第11話 LIKEかLOVEか
“不純異性交遊”という奇妙奇天烈なことば
(奇妙奇天烈もすでに奇妙奇天烈な言葉であるが“不純異性交遊”ほどの違和感はない)
…が、滅び去って久しい
けれどその頃は
恥ずかしげもなく堂々と使われていたのだ
朝礼やホームルームで聞かされる教師の小言や
父兄らに配られるプリントの中で
何をもってして不純というのか
その純度を何で計るのか
化学の先生にでも聞いてみたいところだ
純度が高まるにつれて
相場が上がるものなのか
だとしたら問題は経済にまで及ぶ
“異性交遊”なんて
随分アカデミックな言い方だ
これによって若人のごくナチュラルな行動が
やたらいかがわしく淫らな印象になる
それに“不純”が付くと一層危険性を帯びてきて
プルトニウムに素手で触るかのような深刻なムードまで漂ってくる
学校の先生がこんなアホらしい言葉を連呼するようでは
日本の将来も闇だ
ベビーはブームだったはずだ
その前段階が“不純”なら大人たちは全員不純ということになる
そしてここにもうひとつ
“プラトニック”という言葉がある
語感がちょっと
プルトニウムに似てるのは偶然だろうか
“プラトニック”
これもかなり厄介である
人が人を好きになる時のある状態、または
2人の間に発生する澱みのない“空気”のことらしい
実に難しい
まず目で見て確認できない
無味無臭である
一説によると
カルピスの味に近い
乳酸系だろうか?
ヤクルトではダメなのか?
ミルキィーは
ママの味というから
この辺に謎を解く鍵がありそうだ
“プラトニック”をややこしい問題にしたのは
この言葉を
誤訳、あるいは誤って解釈をして広めた大人たちの責任でもある
決して“友情”のことではない
しかし友情という言葉に少年少女は弱いもの
未熟な自我に
友情と恋愛を天秤にかけさせる辺りが
体制のいやらしさである
もともと友情と恋愛は別ものなのである
すなわち容器が違う
色も違う
カルピスとヤクルトくらい違う
これを“同じでしょ”と言うのは
オバタリアンと園部ぐらいだ
友情が発展したら恋愛になるのでは?
という意見もあるが
考えてもみたまえ
ヤクルトがカルピスになるか?
なるわけない、なったら大変だ
日本シリーズは
阪急ブレーブス対
カルピススワローズになる
「面白いけどくだらんのう」
園部がクスクス笑いながら言った
「それで、なんでカルピススワローズやと大変なんだ?」
「全部カタカナじゃないか」
「いけんのか?」
「どうせなら、カルピスストローズじゃろ?」
「なんじゃそりゃ?」
「お前、ヤクルトをストローで飲むか?」
「飲む奴もおるかも知れんじゃろ」
「そんなマイノリティーな話しはしとらん」
「小数意見は無視か」
「カルピスならストローで飲む」
「だからカルピスストローズか」
「そうだ」
「スワローズの立場は?」
「特にない」
「ないのか」
「鯉はアカンのお〜」
「アカンのお〜」
「おはよ」広美が来た
「おはよ」
「オハヨ」
「西郷君は?」
「孤独になりたいんじゃそうじゃ」
と園部
微妙な部分は話してない
西郷がいつでも戻って来れるように
「アタシのせいなんじゃろか」
「違うよ」
「違うわい」
「気難しい人なの?」
「そういう所はある」
「卑屈なんじゃ」
「よくわかんないけど」
「いいんじゃない?」
「ほっとけばええ」
「ねえ、いつ来る?」
とらえどころのない不安感とは裏腹に
僕と広美それに園部を入れた3人の親密度は増していった
惨憺たる結果で1学期中間試験は終わり
再び3人の関係は解禁された
園部までもが一定期間
広美との距離を置いたことについては
妙な思いがしたが
かといって
僕の知らない所で会われても困るしそのことは黙殺した
西郷のことも含めて
あまり気にしないことだ
レコードや音楽の話しをするうち園部が
広美のうちに行ってみたいと言い出し
広美もこれを拒否しなかった
実を言うと
それも引っかかった
拒む理由も見当たらないし
僕がしゃしゃり出るのもおかしな感じがした
園部が
「高杉も来るか?」
と聞いたので
少々イラつきもした
僕が広美のうちに
遊びに行くのはわかるが
園部が行くというのは厚かましい気がした
こんな感情を園部に抱くのは初めてだった
そしてそのことが
恥ずかしいことのようにも思え
自分のなんというか
心の狭さみたいなものにさいなまれることになった
けれど勿論そんなこと誰にも言えない
広美になんか絶対言えない
では恋人同士は
いったい何を話したら良いのだろう?
「ウチ、いつ来る?」
広美が人差し指をピンと突き出して
僕らを交互に見た
「いつでもええんか?」
と園部が答える
「散らかっとるよ?」
「かまやせんわ」
「ほんならええけど」
「今日の帰りでもええか?」
「ええよ別に」
「テストも終わったし、行くか、高杉?」
「う、うん、行くよ」
僕たちは学校の門をくぐった
門のそばには人の顔ほどもある紫陽花が咲き始めていた
そのひとつに園部そっくりのカタツムリが1匹…
正面玄関の真上あたりからはブラスバンドの練習が聞こえていた
プアーン、プワ〜、パーン
プアーン、パパパパ〜
トランペットにホルン、チューバ…
気の抜けたマーチだ
校舎は全部で3つ
2棟は3階建ての木造
残りのひとつが4階建ての新校舎だ
グラウンドに面した鉄筋コンクリートの新校舎は
去年の秋完成したばかりである
クリーム色のざらついた外壁が
初夏の明るい日差しにきらめいていた
僕たち3年は
今年の2月にこの新校舎に引っ越して来たのだ
予定では3学期の頭に移動するはずだったのが
2月に入りやっとオンボロ校舎からの脱出となった
新校舎へ続く渡り廊下を通り
自転車置き場の脇で僕たちは分かれた
広美は職員室に用がある、と言って1階の廊下を進んで行った
園部はなぜか
その後について行った
どうでもいいや‥
広美が振り向いてピースサインをした
僕は軽く手を振って
3階の教室へ向かった
教室には久坂がいた
僕の机に座って
ファラ・フォーセットのピンナップ入り下敷きを扇いでいた
裏はピンクレディー
「おーす」
「おはよ、どした?」
「テストどうじゃった?」
「なんか返ってきたか?」
「まだじゃ」
「ボロボロか?」
ピースサイン…
昨今は何でもピースサインでごまかす
久坂はもう半袖のボタンダウンだ
「寒くないか?」
「タフガイじゃからの」
「ちょっとどいて」
「あ、スマン」
「数学どじゃった?」
「赤点は免れた思うけど」
「そっか」
「途中で寝てたわ」
「最後の夏休みくらい、補習は勘弁じゃの」
「まったく」
「お前らまだ3人か?」
「どうでもいいだろ、別に」
「やっぱり高杉は変わっとるってよ」
「誰が?」
「気にすんなや」
「じゃあ言うなよ」
「機嫌悪いな」
「人のこと心配する余裕あるんか」
と僕
なんか気分が悪い‥
「心配はせんよ、あん時みたいに」
ああ、あの時ね‥
「みんなお前は頭がどうかしとるゆうとったんじゃ」
「前に聞いたよ」
「わいは、お前のこと庇ったんじゃぞ」
「ああ」
「知らんじゃろ、中にゃ酷いこと言う奴もおった」
「うん」
「衿をつかんで、本気で怒ってしもうた」
「うん」
「あんな心配をするのは、2度とイヤじゃからな」
「わかってるよ」
「どれだけ心配したか」
「わかってるって、もういいだろ」
「西郷はどうかしたんか」
「どうもせん」
「あいつも機嫌悪いの」
「そういう時もあるだろうよ」
「園部は…」
「もういいよ」
「高杉?あん時みたいなことは、もうせんでくれよ、頼むで」
「2回やっても面白くないしな」
「そうじゃ」
「今度はファラフォーセットか?」
「ええ女じゃ」
「知性を感じないな」
「じゃ例えば?」
「ナタリー・ドロンとか、ジャクリーン・ビセットだな」
「年上か〜」
「卒業のキャサリン・ロスも可愛いけどな」
「あのタレ目が?」
「そこが可愛いんだよ」
僕は映画の話しで気分を変えた
久坂は何を心配しているのか‥
心配してもなるようにしかならないというのに
「心配せんでも大丈夫だから」
「おう、ほじゃ先行くわ!」
1人で土手の道を歩き始めると
すぐに広美が追いついて来た
「ホンマ今日来るん?」
「ちょっと遅れるかも」
「ええよ」
2人きりというのは久しぶりだ
「いいこと、聞いちゃった」
ふふふ、と笑う
「何?」
「去年、尾道大橋から飛び込んだじゃろ?」
「あ〜その話し?」
「知ってたけどおー、その理由は知らんかった」
「赤点取ったからだよ」
「そうなの?」
「そだよ」
「アタシが聞いたのとは違う」
「そう?」
「川神さんにフラれたからでしょ?」
「違う」
「違わないって」
「違うよ、時期が同じだっただけ、川神さんも聞きに来たけどね」
「ふ〜ん」
「何?」
「ええんじゃけどさ、11月でしょ? 寒うなかった?」
「寒いよ」
「ホンマに尾道大橋から?」
「そんなことしたら…、プールだよ」
僕は後ろを指差した
「学校の!」
「そう」
「なんでそんなことしたわけ?」
「ほんとに橋から落ちたら命がないよ」
「そうじゃなくて〜」
「何?」
「ちょっと幻滅」
「斉藤さあー」
「うん?」
見慣れた大きな黒い瞳
「園部と電話してる?」
「してる」
「そっか、話し中の時、多いから」
「電話くれとるん?」
「たまに」
「勉強のわからん所とか聞いてくる」
「他には?」
「親の愚痴」
「好きだったりする?」
「誰が?」
「園部」
「ああ、そのことねえ」
アハハハと笑って
「好きよ、友達として」
「僕のことはどう思ってんの?」
「あのお、園部君を好きゆうのとオタク、じゃなかった高杉君を好き、ゆうんは違うんじゃけど?」
「よくわからないから聞いてんだけど」
「うーんとね〜、LIKEとLOVEの違いって、わかるー?」
「わかんない」
「園部君はLIKE、高杉君はLOVE」
「スペルが違うだけじゃないの?」
「どうしたの今日? ちょっと怖いよ、高杉君」
「今日行かないかも知れない」
「そう、でも待っとるから」
「うん」
「良い例えだと思たんじゃけど」
「何が?」
「LIKEとLOVEの違い」
「良い例えだと思うよ」
心からそう思った
問題は実際に機能してるのかっていう僕の疑念の方なのであった
LIKEとLOVE
これについて考察すれば一冊の論文が書ける
それくらい
ツッコミどころがある
理屈はわかる
(ような気がする)
でもこれは騙し絵だ
魔法の言葉である
でなきゃトリック
でなきゃサギだ、ペテンだ、イカサマだ
どう“まやかし”なのか
まず僕と広美の関係だが果たしてLOVEなのか
そもそもここからして怪しい
LOVEとは
宣言するだけで成り立つものなのか?
「あなたはLOVEなのよ」
「ハイ、ワカリマシタ」
ほんとにいー?
小説や映画の中では
「愛してる」って台詞は頻繁に出て来る
特にアメリカ産直輸入のエンターテイメントでは
「愛してるよ」が出てこないものはない
ホワット イズ ラヴ?
「好き」とか
「すごく好き」とか
「好きでたまらない」というのならよくわかる
イカは
「好き」
ハマチは
「すごく好き」
中トロは
「好きでたまらない」
ネ? 簡単だ
愛には
強弱があるりそうである
そこんとこがミソだ
醤油ではない
ビリー・ワイルダー監督
(この人のラヴ・コメはとても面白い!)
…の、映画なんかだと
「すごーく愛してる」
「目茶苦茶愛してる」
「死ぬほど愛してる」
「愛してる、愛してる、愛してる!」
の、オンパレードだ
“目茶苦茶”と
“死ぬほど”の間には
無限の“愛してる”がある
この場合強弱こそが最大の重要ポイント
余談だけどモンローも
強弱の激しい女優さんだった
アメリカ人がどのように
LIKEとLOVEを区別しているのかは
知る由もないが
ここ日本ではどうか?
LIKEは寿司ネタ用
LOVEはモンロー用ではちょっと違う気がする
「園部君はエンガワ」
「あなたはトニー・カーチスよ」
どう?
余計ワカラナイ
まさにそれが
真理なのかも知れない
園部が僕の家の庭に帰ってきた頃には
僕はもうすっかりシラケていて
「今日は行かないよ」と
彼に自然に言うことができた
てっきり彼は大喜びで僕を置いて行くだろうと思っていた
ところが予想に反して
僕が行かないなら自分も行かないと言い出した
「なんでだよ」
「1人で行ってもつまらん」
君と行く方がつまらない
行く、行かないの押し問答を何度か繰り返した後
最後にはちょっとだけ寄って早めに帰ろう
ということになった
園部があの時なぜしつこく僕を誘ったのかは
まったく理解できない
わからないことだらけだ
陽はまだ高かった
仕方なくエルシノアで出発
20分後には
広美の部屋にいた
結局あがり込んでしまったのだ
広美の部屋は2階の角で
屋敷の中は広く彼女の部屋にたどり着くまで
随分かかった気がする
いくつも部屋があり
全体に薄暗く
空気は沈滞していた
彼女の部屋に続く廊下は
みしみしと軋み階段は長くほとんど光りは射さず
裸電灯を点けなければ足元が見えなかったくらいだ
家の裏側がすぐ山だから暗いのよと広美は説明した
広美の部屋に着くと
一気に光りが差し込んできた
好みがあるからね
そう言ってお母さんが
コーヒーにクリーム、角砂糖とティーバッグ
それにビスケットを運んでくれた
割烹着に手ぬぐい姿のお母さんは
よく日に焼けて朗らかで
笑顔を絶やさない人だった
僕と園部は突っ立ったまま
「おかまいなく」と
柄にもない挨拶をした
掃除したと広美が言う割りに
部屋は乱雑だった
机にベッド、ステレオ
衣装箪笥、こたつ
それにストーブと扇風機が季節感を無視してひしめいていた
窓ガラスも薄汚れていて
天井の隅には蜘蛛の巣がかかっていた
“壁ぎわ”には埃が溜まり
これじゃあ
“寝返り”が打てない
(By ジュリー)
お母さんが退室したあと
僕の第一声は
「掃除しようか?」だった
それには答えず広美は
「適当に座って」と言い
扇風機を回した
「高杉君、窓開けてくれる」
「ここ?」
「違うそっち、そこはダメ、スズメ蜂の巣あるから」
「ひやああー!」
それから僕たちは
ポットからお湯を注して
思い思いに飲み物を用意した
園部は広美のベッドに腰かけて
散らかった衣類をつまむと足元に放り投げた
つくづく厚かましい奴だ‥
広美が煙草に火を点けて
ふうーっと煙りを
扇風機に吹きかけた
「わいも」
園部が広美からセブンスターを1本もらう
僕も吸ってみようかと思ったがやめた
むせたりしたら恥ずかしい‥
「なんか聴いてええか」
と園部
少しは遠慮しろ!
「うん、ええよ」
ステレオのそばに行くと園部は品定めを始めた
ラックに入り切れないレコードが積み重なって
今にも崩れそうだ
「松山千春?」
「うん、大好き〜」
「ええのう、松山千春」
えーっ!
“田舎っぺ”つってたんじゃん‥
「山崎ハコか」
「知っとる?」
「ええのう〜」
えー!えーっ!
“暗い”つってたんじゃん‥
「ゴホ、ゴホ!」
園部が煙草にむせた
ざまーみろ‥
「大丈夫?」と広美
「調子悪うて」
えー!嘘つけー!
どこまで調子が良いんだ‥
壁にはペナントがいくつかそれにキャロルとハードロッカーのピンナップ
寒々しいレイアウトだ
園部が山崎ハコを聴こうと言い出す
やめてくれ‥
「他のにしよう!」と僕
レコードの山に近寄ってジャケットを見ていく
が、見事に暗い‥
何かポップなのはないか
「これ」
「荒井由美?」
「この人と関係ある?」
「誰?」
「読めない」
「ああー松任谷由実?」
「似てるよね?」
「同じ人、結婚して姓が変わったの」
「そうなんだ!」
抱いてくださ〜い…
ドヨヨ〜〜ン…
うわわ!
園部が勝手にかけやがった!
魂の抜けたような顔で
天井を見つめてる
どんどん空気が沈んでいった
松任谷か‥
変な名前だ‥
「どんな曲?」
「キャンディかなんかのコマーシャルじゃった思う」
「じゃ、次これ」
「オッケー」
広美の部屋は
土の匂いというか
お米や乾燥した草の匂いが立ち込めていた
広美がジャケットから次々にレコードを出して
クリーナーを噴射する度にそれらが混じり合い
不思議なことに
いちご畑のような香りになった
小さな鼻声の女の子が
子供の頃には神様を信じていて
いつも夢を叶えてくれたと歌っている
優しい気持ちでいたら
目に見えるもの全てから伝言を受け取れる、と
僕たちは中島みゆきや五輪真弓やオフコースの曲で
これ以上はないというくらい暗くなり
トドメに井上陽水の
“傘がない”を聴いた
暗さのロイヤルストレートフラッシュだ
園部は広美が何も言わないことを良いことに
彼女の髪に触り肩を叩き彼女のティーを飲み
彼女が吸っていた煙草まで吸いやがった
なんて馴れ馴れしい奴だ
こんな思いをするなら
LOVEはいらないから僕もLIKEの方がいい
帰りにお母さんがおみやげにと言って
僕と園部にひとつづつ
グレープフルーツをくれた
ありがとう“お母さん”
娘さんは
きっと幸せにします!