第4話 ハロー、暗闇よ
2008年 12月
アメリカの金融大手破綻に端を発した世界同時不況の嵐は
とどまる所を知らず
各国で大勢の失職者が出ているという
日本でもその余波を受け
経営危機に陥った企業等が相次いで臨時雇用社員の契約解除に踏み切り
その数は85,000人にも上ると発表された
殺伐とした事件が
毎日のように紙面を賑わせ
市民は
何処から襲ってくるかわからないテロや
目に見えない新型ウィルスや
近々起きるであろうと予測される都市直下地震に
脅かされながら暮らしている
こんな書き方をすると
まるで
近未来小説の不吉な出だしみたいだが
一般庶民にとっては
絵空事ではない現実なのだった
不景気ならば節約しかないと
そんな倹約ムードと合致したのか
国民のエコ意識だけは高まった
けれど実際のところ
不況は深刻化し
人々の心からは団結心や
共に苦境を乗り越えようという気概も
徐々に薄れていくようであった
大衆の多くは
自分と家族の生活を細々と守っていくのが精一杯なのだ
そして
僕もまた
不安を隠しながら
暮らしているひとりなのだ
明日は我が身なのかも知れないと
思わない日はない
ところで
今から何10年も昔
僕が生まれるもっと以前に書かれたSF小説の中には未来の徹底した管理社会がよく出てくる
斬新なデザインのクルマやファッション
そんな未来都市を背景に寒々しい世界が描かれている
けれどその未来が
現実に訪れてみると
国家や企業の管理は(幸か不幸か)
案外ずさんで脆く隙間だらけのように思える
キューブリック監督の風刺映画“時計じかけのオレンジ”もまた近未来が舞台である
管理体制に反発する
未来の不良少年アレックスの無軌道ぶりが
シニカルで強烈な印象を残す
SFの世界が
未来を予想するとはよく言われるが
2008年のリアル社会は
キューブリックがイメージしたほど
ロマンチックなものではなかった
空飛ぶクルマは
子供らの夢としてまだ健在であり
SFには必須アイテムのロボットも
アンドロイドと呼ぶレベルには達していない
その一方で
インターネットが驚異的な早さで発達した
今や誰もが簡単手軽に
地球上のあらゆる場所で様々な情報を瞬時に交換し合っている
グローバル化という時代のニーズに合ったと言うべきなのだろうか
あっという間に世界中に普及したのである
僕たちは
いくつかの単純な手順さえ踏めば
クリックひとつで
地球の裏側の世界情勢を
リアルタイムで知ることが可能になった
どこでもドアじゃないけれど
こんな具合に
インターネットが一般に浸透する未来なんて
いったい誰が予測しただろう
ビル・ゲイツには
わかっていたかも知れない
さて、そろそろ
話しを昔に戻そう
と言っても
タイムマシーンに乗るわけではない
目を閉じて
静かに思い出すだけだ
その前に
僕は思うのだけれど
暗い世相というのは
どの国のいつの時代にもあった
しかし
暗い時に暗いことをいくら考えても
物事は好転しない
うまく行かない時こそ
凌がなければならない時である
むっつりと苦い顔をして
手をこまねいているより
何か別の楽しいことを考えた方がましだ
少し考えれば
子供にだって分かりそうなものだが
僕は
そのことに気付くのに半世紀近くかかった
でも
あの高校の3年間で
特別な何かを学んだというわけではない
というのは
何ひとつ教訓になりそうな出来事はなかったからだ
僕たちは
こんな風だったと
ただ説明するしかない
それだけで十分なのだと思う
1960年代
高度経済成長の真っ只中
僕が生まれた時
アメリカは
すでに戦争を始めていた
長く暗い戦争だったと聞く
親父はよく働き
母親はよく物を買い
2人はよく喧嘩した
親父は酒を飲んでは暴れ
母親は教育ママゴンになった
デパートの食堂で食べる
お子様ランチや
カスタードプリンが
たまのご馳走だった
アトムと鉄人28号に夢中になり
メンコとミニカーを集めた
おやつはグリコと
ビスコだった
テレビがカラーになり
ウルトラマンが始まった
ある日突然
母親が
帰って来なくなった
僕が9才の時だった
僕はこの時
一生分の涙を流した
僕には
たくさんの夢があった
パイロット
(万年筆じゃないよ)
新幹線の運転士
レーサー
(マッハGo!Go!Go!)
昆虫博士
天文学者
1960年代‥
誰もがひたむきで陽気で
正義感と慈愛に溢れていたのに
あんなに
海外旅行を楽しみにしてたはずなのに
あんなに
ドライブを楽しみにしてたはずなのに
いつしか
幻想は打ち砕かれて
夢と現実の境界線が見えるようになった
僕が幸せだったのは
日本が戦争に
負けていたことだった
何故って?
もし勝っていたら
僕たちは何度となく
同じ過ちを繰り返してたんじゃないかと思う
強い親父がいつも勝つんじゃなくて
母親が亭主を負かすことも世の中には必要なんだ
偽善的で
独善的な父親
アメリカから
一気になだれ込んで来たのは
映画とスポーツとセックスだった
そして最後に
ロックがやって来た
ヤア!ヤア!ヤア!
暗い話しはやめて
ロックを語ろう
ロックの定義は
人それぞれだと思う
ハードもあればソフトもある
ブラックだのホワイトだの
オーケストラに
アコースティック
シンセに
アンプラグド
型にハマらないのがロックなら
型にハメないのもロック
好きなように感じ
好きなように楽しめばいい
それまでの
どのカテゴリーにも属さない音楽
カテゴリーを取っ払って
フィーリングだけで突っ走る音楽
最初に突っ走ったのは
チャック・ベリーじゃなかったっけ?
単純なリズムと派手な衣装
カッコ良いギターのリフ
ポップでストレートな歌詞
(もしくは意味をなさない叫び)
覚えやすく軽快なサウンド
すべてはノリ
サイコーのノリが
青春の思い出を彩る
ロックの良いところは
誰でも簡単に聴く(参加する)ことができ
やる気さえあれば
自らも簡単に作り出す(発信する)ことができる
ということだ
このお手軽さは
インターネットの波及と似ている
“誰にもカンタンに”は
流行のキーワードだ
テレビやラジオという
媒体があったからこそとも言えるのだけれど
若者たちの
ハートがブレイクした要因には
ロックが内包する
反体制的な気分や質感みたいなものがあったと思う
平たく言えば
不良性かな‥
国家や訳知り顔の大人たちの言うことが
常に正しいとは限らない
激動の60年代
若者たちはそのことに対し抵抗を試みた
直接的ではないにしても
ロックを通じて
ある種の抗議を行ったのだ
はじめは
大袈裟なものじゃなかった
ロックンロールは
山の手育ちの品の良いお坊ちゃんや
お嬢様からは白い目で見られ
保守的な大人たちからは
低俗で破廉恥と見なされた
その長い不遇の時を
ブレイクしたのが
ビートルズだった
ヤア!ヤア!ヤア!
(2回目)
どんなロックも
ビートルズには敵わないんじゃないかと
僕は思っている
ストーンズファンの皆さんごめんなさい
英国のリバプールという田舎町の4人組が
世界のあちこちで
ビートルズ旋風を巻き起こしたことは
誰でも知っている
彼らの偉業は
一見不良の音楽で
英語圏のみならずアジアの片隅の若者達までを
熱狂させたことではなく
ロックという
雑多で騒々しく不謹慎な
音楽の一ジャンルを
後世まで残る若者文化へと引き上げたことである
とりわけ彼らの来日は
若者たちのファッションやライフスタイルを
モーレツな勢いで発展加速させた
ロックに潜む不良性は
時代と共に希薄になったけれど
今もアーティスト達は
自分たちが正しいと感じることを
声高らかに曲に乗せ配信している
ビートルズが進化させ続けグループの解散前で
その頂点を極めた高い音楽性は
エブリバディが認めるところだろう
ビートルズと同時期
あるいは後続のミュージシャンの多くは
少なからずビートルズの楽曲や
アルバム作りにインスパイアされていく
だって
世界中どこに居たって
ビートルズの音楽は流れていたんだし
何100回となく聴かされていたんだから
これって
仕方ないことだよね?
もし彼らが
インターネットの時代を生きていたら‥
なんて思う
1970年代 混沌
ビートルズは解散
ケネディもモンローもいなくなった
万博/月の石
ハイジャック
ウーマンリブ
光化学スモッグ
新空港
仮面ライダー
カップヌードル
横井さん
浅間山
ベルばら
ランランカンカン
第2次ベビーブーム
コインロッカー
ツチノコ
トイレットペーパー
日本沈没
予言
ニクソン
むつ
リンリンランラン?
長嶋茂雄引退
北の潮
ユリゲラー
ブルースリー
ゴジラ
マジンガー
たいやき
ハイジ
オヨヨ
…と
日記には書いておこう
そんな感じで
(どんな感じだ!)
夢はブレイク
幻想と現実のはざまを
人々は行ったり来たりした
反体制的な気分は
ますます露骨になり
世間では思索的で
批判的な態度がはびこった
どこでどう影響を受けたのか
僕たちも
無気力、無関心、無感動などと後ろ指を差され
「あんな風にはなるな」
という教育をされた
スマイルマークは
いけないのか!
Vサインならいいのか!
ヨーヨーはいいけど
ゴーゴーはマズイらしい
けれど僕たちは
先輩たちの
教えをしたたかに守った
ラブ&ピース!
時代を駆け抜けた
ヒーローたち
この頃ヒーロー達は
ざっと数えても
500人はいただろう
それに比べ
僕たちの
暢気さ、気楽さ、素朴さはいかがなものだったか
生まれた時期が
良かったのか悪かったのか
その中でも
飛び切り僕はのんびりしていて
世の中の過激な変化から
軽く10年は遅れていた
あちゃあ〜
深刻な問題は
大学受験
これに尽きるが
赤門に入るかどうか
(物のたとえ)
ゲタを鳴らして登校するかどうか
(これも物のたとえ)はたいしたことではなく
僕たちの貴重な余暇が
受験勉強という
面白くもなんともないジョークで
奪われているという事実だった
試験試験
テストテストの毎日
テレビの中では
夕日に向かって
みんな走ってるっていうのに
僕の周りじゃ
みんな参考書を探して
走り回ってる
教科書ガイドだけあればいいんじゃないの?
何か
もっと大事なことが
あるはずだ
僕たちの時間を返せ!
僕たちの自由を!
かもめにだって
わかることだぞ
ねえ皆サン?
世間が
混迷を極めているというので
僕もなんとか
混迷したかったけど
混迷はせずに
成績が低迷した
ぶっちゃけると
僕はビートルズ世代ではない
黒ヘルやゲバ棒とも
縁はなかった
子供の頃から
テレビの前に座って
夜遅く帰る親を待っていりゃ世の中って
なんか変だなあ〜
くらいのことはわかる
転校が多かったせいで外で遊ぶことが減り
映画や怪奇小説ばかり見ていたから
僕のスタートは
他の少年たちより
ずいぶん出遅れたのだ
2月生まれだったせいもあるんだけど‥
僕の思春期は
かなり遅かった
だから
洋楽に目覚めたのも
西郷や園部と知り合ってからになる
和製フォークも
2人から手ほどきを受けたくらいだ
僕は映画音楽と
歌謡曲しか知らなかったから
びっくりしたなあー、もう!
であった
けれどすでに和製フォークは衰退期にさしかかっていて
ニューフォークだの
ニューミュージックだのという
なんでも
“ニュー”を付けりゃいいみたいな雰囲気だった
僕は
何かを探していた
学校とかテレビとか
そんなんじゃなくて
心の中の
もやもやしたもの
小説を読んでもわからない
ニュースを見ても
わからない
教科書の中になんて
あるわけがない
そういうものを
僕は
待ち侘びていたのだった
ハロー、暗闇よ
そんな頃出合った曲が
S&Gの“サウンド・オブ・サイレンス”だった
ビートルズが
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドをリリースしたのが1967年
(なんてイカしたタイトルなんだ、こんなの日本人には絶対作れない)
サウンド・オブ・サイレンスは
翌年の映画“卒業”の
挿入歌として
リバイバルヒットした
曲自体は
それ以前に書かれたものだ
サイモンとガーファンクルは
どちらかと言えばフォーク・ロックだが
その透明で高音の美しいハーモニーに
僕はたちまち魅了された
朝から晩まで聴いた
レコードが針で擦り切れるくらい
何度も繰り返し聴いた
なんというか自分に
とてもフィットしていたのだ
この曲さえ聴いていれば
すべての不安や痛み
苛立ちから
解放されるような気がした
彼らの繊細でクリアな音楽には
物悲しさが漂っていた
それがたまらなく
好きだった
自分に向いていると
感じた
無理をせず
より自分らしく
あるがままでいられる
つまりそういう感じだ
詩も良かった
抽象的な部分もあるけど
それがサウンドと合わさると
不思議と
気にならなかったものだ
なんと言えば良いだろう
いつかは壊れてしまうって
わかっているけど
それはそれで
仕様がないじゃないか
今僕は
君の前にいて
気分がとても良いんだ
この気持ちを
無理矢理変える必要なんて
ないだろう?
僕の周りは
ちっともうまく行かないことだらけだけど
君がいるから
ハッピーでいられるんだよ
そんな
優しさと思いやりに満ちていたのだった
僕は
洋楽との出会いをきっかけに
出遅れた10年分を
取り戻す旅に出た
旅といっても
何処かへ出かけるわけじゃない
針をレコードに落として
歌詞を読むだけでいい
すべてが
一通り落ち着きを見せ
80年代へと引き継がれていく
新しい方向性を模索する時代が
すぐそこに迫っていて
その連結部分に僕は立っていた
僕の中では
古いものと新しいものがごちゃまぜになっていて
おもちゃ箱のようだった
が、それは
ちょっとした快感でもあった
ビートルズも
S&Gも
10年以上も前の曲だったけれど
僕にとって
彼らはデビュー仕立てだったのだ
僕には
文字どおり
ハロー!暗闇よ!
だったのだ
彼らには
暗黒の時代だったにしてもだ
僕の闇は
解き放たれようとしていた