第61話 万が一
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――深夜。
自室で眠る凪の隣には、月音の姿があった。告白を受け入れなかったんだから一緒に寝るくらいしてくれないと泣いちゃうと言い出したので、仕方なく凪が受け入れたのである。本当は添い寝を希望した月音だが、なんとか布団を並べる状態で決着がついた。
壁掛け時計の針の音だけが響く暗闇の中で、凪の部屋の襖がそっと開く。
そこから姿を現した一人の人物は、ゆっくりと寝入った二人のそばに近寄る。
しゃがみ込み、しばらく二人の寝顔を見つめて微笑む。
「……お誕生日……おめでとう」
その人物が見ていたものは――二人の間に存在する〝縁の糸〟。
形も、大きさも、色も、煌めきも、千差万別。お互いがお互いを想い合う場合に限り、その糸は大変な美しさを誇る。
凪と月音の縁もまた、キラキラと瞬くように光る。家族同士のそれのように太く長く、恋人同士のそれのように色めいて輝き、親友同士のように固く結ばれている。この縁が途切れることはもはやありえない。そう思えるほど見事なものだった。
二人の縁が美しく成長していくのを、その人物はずっと見守ってきた。
だからここにいた。
その人物は静かに胸元まで手を上げる。
一切の音を立てずに手を合わせ、離す。
すると今度は左手をジャンケンのチョキに――ハサミのような形に変えた。途端に、そのチョキの人差し指と中指が淡い光を放つ。
そして、その手を二人の間の縁に向かって伸ばしていき――
「――馬鹿な真似はやめておきなさい」
暗闇から響く声。
その人物の左手は、何者かに強く掴まれていた。
慌てたその人物は後ずさりし、隅によけてあったテーブルに衝突して背中を打つ。音に反応した凪と月音が驚いたように目覚め、部屋の電気が灯った。
その人物は突然のことに目をつむり、顔を隠して縮こまる。
身を起こした凪と月音は、一体何が起きたのかを把握しようと辺りを見回す。
そこにいたのは、落ち着いた顔で立つイコナと、今にも泣きそうな顔のククリ。
凪も月音もすぐに理解した。
万が一が、本当に訪れてしまったのだと。
「イコナ? ククリ? これって……まさか……!」
「ええ、前に話した通りだったみたいね。警戒しておいて正解だった」
イコナが縮こまるその少女を見下ろす。
凪の視線もそちらへ向かった。
「――サクラ。あなた、〝縁切りの神〟になったわね(・・・・・・)?」
イコナの衝撃的な発言。
顔を隠していたその少女――サクラは勢いよく立ち上がり、
「……ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
そのまま走り出して、部屋を飛び出していった。
「サクラっ!」
突然のことで呆けてしまっていた凪は慌てて布団から出ると、寝起きの身体で転びそうになりながらもサクラを追いかける。イコナ、ククリも一緒になって後を追い、ついには外へ出てしまう。月音はいったん玄関で足を止めた。
「サクラ! 待ってくれ! サクラっ、なんで……っ!」
手を伸ばす先で、見慣れた美しい髪が揺れる。
神通力を使えないはずのサクラだが、その足は神通力の光によって強化されており、凪でも追いつけないほどのスピードで駆けていった。小さな背中はみるみる遠ざかる。
それでも凪は諦めず、絶対にその背中を見失わないようにと走り続けた。靴も履かずに飛び出して足の裏は切れていたが、痛みなど今はどうでもいいことだった。
サクラは境内の隅――先が崖となっている林でようやく足を止めた。
そこでサクラが拍手を打つと、彼女の足はさらに輝き、ふわりと軽く飛ぶだけでサクラの身体は宙に浮き、なんとそのまま隣の山へ向かって崖を飛び越えてしまった。
「……! サクラ! サクラッ!」
どれだけ呼んでも、サクラは振り返らない。
このままではサクラの姿を見失う。かといって今から神社の長い階段を降りて隣の山を登ろうものなら、それこそもうサクラを見つけることは出来ないだろう。
動揺した凪は目の前の崖から自分も飛び降りそうになり――それを遅れてやってきたイコナとククリに後ろから止められた。
「あなたまで馬鹿なことするんじゃないわよ!」
「ナギさんっ、ダメ、です!」
「けど! このままじゃサクラが!」
「落ち着きなさい! たぶんサクラは自分の神社へ逃げたんだわ。あたしとククリでなんとかしておくから二人は急いで追いかけてきなさい! 行くわよククリ!」
「うんっ! サクちゃんは、絶対に見つけます、ので!」
イコナとククリはそれぞれに拍手を打って神通力を開放。サクラと同様にその足が輝くと、まるで翼でも生えたかのように軽やかに崖を飛び越え、サクラを追いかけた。
凪は彼女たちを追いかけようと手を伸ばし、また崖を降りようとしたため、そこで月音が凪の手を引いて思いきりその頬を張った。
「凪ちゃんしっかりしてっ! こういうときこそ落ち着いて動くの! じゃなきゃ、本当にサクラ様を失っちゃうよ!」
「……月姉」
「深呼吸して。靴は持ってきてあるから、一緒に追いかけよ!」
月音は、正面から凪の目を見て話してくれる。
彼女はちゃんと凪の靴を確保してきてくれており、しかもこんな時だというのに甲斐甲斐しく凪に靴を履かせようとしてくれて、凪はつい笑ってしまった。
「月姉、自分で履けるから」
「え? あ、うんっ」
凪はパン、と手を合わせて月音に感謝の意を示す。
「ありがとう! やっぱ、月姉がそばにいてくれないとな。行こう!」
「凪ちゃん……うんっ!」
凪は笑ってしゃがみ込んだ月音に手を伸ばし、月音もまたその手を取る。
すると凪の身体が淡く光り、その光は繋がった手を通して月音にも伝わっていく。
「うわっ!? な、なんだこれ?」
「な、凪ちゃん? これ、もしかして凪ちゃんの神通力じゃ……!」
「え? ……まさか、さっき手を合わせたので神通力がっ!?」
凪はその場で軽くジャンプしてみる。
すると重力が弱まったかのようにふんわりと、高く空へ飛び上がった。手を繋いでいる月音も一緒にである。それは、先ほどサクラたちが見せたのと同じ挙動だった。
浮き上がったまま、月音が言う。
「す、すごいよ凪ちゃん! きっと今までの修行の成果だねっ!」
「ははっ、マジかこれ……!」
二人はそのままそっと地面に着地して、揃ってうなずき合う。
「よしっ、俺たちもショートカットしていこう!」
「うん! 私は、いつでも凪ちゃんと一緒だよ!」
笑いあう二人は、そのまま階段ではなく崖の方へ走り出し、二人揃って大ジャンプ。
そこにまったく恐怖はなく、二人は手を繋ぎ合ったまま夜空に浮かび、明るい月が照らす中で隣の山へ――『桜守山』へと飛んだ。




