16「be sure to you…②」
部室に吹き込んだ風が、二の腕辺りにある袖口を揺らす。そこからは細くて白い腕が出ていて、私はそれを見て強く思い知る。
自分の腕が、身体が、まだら模様であることを。
喜多見さんは、暑くないの?とかそういうことは聞かない。
「鈴本くん、部活に来ないときどうしてると思う?」
「想像できるのは、友達と遊んだり、勉強したりかな」
急に鈴本くんの話なんて、どうしたんだろう。今日のボーナスゲームのことで、聞きたいことでもあるのかな。
「宝探しゲームのとき、注意喚起をするか迷った。その理由が分からない。今回は普通にしてた」
そのクラスの内情について知っていること、知らないこと。それが分かってしまうだろうから、自信のない人はAクラスから選ぶように。
そんな感じだった。
確かに、今回の注意喚起は躊躇っている様子がなかった。でも宝探しゲームの方だって、いくらでも可能性はある。
単に言い方を考えていただけかもしれない。作戦の一部を変更しようかと思ったけど止めたのかもしれない。
私自身は、これが一番有力だと思っている。
分かっているだろうから言わないでおこうと思った。でもやっぱり不安で、念のため言うことにした。
「わたしは、真木さんが綺麗事を綺麗事だと思って綺麗に言おうとしてたから興味を持った」
入学式の日は特に良い子にしようと思っていたから、的を得ている。それを止めた理由は多分、難しくない。
私は綺麗でいようと思ったのではなく、正しく優しくいようと思っただけ。それが綺麗なんだと気付くのは、鈴本くんを励ました後だった。
全体が綺麗になったあのとき、私は多分、一番醜かった。
綺麗でないものが綺麗であろうとする。それ自体が悪いことだとは思わない。私はただ、思い知っただけ。
周囲が綺麗であればあるほど、とても醜く見える可能性がある。
私が母を醜いと思っていた理由が分かった。
どうせまたろくでもない男に引っ掛かるだけ。そう分かっているはず。なのに、懲りずに着飾る母の気持ちが分からなかった。
着飾った母を、いつも醜く思った。
私は綺麗であろうとすることを、正しく優しくいようとすることを、良い子でいようとすることを、止めた。
だから母の気持ちは今も分からない。
母と違う選択をしたのは、母が嫌いだからではない。違う選択をしたから、母をようやく嫌いになれた。
育ててくれた恩。良いところもある。そういうことを言い聞かせていた。良い思い出を美化させていた。
でも母もただの人間。母は生まれたときから母だったわけではない。
そう分かったら、嫌いになれた。これでやっと、私は母を好きになれるかもしれない。そう思えた。
「だから強くあろうとする鈴本くんが気になるんだね」
「そう。弱さを自覚して強くあろうとしてる人が、弱さを見せるなら誰か。割と気になる」
それは少なくとも、私や喜多見さんを初めとした部活仲間ではないない。普段教室で友達として過ごしている人でもない。
そういう相手がいると弱くなってしまうと考えて、作らないかもしれない。
これって、考えて分かることなのかな。
「でも、そういう理由だったなんて。本当に驚いたよ。まさか鈴本くんを待つことを反対した人に放課後デートに誘われるなんて」
「少し話そうと思っただけ。よく怖いって言われるから、まさかこんなことになるなんて思わなかった」
正直に言えば、最初は怖かった。
でもそう思われることを恐れている。それがなんとなくだけど、伝わって来て。だから、怖い人ではないと思った。
「正しく言わないと。友達になるなんて、だよね」
「それも正しいとしても良い」
着飾らない喜多見さんは、可愛い。この檻の中でしか会えないなんて、もったいない。どうしてここで出会ってしまったのかな。
今から別れることも再会することも考えてしまう。
必ず貴方を探し出してみせる。そうしたら本当の名前で挨拶をして、本当の名前で友達になろう。
そのためなら、なんでも出来るよ。私が持っている全てをあげられる。
いつまでも着飾らない貴方でいてね。そうしたら私がいつでも全て。
だから、鈴本くんのことなんて気にしないで。私だけを見て私だけを必要としてくれれば良いの。
「鈴本くんの話に戻す。天野くんからあった連絡。あの後鈴本くんの対応は少し遅かった。そして天野くんたちはゲームの参加資格を失った。しかもDクラスには不干渉。変だと思わない?」
…なんで?
「聞いてる?」
「うん…。少し変かもね」
なんで鈴本くんの話なんてするの。鈴本くんなんて、クラスなんて、どうでも良いのに。なんで。
「結果論だけど、Cクラスの作戦を言うか迷った」
「繋がっているかもしれない。そういうこと」
リーダーが他クラスと繋がっていることは、流石に見過ごせない。私と喜多見さんの平穏な生活が崩されてしまうかもしれないから。
「そういう話は俺がいなさそうなところでしてくれ」
「…いたの」
「図書館に寄ってから来たんだ。夏休みに大掛かりな実証をしようって作品が未読だからな」
小説を鞄に仕舞って、同じ机に着く。
「立ち聞きするのは趣味ではない。すぐに声をかけた。聞かせてくれないか。俺にはひとりひとりを信頼する役割もあるからな。信頼や親しみ、そして悪意。感情は人を巡る。今の話を有耶無耶にしたままには出来ない」
これは、本当の強者は知らない。鈴本くんがそういうことを理解出来る年齢のときに弱かった過去を示していた。
「ただの言いがかりと勘」
「勘か。鋭いな。誰にも言うなよ」
困ったように笑うと、後半は声を潜める。
「宝探しゲームで俺はC,Dクラスの生徒と協力関係にあった」
「Aクラスの生徒からもゲームへの参加資格を奪ったのはなんで。一組ならカモフラージュっていう言い訳も分かる。でも違うから」
なんで食い気味に聞くの。そこは重要なの。なんで。
「Cクラスがああいう作戦を取るよう誘導したが、Aクラスを除くまでは誘導出来なかったらしい。流石に不自然だから仕方がない。だが自分がいた組では最大限努力してくれた。特別足の速くないお前たちが逃げられたんだからな」
あれは少し遠くで誰かが音を出して、それで…だから…
「Dクラスはそこまで協力関係ってわけでもなかった。不戦協定だな。反応が遅かったのは、俺たちもCクラスに遭遇したからだ」
中庭には若槻くんたちがいる。下手に動き回ることは出来ない。だから協力者の組でも撒くのに時間がかかった。辻褄は合う。でも…
「これは聞こえていたことだ。Cクラスの作戦を言うか迷った理由は、先を見通した発言をし過ぎると次がどうなるか不安だったからだ」
そんなこと言わないで。弱さを見せないで。
「どうして誰とどういう協力をしたの」
「それは答えられない。守秘義務ってやつだ。それにあのゲームでだけだ。天野たちは運良く損害を免れたが、軽率だったと反省している」
私を見て、小さく笑う。
「今日は慰めてくれないんだな」
私は、この人が嫌いだ。




