第65話 桜の刺繍のお守り
――静かな夜。
『桜守山』と呼ばれる山の外れた登山道に、凪たちはいた。
周囲を枯木に囲まれたその荒れ地は妙に広く、他には何も存在しない。まるでこの場所だけが空間ごと切り取られてしまったような、空虚な世界。
「……あれ?」
小さな声を漏らしたのは、凪だった。
何もない場所で尻もちをついていた凪は、辺りを見渡しながらつぶやく。
「月姉……イコナ……ククリ……」
その場には、凪以外にも三人の姿があった。
凪と共に暮らす従姉妹の少女、月音。そして、最近出逢った二柱の神様。
彼女たちも凪と同じように呆けており、山の中でなぜか座り込んでいる。
「凪……ちゃん? ――あれ? 私たち、何してたの? え? ど、どうしてパジャマのままこんなところにいるの? 今日は凪ちゃんの誕生日パーティーだったよね?」
「あ、ああ。パーティーが終わって、イコナとククリに修行をしてもらって、その最中にトラブルがあって……それから月姉にお風呂で告白されて……」
「わぁ凪ちゃん! イコナ様たちの前で何言ってるの!」
「え? ――あ、あああごめん!」
途端に告白シーンを思い出して赤面する二人。
すると今度はイコナが激しく慌てた。
「ちょっとナギくん! アレ思い出したら強制押し入れ掃除するわよ! ってそれよりも、あたしたちなんでこんなとこにいるのよっ? ナギくんの部屋にいたはずでしょ? う……なんか、記憶がぼやけてるような……。んん、キモチワルイわね」
「う、うん……わたしも……同じ、なので……。ナギさんのところで……可愛いお洋服と、水着を着て……は、裸にも……。……でも、そのあとのことが……何も……」
「俺もだよ。間違いなく部屋で寝てたはずなのに、なんでここにいるんだ? ……あっ、あの看板見覚えある! ここ、たぶん桜守山だ。でも、なんでここに?」
「そっか……凪ちゃん、そうだったんだ……!」
「月姉? 何かわかったのか?」
凪がそちらを見ると、月音は伏せていた顔を上げる。
「やっぱり、二人とイチャイチャしてたんだね-! トラブルって何!? 裸って何!? 内緒のえっちなパーティーなの!? 婚約秒読みのお姉ちゃんがいながらぁ~! イコナ様ともククリ様とも沙夜ちゃんとも色葉ちゃんともハーレム浮気してるのぉ~~~!」
「ぐえっ!? ぢょ、月姉落ぢづいでっ! あれはただのハプニングであって! だーもう今はそれどころじゃないって! ……って、あれ? そういやあのとき、俺、イコナとククリと何を話してたんだっけ……?」
「んんっ……あたしも、思い出せないわ。なによこれ。やっぱり何かヘンよ!」
「わたしも……です……。記憶に、モヤが、かかったみたいな……」
「え、え? ど、どういうことなの? 凪ちゃん? えっ?」
凪も月音もイコナもククリも、四人はいまだに現状を理解することが出来ず、頭から飛び出す無数の疑問符をただ放置するしかなかった。何か大切なことを忘れている気がするが、何を忘れているのか見当がつかない。
ともかく、ずっとここにいるわけにもいかない。
四人は少し冷静になったところで立ち上がり、家に戻ることにした。
「凪ちゃん、とりあえずうちに帰ろ? こんなところにいたら風邪引いちゃうよ」
「ん、そうだな。よし、イコナとククリも、あっちでゆっくり考えよう」
「そうね……よくわかんないけど戻りましょうか。一度、頭の整理したいし」
「う、うん……そうだねイコちゃん」
こうして凪たちは桜守山を後にし、歩きだそうとした。
そのとき、凪のパジャマのポケットからある物が落ちる。
「ん? 桜の刺繍の……お守り?」
見覚えのないそれにさらなる疑問がわく。
瞬間、心がひどくざわつき始めた。
「……っ!? なん、だ? なんだよ……なんだ、これっ……!」
凪は立っていることも出来ず、崩れるように膝をついてその場にうずくまる。頭がズキズキと痛くなり、呼吸が激しくなって、恐ろしい不安感に胸が覆い尽くされていく。
凪の異変に月音たちが慌てて駆け寄り、三人で凪の身体を支えてくれる。
「凪ちゃん! どうしたのっ、凪ちゃんしっかりして!」
「ナギくん!? 急にどうしたのよ! ちょっと、しっかりなさい!」
「ナ、ナギさん……すごい汗……か、顔色も悪いので……!」
三人の声が上手く耳に入ってこず、頭の中で意識がグルグルと混濁している。気を抜くと何もかも忘れてしまうのではないかという恐怖が胸を襲った。
「俺は……俺は凪だろ? 七瀬凪だっ。月姉と一緒に神社で暮らしてて、御朱印集めをしていて、そのおかげでイコナやククリと出会って……それで、それで……ッ!」
お守りを見つめながら、凪は必死に頭を巡らせる。
――御朱印集め。
そうだ。それが自分の大切なもの。妹から受け継いだものだ。
月音と一緒に様々な場所を巡り、放課後にもいろんなところへ出掛けた。
たくさんの思い出が今もちゃんと残っている。家には何冊もの御朱印帳がある。
ずっと探していた。大切な何かを。
――何か?
「…………あれ。俺……なんで、御朱印巡りなんて始めたんだ……?」




