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2.

 誤解無きようここに明記しておくが、俺は何も親からの仕送りだけで生きているような根っからのすねかじり野郎ではない。できればそうありたいと願っていることは置いといて、真っ当な貧乏学生の義務として、バイトにも精々と励んでいるのだ。

 俺のバイト先、それが今しがた銀色のサイクルマシン(自転車ともいう)にジャリジャリと乗って出勤した『古谷書店ふるやしょてん』である。初めて見た時は、あと1、2週間もすれば潰れそうなぼろっちぃ門構えであるなと思ったものだが、それは5年経った今でも変わらない。

 そんなぼろっちぃ『古谷書店』には愛想の悪いチョビ髭の店主、つまりは俺の雇い主がいる。名を『本田徳郎ほんだとくろう』というが、特に覚えなくてもよいため今後は『チョビ髭』呼ばわりするとしよう。このチョビ髭は法律上で認められる最低賃金ギリギリで俺を働かせる悪の枢軸(鳥取では珍しくもないが)であるからして、よくもまぁこんな所で五年も働けたものだと自分で自分に感心してしまう。

 当然、長く働けるのには理由がある。

 一つは仕事が愕然とするほど楽であるということ。『ある仕事』を除いて、業務としてやることと言えば『店番』だけである。その店番も日に一度来るか来ないかの客の相手をするだけなので、ほぼ漫画や雑誌をカウンターで読んでいるだけで一日が終わる。退屈というものに苦痛を感じる人間であれば拷問という他ない業務内容であるが、幸運にも自分はそういう人間ではないのだ。しかし、こんな客入りでどうやってこの店は生計を立てているのだろうか。そこに触れると、とんでもない闇の世界へと引きずり込まれそうで、未だにチョビ髭に確認したことはない。

 もう一つ、重要な要因がある。それは先に述べた『ある仕事』が関わっている。

 チョビ髭が店の奥から顔を出し、店番をしている俺に巻き取り式の『ドッグリード』を差し出す。


「ソウ。今日も頼むわ」

「任された」


 それを快く受け取ると、店の裏にいる老柴犬の『コタロウ』と共に外に出かけた。

 これが『ある仕事』、つまり『犬の散歩』である。

 俺は犬が大好きなのだ。


…………


 バイトを終え、夜もとっぷり更けた頃。


「遂に親に見捨てられたか!」


 そうヒャッヒャッと笑いながら目前でほざくこの男こそ、憎き『斎藤圭二』である。身長は高いが無駄なものを削ぎ落としすぎて大事な所まで削ってしまったような体格であるため、一見で不健康体であることが分かる。その細身に加えて色白の肌と度のきつい眼鏡の奥に潜む細い目が相まって、印象は蛇である。持病は便秘。便秘が病気であるか否かは議論の余地があるが、果てしなくどうでもいいことなのでどうでもいい。酒とつまみと煙草とギャンブルと漫画とゲームと昔のアニメと人の不幸をこよなく愛する、あまり一般受けしない人間である。

 性格も蛇のような奴で、人を不幸にするためにはどんな努力も厭わない恐るべき男。自分が楽しむためならば、何者であろうが……例えもう五年の付き合いとなる俺だろうと毒牙に躊躇なくかけるだろう。こんな奴が同年代にいるから、いつまでたっても「今時の若い奴等は」と上の世代から疎んじられるのだろう。

 ニヤニヤといやらしい笑みの蛇人間を鋭い双眸で睨みつけてやる。


「見捨てられてはいない。見捨てられそうなだけだ」


 すると奴は「もう決まったようなもんだろ」ともう一度声を上げて笑った。この上なく腹立たしい。奇跡的に自分は留年を免れたもんだから随分と調子に乗っている。来年度からはコイツが関係上『先輩』というものに当たるというのだから、世の中どこか間違っている。コイツから先輩面などされた日には、抉り込むような怒りの鉄拳を顔面へとお見舞いせねばなるまい。

 そんなこちらの悲壮な決意など露とも知らぬ圭二が細い目を更に細める。


「まぁそう怖い目で睨むな。『三度炊く飯さえ硬し軟らかし思うままにならぬこの世の中』ってな」

「またあれか。ロザンだかショウリュウハだかの言葉か」

「ヒャッヒャッ! 少しは学のある返しが出来るようになってきたな、総一郎君」

「ふん」


 先程も述べた通り様々なものに愛を注ぐ圭二であるが、その中の一つに『北大路魯山人』がある。話す時や食べる時にことあるごとに引用してくるので俺も流石に覚えてしまった。昔の美食家くらいの認識ではあるが。


「ふっふっふっ」


 先程まで黙って話を聞いていた圭二の正面に座っている人物が、恐らく現実では滅多に御目にかかることのない笑い声を上げた。腕を組んで、不審な視線をそいつにぶつけてやる。


「どうした、いきなり気味の悪い笑い声なんぞあげて」

「違うな、総一郎君。これは腹式呼吸ダイエットだ」

「違うわい!」


 その人物が顔をあげる。禿げ頭に長めのアゴ髭。小太りの体に濃紺色の甚平がよく似合う。一言で言うならば、休日の住職。その住職が喜色満面でこちらに人差し指を向ける。


「お主の本日の運勢は凶! どうやらわしの占いが中ったみたいじゃの」

「なんだ、そんなことか……」

「なんだとはなんじゃ! 今日はわしの勝ちが決まったようなもんじゃい!」


 この世間ずれした言語センスを持つ禿げ頭のおっさんは『水月空也みなづきくうや』。この辺りに寺を構える住職……ではまだなく、その見た目に反して信じられないことに俺や圭二と同年齢であり、同じT大学生である。まだ、というのは空也の親は本物の住職で、こいつはその跡を継ぐために絶賛修業中の身だからである。大学にきたのも俗世間での修業をするため、と本人は語るが、とても修業をしているように見えない。それどころか、学校に行く暇が無いほど様々なバイトに手を出し、学校に行く気力を無くすほどに我々と遊んでいる。修業というより、全身全霊で俗というものを楽しんでいるように思える。その癖にいつも金が無いと嘆いており、一体稼いだ分を何に使っているのかは深い謎に包まれている。

 そんな空也であるが、俺と同じく三留目となる。しかし、大学を卒業するか追い出されるかした時点で実家の寺を継ぐということなので、特に焦ってはいないようだ。全くもってうらやましい。


「ちなみに今日は何占いだ」

 吐き捨てるように尋ねると、空也は自分の禿げた頭をつるりと撫で上げた。

仏占術ぶっせんじゅつその二十一、その名も『坊主頭テカリ具合仏占い』よ」

「……はぁ」


 聞いておいてなんだが、適当な生返事になってしまう。つっこむ気力も湧かない。ちなみに仏占術とは仏教を基に様々な占いをミックスして誕生した、最強の占い(空也談)だそうだ。その十くらいまでは、手相占いや占星術といった有名どころの占いを基にしていたのだが、その後はネタが尽きたのか、『しもやけ仏占い』や『鼻毛の飛び出た数仏占い』といった訳のわからぬ怪しいものばかりとなってしまった。しかも、占いのやり方を一回聞いたことがあるが、どうにも仏教の使われ方がわからない。語呂も果てしなく悪い。もはや呆れるを通りこして感心してしまう。仏道に行こうとする者がよくもそこまで仏様を馬鹿に出来るものだ。加えて、先ほど占いの結果が的中したと喜んでいたが、この仏占術では凶よりいい運勢を聞いたことがない。そりゃいつも結果が凶ならば偶には的中するだろう。

 圭二が押し殺したように嗤う。


「おい、空也君。オレの運勢はどうだった」

「圭二も凶じゃ」

「予想通りの答えをありがとう。ま、オレはスロで3万勝ってんだがね」


 圭二が細い目をイヤらしく歪ませ、こちらを見た。


「総一郎君と違って絶好調」

「う、うるさい!」


 空也が自信満々にアゴ髭を摩る。


「これから悪くなるんじゃい」


 圭二は「どうだかね」と肩を竦めると、腕を組んで『入口』の方を見た。


「それにしても、遅いな」


 釣られて我々も視線をそちらに移す。すると待ってましたと言わんばかりにガラス製の引き戸が大きく開かれ、一陣の風と共に髪を軽く茶色に染めたいかにも現代風でオシャレな若者が姿を現した。こういうのを颯爽というのだろう。扉の開き方、タイミング、風量、その他諸々色々含めて。


「いやー、遅れてすんません! バイトのシフトずらすのが大変で……」


 30分遅れた俺より更に30分遅れた胡散臭い好青年は軽い口調でそう言い、俺の正面の席に座った。そののっぴきならない男の顔をまじまじと見つめる。憎たらしい程整った顔立ちだ。爽やかでもある。こいつには俺のような苦労や苦悩とは縁がないのだろう。

 イケメンが小首を傾げる。動作がいちいち決まっていて腹立たしい。


「オサ、どうしたんすか? 僕の顔に何かついてます?」

「何でもないわ。この腐れイケメン」

「何か怒ってません? 僕が遅れたせいっすか?」


 腐れイケメンが周りの二人に戸惑った視線を送る。この美男子の名は『木村彰きむらあきら』。四月から同じ大学二年生となるが、我々とは違い留年などしていない奇麗な経歴を持っている。それどころか成績上位で大学側から表彰される程だ。美丈夫であり、その上頭の出来も大変よい。結果えげつないほどモテる。この世に神などいない。コイツを見る度にそう思ってしまうのは仕方のないことだ。

 何故、このような全てを手に入れた人生イージーモードの男が、我々のようなエキセントリックな人間と付き合っているのか。周りの連中は揃って首を捻るが、そんなことはこっちが知りたい。コイツは半年程前にフラリと現れたかと思うと、何が気に入ったのかは知らんが我々を慕うようになったのだ。

 特に俺は何故か『オサ』と呼ばれている。オサとは長のことで、長老という意味らしい。二年にして四年目という長い在籍期間を敬してのアダナだそうだ。だが、同じ条件(圭二は今年から違うが)であるはずの他の二人は『けーさん』『くーさん』と普通である。遠まわしに馬鹿にされているような気がしてならない。


「ヒャッヒャッ! 聞けよ、彰君。こいつ親に見捨てられたんだよ!」


 さもおかしそうに指差しながら圭二が言う。何て嬉しそうに人の不幸を語る男だ。間違いなくコイツはクズ。


「え! そうなんすか!」


 お前も嬉しそうな顔をするな。


「死んだらわしが経を上げたるゆえ、安心せい」


 死んでも頼まん、この似非坊主め。

 何故俺の周りにはこんなオゲレツ共しかいないのだ。


「あぁ、あぁ! うるさいうるさい! 何度も言うがまだ縁を切られたわけではなぁい! それよりも面子メンツが揃ったのだからさっさと始めるぞ!」


 机の上にある真っ黒な鞄の留め金を外し、蓋を開ける。鞄の中に入っているのは小さなサイコロと点の打たれた沢山の細長い棒。そして、箱にぎっしりとつまった直方体の物質である。もうお分かりの人もいるだろう。これは麻雀セット。そして、我々は麻雀仲間なのである。


 我々が現在いるのは雀荘『ジャンパラリ』。うらぶれた雰囲気とうらぶれた内装とうらぶれた店主がトレードマークのうらぶれた店である。大学の西にある湖山池の畔にこそりと立っている。この湖山池、『池の名のつくものでは日本一の面積』だと言われている。だがその実、池と言いつつ立派な湖という詐欺池(だが、ここでハタと思う。そもそも池と湖の違いとは何なのだ)だ。湖として見たら大した代物ではない。冬にはおかっぱりでのワカサギ釣りで賑わい、夏にアオコだかが大量発生して湖面を緑に染め上げる。それだけである。

 そんな湖の畔に立つジャンパラリであるが、全自動卓といった近代的なものは一切置いていない。あるのはいくつかの雀卓と麻雀牌、そしてパワーの足りない冷蔵庫で冷やされたヌルい飲み物くらいである。これだけならば酷いどころの騒ぎではないのだが、やはり短所もあれば長所もあるもので、一卓使い放題で1600円ととにかく安い。貧乏な学生にとっては非常に有難い料金体系となっている。この安さが無ければ、誰もこんな辺鄙な所で麻雀をしようとは思わないだろう。そして、何を隠そうこのジャンパラリ、我々四人が出会った曰くつきの場所でもあるのだ。彰だけは時系列がかなり後であるが。

 特に語るようなドラマティックな出会いであったわけではない。偶々立ち寄った雀荘で偶々打った四人が、ずるずる腐れ縁で今日まで付き合うはめになっただけの話だ。あの時いた連中がコイツ等というのは不幸以外の何者でもない。

 

「ロン! チートイドラドラ、ロクヨンじゃ。お主の今日の運勢は仏滅天中殺大大凶! もう観念せぇ!」

「なんだ、その今にも死にそうな運勢は! 適当なことをほざくな!!」


 自分の点数箱の中から点棒を乱暴に掴むと、空也の前に放り出す。

 前途有望でやる気にキラキラと煌めいていたはずの俺は、コイツ等と出会ってからはこのような麻雀漬けの日々を送るようになった。そのため、大学には碌に顔も出さなくなり単位はご覧の有様だ。俺がこのような不幸な人生を歩むハメになったのは、間違いなく目の前の悪鬼羅刹共のせいだ。力強く手に持った牌を雀卓のマットに叩きつける。


「ロン、トイトイドラ3。悪いな、身よりのいない総一郎君! ヒャッヒャッ!」

「だから違うと何度も……クソ!」

「はは、さっきからツいてないっすねぇ。てか麻雀とかしてる場合じゃないんじゃ?」

「黙れこの顔面格差!」


 この世に神も仏もいないと再確認する。畜生め。


 世間一般の常識と照らし合わせてみれば、学生の本分である勉強もせずに麻雀ばかりしている厄介な底辺学生、というのが我々に対する世間様の評価であろう。合っているので特に何も言うことはない。

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