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第1話 フキノトウ

僕が通った高校は

広島県M市にあった



いや

今もまだ

あるんじゃないかな



新幹線の駅でいうと

広島と福山のあいだにある

Mという駅がそれだ


この街には

TJの大きな工場があったはずだ


駅から数キロのところに港があり

ずっと手前には

桟橋があって

因島とを結ぶ連絡船なんかが行き来していたように思う


とにかく

ずいぶん昔の話しなので

あまり自信はない




僕が高校に入学したその1年か2年前だったかに

M駅は

山陽新幹線の停車駅に昇格したばかりだった



新幹線の改札口は

在来線のそのまた奥にあって


僕は

この新幹線の改札の向こう側に


見たこともないような

夢の国に通じる道が

あるような気がした


ホームへと続くエスカレーターが人を乗せて

上がっていくのが

なんだかとても羨ましく見え

いつまでも眺めていたものだった



僕は

昔から

眺めるという行為が

好きだった



じっと見つめるという行為は


何かを思い出そうとしている時か

誰かに恋してる時か


にらめっこをしてる

時だけだ 


M市の隣には

H町というF郡に属する小さな町があった


人口1万人程度のその町に僕は

父と妹の3人で暮らしていた



町には

H駅というドンコーしか停まらない

これまた小さな駅があり


僕は

だいだい色とグリーンの

ツートンカラーの電車に乗って

学校と自宅とを往復した




現在、東京駅と横浜駅間を走っている

東海道線と同じタイプの

あの車両だ


シートは向かい合った

4人がけのボックスシートで

窓の下にはパカッと開く

灰皿がついていた


だから

あの列車に乗る機会があると

とても

懐かしい想いがするのだ




僕と彼女の恋の話しは


決して

スムーズなものではなかったけれど


それは

僕自身が

やたらに単純で

痛々しいほど

うぶだったせいだからで


人騒がせな大事件や事故があったからではない



僕と彼女は

結局別れてしまったが


僕が

もう少し大人だったら


自分や彼女を

責めるばかりの日々を

送らずに済んだかも知れない



すべては

淡い記憶の彼方だ




ひとりの女の子を

気にし始めることが


これほど

苦しい想いに変わるとは

思わなかった 



最初は

よくある片思いというやつだった



彼女は

いつも同じ電車の

同じ車両

同じドアのそばに立って


参考書や

文庫本を読んでいた



ごくまれに

1人か2人

女友達と一緒の時があって

そんな時は

とても良く笑っていた


というよりむしろ

他の乗客に迷惑なくらい笑い転げていた



僕は

独りきりでいる彼女を

見ているのが好きだった



話しかけるなんてこと

考えつきもしなかった




僕は僕で

朝は仲の良い男友達数人と

いつも決まった場所から電車に乗っていた



そして遠くから

(とは言え同じ列車なのだが)


1両前に乗っている彼女のことを

何ヶ月ものあいだ

静かに見守っていたのだった




あの子

なんでいっつも

独りなんじゃろう‥


よう本ばっかり読んどるのお



ワルなんじゃろか

あんな長いスカートはいて


なん組なんじゃろ

なんちゅう名前なんじゃろう‥



彼女を見かけない朝は

憂鬱さをどこかにまとい


胸の中に膨らむ不安は

ため息となって


僕の

くだらない1日を

なおいっそう

くだらないものにした 



そうー


くだらない日々だった



僕や

僕の仲間たちにとって

学校は

世界一くだらない場所であり


それがわかっていて

毎日学校に通う僕たちは


救いようもなく

くだらない生徒だったのだ



だからこそ

僕たちは仲が良く


いつもくだらないことで議論し合い

そのたびに見解の相違が起き

絶交を宣言し合い

翌日には互いに謝って

握手をするというお決まりのパターンを繰り返した


まあ言ってみれば

退屈さとの

戦いだったのだ



誰かが

この退屈さを打破しなければならず


僕は常に

その期待を一心に

受けていた




それはわかっていたが

彼女のことだけは

この連中に知られてはマズイとも思っていた



そんなの当然だろ


ややこしいことになるのは

目に見えていたんだから 




西郷秀樹


巨漢の彼は

中学ですでに

柔道2段の腕前を誇っていた


「さいごのオデキ」

と呼ぶと

本気で怒った




園部光彦は

中二の時

大阪から引っ越して来た


広島弁と

大阪弁が混じった

胡散臭いやつだ


親父さんは

会社の社長をしていた



なんの会社だかは忘れたが


趣味は

親子喧嘩らしかった



僕は

この2人が偶然

同じバイクに乗っていたことが

今でも不思議だ


彼らは

水と油のように

意見が合わなかったからだ



それなのに

いつも一緒にいた



そして

H駅まで5分とかからない

僕のうちの庭を

駐輪場代わりにしていたのだ



中古のエルシノア(125cc)

のエキゾーストノーストは

発情期の牝ライオン

みたいに騒々しく

(と言っても聞いたことはない)


それが毎朝毎夕

出入りするのだから

たまったものではない



タクシーの運転手をしていた

僕の父親は

2人から金を取れ、と半ば真剣にぼやいていた



夜勤明けの親父ほど

機嫌の悪いものはない



菅原文太を

二日酔いにしたような目で

睨まれたら


冬眠中の蛙も

ひっくり返る



ケロンパ! 



いつしか

西郷も園部も

通りからエンジンを止めて

バイクを押して来るようになった



賢明な選択である




どこかの

歌の文句じゃないけれど



みんな

君のことが

好きだったのさ



僕は

彼女のことを

僕の

こころの中だけで

ひとり占めにしておけば

良かったのだけど


僕はもう何ヶ月も

堪えに堪えていて

我慢も

限界に達していたし


とにかく

名前くらいは知りたくて

仕様がなくて



ついに

ある朝

電車の中で

2人の悪友を前に

こう口走ってしまったのだ



なあ

あそこにおるやつ


知っとるか、




これが一世一代の

ミステークだった



いや

言い直そう

たくさんある失敗のうちの

ほんのひとつだった



そして

この瞬間から

僕たちの

退屈でくだらない毎日は

吹き飛び



愛と冒険の物語が

はじまったのである



ジャジャーン! 




ネットの世界では

みんながノーネームでレスをすると


誰が誰やら

わからなくなることがある


これを没個性的

または無個性による主義なき主張の言いたい放題症候群という



あの頃もちょうど

そんな感じで


誰も彼もが

挨拶がわりに

進路の話しをし

学力模試の答え合わせに

夢中になった



どれだけ勉強したかは

個人情報であり

成績は秘匿された


それでも

上位と最下位の情報は

どこからともなくリークされ

皆の知るところとなった



僕は当時

全国に何10万人もいたただの受験生の1人にだけは

絶対になりたくなかった



どこどこの大学に入るためには

そんな偏差値じゃ駄目だとか


英語さえ伸ばせば

あの私立に入れるとか


なん組の誰それは

首位から転落して

家庭教師を雇ったらしい

とかいう、まことしやかな噂話に至るまで


エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ


正直うんざりだった



気味が悪いほど

一律に学年中が

本格的受験ムード一色に

染まった春



僕たち小数派は

敢えて自己改革に挑んだ


平たく言えば

青春を謳歌する道を

選んだのだ




本当だと思う?

一部を除いて概ね真実だ 



実を言うと

選んだわけではない

それしか道はなかったのだ


一流大学は

どうせ無理なんだから

三流私大で

構わんじゃろ、とタカをくくったわけである


言うに事かいて三流とは身の程知らずなのだが



このあたりの

諦めの早さは見事ではあった


けれど彼女のことになると

なかなか簡単には

諦めることはできなかった


あの踏ん張りが

受験に反映されていればなあ

と、今になって思う




斉藤広美


それが彼女の名前だ



たとえ地球が

真っ二つに割れて砕け散ろうとも


この名前が持つ

神々しさだけは

永久に失われないだろう



え?

よくある名前だって?

失礼な!



背は150.5センチ

体重は…


…教えてもらえなかった



髪はショートヘアで

ゆるめのパーマをかけていた


顔は小さく色白で

手も小さかったけど


態度だけは

人一倍大きかった



僕は

相本久美子に似ていると言い張ったが

みんなは首をひねった


恋とは

そういうものなのだ



いつも

ふて腐れたような顔をして

人を見る時は

眉間にシワを寄せた


これには理由があったが

僕はずいぶん後まで知らずにいた


僕はちょっと

変わった子が好きだったのだ 




彼女は

数学と英語が得意で

将来は

薬剤師になるのだと言っていた


未来の職業まで決めているのだから

凄いなあと感心すると


「じゃけん、オタクらダメなんじゃ」


と即座に言い放った


出会って早々

言いにくいことを

ズバズバ言ってのける


その図々しさに

僕は

ますますメロメロになった



繰り返して言うけど


恋とは

そういうものなのだ




その前の年の夏

女性アイドルグループのキャンディーズが

突然解散を宣言し

世間をアッと言わせた


ファン達は驚愕し

途方に暮れ

道に倒れて泣きくずれた


そして1978年の春

ついに盛大なお別れコンサートを行ったのだった


解散後も彼女たちのレコードは売れ続け

ラストシングル

“微笑みがえし”は初のオリコン1位に輝き


ライバル、ピンクレディーに一矢報いた



解散の原因については

後々まで様々に取り沙汰されたが


日本中の中高生や大学生はもちろんのこと

小学生やおじいちゃん

おばあちゃん


ポチやタマに至るまで

キャンディーズの有終の美に涙したのだった



大切な誰かを失う時

その喪失感を別の何かで

補わなくてはならない


そんな初めての経験だった 




「雪があ〜溶けて〜川が〜あふれて〜ありがた迷惑う〜」


ガラガラガラ…

建て付けの悪い雨戸を開けた

「うー、さびい〜」


暦の上では春なのに

まだまだ寒い日が続く



ある日のこと

家の狭い庭の片隅に

フキノトウが出た


出たというと

オバケみたいだが

いきなり現れたのは本当だ



僕は

フキノトウと言えば

フォークグループのふきのとうしか知らなかったので


このこんもりとした

珍妙な形状の謎の物体に手も足も出なかった


別に

出す必要もないんだけど‥



僕は

夜勤明けの親父を呼んだ


「おとー!おとー!これはなんじゃ?」


江戸時代みたいな呼び方だが

広島では珍しくない



「なんなら?朝から」


父、高杉栄一郎

タクシー運転手

趣味、酒、博打


朝から早速一杯やっている


夜勤だから

これから寝るところなのだ


「これじゃ、これ見てみい」


「ほほう〜、フキノトウか、珍しいのお」


「フキノトウ?」


「フキノトウも知らんのか」


知らないから聞いている‥



「これは何なの?」


「だからフキノトウだ」


「それは聞いたよ、だから どうなるのこれ?」


「どうにもならん」 


「そうじゃなくてさ!花が咲くとか、伸びるとか」


「これはこのままじゃ」



「成長しないの?」


「する」



ははあ?すでに酔ってんのか‥



「この芽の状態がフキノトウゆうんじゃ」


「じゃあ最初からそう言えばいいだろーが!」


「最初からそう聞けばええんじゃ」




フキノトウは

野山で採れる山菜の一種だ


蕗の花芽

つまり蕗のつぼみで

食用となる


雪解けを待たずに

芽を出すことから

春の到来を

いち早く告げる山菜として知られる


つぼみであるから

それ自体には葉も茎も枝もない


正確に言うと

あってもまだ

開いてはいない状態だ


根も葉もないという

言い回しがあるが

ここでは関係ない



天ぷらにすると旨い


独特の風味と

ほろ苦さが特徴だ


そういえば

ビールのホップ

形はアレに似ている




「これがフキノトウゆうんか」


なんだか感動だ



「珍しいのお」


「そんなに珍しいんか?」


「食えるけんな、天ぷらにして食うか?」


く、食うのかこれを?

イヤだ

絶対にイヤだ‥


「い、いらんわいッ!」



「なんじゃ、旨いのにのお〜」 




なるほど〜

これがフキノトウねえ

ふふふ‥



僕はなんだか

嬉しくなって来た


春の訪れを知らせる

蕗のつぼみ

それが

フキノトウ


野山にあるはずの

フキノトウが

我が家の庭に



僕には

そのことが

何かの吉兆のように思えた



「旨いのこれ?」


「ちょっとほろ苦いけどの」


いいぞ、いいぞ!



青春時代の真ん中は

ほろ苦いと言うじゃないか‥



しかし

フキノトウは

芽が開き過ぎると

苦くて食えなくなるとも言う



そして

僕たちの場合は


少しばかり

芽が開き過ぎていて

美味しくいただくには

アクが強すぎたのだ




「掘るか?」


「掘らんでええーっちゅうのッ!」

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