第25話 ドタバタな朝
翌朝の日曜日。天気はすっかり回復して、気持ちの良い青空が広がっている。
神聖な空気の神社で一晩ゆっくりと休んだ凪たちの体調はすこぶる良好。簡単な朝食を済ませ、会館内の片付けと掃除をしてから帰り支度を終えたが、今朝はまだイコナが姿を見せていなかった。本来なら、今朝に最後の修行があるとのことだった。
一体どうしたのかと凪たちが心配していると、そのタイミングでイコナがようやく三人の前に姿を現す。
「おはよう! 遅れてごめんなさい!」
呼吸を乱しながらバタバタと廊下を走ってきたイコナ。まだ大きなリボンが結ばれていなかったことから、凪たちは慌ただしい気配を感じた。
「加えて謝るわ。すぐに戻らないといけなくて、今日はあなたたちに構う時間がないの。本当は今朝に最後の修行を受けてもらう予定だったけど、そんな余裕もなし。申し訳ないけど、神朱印のことはまた後日にしてちょうだい」
器用に口でリボンをくわえ、髪を結いながらそう話すイコナ。
ただ事ならぬ様子に、凪は表情を引き締めて尋ねる。
「イコナ様。何か問題でも起きたんですか?」
月音とサクラも緊張の面持ちで返事を待つ。
イコナは髪を結び終え、リボンを整えてから腰に手を当てて答えた。
「恥ずかしい話だけどね、最近うちの参拝者が増えたことで、神社の朱印がネットで転売されることが増えたの。注意喚起はしていたのだけれど、全部は止められないのよ。それでとうとう授与所の子たちが怒ってね、もう御朱印は書きたくないって、いわゆるボイコットってやつよ。ま、気持ちはわからなくないけど」
「ええっ? ボイコット!?」
予想もしていなかった答えに、凪たちは呆然となる。確かに近年では御朱印や御朱印帳の転売も多くなっていたが、それによるボイコットは凪たちも初めて聞く珍事だ。
「で、神職たちも他の仕事が忙しくて、御朱印の方に回せる手がないの。それで今、なんとか臨時の応援を探してるところだけど、難しそうね」
「た、大変じゃないですかっ。それじゃあ御朱印は……?」
「そうね。手書きは休みにして、あらかじめ半紙に書いておいた紙の朱印を授与することになりそうだけど……出来れば避けたいのよね。参拝しに来てくれる人はやっぱり直筆を好むの。参拝者をがっかりさせてしまうと、信仰の低下にも繋がるから」
信仰の低下。その言葉にサクラがぴくっと反応していた。
「満たされない感情というのは強く心に残る。それは他人にも伝染して、現代じゃネットでそれこそあっという間に拡散よ。そうなれば必ず信仰に影響が出る。信仰の力が落ちれば祭神たちの力は弱まり、いずれは神社と共に神滅することになるわ」
「神滅……それって、サクラと同じようにってことですよね」
「そう。たとえ今は小さな綻びでも、いずれ大きな崩壊に繋がるの。神と社、そして参拝者は渾然一体。だから、あたしたちにとって参拝者の心のケアはとても大切なのよ」
そんなイコナの話を、サクラはいつもより真剣な顔つきで聞いていた。
「と、いうわけだから、今日はあなたたちの面倒を見る余裕がないの。かわりに次来るときは歓迎するわ。それじゃあね。サクラもまた来なさいな」
慌てて去っていくイコナを、サクラが心配そうに見送る。
凪はイコナの後ろ姿を見つめながら思案し、あることを口にしようと隣を見る。すると、月音が何も言わずにうなずいてくれた。どうやら姉はすべてお見通しのようだ。
凪は、すぐにイコナを呼び止めた。
それから凪たちはイコナと共に社務所へ向かい、緊急会議を行っていた神職の輪に加わり、イコナから宮司を通してもらう形で手伝いを進言。凪と月音が身分を話し、昨晩書いた書道の腕や御朱印の写しを見てもらうことで、その実力に皆が納得。二人なら即戦力になるとして、授与所の臨時ボランティアで働くことが決定した。
それに最も慌てたのがイコナである。
「ちょ、ちょっとナギくん、ホントにやるの? つい連れてきたけど、楽な仕事じゃないのよ。一応言っておくけど、こんなことしたってあたしの神朱印は――」
「わかってますって。今回は俺が個人的に恩返しをしたいだけですから」
「え? お、恩返し?」
目をパチクリとさせるイコナに、作務衣に着替え直した凪が返す。
「ここにきて、イコナ様には大切なことを教えてもらいました。月姉と俺なら普通の人より少しは役に立てると思うから任せてください。だよね、月姉」
「うん! 困ったときはお互い様です、イコナ様。神様をお支えするのが私たちのお役目ですから。他社からのお手伝いだと思って、どーんとお任せくださいませませ!」
「ツキネさんまで……だけど……」
イコナが視線を動かすと、白髪の宮司が穏やかに微笑んでうなずいていた。
凪は屈伸運動をしながら、あえて軽めの口調で言う。
「神社間での助け合いは大事ですよ。それに、こういうところで困っている人を見捨てるようなヤツには、イコナ様も安心して神朱印を渡せないでしょうからねっ。〝あの子〟と再会するときに恥ずかしくない男でいないとな!」
イコナはしばらく呆然とし……それから、ようやく手伝いを受け入れるのだった。




