子なのに、無理だよ」
大丈夫。プールサイドにいるだけ。大丈夫。
「大丈夫よ。ありがとう」
そう、大丈夫。ここには父はいない。
***
着替え終わった生徒たちが集まり始める。
それでも私はまだ、プールサイドに立てずにいた。湿ったプラスチックマットの感触が、私を居堪らずさせた。
「制服なんて気にしないで、入ろうぜ!」
「だから俺は…」
「足着くんだから大丈夫だよ」
2人の男子が鈴本くんの手を引いて、一緒に飛び込む。笑顔の2人とは違い、鈴本くんは足や手をばたつかせている。
本気で溺れている。
「足着くってば。なにしてるの?」
そんなの聞こえるわけない。
私の横を颯爽と誰かが通り、飛び込んだ。脇を抱えて立たせると、そっと手を引いてプールサイドへ導く。
「生きているか」
「うん」
「怪我はないか」
「うん」
「良かった…」
大きく息を吐いた鈴本くんに、過去なにがあったのか。それは多分、見ていた人なら誰でも分かったと思う。
溺れていたところを助けてくれた人が、亡くなったか大怪我をしたか。
完璧かのように言われている鈴本くんも、普通の高校生。
それにしても、助けたのが喜多見さんっていうのが意外ね。
明らかに気分が悪そうにしている生徒がいる。
Aクラス真木さん、Cクラス高橋さん、坂本くん、Dクラス鵜野さん、井上くん、村瀬くん。そして泳げないと言った小倉くん。この6人。
他から見れば、私もそう見えるだろうと思う。
完全にプールサイドに行くタイミングを失った私の後頭部に、水がかけられた。多分ホースかなにかから出している。
「水が苦手な人になにしてるの!」
「え?これくらい大丈夫でしょ?」
「そうそう。そんなところでボーっとして、なにしてんの?」
「…ご、ごめんなさい」
誰かがムッとした雰囲気になった。誰かが私へ向かってなにかを言おうとした。誰かが。誰が?父が?
「ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません。許して下さい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
繰り返し、繰り返し、ごめんなさいと言い続ける。そんな私の背中を、誰かが優しくリズム良く叩いた。
顔を上げると、加藤くんだった。
「それ…」
見たことのある、小さくて丸い火傷の痕がひとつあった。
なんていうんだっけ。忘れてしまった。母が亡くなったとき、よく聞いたはずなのに。ただ、母がこれについてなんと言ったかは覚えている。
「好きな人にキスをしてもらうと治るって聞いたわ」
「良いことを教えてもらった」
そっと差し出された手を取って、私はプールサイドに足を踏み入れた。
近くまで行って、初めて気付いた。真木さんはスカートの下に、足首までのレギンスを履いている。
シャツは長袖で、腕まくりもしていない。中には多分長袖の肌着を着ている。
いつも一緒にいる喜多見さんとは距離を置いている。多分、濡れたくないからだと思う。
適当な場所に座らせてくれた加藤くんにお礼を言うと、小さく頷いただけで行ってしまった。
加藤くんは、Bクラス内で密かに人気があるらしい。ああいう風に誰にでも優しいから。でも一匹狼の孤高さがあって、ミステリアスだって。
ああいうことは、表面的に優しいだけでは出来ない。それに、本当は私だって気付いている。
キスなんかで傷は治らない。
暴力的な父がつけた傷に、いつもの優しい父がキスをする。それすらもなくなってしまったから、母はそう言った。
こうして、夏休みのゲームは落ち着きなく始まった。




