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7.

 榊原さんと運命の出会いを果たした次の日、俺は大学の食堂でかけうどん(199円)を啜り倒していた。食堂は最近改修されたと聞いていたが、本当に奇麗になっていて驚いた。カフェテリアなんぞというシャレオツ空間まで設置されている。我々の知る薄暗いだけの食堂はもはや過去のものらしい。

 そんなことを正面に座る彰に話すと「そもそも僕はこの食堂しか知らないっす」とぴしゃりと言われ、特に話題は広がらなかった。これがジェネレーションギャップという奴か。


「で、どうしたんすか? 急に呼び出して」


 こちらがうどんを食い終わると同時に、彰が嫌みなほどに整った顔を傾げてみせる。世の女が見れば半分はキャーと言って失神し、もう半分はギャーと言って失神しそうな仕草だ。榊原さんは別である。彼女は根本的な部分において、我々とは違う高次の存在だと仮定できるからだ(この仮説を裏付ける驚くべき根拠を既にいくつか発見しているのだが、ここで語るようなことはすまい。とてもじゃないが一冊の本にまとまるようなものではないからである)。

 それは一先ず置いといて、何故俺がこの腐れイケメンと面と向かって座っているかと言えば、奴の言う通り、こちらが呼び出したのだ。


「折り入って頼みがあってな」

「珍しい! オサが僕に頼みごとっすか。何でも言って下さい!」


 彰がテーブルに身を乗り出して、その超絶整った顔立ちをこちらに近づける。

 くそ、むかつく。

 こいつにだけは頼みごとをしたくなかったのだが、背に腹は代えられない。俺は声のトーンを少し落とし、辺りを窺いながらひそひそと話した。


「教育学部二年の榊原薫という女性を知っているか」

「んー、名前ぐらいなら」

「彼女のことを調べてほしい。できるだけ詳しく。早急に」


 彰は少し驚いた表情を見せた後、全てを心得たかのような笑顔を浮かべて大きく頷いた。この何もかもお見通しな様子もいちいち気に食わない。


「わっかりました! 任せて下さい!」


 このきな臭いほど頼もしいイケメンは深い赤色(本人曰くワインレッド)のスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけた。そして、ごにょごにょ何事かを話し、席を立ちあがる。


「それでは行ってきます!」


 そして、彰は颯爽と食堂から出て行ってしまった。

あいつに任せれば、恐らく必要以上の情報がドンドコ入ってくることだろう。恋愛に必要なのは情報、俺は『マイちゃん』の時にそれを痛感した。『夏に乳首が浮き出る女子』くらいのことしか知らない相手にラヴなレターを書くとどうなるか。半生をかけて、それを思い知ったのだ。もう同じてつは踏まぬ。まずは何より相手を知ること。それが俺と榊原さんが幸せな未来を築くための第一歩である。そして、情報収集という役割において、彰以上に最適な人物はいないだろう。彼奴は交友関係がとにかく広く、ある大企業の社長とも知り合いだとか、近所の小学生全員と知り合いだとか、そんな真しやかな噂も囁かれているほどなのだ。味方ならばこれほど頼もしい者はいまい。

 ……味方、か。何故彰はここまで俺を慕うのだろうか。よくよく考えると……最初にジャンパラリで彰と出会ったのは、偶然ではないかもしれない。だとすれば、彰の目的は一体何だったのか。ふとそんな思いが頭をよぎったが、特に現在気にすべきことではない。疑問は比較的穏やかな時に立つ日本海の白波のごとく、すぐに泡と消えていった。


…………


 圭二は繊細なカットが入ったロックグラスを三つ、小さな折りたたみ式の机に並べると、手に持った一升瓶から酒を注ぎこんだ。空也と俺はその様子をじっと見つめている。

 注ぎ終わると、圭二がそのグラスを差し出してきた。


「まぁ、まずは飲め」


 そう言われ、とりあえず我々は小さな机の周りで肩を寄せ合いながらチビチビと酒を飲み交わした。喉への心地よい刺激。鼻に抜けるメロンのような香り。相変わらずいい酒を知っている。このハイセンスなグラスもまた、味に一役買っているように思える。これがただのガラスコップなら、酒に対しての感想なぞしみじみと考えたりはしないだろう。『食器は料理の着物である』は圭二の口癖の一つだが、偉人の残した言葉だけあって中々に含蓄があるというものだ。

 俺は一通り酒を楽しむと、圭二に目を向ける。


「それで、一体何の用なのだ」


 現在、我々は圭二に呼び出され、コイツの雑念にまみれた部屋へと集まっている。本棚には漫画とゲームが並び(一冊だけ置かれた『魯山人その一生』という本が異彩を放っている)、机には灰皿(吸殻が菊の花の如く器用に積み上げられている)とパチスロ雑誌が置かれている。そこそこ整理はされているので不潔感はあまりないが、ただれた生活を送る単身赴任サラリーマンの部屋にいるような気分になる。決して華と称されるような大学生が住むべき所ではない。まぁ大学からは近い立地にあるのだが、大学に行かない我々からすればあまり意味のない話だ。

 圭二はニヤニヤと蛇のような双眸をこちらに絡ませてくる。


「これを見ろ」


 机の上の灰皿がどかされ、何かが置かれた。それは長方形のくしゃくしゃになった紙である。千円札ほどの大きさでカラープリントが施されている。まぁ、これの存在を知らぬ者など世の中にほとんど居まい。夢、希望、欲望、人は様々なものをこの紙を通して見る。だがそれは見ることができるだけで、ほとんどの場合手が届くことはない。この紙の前では誰しもトランペットの前の少年と化すのだ。


「宝くじか?」

「宝くじじゃのぉ」

「そうだ」


 圭二が力強く頷く。何故自信たっぷりにこんなものを見せるのか。いや、ちょっとまて。わざわざこれを見せるために呼びだすということは……


「まさか、当たったのか! いくらだ!」

「拾っただけだ。当たってるかは確認してねぇ」

「なんだ……ただのごみか」

「こんなもん見せるためにわざわざ呼びだしたんか?」

「そうだ」


 再度、圭二が力強く頷く。

 完全な肩すかしである。俺と空也は同時に力の抜けた溜息をつく。もしこの後数秒でも沈黙があるようなら、二人の内のどちらかが「帰る」と口にしていたことだろう。

 しかし、そこに待ったをかけたのはやはりというか、当然圭二。


「だが、ゴミだってのは誰が決めた」


 レンズの奥に潜む細い目が歪む。


「さっきも言った通り、当たりの確認はしてねぇ。一体、誰が、どうして、これを外れくじだと決めつけられる」


 その言葉に空也が不満そうに口を尖らせた。


「落ちてたもんなんぞ、外れに決まっとる。ゴミみたいなもんじゃろ」

「空也の言う通りだ」


 俺は空也に全面的に同意する。宝くじのくしゃくしゃっぷりから見て、外れたのがわかったから丸めて捨てられたのだろうと大方の想像はつく。むしろそれ以外を想像しろという方が難しいというものだ。

 すると、圭二は呆れたようにゆっくりと頭を振った。


「はぁ、いやだね。夢の無い奴等は」

「なんだと」

「偶々落とした宝くじが当たりだった」

「は?」

「大事にしていた当たりのくじを落とした」

「なんじゃそりゃ」


 思わず顔をしかめる。コイツは何を言ってるのだ。空也も同じような表情を浮かべている。

 そんな二人の微妙な空気を察してか、圭二が両掌をこちらに向けた。


「まぁ、お前達の言いたいこともわかる。そんなことあるわけない、だろ?」


 そう言った後、圭二が勝ち誇ったように口角を上げた。


「だが本当にそうか。断言できるか。億分の一も、那由他なゆた、不可思議、無量大数の彼方に一つさえの確率もない、そう断言できるか」


 声は尚も大きくなっていく。


「飯の味は食わねばわからん! オレ達は曲りなりにも博打打ちの端くれだ。そいつが可能性を信じなくてどうする! 可能性を信じれなくて博打ができるか? えぇ?」

「わ、わかったから落ち着けぃ!」


 ヒートアップする圭二を止めようと、空也が手を伸ばす。その手を俺が抑えた。


「いや、俺の心には響いたぞ。その台詞」

「おいおい、総一郎まで何言うとんじゃい」

「可能性は全てに平等だ。それを否定することは神にも出来ぬ」

「わかってくれたか」

「あぁ、認めよう。それが当たっているかもしれないと。だが、だからといって何なのだ。何故我々がここにいる必要がある」


 はたと空也が膝を叩く。


「そうじゃ、わし等を呼んだ理由になっとらん」


 我々のじっとりとした視線を受け、圭二はニヤリとイヤらしく笑った。


「宝くじについて、ある議論を交わそうと思ってな」

「おい、まさか」


 俺は嫌な予感がして、目を見開く。圭二の言葉にある種の道理を見出したとはいえ、看過できぬことはある。


「二億円当たったらどうする、とかそんな無機物と会話するがごとき不毛な議論をするつもりではあるまいな!?」


 この手の話ほど嫌いなものはない。ほとんど起こりもしないことに、あろうことか少し期待しちゃっている自分を見つけ出し、ものすごく恥ずかしいのである。しかも、それを罪深い大学生の中でも更に淀んだおりのようなものである我々三人で。そんな日には何か空間とかこの世の法則とかがネジ曲がり、得体の知れない魔界の者でも召喚しかねない。世界崩壊クラスの危機である。


「安心しろ。その辺はわきまえてる」


 圭二の言葉にほっと胸を撫で下ろす。どうやら世界は救われたようだ。

 ただし、と彼奴は指を一本天井へと向けた。


「その一つ前だ」

「なんじゃと」

「なんだって」


 俺と空也の声が重なる。どちらが先に言葉を発するかを視線で牽制し合う。その結果、俺が発言することとなった。


「どういうことだ」

「これは当たりだ。もう当たりくじだ。それも一等、二億円」

「意味がわからん」

「まぁ聞けよ。そんな大当たりを引いたなら、どんなリアクションをする? 喜ぶか? それとも怖がるか?」

「リアクション?」

「これだ、という反応をオレ達で検証しようじゃねぇか。当たった後のことなんて、当たった後でも考えられる。それよりも必要なのは、当たった時に適切な反応が出来るかどうか、そうは思わんかね?」

「一理ある」

「適切なリアクションを提案した者には、この『当たりくじ』をやる。すぐにでも実践できるぞ。やったな、おい」

「お、おう……なんだかのぉ……」


 空也がなんとも曖昧な表情を浮かべる。その気持ちはわからんでもない。だが、面白そうな議題ではある。ここは一つ乗っておこう。


「いいのか。あまりにも簡単に結論が出ねばよいがな」

「ハードルを上げすぎると、自分のセンスの無さに絶望する羽目になるぜ」

「気が進まんが……仕方ないのぉ」


 我々はロックグラスをそれぞれの手に持つ。そして、開戦ゴングの代わりにチンとグラスをぶつけ合った。


…………


 我々の喧々諤々(けんけんがくがく)の論争は二時間近く続いた。話が横道に逸れ、古今東西好きなAV女優の名前が始まったときには最早軌道の修正は不可能かと思われたが、一応の決着はついた。これは奇跡であり、快挙とも言えよう。空也が途中で一升びんを抱え、何事かを呟き寝てしまったことだけが反省点である。

 圭二が六本目となる煙草に火を点ける。


「そいじゃ、当たった時の適切なリアクションは『当たっていることが信じられず七度程見返したあと、テンションが上がり過ぎて確認に使った新聞紙を破り捨て咆哮。すぐに我に返り、今の様子を見られちゃいないかと誰も居ないはずの部屋の中を見回しながら当たりくじをポケットに入れる。自分が手に入れたものの大きさに途方に暮れ、しばらく呆然とした後、おもむろにトイレに駆け込み、当選金支払い日になるまで引きこもる』。これでいいか?」


 俺はシャレオツな平皿に盛られたカットあご竹輪を一切れ口に放り込む。圭二の話は半分ほど聞き流していた。


「うむ、長いな」

「そうだな」


 圭二がふぅっと煙を吹き出す。


「一言で表せるような単純な気持ちにはならねぇのかもな」


 そして、手に持った煙草を山盛りの灰皿に器用に押し付ける。鉛筆の削りかすのような臭いがこちらの鼻に届いた。煙草は好きではないが、この消した瞬間の臭いだけは少し気に入っている。

 圭二が眠そうにボリボリと頭を掻く。


「それで、えぇと、どこが誰の意見だ」

「もうどうでもよい」


 ちらりと床に転がる空也を見る。すぴーと見事な鼻提灯を作り、あられもなく腹を丸出しにして『どうでもいい』を体全体で表現している。実にうれしくないサービスショットだ。目が腐る。

 その時である。


「……彰君から聞いたぞ」


 脈絡のない圭二の言葉。ゆっくり、そちらへと視線を移す。少しばかり飲みすぎたようだ。頭がクラクラする。


「何をだ」

「榊原とか言ったか、あの可愛げねぇ猛獣女」

「失礼なことを言うな」


 圭二は「ハン」と鼻を鳴らした。


「んなこたどうでもいい。オレが聞きたいのは本気……いや、正気かってことだ」

「正気?」

「お前、付き合えると思ってんのか?」

「当たり前だ」


 こちらの即答に圭二はしばらく沈黙する。そして、おもむろに机の上の宝くじを差し出してきた。


「やるよ、これ」

「ん、いいのか」

「あぁ。どうせ外れだ」

「あれだけ言っておいて、それはないだろう」


 ヒャッヒャッと圭二が笑う

「オレが思うに、その宝くじが当たるくらい可能性低いと思うぜ」


 そう言うと、意地の悪いウワバミ野郎はグラスに残った酒を一気に呷った。

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