第7話 グレート・ギャツビー
到着〜
「え?ここ?」
「ほうじゃ、ヨシブーにチャリンコ借りたんじゃ」
お堀の外れは駐輪場になっていた
その一画
「あった、これじゃこれ」
「僕はどうすんの」
「乗ったらええじゃろ」
「2人乗り?」
「それ以外にどう乗るのよ、早ようしんさいや」
それは恥ずかし過ぎる‥
「いや、いいよ僕は走るから」
言ってから後悔する
いつもだ‥
「変わっとるわねえ、ゆっくり行くけん、好きにしんさい」
「はい」
僕はリーガルのズックをきちんと履いて
ランニングに備えた
走れるかな‥
学校という名の
矯正施設まで約3キロ
自転車を飛ばしても
ホームルームに間に合うかどうか‥
でも
女の子の後ろに乗っけてもらうなんて
ぶざまな真似はできない
バス通りに出た
他の生徒は見当たらない
彼女はゆっくり
自転車を漕ぎはじめる
さあスタートだ
タッタッタッ…
ああー
素晴らしいぞ
これが青春だ!
まるでロッキーみたいじゃないか!
パンパカパンパカ
パンパカパアーン!
目の前が一気に
フィラデルフィアの下町になる
昨日までの
冴えない人生にさようならだ
「ねえ、鞄入れていいかな?」
「ええよ」
僕は前カゴに
自分の鞄を放り込んだ
彼女の鞄も一緒だ
なんか嬉しい‥
ぺっちゃんこの鞄
バンザイ!
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「ねえー、ずっと朝いなかったよねー」
「うん、調子悪うて」
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「なんか病気いー?」
「ううん」
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「じゃあカゼー?」
「そんなんじゃないんよ」
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「じゃあナニいー?」
「何って、なんでもないけん」
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「調子悪いって、さっき」
返答なし
ああー
なんかキツクなってきた‥
ちょ‥ 早くない?
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
「ねえー、どっか具合悪いのおー」
「じゃけん、悪うないって」
キ〜コ〜キ〜コ〜〜!
タッタッタッタッタッ!
距離が離れてく
ちょ、ちょっと待っ‥
エイドリアーン!
ふざけてる場合じゃない‥
彼女との距離約3メートル
引き離されてたまるか
うおりゃあああー!
タッタッタッタッタッ!
「ちょっと…待っ…」
「アタシい、女の子なんじゃけど?」
「し、知ってるよー」
「ばか」
ば、ばか?
気難しい子だ‥
きれいに舗装されたバス通りは行かずに
僕と彼女は
民家が軒を連ねる旧街道を通ることにした
昔の街道だから
車が2台やっとすれ違える程度の広さだ
古い自転車屋や畳屋さん
木材店に石材店
それに文房具屋を兼ねた駄菓子屋なんかが
まばらに立ち並んでいた
商店の軒先には
錆びて色褪せたオロナミンCやキンチョールの看板が吊り下がったままだった
西口の再開発から
すっかり取り残された感じだが
手付かずの雑木林や杜に囲まれた小さな神社なんかがあって
ちょっぴり風情もあった
だべりながら行くには
こちらの道の方が良い
舗装はしてあるものの
あちこち穴ぼこだらけで
僕たちはその穴を除けながら走った
彼女との距離
約50センチから2メートル
だいぶ縮まっただろ?
ゼエゼエ…
どうせ遅刻しそうだから
もう歩かない?
悪魔がささやく
ゼエゼエ…
「大丈夫う?」
「ぜんぜーん平気!」
ゼエゼエ…
ガハッ!ゴホホ…
「オタク、桜田淳子とキャンディーズのファンなん?」
「い、いやー、べ別にー」
あ、鞄だ!
「これ、誰かのサイン?」
「あー、それはー」
「チ、タ?」
「えと、それは、僕のサインじゃー」
白のマジックで書いた自分のサイン
むろんオリジナル
「あ、タカスギねー!上手じゃね」
「作ってあげようかー」
「アタシの?」
「うん」
「あははは、いらなーい」
「あはははは」
誰か
シンナー貸してくれえ‥
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜〜
ゼエゼエ…
「スタイルええよね、身長なんぼ?」
「175ー」
1センチ、サバを読む
「体重は?」
「45くらいかなー」
「ええ!うそおー、もしかしてアタシより」
「何キロー?」
タッタッタッ
キ〜コ〜キ〜コ〜
ハッハッハッ…
ゼエ…
「ねえ〜何キロくらい〜?」
またも答えなし
ハッハッハッ…
キ〜コ〜キ〜コ〜
タッタッタッタッタッ!
ホント気難しいな‥
ゼエゼエゼエ〜
ああーしんど‥
目前に穴ぼこあり
右だ‥
右に除けよっと!
僕は右へ〜
そして彼女は左へ〜
えー!なにーッ!左ッ!?
一瞬の出来事なのに
スローモーション映像を見てるようだった
まさか彼女が
僕が避けた方へ
ハンドルを切るなんて…
ではそのあたりを
再現フィルムでもう一度
あああ〜
左のお〜
グリップにいいい〜
肘があ〜〜肘がああ〜
当たるううう〜
ブレーキいい〜
ブレーキを〜〜
「きゃあああああ〜」
ままま、ま、マズイいい〜
ポッケからああ〜
手がああ〜
ぬ、抜けねえええ〜
ああああ〜穴ぁ〜
穴穴穴穴穴穴穴あ〜
よってえ、よってええ〜
手え〜手があああ〜
抜け〜なあ〜〜い
抜けなあぁぁ〜いぃぃぃ〜
と!と!と!と!とっ!
僕はカッコつける時
たいていズボンのポッケに手を突っ込んでいる
だから
それが
抜けない
しかし彼女を
巻き添えには
できない!
バランスを崩しつつも
左へジャーンプ!
とおーっ!
運の悪いことは続く
着地点には
また別の巨大なクレーターが
ぽっかりと地獄の入り口を開けていたのだった
ととっとっとと…
…っとととてちてた!
<地獄の一丁目>
<こちら>
勢いがついて
とてもじゃないが
体勢を立て直すなんて無理
「うああたたたあーッ」
グシャリ………
アスファルトとの距離
0センチ
無事
僕だけがスッ転んだ
しかも
受け身ひとつ無しだ
なんも言えねえ‥
ものすごい間抜けなこけ方
賢そうなこけ方というのもあまり聞かないが
やや遅れて襲いかかる強烈な痛み
うぇ〜ん、痛いよお‥
泣いている場合じゃない
「だ、大丈夫?」
ああマリア様‥
とーってもセクスィなアングルう〜
自転車の上から斉藤広美のやさしい声がした
「はっはっはっ!ぜんぜん大丈夫さ!」
なわけがない
しかしここは
カッコつけなければ‥
「ほんとにい?」
「ああ、もちろん!」
イテテテ‥
骨折れたんちゃうか‥
自転車から降りて
彼女がすぐそばまで
やって来た
息がかかりそうなほど近く
じっと覗き込み
そして…
僕の前髪に触れる
きゃあ!きゃあー!
なんばしよっとかあー!
もう赤の他人の距離ではなかった
夫婦だ
これはもう
夫婦の距離だ
新婚さーん
いらっしゃあ〜い!
「泥がついとるんよ、仕様のない子じゃねえ」
ドキドキドキドキ‥
「髪、さらさらなんじゃね? それになんかええ匂い」
ムヒョーッ!
ムヒョーッ!
ムヒョーッ!
(うるさい?)
「ガ゛、ガム噛んでたからじゃないすか?」
本当は
エッセンシャル・リンス
使ってて良かった‥
でも嘘をつく理由ってあるのだろうか
彼女が僕の髪についた泥を落としてくれていた
あの短くて長い瞬間
時間よ止まれ
君は美しい‥
「顔にもついとるよ」
そう言って
彼女の指先が僕の頬や
額についた小さな砂粒を
ひとつづつ
丁寧に掃い落としていく
「長い睫毛じゃね、女の子みたいじゃ」
ゴロニャア〜〜ン…
「なに笑おとるの? どっか打ったんじゃないの?」
打たれました
あなたとゆー稲妻に‥
ユア ローリング サンダああー!
小さな眉間にしわを寄せる彼女
だけど僕は
緩みっぱなしで
どうしようもなかった
「さあ、早う行きましょう」
「はあーい!」
僕と彼女の距離‥
なんも言えねえー!
(2回め〜)
(え? 時代が違う? 気にしない、気にしない)
僕と彼女はそのあと
バス通りを横断して川沿いの土手を歩いた
この土手は真っすぐ
僕たちが通う学校の裏手まで続いている
僕がまだ
痛そうに足を引きずっていたので
彼女は自転車を降りて
僕に付き合ってくれた
「どっちみちもう遅刻じゃけん」
と言って彼女は笑った
道々、僕たちは
最近学校であったことや自分たちの進路について
当たり障りのない話しをした
2人はまだお互いを
まったくと言って良いほど知らなかったし
初めて会話らしい会話ができた喜びと興奮で胸は一杯だった
生徒たちから
嫌われるタイプの教師は
公正や公平を欠く連中だ
この点においては
万国共通だということがわかった
特に彼女の場合
テストで辛い点数を点ける教師には
畏怖を感じると言っていた
自分が目指す大学の
受験に不可欠な教科の担任に限って
偏屈だったりするものだ
内申書を盾にして
独自の理論を実践したがる
親にはこれ以上
心配も迷惑もかけられないから
絶対に現役で志望校に受からなくてはならない
そう彼女は口癖のように言っていた
その小さなげんこつを握りしめて
彼女にとって入試は夢への第一歩なのだった
僕は彼女が
僕と出会う以前
彼女がそれまでの人生を
どんな風に過ごして来たか知りたいとは思わなかった
これは本当だ
世間には
恋人の過去を知りたがる人は少なくない
僕は理解に苦しむ
というか
気にならない
僕は今目の前にいる
彼女の方に興味があるわけで
彼女が話したくないことを知りたがるのは
男として
してはいけないことのよう思えた
だから彼女が
煙草を吸うようになったきっかけも
彼女が親に掛けてきた心配や迷惑の類いも
僕は今も一切知らない
僕の方はいったん気を許した相手には
何でも喋るたちなので
(何でもと言っても過ぎた過去に関する限りだけど)
結構いろんなことを彼女に語ったと思う
僕がこう思う
こう考えるという事柄の10のうち7つか8つは
彼女にいつも否定された
たぶん
その通りだったのだろう
あなたはいつも考え過ぎだし
もっと自由に生きるべきだ、みたいなことを
よく言われた
でも僕は自由だったし
大きな不自由を感じる理由も
格別なかった
そう
彼女と出会うまでは
僕が男としてもっとも
カッコ良いと思った1人にあの偉大なる
ギャツビーがいる
映画の“華麗なるギャツビー”も良かったが
小説の方が断然面白い
僕は主人公ギャツビーの生き様に心打たれた
そして本物の男がすることや言うことは
ちっとも気障じゃないことを知った
僕らが初めて
一緒に歩いた土手の道はでこぼこで
曲がりくねっていて
田舎では少しも珍しい光景ではなかったけれど
学生たちが踏み鳴らした道の傍らには
小さなクローバー達が
白い花を雪のように咲かせていて
それはまるで
天国に通じる道のようだった
野鳥が2羽
僕らの前を
地面すれすれに滑空して行った
1羽が弧を描いて急上昇すると
あとから来たもう1羽が
その軌跡を追いかけるように
舞い上がった
「今のは何?」と彼女
「ツバメじゃろ」と僕
「時期が少し早ようない??」
彼女が不思議そうに空を見つめた
「季節のことなら僕らより奴らの方がきっと詳しいって」
「ねえ」
「何?」
「オタク、たまにカッコええこと言うのにネ」
のにネ?
のにネ、とは何だ!
僕はギャツビーになる男だぞ!