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3.

 うららかな春の日。校門の脇に植えられた桜の花がぽつぽつと咲きはじめる中、久々に大学へと足を運びやってきた。まだ日本海側から冷たい風が吹きつけてくるが、薄い雲に覆われた太陽が醸し出す淡い日差しが心地よい。正門から入ってすぐ左手にある土手で寝たりしたら、さぞかし気持ちがいいことだろう。そんな想像をしながら欠伸を噛み殺す。

 正門ではひっきりなし、とまではいかないが、かなりの人の出入りが見受けられた。基本的に閑散としているT大学では珍しく、わいわいと活気に満ちている。新年度の始まりということでサークル類が新入生歓迎に沸き立っているようだ。大量に種々様々なビラを抱えた男子学生が自分の横を通り過ぎる。前途が希望に満ち溢れていますと言わんばかりの瞳の輝き。新入生だ。大学生活などというものは続ければ続ける程、色欲、強欲、憂鬱、怠惰の何れかの色に瞳が濁っていくものである。神なる者が存在し(いやしないのは確認済みだが)、罪深き者を裁こうと思い立ったとしたら、この世から大学生はほぼ全て居なくなることだろう。

 きっとあの輝く瞳の若者は引っ越したばかりでピカピカの部屋に戻った後、サークルから貰ったビラを並べ、どこに入ろうか、どこならキャンパスライフを大いにエンジョイできるのかと悩むのだ。無駄なことを。サークルなどというものは最初だけ優しくしておいて、一旦入ってしまえば手のひらを返したように搾取してくる悪しき集団しかいない。どこに入っても結局は心を荒ませ、失意のうちにサークルを去るか、己も悪しき集団の一員になるかしかないのだ。その昔、この悪しき集団に裁きを与えるべく圭二、空也と共に『新歓潰し』なるものを行ったことがあるが、それは自分の記憶に蓋をすべき事項だ。様々な事由を加味しても、二十歳を超えた分別ある男共がするべきことではなかった。

 俺は哀れな男子学生を背中で見送ると大学の正門をくぐった。記憶が確かならばここに来るのも半年ぶりである。最後に来たのは去年の後期履修登録のはずだ。よくも俺のような人間を大学に在籍させているものだ、と改めて大学の制度を疑問に感じる。しかし、そのおかげで首の皮一枚繋がっていることもまた事実。これからは否が応でも講義に参加し、残った首の薄皮を沖ノ鳥島のごとく補強しなくてはならない。家族との縁を守る、もとい仕送りを守るために。

 手元の履修登録案内を見て、足を東にある共通教育棟へと向ける。T大学には学部の専門分野を学ぶ学部棟と、語学等の学部に関係のない分野を学ぶ共通教育棟がある。履修登録を行うのはその共通教育棟のようだ。

 校内路で大声を張り上げながら悪魔の誘いをふりまくサークル集団を横目に、大きな欠伸をする。今朝まで麻雀を打っていたから相当眠い。本当は部屋で休みたかったのだが、登録の最終日となってしまったので仕方なく大学へと出向いた次第だ。あぁ、面倒だ。本当に面倒だ。何故、いちいち大学まで来なければ登録できないのか。顎に生えた無精髭をじょりじょりと摩り、再び欠伸をした。


 『24講義室』と銘打たれた表示板の下にある両開きの扉を押しあけると、ドーム状の部屋の中にはまばらに学生が座っていた。談笑をしている者、黙々と作業を行っている者、寝ている者と様々な様相を呈しているが、ここにいる全員に共通しているのは皆似たようなノートパソコンの前に座っているということだ。

 T大学には大学推奨パソコンというものが存在する。大学に入る時に一緒にノートパソコンを購入することを推奨しているのだ、と言えば当たり障りはないが、ほぼ強制である。何故ならノートパソコンがなければ受けることさえできない講義が多く存在しているからだ。しかもこの推奨しているノートパソコン、絶妙に性能が悪い。空也曰く、パソコンのことを少しでもかじった人間なら誰もが首を捻りたくなる代物だそうだ。大学側の陰謀めいた魂胆をここに感じてしまうのは俺だけではないだろう。入学したてでピチピチだった頃の俺はひたすらに純真無垢であり、ただただこの強制購入に戦々恐々とした。親に泣きついて何とかこのクソノートパソコンを買ってもらった記憶がある。あの頃は驚くべきことに俺は十代であったのだ。昔の思い出に浸りながら、長机の上にあるシラバス等の資料を一通り手に取ると、適当に空いている席に着く。そして、黒い鞄の中から薄ら汚れた件のノートパソコンを取りだして電源を繋いだ。パソコンが起動すると、まるで嵐のような音をかき鳴らしながら画面が立ち上がった。

 大学の履修登録用ホームページにアクセスしたところで、入れられる所は入れてしまえと履修カレンダー(バイトのシフト表のようなものだ。講義は曜日と時間が決まっているため、自分がどの講義に出るのかをカレンダーの中に入力していくことで登録することができる。講義被りを無くすためのシステムだと考えられる)をとりあえず埋める。すると虫食いのようにぽつぽつとカレンダーに穴が出来たため、どうにか他の講義をねじ込むことはできないかと思い、手に入れた履修資料の中から黄色い表紙の冊子を取りだしてパラパラと適当にめくった。これには『主題科目』と呼ばれる、学部学年を問わずに学生が勝手きままに受講することのできる講義が載っている。どれだけ受けても構わないのだが、最低限の取得数がないと卒業できないため、必ずこの中から幾つかは受講することになる。

 火曜の2限、文化人類学。金曜の5限、心理学B。穴開きのところに適当な講義を当て嵌めていく。主題科目には、上は宇宙に思いを馳せる博士から下は下半身で物を考えるような野獣まで様々なランクの学生が集まる。そして、大抵の場合は下の者に合わせた講義内容にしているため、査定が甘い。入れておいて損はないはずだ。

 奇麗に埋められた履修カレンダーを見て、大満足で頷く。これだけ入れとけば何かの間違いで5、6単位は取得できるだろう。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。この諺が意味するところは、結局の所打たなきゃ当たらないということだ。もうこちらは全弾打ち尽くした。後は当たるのを待つばかり。パソコンをシャットダウンし、鞄の中に入れ立ち上がる。今日の仕事はもう済んだ。ボサボサの頭をわしわしと掻きながら大きな欠伸をした後、講義室から出て行った。


…………


 夜、マイスイートルームのしけたベッドでがーがーと気持ちよく寝ていると、ピンポンピンポンピンピンピンポンとやたら軽快なリズムでチャイムが鳴り響き、目を覚ました。こんな鳴らし方をするような輩は一人しか知らない。大きく欠伸を一度した後、チャイムを無視して再び夢の中へとまどろんでいった。すると、玄関からガチャリという音(俺は自分が部屋にいる時は鍵をかけない)が聞こえ、遠慮のない足音が近づいてくる。そして、電気がカチリと勝手に点けられた。


「起きんか総一郎。たぬき寝入りなのはわかっておるぞ」

「……何しに来た」


 目を薄く開け、その人物をぼんやりと睨みつける。禿げ頭にふざけたアゴ髭、太い眉毛に濃紺の甚平に包まれた小太い体。


「続きじゃ」


 紛うこと無き空也である。コイツはこうして何の前触れもなく、一か月に一、二回の割合でフラリと打ちにやってくる。前に来たのは確か三週間程前だ。打つと言っても麻雀ではない。将棋である。空也は趣味の一つで将棋を指している。見た目通りに老けた趣味を持った奴だ。とは言うものの、自分もそこそこ好きなため、二年程前からゆるゆると付き合ってやっている。こうして夜中に突然訪問されるのは迷惑極まりないが。

 空也はその手に持ったマグネット将棋セットを卓上に広げると、炬燵の中へと潜り込んだ。体を少し捻って、あからさまな不機嫌面を空也に見せつける。


「今何時だと思っている」

「夜に寝るなど、お主は自分が大学生であることを忘れたんか」

「大学生だって偶には夜に寝る」


 そう言って再び空也から背を向けようとした時、空也がとぼけたようにアゴ髭を摩った。


「あご竹輪を買って来たんじゃがのぉ」


 あご竹輪。『あご』とは鳥取の呼び方で、他の地域では『トビウオ』のことである。つまり『トビウオの竹輪』、それがあご竹輪だ。普通の竹輪と比べると少しばかり黒っぽいのが特徴で、魚の風味がとても強い。これがめっちゃ旨いのだ。鳥取に来るまでトビウオなど海の上をピョンピョン跳ねてる変わり者くらいの認識しか無かったが、もう竹輪のイメージしか無い。トビウオといえば竹輪。竹輪といえばトビウオ。それほどの意識改革が起きる旨さである。それを買ってきたというのであれば無碍には出来まい。


「それを早く言え」


 頭を掻きながらベッドを下りる。そして、キッチンで膝下ほどしかないコンパクトな冷蔵庫からビールを二缶取り出した。ちなみにこの冷蔵庫、製氷室周りの霜があれよあれよと成長し、もはや500ml缶二つを入れるのが精一杯の容量である。いつしかこの霜が外界へと浸食して世界に永遠の冬が訪れる。そんなことを夢想し、ずっと放置しているのだ。

 二つの缶の内の一つを空也へ手渡して自分も炬燵に入る。既に開けられていたあご竹輪の袋から竹輪を一つ取り出すと、それをモソモソと咀嚼した。

 空也がプシッとビールを開けて将棋の盤面を見つめる。


「確かわしからじゃの。『封じ手』を出せ」


 そう言われてみれば前回は空也が封じ手を俺に渡して終わった気がする。えぇと、どこにやったか。部屋をグルリと見回す。

 大体三、四手打ったら、将棋から急速に興味を失う我々の対局スピードは正にデンデンムシとでも言うべき鈍重さで、半年で一局打ち終われば早い方である。そのため、我々はプロでも採用している『封じ手』をルールに取り入れているのだ。公平を期すための処置であると同時に、『打つ手は稚拙なれど、意識だけは高くあらん』という高潔なる思いを体現した紳士協定も意味していた。


「うむ、どうやら無くした」


 探す努力を早々に放棄してプシッとビールを開ける。高潔なる思いなどというものはガソリンなみの揮発性を誇り、密封した容器でなければ保持をすることなどできない。どうやら我々の容器は穴だらけであり、当初あった思いは言葉通りあっという間に見る影も無くなった。今ではこの封じ手制度は形骸化しており、機能することはほとんどない。大抵、無くすか別の手に変えてしまうかのどちらかである。それでも封じ手を残すのは『封じ手』という言葉の響きがかっこいいからであろう。つまり、ただの自己満足である。

 封じ手を失った対戦相手が少しばかり眉を潜める。


「だと思ったわい。もう勝手に打つぞい」

「あご竹輪二本で手を打とう」

「封じ手無くしたんは主じゃろ……一本」

「よかろう」


 空也が銀を持つ。


「ほう、棒銀か」

「こんなん棒銀でも何でもないわい。知っとる言葉使いたいだけじゃろ」

「くくく、俺の穴熊囲いを突破できると思っているのか」

「まだ全然囲みきれとらんわ」


 ペタリと銀が貼りつけられる。むむ、そう来たか。ビールを飲みながらしばらく考える。今のところの戦績は一勝一敗。この一戦は格が決定される負けられない戦いなのである。

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