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第12話 1stキス

母の日も過ぎ

6月に入ると雨の日が多くなった


ほとんど雨だった気がする


雨はバイク乗り泣かせだ



西郷はたまに

庭にバイクを置いていった

早く来て早く帰るので

ずっと顔を合わせてない


強情っ張りな奴‥



僕と広美と園部は

相変わらずだった


僕はいまひとつ

恋人の立場を確立できず

園部は日に日に

広美に対して尊大になっていった


そして習慣とは恐いもので

僕はそんな2人を見るのがあまり苦痛ではなくなった


むしろ彼女が喜ぶのなら

それに越したことはないとまで考えるようになった


僕のアイデンティティは消滅してしまったんだろうか



僕たちが

3人でいることによって

僕の中性路線は

一部の同級生らから噂の的になったが

僕は前から言うように

まったく気にならなかった


ただしつこく

つきまとわれるのは困る

それだけだ



オカマと言われて嬉しいわけはないが

これは

言葉を知らない連中がそう言うのであって


エキセントリックだと思えばちょっとカッコ良い



この路線で行くかと

コンセプトが固まりかけたある日



親父から相談があった


僕が抱えていた問題より

ずっと深刻な内容だった



相談と言えば聞こえは良い


うちの場合親父が

折り入って、みたいな態度ですり寄って来る時は

実質上の決定事項であるとことが多い



「孝ちゃん、ちょっと座ってくれ」


この“ちゃん”が

もう胡散臭い


「うん」


「どうじゃ学校は?」


本題をどうぞ‥


「普通だよ」



「そうか」


さあ、何が来ても驚かないぞ‥



「実はのう、引っ越そう思うんじゃが、どうな?」


またまた ご冗談を‥


「学校どうすんの」


冷静に冷静に‥



「編入したらええ」


はあ〜、本気らしい‥


「そうじゃなくて、大学とかさ」


「行ったらええ、どっちみち通えんじゃろ?」


この辺に“通える”または“行きたい”大学はない



「引っ越した先から通えばええわい」


妹がいなくて良かった‥


親父の頭には妹のことなんかさらさらない



「どこに引っ越すの」



「京都じゃ」


オー!グレート!

エキゾチック・ジャパン!



「つまり皆で、ってことね?」


「当たり前じゃろ」


非常識な申し出をしておいて

何をおっしゃる

ウサギさん‥



「なんで?」


親父はたたずまいを直した


表情は穏やかだった

今までになく



話しはこうだ


僕の母親と一緒になる前

つまり僕が生まれる前

結婚していた女性がいる


若気の至りで間もなく別れその後僕の母と再婚したが結局破綻


それは僕も知っている


僕が受けた心の傷は

永久に完治することはない


隠していて悪かったが

ここ数年来

最初に結婚してた人と折に触れて連絡を取っていた


なぜなら再婚した彼女は

とうに夫を亡くし

残された子供と暮らしていると

風の噂で知ったから


彼女も自分も歳をとり

昔のように若くないことを実感した


幸い彼女の子供達も成人し家を出て

今はそれぞれ新しい家族を持っている


我が家はまだこれから

僕の大学進学や妹の高校進学もある


自分1人で今までこなしてきたが

何かと不自由もかけたろう


もし僕が

もう1度再婚を許してくれるのなら

僕や妹にとっても

今までのような苦労をさせることもなくなるだろう


自分はそう思うが

僕が反対なら無理強いはしない



僕の母親の件については

今さら言いたくはないが僕は理解してくれてるはずだ


悪いことをした

申し訳ない

もう1度

出直させてはくれまいか



どこか打算的で都合がいい


でも反対できなかった



僕は親父に

一杯食わされた


「その人京都にいるんだ?」


「そういうことじゃ」



青天のへきれきとは

こういう時使うのかな?


寝耳に水でも良いし


固焼きソバに酢でも良い



「他に結婚してた人はいないの?」


嫌味じゃない‥

この際秘密はなしだ


「おらん」



「会ったの?」


「去年」



話しは進行しているらしい


年老いていく2人の人生がオーバーラップする


感傷だけではないだろう


経済的にも精神的にも安定を求めたい

それは理解できた


「いいんじゃないの」


新しい母親に抵抗を感じるほど

僕はもう子供じゃない


京都か‥

少々年寄り臭いが仕方ない


本当は“東京”が良いが何百キロかは近くなった



「いつ頃越すの」


「夏休みに入ったらじゃ」


へえ〜

夏休みねえ〜


「いつの?」


「今年よの」


ふう〜ん‥


!( ̄□ ̄;) え!



もうすぐじゃないか!


「家は?」


「ええ所があった、契約も済ませた」


相談ではない

事後報告だ


参ったな‥

いつもながら急な人だ


子供の頃から

引っ越しには慣れていた


それにしても‥



僕は了解した

反対する理由がなかった



僕はにわかに忙しくなった


まずこのことを

誰に話すべきか


学校へは親父が

連絡すると言った



僕は自分でも意外に

スッキリしていた


新しい生活に思いを馳せ

2人の母のことを想ったりした


なんら根拠もないのに

うまくいくような気がした



大学はどこでも良い

家から通えるなら

経済的な負担も少なく済む


関西なら手頃な大学が

あるだろう

志望校の

見直しもしなくては


友達や広美だって

大学に行けばばらばらだ


固執したところで

遅かれ早かれ疎遠になる



薄情なわけじゃない


僕はこういう展開に

慣れていただけなんだ

好むと好まざるに関わらず



それでも僕はじっと考えた


思案したが説明は難しい


しばらく黙っていよう



僕は意味なく騒がれるのが

苦手なのだ



広美のことに考えが及ぶと

このままではいけないと

思い始めた


もっと素直に

自分の気持ちを伝える

べきなんじゃないかと


後悔する前に

はっきりさせておきたい


それだけはきちんと


僕には時間が制限されたのだ



使命感は山をも動かす


そんな諺はない



でもいったん心に決めると

時の過ぎるのは早かった 




僕は再度

広美に要求を試みた


労働組合みたいに


でも今回の闘争には勝算がある


なんといっても

僕は“去る身”なのだ


発想は猿なみ〜トカ

言わ〜ないのお〜



「なんか元気ないんじゃない?」

と広美


彼女につかず離れずの

園部がいないのを見計らった


「うん、ちょっとねー」



「もう期末じゃね、イヤになる」


「また友情の規制するの?」



「ダメ? 必死にやらんと内申に響くから」


「いいけどさー」



「けどさ〜、何?」


「やっぱりねー」


「やっぱり?」



「選んで欲しいんだよ」


「何を?」



「僕か、園部かを」


「またそれかあー」



「僕は気になるんだよ」


「あなたはあ〜」


「ラヴなんだよね」


「そうよ」



「じゃあさー」


「じゃあ?」



「証拠を見せてよ」



「証拠? 何それ」


「ラヴの証拠だよ」



「証拠ねえ〜」


「僕が納得できなきゃ駄目だよ?」



「一応聞くけど、一応よ?例えば?」


「うーん、そうだなー」



「簡単なのにして」


「じゃあ、キス」



「ふうー」


「ダメなんだね」



「考えさせてくれん?」


「いいよ」



僕は広美に

考える猶予を与えた


なんて寛大な僕


「絶対に決めてよ」

僕は念を押した


彼女は“絶対よ”

と約束して

期末試験が終わるまで例の“規制”を実施した


しめしめ、ここまでは上出来だ


だけどキスがそんなに嫌だなんて

僕のオッズは一気に下がった



期末の試験範囲が出揃い各馬一斉にスタート


みんなは勉強に励み

(むろん園部も、ウシシ)

僕はもう1つのレースの予想に励んだ



園部が選ばれても

自分が選ばれても

これで悔いは残らない


彼女がキスをあまりにもきっぱり断ったので

勝敗の行方は

五分五分となったが


とにかくサイは投げられたのだ


もし戦いに破れても

2学期までいないわけだから

いつまでも恥をさらさずに済む


完璧だ‥



園部にとっても

広美にとってもこの方がベターだ


時が経てば経つほど

後で受ける傷は大きくなるに決まってる


そう考えると

僕はとても良いことをしたと思う


え? 全然ちがう?


違いません!



10数教科の試験は4日間で終わる


入試に備えて3年間の総合問題が増量されていた


毎度一夜漬けの僕には関係ナッシングだが

今回はなぜか余裕があった



赤点のことも補習のことももうあまり関係ない


リラックスして挑んだせいか

ヤマが当たったせいか

今回はいつもより出来た


テストなんてそんなもんだ


最終日の朝

僕は園部に言った

「斉藤に僕かお前か、はっきりするように頼んだ」


園部は露骨に嫌そうな顔をした


「なんでそげんに気にするんじゃ」


フン、今さら遅い

後の祭りである

ワッショイ!



いよいよその日


入試より重大な発表だ


「そういうことだから、今日は2人にしてくれ」

と言うと


園部はすんなり応じた


「ええけど、わいはどっちにしても今まで通りじゃからな」


「僕は選ばれなかったら、もう会わないよ」


「まあ、そうじゃろのう」



「そん時は好きにやってくれ」


「ええんか、それで」


「いいよ」



「わいは友達として斉藤や、お前とおるんじゃけどのう?」


「だから、それならそれで構わん」


「ようわからん奴じゃの」


彼は本当に

わからないのだろうか?


それとも僕がおかしいのか‥



やがて雲の切れ間から晴れ間がのぞき始めた


テスト期間中も雨は降ったり止んだり


長かった梅雨も

ようやく明けようとしていた




僕は久しぶりに

広美の教室へ迎えに行った


彼女は僕に気づくと

鞄を取ってすぐ出て来た



いつもと同じ帰り道


広美はなんとなく

いつもよりふて腐れている


「どうだった?」と僕


「ああホントもうダメ」

「何が?」


「全然ダメよ、こんなんじゃ」

頭を掻きむしる


少し黙っていよう‥



「よお〜 出来たか〜」

と甲斐が通り過ぎる


また違うチャリンコ


あれ?後ろに乗ってた女子

右京じゃないぞ‥


「右京じゃないね」


「ほうじゃね」

「どしたんだろ」


「右京が気になるん?」

「いや別に」


「あなたの場合“別に”は質問に対して図星の時よ」

と言って

うふふと笑った



「怒られないのかなと思ってさ」


「右京に?そりゃ怒るじゃろ」

「見たことある?」


「あんまりないけど、あの2人はよう喧嘩するんよ」


「そうなんだ」

「甲斐君、女好きだから」


「そんな風に見えない」

「右京はしょっちゅう泣かされとるんよ」


「へえー」

「じゃけど惚れとるから、別れられんのじゃ」


「別れたいの?」


「どうじゃろ、アタシにはわかんない」

「そだよね」



「やっぱり選ぶん?」

「うん」



「ねえ高杉君」


「うん?」


「あなたを選んだとしたら、園部君と会っちゃいけなくなるんよね?」


「そんな拘束しないよ」


「逆でも?」

「逆なら僕はツライから」


「ツライから、でもアタシもツライんじゃけど?」


「ツライなら会わない方が良いでしょ?」


「そうなるわけかあー」

「そうなるんだよ」


「このままじゃ、高杉君がツライのね?」

「そうだよ」


「困ったチャンよねえー」


「僕はずっと困ってる」

「そうなのよね、ウン」


「考えたの?」


「考えたわよ」

「で?」


「ちょっと待って」

「それは…」

「違うの、帰るまでには必ず言うから」


「ほんとに?」

「本当」



僕たちはM駅に着き下り列車に乗った


車内では主にテストの話しをした


出来たとか

出来なかったとか

合ってるとか

合ってないとか


いつもなら

つまらない話しだけど

広美と2人でいれば気分は良かった


たとえ選ばれなくても

今この時を大事にしたい


1ヶ月後には

僕はいない

いや、もう1ヶ月もない



それを考えると少し悲しくなった


だんだん自分は選ばれないんじゃないかと思い始めた


その時は諦めよう 




H駅に着いた


改札も出入口も一箇所の

ちっぽけな無人駅のような駅だ


小さな売店と

駅を出たすぐ脇に薄汚れた公衆電話ボックスがあった


目の前にはタクシー会社と駐輪場

それにそば屋とタバコ屋


どこにでもある

ありふれた田舎駅だ


電柱から垂れた何本もの電線が青い空をパズルのように切り抜いていた


「晴れたね」


「じゃあ言うわ」


「別に今日じゃなくてもいいよ?」


「ダメ、アタシがようない」


「うん」



「オタク」

そう言って指を指す


「高杉君、これでええ?」


「うん」


考えたら何も変わらないや‥


「うち来ない?」

「今日?」


「来て」


「わかった」


僕は広美を自宅に案内した


広美は駐輪場から自転車を押して来た


庭先で待ってもらう


エルシノアはなかった

庭の奥から変速機付きの自転車を引っ張り出して

空気を入れた



「さあ行こうか」


チャリンコの2人が

商店街を軽快に走り出す


自転車店

電気店

衣料品店

寿司屋

スーパー

八百屋

魚屋

カメラ屋

肉屋

金物屋

畳屋

時計屋

理容室

また自転車店

接骨医

薬屋

瀬戸物屋

傘屋…


雨がぽつりと

降ってきた




商店街を抜ける寸前で

ぽつぽつ降り出した雨が

坂の途中でさらに勢いを増した


「うわあー降って来たよ!」


「きゃあ〜」


土手に出た


夕立だ

いや、夕方じゃないから

通り雨だ


さっきまで青かった空が真っ黒になった


ルーチェやファミリア

マツダ車が凄い速さで何台か走り抜けた



僕たちは

入道雲の真下にいるらしい


「高杉くーん!」

「なあーにいー!」


「帰ってええよおー!」

「もおー遅いよおー!」


強烈な雨の匂い


車が猛烈な勢いで走る


横からも上からも雨が来る


前を走る広美に追い付くのがやっとだ


ズボンはぐしょ濡れ

頭の先から靴の先まで


広美のブラウスも雨に濡れて

ぴったり体に張り付いていた



国道だ


トラックたちの水しぶきを浴びながら

渡るチャンスを待つ


ここまで濡れたら

どうでも良くなってくる



「ホンマもうええよ!」

「いいよ!ついでだから!」



やっと道路を渡った途端

雨脚が弱まった


泥道を進み

大きな橋のたもとにたどり着いた時には

雲の切れ間から太陽が覗いていた


「ああー、止んできたあー」


「すごかったねー」



「もおうー頭来るうー!」



橋を渡ったところで

広美が自転車を止めた


らんかんに片足をかけて

ハンカチで頭と顔を拭いた


僕もすぐ横に止めて

ずぶ濡れの髪をかきあげたり振り回したりした


まるで野良犬になった気分だった



「ひゃあー気持ち悪い、びしょ濡れだ」


「ゴメンねー」

「しょうがないよ」


ふっと広美から広美の匂いがした


僕もしてるのかな‥


「広美?」

「うん?」



「キスしていい?」



諦めたように

口をへの字に曲げて

右の頬を差し出した



「……」


冷たい‥


それから

雨の味がした



広美の匂いが一際強くなった


僕は手を伸ばして広美の首に触れた


広美は動かない

呼吸ひとつ乱れない



小さなあごに

指先を添えた


少しだけ優しい力で



広美が

目を閉じた


顔を近づけると

すぐそばに広美


息が届く



鼻がぶつかりそうだ


そうか

こういう場合はナナメに‥



唇に

唇が

触れた


カサリ…



「…

「……」


震えたのは僕の方だった



広美が目を開けた

「ね? 目をつぶってくれん?」

「あ、ハ、ハイ」


では、もう1度



ん‥…


「お乳の匂いがする」


Σ!( ̄□ ̄;)




儀式は終わった


あっという間の

ぎこちない儀式だった


長い人生の中のたった1秒か2秒だ


セミの気持ちがわかる


神父も神主もいなかったけど

申し分ない出来だった



雨あがりの空に

僕が考えたことは

やっと彼女に自分の思いが伝わったってことと


伝わったと思ったら

すぐに

お別れだということ



ジェットコースターのように

僕の気持ちは

幸福の絶頂から不幸のどん底に落ちた


うちに帰ると

何もする気になれず

着替えもせず

レコードをかけた



風の3rdアルバムだ


この中に

恋人と別れゆく

“僕”がいる



聴いてるうちに

切なさで胸が一杯になった




濡れたままのシャツで部屋に寝転り

天井のしみを見ていると



しみがだんだん

涙で見えなくなった



広美…、西郷…、園部…



みんなと過ごした青春が幕を下ろす



僕と広美のことを

唄っているようだった

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