第46話 イコナ怒る
元々縁が弱く、本来は結ばれなかったはずであろう男女。そして、結ばれてはいけないはずの不義な関係でさえも、ククリは結んでしまった。括ってしまった。
皆の幸せを願うあまり、力を、無差別に使ってしまった。
縁を結ぶことは必ずしも人々の幸せに繋がるのではないのだと、ククリは知った。
『わたしの……せいで……』
ククリは、恐ろしくなった。
自分の力が人々を不幸にしてしまう可能性に怯え、力が使えなくなっていった。
『やっぱり、わたしじゃ……だめ、なんだ……。わたしじゃ、前のククリヒメ様みたいには、なれないん……だ……』
誰もククリを責めてなどいない。
神職も、氏子も、町の人々も、遠くからの参拝者たちも。皆は、常に温かくククリヒメを信仰してくれた。だが、それが逆にククリの心を押しつぶした。ようやく手に入れたわずかばかりの自信を喪失し、自己の否定を始め、次第に神通力が乱れ始めた。
『やめて……やめてっ……! わたしは、そんな神様じゃないの……。みんなが思ってくれるような『ククリヒメ』じゃ、ない。わたし、わたしは、わたしはっ……!』
映像の中のククリが、黒い神通力に包まれていく。
(ククリ……ダメだ……っ!)
彼女がどれほどの悲しみを背負っているのか、なぜ凪に神朱印を与えてはくれなかったのか、凪はそのことをようやく理解できた。
必死に声を掛けようとするが、喉が凍りついてしまったかのように言葉が発せられず、身体の自由も利かない。記憶の世界で、凪は無力だった。
映像の中のククリが、凪の方を見た。
『ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!』
ククリは涙を流し、ただ謝り続けていた。
(くそ……! 早く、早く、この……世界から…………っ!)
凪は動けない。純白の雪が、凪を足元から凍りつかせる。もはや現実なのか夢なのかもわからない曖昧な世界で、すべてが白に飲み込まれていく。
凪の意識が薄れゆく中で――不意に甲高い声が響いた。
『――御朱印帳だしてっ! はやく!!』
(……っ!)
その声で意識を保った凪は最後の力をふりしぼり、拍手を打って自らの『神朱印帳』を出現させた。
すると勝手にページが開かれていき、そこから目映い光の塊が溢れていく。
次の瞬間、周囲の雪と吹雪が光の粒子のように弾けて消滅した――。
「……――ギくん! ナギくんッ! 起きて! しっかりなさい!」
聞き覚えのある、高い声。
うっすらと見え始めた視界に、もう一人の神様がいた。
「…………ん? イ、コナ……?」
小さな声でそうつぶやく凪。
女神イコナは凪の意識を確認した後、その場で手を合わせ、神通力で練り上げた一枚の美しい羽織を生み出し凪の身体にかけた。
「相当キツイ『神障』を受けてるわね。感受性が高すぎるのよもうっ。羽織ついでにあたしの神通力を貸したげる。意識を現世に集中なさい!」
凪の胸元に触れるイコナの手から、温かい光が凪の中に入り込んでくる。
すると徐々に身体の力が戻ってきて、次第に意識も覚醒していく。やがて自分が現実の世界に戻ってきたのだとハッキリ気がついたとき、自分が何か柔らかいものを枕にしているとわかった。
目の前には、心配そうにこちらを覗き込むサクラとイコナの顔が並ぶ。
凪は自分がイコナに膝枕をされていることをようやく理解し、慌てて飛び起きた。
「――うわぁっ!? って、あ、あれ? 俺……」
「はい、おかえり。あたしの作ったその羽織があれば、ククリの神通力の影響も防げるし、寒さにも強いわ。それあげるから着ておきなさい」
「え? あ、うん。た、ただいま……?」
「わぁ~ん! ナギぃ~~~! 無事でよかったぁ~~~~~!」
「っとと! ごめんサクラ。心配かけたみたいだな」
サクラの小さな身体を抱きとめて頭を撫でる凪。それからイコナの顔を見て尋ねた。
「ええっと、それで、どうしてイコナがここに?」
すると、イコナは眉間に皺を寄せながら腰に手を当てて言う。
「どうしてって……あのねぇ! こっちの異常気象は全国ニュースでやってるし、あたしが呼びかけても全然反応ないからでしょう! それでようやく神朱印帳を開いたから、何かあったと思って慌てて駆けつけたのっ! そしたら倒れてるんだから驚くわよ!」
「おわっ! そ、そうだったのか? ごめん。全然聞こえなかった」
「でしょうね。ククリの神通力のせいだわ。来てわかったけど、この乱れた神域がいろんなモノを遮断してる。あたしの呼びかけも通じなかったんだわ」
「そっか……あれ? でも、それじゃあさっき俺に呼びかけてくれたのは……」
「そ、ん、な、こ、と、よ、り! なんでさっさとあたしを呼ばないのっ!」
「うわぁ! ご、ごごごめん!」
しかめ面で詰め寄るイコナに身を引く凪。サクラもびくっと凪に抱きついていた。
「何のためにあたしとナギくんが繋がってると思ってるワケ? 困ったら呼びなさいって言ったじゃないの! こんなとこで冷凍保存される気!? 何を考えてるのよ!」
「いや、けど、こっちの事情で神様に頼りすぎるのは良くないかなと……」
イコナは深く長い息を吐いた後、眉尻をキッとつり上げて凪を見た。




