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第19話 シャレにならない

「嘘ばあー言うなや!」


「久坂君、嘘じゃないよ、残念だが全部ホントだ、真実は小説よりも奇なりなのだよ」


「なんか嘘っぽいのお」

「信じたくないのはわかる、甥っ子だからな」


「お前もしかして、オンナ恐怖症じゃないんか?」

「なんでだよ」

「うちのオカンもネグリジェ着とるぞ」

「ノーブラでか?」


「気持ち悪いのう」

「西郷んちはどうなんだ?」

「アホ、見とうもないわい」

「結構セクシーじゃろ」

「“落とされ”たいんか?お前なんか10秒じゃぞ」


「まあまあ」

「ほいでも、何もなかったんじゃろが」

「あるわけないだろー」


「何にもすんなよ?」


「するかよッ!だいたいセックスアピールなんかないんだよ」


「ほいじゃ、なんでオロオロするんじゃ?」

「オロオロしてる?」


「叔母さんまだ若いからなあー」

「旦那とうまく行っとらんのかも知れんのう?」

「バカなこと言うなや」


「心配してんのか」

「ちょっとの」

「これからは高杉が慰めてくれるわい」


「やめえや、冗談に聞こえん」

「冗談で聞けよッ!」


「園部と斉藤は?」

「知らん、帰りは一緒に帰る」

「あいつら夏休み中ベタベタしとったぞ」


サンサンと降り注ぐ太陽はまだ夏真っ盛りだった


僕と久坂、西郷の3人は

汗を垂らしながら学校へと向かっていた


「なんで西郷が知ってんだよ?」

「バイク乗せて走り回っとったわい」


園部のヤツ‥


「お前に頼まれた、ゆうとったぞ」

「誰がバイクのケツに乗せろと言った?」

「わしに言われてもな」


「事故ったらどうすんだ」

「あいつは下手くそじゃから命はないの」


「叔母さん…」

「なんだよ!久坂」

「ホンマに心配しとるぞ?」

「僕の心配をしろよ」


「おい、京都はどうじゃった?」

「あ?あー、まあここより都会だな」

「舞妓と遊んだんじゃろ」


「言ったのか、久坂?」

「忘れた」

「お前ら、広美には言うなよ?」


「どうかな、へへへ…」

「ふざけんな」

「おおー怖い」


リン!リンリンリンッ


「わ!危なッ!」


「よおー!3バカ大将〜!」


「甲斐かあ〜」


「高杉いー!また一緒じゃのおー」

「おお」


「京都でオンナ作ったかあー?」


「久坂!」

「ゆうとらんて」

「叔母さんとどうかなっても知らんからな」


「やめてくれ、頼むからやめてくれ」


「何い〜?オバハンがどうかしたかあー?」


「何でもなあーい!」

「早よ学校行け!」


「おう〜、また後でのお〜」

リーン!リリリーンッ


「うっせえ」


「久坂、ありがとな」

「ああ、ええんよ、叔母さん、なんか言うとったか?わいのこと」


「いや別に」

「口止めしとかんとアカンなあー」


「変わってるよな」

「お前に合うとろーが」

「そだな、キライじゃないよ、無理してるとこが」


「元気そーで良かった」

「ああ」


「あともうちょいじゃ」


「お前ら、卒業の心配した方がええぞ」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃろ」



僕らが歩く

土手の道の下


川岸の草むらから

ムッとするような熱気が立ちのぼって来て

僕はやっと

“広島”にいるんだという実感を得た


草いきれの中

飛び交うオニヤンマの群れを見ていると

ただそれだけで

幸せな気持ちになれた



1匹のヤンマが

道の真ん中で

ホバリングを繰り返していた


「何してんだ?」

「こいつら、光るもんやテレビに反応するんじゃわ」

「なんで?」

「決まっとろうが、メスの羽ばたきと間違えとるんじゃ」


「求愛行動てやつか」

「ほうじゃ、お前らと同じじゃ」


僕は

ホバリングしてるだけか‥



「よお高杉ー」

「おす、あちーな」

「高杉?」

「おはよ」


「オース」

「よう」

「おはよ、アレ?」

「なんだよ〜」


「おはよん」

「おはよ」


「ウス」

「おお」


「引っ越したんじゃないんか」

「ワリーの、ナシになった」

「お、高杉」

「おーす」


「なんかバツ悪いの」

「ほんなことないわい」


「ところでさ、あの、アレは?」

「なんじゃ、ミルクか」

「違うわい」


「アレ?」

「アレだよ、バンドの」

「あー、お前と付き合いたいゆーとった?」


「本当なんか?」

「ホンマよ、なんでじゃ?」

「なんてヤツ?」

「7組じゃ、えーと…中沢、中沢やよいじゃったかな」


「わかんねーな」

「見に行くか」

「バンドやってんだろ?」

「ハードロックな」


「可愛い?」

「普通かの」

「お前だったら付き合うか?」


「わいか?わいなら付き合うな」


「ふむ…」

「お前に彼女がおるゆーのは、向こうは知っとるぞ」


「それでも?」

「一応会いたいらしい」

「僕のどこがいいんだろ」


「軽そーなとこじゃないか?」

「軽いか?」

「母性をくすぐるんじゃろ」


「今度会うよ」

「わかった、ほんじゃの」



帰りは広美と一緒だった


久しぶりに会う広美はやはり素敵だった


「どう?」


「うん、ありがとう」

「白檀ていうんだ、いい匂いでしょ」


「高かったんと違う?」

「大丈夫だよ」

「うふっ、大事に使うけん」


「そっちは京都のお母さんが選んだんじゃ」

「お母さんが?」

「匂い袋なんじゃ」


「匂い袋?」

「タバコ吸うって言ったらさ」

「えーっ?そげなこと言わんでよおー!」


「もう言っちゃったよ」

「もうーっ!」


「誰が袖、てゆーの」

「タガソデ?」


「古今和歌集の中にも出てくるんだよ」

「へえー、ステキ!ステキーッ!」

「気に入った?」


「うーん!ホンマにありがと!」


広美は頬を染めて喜んだ


暑いっていうのもあったんだけど

彼女は本当に興奮していて

このまま倒れるんじゃないかと

僕は不安になった



「あとで行くよ」

「うん」


「どしたの」

「園部君も来るんじゃけど」


「いいよ別に」

「平気?」

「平気だよお、どうして平気じゃないんだい?」


「ううん」

「僕がいたらマズイの?それなら…」


「違う!違うの!そうゆーんじゃないけん」


「じゃあ、お昼食べたら行くよ」

「わかった」


「すごい汗」

「アタシ嬉しいの」

「わかってるよ」 




 

「ただいまあー」


「あーお帰りなさあい」


ふう〜しんどい

ホントこの坂はキツイわ‥


「途中で押して来ましたよー、チャリンコ」

「良かったわね、いい運動になるじゃない」


げッ!

ホットパンツ‥


はああ‥


「若いっすねー」

「探したら出てきたのよ〜」


探したんだ‥


「どお?ミーちゃんハーちゃんみたいでしょ?」


ミーちゃん

ケイちゃんだろ!


ハーちゃんて‥


「ボタン開いてますよ」

「えっ!ウソッ!?」


ポリポリ…


僕はタクアンをかじりながら

手を洗った


「孝チャ〜ン!」

「ふあ〜〜い」



「開いてないじゃないッ!」


「いや〜あれ?気のせいだったかな〜」


「覚えてなさいよ、さあ食べて」


「綺麗な脚ですね」

「ひっぱたくわよ?」

「なんでですか、褒めてんですよ」

「お褒めに預かり光栄ですわ」


ピンポ〜ン


「あら何かしら」


テーブルを離れる時も

ダイニングの入口にある鏡を覗く時も

脚やお尻に目が行ってしまう


さして肉感的でもないんだけどな‥


どちらかと言えば

細い‥


「何見てんの?」


わあ!

鏡の中の美和さんが笑う



完全におちょくられてる‥


「孝チャン、お友達よ〜」


「はいー」

「彼女よ」

「えっ?」

「ウソ」


「勘弁して下さいよ」

「体が大きくて、礼儀正しい子よ」

「西郷だ、外ヅラがいいんですよ」


「類は友を呼ぶ、ね」


ハイハイ‥



「オース!」

「よ!どした」

「お前、こういうデカイ家から出て来ると、ホンマよう似合うとるの」


「どゆこと?」

「どっからどう見ても、ここのお坊ちゃんじゃな」


僕と家を見比べて西郷がニヤニヤ笑う

何が可笑しいのやら‥


「珍しいな?」

「チャリンコ出したついでに来てみたわい」


「バイクは?」

「売った」

「なんで」

「勉強の邪魔じゃ、つい乗りとうなる」


「さすがだなあ」

「さっきのが例のエマニュエル夫人か?」

「そうなんだよ〜」

「お前には刺激が強過ぎるの、はははっ」


「気が散ってしょうがないんよ、異常かな?」

「正常じゃ、心配すんな」


「どーも面白がっとるみたいじゃ」

「お前はオカンがおらんかったけん、女に免疫がないだけじゃ」

「ほうかのう?」


「今ヒマなんか」

「これから斎藤んち行く、一緒来るか?」

「わしはもうええ、どうせ園部のバカも来るんじゃろ?」

「まあの」


「しかしエライとこじゃのう」

「ようわかったな」

「家が少ないけんな」


「まあ、頑張れや」

「もう行くんか」

「お、帰って勉強すらあ」


「頑張ってな」

「おう、お前も犯されんように気をつけろよ」

「あほか」


うだるように暑い午後だった


西郷とは、それっきりだ


つまりもう会うことはなかった


彼はついに公約通り勉学に邁進する道を選び

決して僕たちには近づかなかった


僕たちも無理に彼を誘うことはしなかった


それもまた友情だ


僕たちは

運命という言葉をよく使うけれど

たしかに人生には

そういう出会いがいくつかある


同じ数だけ

別れもある


そのひとつひとつが

ドラマチックなものとは限らない


弱々しい蜘蛛の糸が

ふわりと風に乗って

空の彼方に運ばれてくような

希薄な印象の別れだった


それは心の何処かで

お互いが望んだことかも知れない


いづれにしても

もう少し

気が利いた会話をしておけば良かったと思う



「こんにちは!」

「あ〜、いらっしゃい!中におるけん、勝手にあがったらええわ」

「あ、どーも、これ」

「なに」

「千枚漬けです、京都の、食べてください」


「まあまあ、そんな気遣わんでええんじゃが」


「いやいやどーぞ、美味しいですよ」

「すいませんねえ、ほいじゃ遠慮なく」


「お邪魔します」

「広美イ!」



エルシノアが停まっていたので

園部がいることはわかった


ギシギシと暗い階段を上がる


「来たよ」


園部はベッドに座って

だるそうに手だけ動かした


「よう、久しぶり」


広美は園部に背中を向けて丸椅子に腰かけていた


僕は広美のそばに行き

机から椅子を引いて腰を下ろした


「お母さんにお土産渡しといた、漬け物だけど」

「ふーん、ありがと」


「部屋片付いてるね」

「そう?」

「うん」


園部は眼鏡をしている

後ろに回した両腕で体を支え

脚をだらんと伸ばして

“空間”をぼんやり見ていた


「だるいんか?」

「おお、夏バテじゃわ」


「バイトしたんか」

「いや、しとらん」

「ツーリングは?」

「しとらんのう」

「ふうん」


あまり喋る気分ではないらしい


「カルピス持って来たけん、飲んでえ」

「あーすいません」

「ああどうも」


「お母さん、もうええけんね」


「ほいじゃゆっくりしてねえ」

「はいドーモ」



「なんかかけていい?」

「うん」

「園部え〜」


「なに」

「何かかけて」

「たいぎいのおー」


「なんだよ、元気ないのー」

「たまには静かなんもええ思わんか」


「思わんなあ」


「静かにしてたいんなら、皆でいる必要はないよな?」

これはイヤミ‥


「ほうじゃのう」


「勉強でもすっか?」

これもイヤミ


やけに雰囲気が重苦しい‥


「ミルクするよ?」

「ええよ」

広美は扇風機の向きを変えまた元の位置へ


「風がこん」

「じゃあお前が動けよ」


黙って広美がウチワを投げた


僕はシガレットケースからサムタイムを抜き

マッチで火を点けた


ふうー


「また変えたん?」

「いや、京都行く前からだよ」

「ほじゃった?」

「うん」

ふうー



「ミルクある?」

「吸うんか?」と園部

「見るだけ」


「サムタイムは?」

「メンソールはパス」


園部がセブンスターを広美の足元に投げて寄越す


「投げんの流行りみたいじゃな?」


広美が1本取り出し

匂いを嗅いだ

「ええ匂い」


「吸わないの?」

「どっしよっかな〜」


氷だけになったコップをカラコロと掻き回した


「マッチいい?」

「いーよ、擦ったげる」


「やめとけよ」


さっきから何言ってんだ‥


「自分でやる」

「うん、ハイ」


パチッ


「ふううー」


園部がベッドから起きて広美に歩み寄り

タバコを取り上げた



ぱあーん! 



「おい!何しよんならッ!」


少々手遅れだが

僕は立ち上がり園部の手を払った


平手打ちを食らった広美はなのに平然としている


「調子にのんな、ヤメルゆーたろうが」

「おいっ!園部!」


ソッポを向いた広美の頬が赤くなり始めた


次のが来るか‥

来たらヤルしかない


だがそこまでだった


回れ右をして園部は出て行った

僕のことは視界にないみたいだった


僕の内側で

細胞がプチプチと沸き立ちはじめた


「なんだあの馬鹿は?大丈夫?」


広美はこくりと頷き

灰皿の中のタバコを拾って折れた部分を伸ばしている


何やってんだ“コイツ”


「どういう意味だよ?」


「なんなんだ、あいつ?」


クソ‥

「くそッ」

なんとか言え‥


僕は座り直し

ミルクをやる広美を見た


「シャレになんないよ」


「どうして叩かれて黙ってんの?」


冷静にならなくちゃ‥

「ねえ?」


冷静に‥


もう少しだけ待とう

10秒だけ‥


「あと10秒待つよ」


いち…、に、


さん…


馬鹿らし‥

「やめた、帰るわ」


アッタマ来た‥

勝手にやってろ


僕は立ち上がり階段に向かった



広美がダッシュして来て通せん坊した


真っすぐに僕を睨み据えて


一言

「ゴメンナサイ」


鼻孔に広美の“匂い”が一瞬広がった


あの“お日様の匂い”だった



「話してくれる?」

そう言った途端

またしても強い感情が沸き起こり

広美を突き飛ばしたくなった


広美の後ろを見ると

暗闇に落ちていく階段が急に恐ろしい口を開けた


「座ろうよ」

僕は彼女の手をとった



「どうしたの」

僕は優しく聞いた


赤かった頬は

今やしっかりと手形になり園部の指の跡がはっきりとわかった


「あのね」

「うん」


「やめるって約束したんよ」

「何を」

主語の確認‥


「ミルク」

「タバコだろ」

優しくできない‥


「約束したんだ?」

「そう」

「誰と」


言ってみろ‥


「園部くん」

「な・ん・で」


理性とは別に

何かが“押して”来る


「なんでそういう話しになるわけ」


「夏休みに入ってから、受験終わるまで禁煙しようかって」

「だから誰が」

「園部くん」


「あいつはヤメタの?」

「やめてない」


「いつしたの、約束」

「先週、その前も何回か挑戦したんじゃけど」


「なんで君だけ禁煙で、叩かれなきゃなんないわけ?」


「私が馬鹿じゃけん」


「そうだね君も馬鹿だけど、園部はもっとバカだ」


「ゴメンナサイ」


矛先を失くした怒りが

やり場のないものに変わった‥

「なんで謝るの?僕は関係ないじゃん?」


「許して」


「イヤだね、園部は許さない“絶対に”」


「それはわかった」


「僕の彼女を僕の目の前で殴った、わかるよね」

「わかる」


僕はますますエスカレートしそうだった

素直な広美を見ていると余計腹が立った


「君が悪いんじゃない」

「アタシも悪いんじゃ」


そうだよ‥


「夏休み中に何があったか知らないけど」

「なんもないわ」


「キスなんかしてないよね」


広美は唇を噛んだ

そして僕を睨む


「キスしていい?」

「ええよ」


「………」


「帰るよ」


「ゴメンね」

「なんだか頭来ちゃって、あのヤロー」


「キライになった?」


「わからない、さっさと逃げやがって」

「喧嘩せんでね」


「なるべくそうする」

「あなたが好き」


「僕もだよ」


「広美イー!園部君から電話よおー」



「電話だよ」

「いいの」

「出なよ、僕は帰るよ」


「うん」

「広美…」



「…………」



僕は彼女を抱きしめたが心は冷えていた



家に帰ると手紙が来ていた


ひとつは不破野さんからでもうひとつは

妹からだった


咲子さんのも

妹のも近況報告だったが深刻なのは妹の方だった


新学期だが学校に行きたくないとあり

お母さんのことは

大キライだと書いてあった


僕はどちらにも

返事を書く気にはなれなかった



部屋にこもり

アビー・ロードを聴いた



カセットだけは沢山持って来たのだ


レポート用紙にいくつか詩を書いた


良いのが出来たので

美和さんに見せて良いものかどうか


悩んでいるうちに眠ってしまった



気がつくと

室内が明るくなっていて

頭のすぐ上に美和さんが立っていた


ホットパンツで


「うわ!」

「うわじゃないでしょ」


「見えましたよ」

「見せてるの」


「どうしたんですか」

「ごはん」

「それだけ?」

「そうよ」


「先、お風呂入る?背中流したげよーか」

「いいーですよ!」

「冗談よ、バカね〜」


「オンナってなんすかねえ〜」

「どして?」


「面倒臭さくて」

「あら〜、イッチョ前ねえ〜」


「さっぱりわからない」

「喧嘩でもしたの?」

「喧嘩にもならない」


「ダメよう?女の子には優しくヨ!」



優しくなんか出来なかった


広美を中心に

僕は回っていたはずなのに彼女に近づこうとすればするほど

気持ちは離れていった


僕はバンドのリーダーをやっている子と

たまに一緒に帰るようになった


特に楽しいわけでもなかった


いつキスしてやろうかと

そればかり考えていた


この方が気楽でいい



ある土曜日

その中沢弥生と2人でお好み焼きを食べた


「アタシといるの楽しい?アタシは楽しいけど」


「ウン、楽しいよ」


「そ、じゃ良かった!」

「今、詩書いてるから」

「そんな急がんけん」

「うん」

「まだ…」

「え?」


「まだ斉藤さんと付き合うとるん?」


「一応カノジョだから」

「ほうよね、変なこと言うてゴメン、ほいじゃまた来週〜」


「うん、バイバイ」


深く考えるのはイヤだ‥



時間通りH駅に着いた

むしろ早いくらいだ


ところが約束の時間を過ぎても

広美は来なかった


20分を過ぎたので

駅前の電話ボックスから電話をかけた


お父さんが出て

昼メシ食ってすぐ出かけたと

ぶっきらぼうに言われた



殺風景な駅前で

待つことしばし


やがて

聞き慣れたバイクの音がした


エルシノアだ 



黒いジーンズの広美が

自転車置き場の角を曲がって

走って来るのが見えた


僕は40分も待ったわけだ

この暑い中‥


「ゴメーン!」


「どっか行ってた?」

「うん、友達」


そりゃ友達だわなあ‥


ショートヘアが

ピッタリ張り付いていた


ジーパンのお尻は汚れて顔も埃っぽい


長い時間

バイクの後ろに乗るとこうなる



「今日さあ〜」

「うん」


「ちょっと用事あって、やっぱ帰んなきゃなんない」


「そうなん?」

「悪いけどー、ここで」


「あ、じゃあ送ってく」

「どこまで?」

「下宿まで、行ったことないけん、ネ?」


僕たちは歩いた


「ねえ、海の匂いしない?」

この町から海までは

バイクを飛ばしても30分以上かかる


「え?ホント?」

彼女はクンクンと

自分の匂いを嗅いだ


海岸通りだ‥


僕は美和さんのやり方を真似て確信した


西郷と僕

園部が遠出する時

好んで走った道


呉線と平行して

どこまでも続く海岸通り


途中

山の上の神社で

休憩しながらよくダベッた


晴れた日には瀬戸の島々と時には四国が霞んで見えたものだ


ミカン畑の風景が目に浮かんだ



「友達って園部?」



「そう…」


自転車でやっとこさ坂下家に着いたのは

2時間後だった


「お帰りなさ〜い」


美和さんが玄関から出て来た

いったい何処から見てんだか‥


「あら、こんにちは」

「あ、どうも」

「孝チャン紹介してよ、彼女でしょ?」


「えーと…」

「あがってく?」

「いえ、アタシはこれで失礼します」


「あら〜残念ねえ、じゃあまた今度ネ」


「ちょっとそこまで行くよ」



「あの人?久坂君の叔母さんて」

「そだよ」

「若いんじゃね」

「そかな」


「荒井由美みたい」

「結婚しとるから松任谷じゃないの」

「そうね、うふふ…似てる」


「いい?真面目に考えといてね」

「金曜日じゃね?」

「うん、気をつけて」

「わかった、バイバイ」



「いいの?家まで送んなくて」

「まだ明るいし」

「お話しがあるんじゃなくて?」


「もう十分したよ」

「へえ〜」


「別れるって言ったんだ」

「あら!嘘でしょ」


「そしたら1週間待ってくれって」

「まあ!」


「うち入りましょうよ」

「あ、そうね」



「睨まれちゃった、あの子に」

「目悪いから癖なんですよ」


「別れたの?」

「正確にはまだ」


「孝チャンには相応しくないわね」

「そうかな、やっぱ」


「なんだかワルそう」

「勉強は僕より遥かにできますよ」


「それとこれは別よ、成績が良いに越したことはないけどね〜」

「お風呂入ります!」

「ど〜ぞ、きれいに洗ってね、不潔そーだから」


「一緒に入りますか」

「あら、いいの?」

「ダメです!」



やっぱり振り回されてる‥

美和さんにじゃない


広美にだ‥


湯舟に浸かって思った


彼女はわがままだ

あっちもこっちも欲しいんだ‥


わがままは男の罪じゃない

オンナの罪だ

これじゃ精神がもたない‥


「別れよ」

「イヤ」

「イヤって」


「今別れるんはイヤなんよ」

「いつならいいの」

「卒業したら」

「何それ」

「勉強になんないじゃない」

「僕は邪魔しとるつもりはないけど?園部じゃないの、邪魔してんのは?」


「アタシ…園部君も好きなんよ」

「目茶苦茶だよ、そんなの」

「わかってる」

「わかってない」


「別れたくない」

「こんなの良くないよ」

「じゃけど」


「傷つけ合うばかりだから」

「どうしても?」

「その方がいいよ」


その方が‥


「孝チャン〜開けるわよ〜」


「ダメ…わッ」


ツルっ!


ゴオーン!



「イテテテ…」


「それでも男か!」

「証拠見ますか」


「結構です、そんな粗品は」


見たのか‥


「痛!」

「コブになっちゃった、アハハハ」

「もう!」


「はい終わり、でもアレよ、別れた方がいいわよ」

「でしょ」

「勉強しなさい、勉強を」


「さあ寝よ、おやすみなさい」

「知らないわよ、浪人しても」

「なんとかなりますよ」


「お金を払うのは親なんだから」

「わかってます」



暗い部屋でラジオをつけた


DJが曲を案内する


偶然にも荒井由美だった

曲のタイトルは

“ベルベット・イースター”


沈んだ曲調なのに

詩はどちらかと言えばファンタスティックだ


空は低く垂れ込めているけど


まるで天使が降りて来るみたい


ステキな季節


お母さんが好きだったブーツをはいて


出かけるの…


その娘はそう歌っていた



僕は荒井、いや

松任谷由美の顔を知らなかった


だから

広美の言ったことがわからない


いつもそんな調子なのだ



こんな歌は嫌いだ

現実離れしてる

中島みゆきの方が良い


どろどろとしていて



妹か‥

妹よ

隔たってるのは

襖一枚じゃないね‥


南 こうせつの曲だ


京都から

再三電話があって

連休で1度帰って来いと言う


妹が反抗期なのだ

親父も流され始めてる


僕が帰省したところで

状況が好転するとも思えないし

金がかかるのも嫌だった


けれど

実家の重大事なら仕方ない


気は重いが帰ることにした



僕はアバを聴きながら

咲子さんに手紙を書いた


書いていると

美和さんが来た

「ねえー、聡美さんてのは妹さんよね〜」


「そうですよ」

「じゃあ、不破野さんっていうのは?」


やはり監視されてる‥


「親戚のおばちゃんですよ」

「そう、私くらい?」

「ええ」


「それにしちゃ、字が若いわよね」

「美和さんも若いじゃないですか」

「そうね!」


なんだかな〜



そして金曜日


「いよいよね」

「ワクワクしないで下さいよ〜」


8時を回ると電話が鳴った


「早く出て」

「ちょっと…」

「ハイハイ」


「もしもし」

「高杉君?」

「そう」


「アタシやっぱり無理じゃわ」

「だろうと思った」


「ごめんなさい」

「いいよ、別れよ」

「………」


「広美?」


「帰るんじゃろ」

「うん、ごたごたしてるから」

「大変じゃね」


「もう切るよ」

「いつ?」 

「あした」

「夜?」


「朝、10時頃の」

「新幹線?」

「そう」


「何時間くらいで着くん?」


「ねえ、切るよ」

「………」


「切るからね」

「………」



「今までありがと」

「僕も、じゃ…サヨナラ」

「………」


チン…



終わった

あっけないな‥


「孝チャン?」

「ハイ」


「大丈夫よ、おばさんだって…」


さすがにこたえた


「寝ます」


「そう、一緒に寝たげようか?」

「美和さん…」


「しっかりなさい」

「はい…おやすみなさい」

「おやすみ」



僕は窓を開けて

煙草を3本吸った


隠していたビールを飲んだ


ビリー・ジョエルを聴いた




パタパタパタ〜


掲示板がひらひらとめくれ行き先と時刻を示していた


指定券は前もって買ってあった


連休に入ったら混むからと旅行には詳しい親父に勧められたからだが


コンコースもホームも人はまばらだった



独特の力無い電子音が

閑散とした構内に鳴り響く


僕は旅行者を気取り

腕時計と表示板を交互に見やった


新幹線の中は音楽もテレビもないから

アガサ・クリスティーを1冊持って来た


“そして誰もいなくなった”


乗ってる間に読めるちょうどいい厚さだ


煙草を2本吸い

ガムかみかん

どちらを買うか迷っていると

音もなく滑るように

流線型の車体が入って来た


こだまの鼻先は

すぐ近くで見るとかなりでこぼこしていて

ツルツルの新幹線というイメージとは違った



ドアが開き

デッキに足をかける瞬間

視界の端を見覚えのある人影がよぎった


はて気のせいか?

間もなく09:50になる


こんな田舎駅では

停車時間もほんの数分


車内は予感通り空いていた


自由席にしておけば節約できたのだ


席を探して

シートのあいだを歩いてる間に

列車は走行を始めた


座席は窓際だった


こういうのも

窓際族というのかな



日本語と英語で録音された味気ない女性のアナウンスが

快適な旅を約束していた


僕は頑固な妹や

不機嫌な親父を思い憂鬱になった


どうして

いちいち帰らなきゃならないのか

不満は消えない


自分達で適当にやってくれよ


本音が心の内側で叫ぶ


僕は恋人と別れたばかりなんだぞ

クソ‥


左手にはめたミッキーの腕時計が

微笑みながら時を刻む


これ‥

返した方がいいのかな


そうなると

あれもこれもともらった品物が頭に浮かんだ


オフコースは返したくないな‥

変な所でセコい自分に

一人笑いした


前方で自動ドアが開き

通路を誰かやって来る


ふーん

M駅から乗った人がいる‥ん‥だ


「あれ!どしたの!」


「うふっ、いい?座って」


「いいよ、どぞ」


広美だった


ガランとした指定席に

2人がポツンと寄り添う



「びっくりした」

「これ、食べて」

ポッキー、とんがりコーン

冷凍みかん、森永ハイ・クラウン…


「食べ切れないよ」

「たぶん朝ごはんは食べた思て」


なんと言えば良いのだろ‥


「よくわかったね?」

「こだま、本数少ないけん、これかなあって」


「違ってたら?」

「違わんかった」


「どうすんの、京都まで行くの?」


「ううん、福山よ」

「福山あ?」


「今日は福山までしか切符買うてないんじゃ、今度は京都まで行くけんね」


なんてあきれた!



「帰りは?」


「新幹線でUターン」

「切符買ったの!」

「うん!」


もったいない!


「それは?」


小さなクマの縫いぐるみ


「一緒に連れてって」


僕は笑った


列車は尾道を過ぎ福山市内へ入った


「このクマ、名前あんの」

「クマちゃん」


「クマちゃんかー」


「ネ、怒った?」

広美は僕を見つめた



顔は腫れぼったく

目は充血して真っ赤

髮はくしゃくしゃ


ここで突き放したら

僕は人で無し確定だ


エンマ大王が

グリーン席をひとつ予約してくれるだろう


「ネ?怒ってる?」


「怒ってないよ」

「ほんまに?」

「うん」


「感動したよ」

「うふふ」


とうとう列車は福山に着いた


発車する直前まで

彼女は降りようとしなかったので

僕の方がハラハラした


ホームから見送る広美は

ジュディー・アンドリュースみたいに

満面の笑みを投げ続けた


映画みたいに‥


この日彼女は

アカデミー主演女優賞と

“監督賞”を同時受賞した

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