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第2話 招かれざる客

穏やかな穏やかな

ポカポカとあたたかい日曜日


いつもより早く起きた僕は妹に朝食を用意して


兼高かおる世界の旅を見ていた


今日は水の都ベニス



水上都市の建築構造に感心しながら

ココアをすすっていると


ボサボサ頭の妹が顔を出した


高杉聡美

僕より3つ下の中学3年生だ


「もう起きとん?」


「パン食えよ、カップにお湯たすだけじゃから」


「もう食べた」


「なんか用か」


「ううん、別にいー」



妹には

ついつっけんどんな言い方になってしまう


近頃何を考えてるのか

さっぱりわからない


我が家には

母親がいないので

みんなマイペースなのだ




朝食は

食パンにピーナツバターを塗っただけ


あとは

カップにココアと砂糖を入れておく


タマゴは嫌いだから

出さない


たまーに

ハムとレタスを出しておく



妹はなあーんにもしない


掃除も洗濯も

簡単な食事の支度も

全部僕の仕事だ



妹の机の上は

いつも

将棋くずしの山みたいになってる


以前は

よくいじめて泣かせたけれど

僕が高校になってからは

一切やめた


彼女の発育が

僕より格段に良いとか

そういう理由ではない




「おい、机の上片付けとけよー」


僕はまた

テレビに没頭する



テレビは

最新型のトリニトロンだ


タッチチャンネルと言って縦に並んだ小さなボタンに軽く触れるだけで

見たいチャンネルにサッと切り替わる


しかも16(?)インチの

大画面!


いやいや

当時はこれでも凄かったのだ



小学生の頃

Uチャンネル(UHF)が見たいと言って

一晩中泣いて

親父を困らせたことがあったが


今回も

その経験が生かされず

VHFしか映らないのは

ちょっぴり残念だ



とりあえず

僕としては

ザ・ベストテンと

コッキーポップさえ見れたら

差し当たり問題はない



兼高かおるが終わり

ジェット旅客機がブーンと

画面の彼方に

消えて行ってしまったので


僕は自分の部屋に戻り

カセットをかけて

窓を開けた


西郷に借りた

オリビア・ニュートン・ジョンを録音したものだ



“田舎道”

なんて飾り気のないタイトルなんだろう!


去年発売されたばかりの

このベスト盤“詩小説”には

他にも名曲がたくさん詰まっている


イフ・ノット・フォー・ユー



美しき人生

涙の想い出

青空の天使


そよ風の誘惑

レット・ミー・ビー・ゼア


愛の告白



このLP

買っちゃおうかな‥

それだけの価値はある



時折吹く風はまだ

ひんやりとしていたけど


バイクで走るには

絶好の日だった



ああ、しかし‥


僕は愛車CB50を

売り払ったばかりなのを思い出した


このCB50はチューンナップせずに80キロは出た


何度命を落としかけたか‥


誰も信じないが

手放したのは

学業に専念するためだった



西郷秀樹は

すぐにやって来た


遥か遠くからでも

けたたましい

エキゾーストノーストが

鳴り響いてくる


近所から苦情のないのが不思議だ



スタンドを下ろし

シールドを上げると

銀縁の眼鏡の奥に二つの険しい目があった


頬からあごの一帯に

無精髭が伸びている


デカイ頭から

窮屈そうにメットをむしり取った


「忙しいのに何んの用じゃ」


かなり不機嫌


勉強しているというのを

無理矢理呼び出した


ここは低姿勢で


「久しぶりにどっか連れてってくれ、勉強がちっともはかどらんのじゃ」


はかどった試しなんかないが‥



「しょうがない奴じゃのお」


「どこでもええんじゃ」



「ほんま、どこでもええんじゃの?」


「今日中に帰れるとこにしてくれよ」



「わかった、乗れ」



勉強なんか

どうでもいい


こんなに良い天気は

きっと神様の贈り物に違いないのだ


家の中で

じっとしてるなんて

馬鹿げてる



夕方には帰るということにして

バイクのケツに跨がった



彼の弟用だという

フルフェースのメットもぶかぶかで

僕にはデカすぎた


いざという時は

おそらくすっぽ抜けるだろう


安全性の保証は全くないがこの際仕方ない


いざという時が来ないことを

祈るだけだ



僕は

西郷の腰をまさぐって

彼の腹に食い込んだ

ベルトを探した


ごそごそ…


「うははは!ナニしよんなら!」


「笑うな!危ないぞ!」


「シートに掴まれ!!シートに!」


「いやじゃ!落ちる!」



僕はぶよぶよした

腹の贅肉と

ベルトの隙間に

懸命に手を差し入れた


「荷台に掴ま…うはははー!」



小さな町の日曜の朝


メインストリートを

エルシノア125の

甲高い排気音がつんざいて行く


ターンタタター!

ターンタタタターン!



西郷と

僕の笑い声が

その音に掻き消される


「西じゃあー!西へ向かえー!」



「おおーっ!」


バックミラーの中

寂れた小さな町並が

ぐんぐん遠ざかっていった




町中を出て

川沿いの道をしばらく走る


間もなく

国道2号線と交差


映画の“バニシング・ポイント”に出てくるハイウェイみたいな

一直線の道路が

山間の静かな町を分断するように

一方は東へ一方は西へ

果てしなく延びている



目に映るのは青く霞む山々と

見渡す限りの田畑


それに

森や林

川や池や沼


集落は広い範囲で点在していて

大字で始まる住所も多かった


わらぶきの家屋も

至る所で見かける



巨大な18輪トレーラートラックが

轟音を上げて爆走するルート2を渡り

町境を越えた



今度は2級河川N河の支流沿いに

でこぼこ道をひた走る


周りは全部

たんぼと畑だ



小高い山々が

次第に間近に迫る


古い農家の屋根が

ぽつりぽつりと

山の裾野に寄り添うようにたたずんでいた



道はますます悪くなり

ホンダエルシノアは

2ストロークエンジンのトルク性能を

いかんなく発揮し始めた



硬いシートに

ガンガン尻を打ち付ける


「西郷おー!」


「なんじゃああー」



「ケツが痛いぞおー!」



「我慢せえー!」



「どこまで行くんならああー!」



「どこでもえーんじゃろがー!まかせとけえ!」


イヤなノリだった 



まったくもって

イヤな予感‥



バイクが

ようやくスピードを落とし狭い1本の農道に入った


どうやら山の中腹にある

1軒の農家に近付いていくようだ


白く薄汚れた土塀が

2階建ての母屋と納屋をぐるりと囲んでいて

納屋の奥には

農器具が見えた



庭先へと続く

人ひとりがやっと通れるほどの狭い坂道を

バイクは遠慮なく登りつめた


もっとも

遠慮なんかしていたら

あっという間にエンストして

僕ら2人は

4メートルたぶんそんくらいの畑に転落していただろう



やっと庭へ辿り着く


広い庭の真ん中に繋がれた真っ黒い犬が

狂ったように吠えた



「エ…エンジンを切れ、エンジンを!食われるぞ!」


タタタタ、タン…


ストトン…



僕は降りて

周囲を見渡した


「誰んちじゃ、ここ?」



「誰んちかのお〜」


「誰んちなら?」



「当ててみいー?」


ニヤニヤと西郷が笑った



全然わからない‥


ウウ〜ッ

ワン!ワワワンッ!



「わからんか?」


「わからん、誰じゃ?」



「ヘッヘッ、斉藤んちじゃが」


「斉藤…?斉藤って?」



「ははは!斉藤広美じゃ、斉藤広美」


な、何言ってんだ

はははってお前?




納屋の中から

ほっかむりをしたおばさんが現れた


これが

斉藤広美のお母さん



「いらっしゃーい」


「ああどうも…」



「広美のお友達? …ひろみいー!ひろみいーッ!」



お、おい‥西郷


どうするんじゃ!この馬鹿たれ‥

いったい何考えてる‥

ああーもう!



西郷は

可笑しくてたまらないみたいだ


両手で口をふさいで

肩を揺らしている


き、貴様、西郷

ぶちまわす

絶対ぶちまわしたる‥

ああ、でも

勝てそうにないぞ

チキショー‥



「ひろみいー!ひろみいーッ!」


あ、お母さん

もう結構ですからハイ‥


ガラガラ…


「なにいー? やかましいねえ」



さ、さ、さ‥

斉藤‥さ ん‥‥

こ、こ、こ、こ、こん‥



「こらっ!」


は、はい?


「そげんに吠えんのよ!」


ああ、犬か‥


「クロゆうんよ、ねえ〜 クロちゃ〜ん」


見ればわかります‥



「どうしたん、オタクら?」



これが斉藤広美との

第3種接近遭遇



黒いスリムのジーパンに

赤と黒のチェックのネルシャツ


くしゃくしゃの髪を

さらにくしゃくしゃと掻きながら


迷探偵

金田一耕助の登場だ



目の前に

憧れの人がいる



…どうしたん?オタクら」


「ちょっと近くまで来たもんでの」


西郷がすっとぼけて答えた



そんな馬鹿な‥

周りに何があるってんだ

山菜でも摘みに来たか‥



「知っとるよ、オタクら」


僕と西郷を

交互に指差して言った



知ってるのか!

いったい何を知ってるんだ‥


「お母ちゃん、もうええよ、行ってええけん」


「お茶でも入れる?」


「もうええって」

「あーはいはい」


お母さん退場‥



なんとか言え、西郷

お前の責任じゃぞ‥


「ねえ、なんの用なん?」


あ、怒りそう‥

どうすんだよ西郷!

このアホタレー!



「まあ、怒るなや」


おおー、すごい貫禄!

さすが黒帯だ


「怒ってないわよ」


憧れの君が口を尖らせた


とっても可愛いぞ!



「実はの、こいつがの、お前のこと、好きなんじゃわ」



がああーン!

我が耳を疑った


お、お前いったい何を言い出‥



「あらそうなの? でもアタシはキライじゃ」



がああーン!

があああーン!



「だってこの子、オカマじゃろ?」



がああーン!

があああーン!

があああああーン!


もひとつおまけに

があああああーン!


貧血になりそうだ



いや

貧血になりたい‥




終わった

何もかも‥


始まる前から

終わってしまった‥


いなかっぺ大将なら

どぼぢてえ〜?

と言って

アメリカンクラッカーみたいな涙を流してるとこだ



たしかに僕は去年

体育祭の余興で仮装行列に出ましたよ‥

クラス一の秀才と一緒に‥


秀才はアンドレを

僕はオスカルをやった


生まれて初めての口紅‥



でも、だけどそれ以来

お化粧なんかしてないし

したいとも思わない


でも、でも

女子に口紅塗られた時は

ちょっとドキドキ‥


いや

そんなじゃなくて



スカートもあんなに

すかすかするものだと思わなかったし‥



この長髪だって

ビートルズを真似てるだけなんだ‥


マッシュルームカットって知ってる?

あ、でもネ

どっちかっていうと

藤 圭子みたいって言う奴もいるけどね‥

ハハハハ


あの、あの、だからさ

あの、あの



あのねのね好き?


オールナイトニッポン

誰、聴いてる?

中洲産業大学ってさ

あれパロディーだよね‥K産業大学の‥


あ、アレ見てる?

新番組のザ・ベストテン‥

なんてったっけ

久米 明じゃなくて‥



人間は

パニックになると

いろんなことを考えるって本当だった



他にもいろいろ考えたが

あまりにもくだらないことばかりなので

省略する




西郷が彼女と

何か話してる間


僕はそんな

どうでもいいようなことを取り留めもなく考えてた


と言うより

まともな思考は

ストップしていたんだ



「おい!高杉、高杉ッ!」



はッ!? いかん

完全にトリップしていたらしい‥



「僕はオカマじゃないよ」



そう言うのが

精一杯だった


西郷はげらげら笑っている

ひどい奴だ‥



すると

ぽかんと見ていた

斉藤広美が

つかつかと歩み寄って来てり

僕を不思議そうに見上げた


眉間に皺を寄せて

人差し指を突き出す


彼女といったら

このポーズ


この仁王立ちで

何度僕はうろたえさせられたことか



「どこが好きなん?」


え?どこって‥えと‥



「アタシの、ど・こ・が・好・き・なん?」



「ひ、一人で電車乗っとるとこじゃ!」



思考は

止まってはいなかった

恐慌をきたしていただけなのだ



彼女は

「ふん」と息を吐いて

また西郷と話し始めた


こういうのを

一般的に無視という



僕は髪をいじったり

つま先で地面を掘ったりしていた


もみ殻があちこちに落ちていて

地面はとても固かった



西郷と楽しげに話す横顔は列車の中で見る

あの顔だった




僕が

よく覚えていたことと言ったら


私服の彼女が

驚く程ボーイッシュだったこと


黒い犬を

クロと名付ける

斉藤家のセンス



それに忘れてならないのは

ずけずけ物を言う時に決まってする

相手の目を睨みつける癖と人に指を差す癖だった



彼女は

それまで見た

どの女の子より

ダイナミックであり


腰から下は

セクシー・ダイナマイトだった



あの状況下で

物怖じひとつしない度胸

たとえ寝起きでも

いささかも動じない潔さ


その爽快な男っぷりには

僕だけでなく

西郷も脱帽したはずだ



こうして

僕たちは出会ったわけだが


僕は当然のごとく

落ち込んだ


これ以上はない

というくらいに

落ち込んだ



あの後すぐ

僕と西郷は

斉藤家を退散した


むしろ撤退といった方が早い



西郷に関しては

もうあきれて物が言えなかった


冗談にもほどがある


全然おもしろくない



僕は

友情というものを

根底から見直すことにした



それくらい

斉藤広美は

センセーショナルに登場した



彼女こそ

僕のレディマドンナでありラブリーリタであり


ダイヤモンドをつけて

空を飛ぶ

ルーシーだった

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