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1.

「お前というやつは……恥を知れ!!」


 怒声が鼓膜を貫く。思わず携帯電話を耳から離し、しかめ面になる。平素からこんな大声で物怖じせずに意見を述べれば万年平社員から脱出できるだろうに。そうは思うが、こんなことを言えばキャンプファイアーにダイナマイトを投げ込むがごとくのてんやわんやになるに違いない。俺は根っからの平和主義であり、そんな事態はこちらも願い下げである。コホンと一つ、冷静に咳払いなんぞをしてみる。


「落ち着け。怒りすぎは体によくないぞ」

「これが落ち着いていられるか! この大馬鹿者が! 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、これで三度! 三年だぞ! 馬鹿も大概にしろ! もしこれ以上馬鹿をするようなら、親と子の関係を切らせてもらう! もうお前のような大馬鹿のことなど知ったことか!」


 子の心親知らず。親父の体を気遣ったつもりであったのだが、全くもってその意図は通じなかったらしい。雨あられのごとく浴びせられた『馬鹿』という言葉が頭上でアホーと鳴きながらピヨピヨ回る。


「一つ聞いてもいいか」

「何だ!」

「馬鹿とは何だ。馬鹿をするとはどういう意味だ。教えてくれ」

「この……! 大体お前は親がどれだけ」

「よせ、別に喧嘩をしたいわけではない。早合点だ。馬鹿と言われ過ぎて、馬鹿の意味を見失いかけているだけだ」

「くぅぅ、もうそこまで馬鹿をこじらせておったかぁ……」


 親父は深い溜息をつく。何故この世から戦争は消えないのか。そんなことを考えてしまうような悲しい溜息である。


「馬鹿息子のために馬鹿でもわかるように丁寧かつシンプルに言ってやる」

「うむ」

「今度留年したら勘当だ。今後私はお前に関与しない。そして、二度と家の敷居を跨ぐことは許さん。一人で好きに生きるがいい」


 なるほど! この上なくわかりやすい。ってそうではない! それはつまり、そういうことなのか!?


「待て、待て待て! そんなことをされては、その、仕送りの方はどうなるのだ!?」

「知るか大馬鹿者の大うつけ者! まだ送ってやってることがどれだけ有難いか、わからんか! いいか、これが最後のチャンスだ!」


 親父はそう言うや、こちらの反論を待たずに電話をプツリと切った。


 俺の名は田中総一郎たなかそういちろう。現在『島根と鳥取の位置関係がよくわからない』で有名な鳥取県に在住している。次点として有名なのは砂丘であろう。その次に片目を隠した半妖怪やら薬で体が小さくなった高校生探偵がくるが、意外と作者が鳥取出身であることは知られていない。して鳥取在住であるが、それは現在のことであって、俺の実家と育ちは東海の方である。が、この物語においては全くもって関係ないので割愛する。『俺の一生』などという、腐った牛乳の臭いを発しそうなボロ雑巾のようなものをここで語る趣味はないのである。

 そんな俺はT大学の工学部二年に所属する23歳のれっきとした学生だ。大学二年で23歳というからにはそれなりに特異な経歴がある。俺は大学二年目終了時点で取得単位が4つという驚異的な記録を叩きだし、二回生にして留年確定というウルトラCを成し遂げたのだ。そのままいつまで経っても取得単位数は変わらず、今年でもう三留目というわけである。こんな人生の恥をだらだら語ったのには理由がある。もうお分かりだろうが、そのせいで冒頭であったように親から見放されそうであり、昨今の低予算ドラマでも使われなくなったような「勘当だ!」という台詞を、ありがたくないことに頂いたという次第だ。

 臆面もなく言ってやろう。俺は世界で一番不幸だ。こんなことごときで、と人はいうかも知れないが、そんなことを言う奴は何もわかっていない。不幸と言うのは他人が決めるものではない。自分が決めるものだ。俺が不幸というなら不幸だし、世界で一番不幸だと思えば世界で一番不幸なのは俺だ。マッチ売りの少女の前でも言い放ってやろう。「お前より俺の方が不幸だ」と。

 

 禿げた塗装が哀愁をほどよく誘う我が携帯電話を見つめる。買った当時ですらガラパゴスケータイと呼ばれた時代遅れの代物だが、今では最早そんな蔑称すらも廃れ、回線が古すぎてもうすぐ使えなくなるという悲しみを背負った古い折りたたみ式の相棒である。買ってからもう七年は経つ。この高度かつ繊細な電子部品がごちゃごちゃとした意味不明を体現した物質を高々十年も経たぬ内に過去の遺物としてしまう現代人はどこかおかしいと思うが、現状において考えるべき事項ではない。


「糞親父め……」


 家族の縁なんてもんはいくつでもバッサバッサ切って貰って構わないが、仕送りだけはしてくれなければ困る。一体誰の金で俺が生きていると思っているのだ。金の切れ目が縁の切れ目というが、この場合は縁の切れ目が金の切れ目というわけか。はっはっは、全くもって面白くない。携帯電話を勢いよく折りたたみ、木製のベッドの上にぶっきらぼうに放り投げた。

 親父の言葉を反芻する。今度留年したら勘当。何度留年しようと特にコメントらしいコメントを残さなかった親父がここまで爆発するとは。リアル仏の顔も三度までである。四度目ではどんな顔になるやら……少しばかり楽しみにすら感じてしまう。

 とにかく仕送りを継続させるためには大学の講義に参加する他あるまい。気だるい春の午後に相応しいアンニュイな気分になる。つまり憂鬱だ。首をグルグル回しながら、これからのことを考える。あぁ……大学から講義なんてものが無くれなればいいのに。大体、勉強なんぞやりたい奴がやればいいのだ。やる気のない奴に勉強を教えても、すぐに忘れるだけだ。そうは思わないか国立大学法人よ。よって、ここで一つ提案する。授業料は従来通り自分が支払い、勉学に励みたくてしょうがない老若男女が自分の代わりに講義を受けるのだ。そしてタダで講義を受けることが出来た代わりに得られた単位を自分に還元してもらう。老若男女はただで知識を得られてハッピー、俺は単位を得られてハッピーとまさしくウィンウィンであると思うのだが、どうか。

 しかし、幾ら六畳一間のこの部屋において一人熱弁を振るった所で昨今の教育制度が抜本的に見直されるわけではない。世界は自分を中心に広がっているが、自分を中心に回っているわけではないのである。とりとめのない妄想を止めて炬燵の中からのそのそと這い出ると、ベッドの下のスペースに乱雑に押し込まれた透明なアクリル製の収納に手をかけた。

 収納の中で超多段層となったプリントの束を見つめる。講義どころか大学にすらほとんど顔を出さない幽霊学生の俺にも、大学側はことあるごとにせっせと連絡プリントを送りつけてきていた。ご苦労さんと言う他ない。俺はそれをチラリとも見ずに、せっせとこの収納の中にぶち込んだわけだが、その結果がこのプリントミルフィーユだ。この分厚い層を、さながら化石を扱う考古学者のように丁寧に一枚一枚剥がしていき、今後の我が大学生活を左右しかねない一枚を発掘せねばならない。今まではベッドの下の肥やしであったが、遂に日の目を見る時が来たようだ。捨てなかったのは俺の慧眼であると言えよう。プリント塊を得意気に叩く。

 しかし、その拍子に夥しい量の埃が舞い飛び、我が繊細なる咽頭いんとうを直撃したのだ。


「うぐ、げほっ! げほ!」


 おのれ、たかが紙風情までも俺を馬鹿にするのか。埃のたまった一番上のプリントをクシャクシャに丸め、黒い小さなゴミ箱へ向かって投げ捨てる。奇麗な放物線を描いたそれは、ゴミ箱の縁に一度当たった後、見事に床に落ちた。全く今日は本当についていない。


…………


 探していたプリントを見つけた時には、ベランダから差し込む朝日がすっかり真昼の気配を帯びていた。探し物というのは往々にして探している時には中々見つからないものだ。更に言えば、どうでもいい時にはやたら目につくので始末が悪い。どこかで見たという記憶が探索の中断を頑なに拒むのだ。今回もご多分に漏れず、全てに目を通していたつもりだが、ものの見事に肝心要のものだけ見落として「おかしい、確かにここに入れたはず」とぶつくさ独り言を言いながら三度ほどプリントの束を見返すという愚行を犯す羽目となった。

 おかげで六畳一間のマイルームが散散たる有り様だ。元からそこまで奇麗な部屋ではなかったが、プリントと埃にまみれ、『乱雑』という言葉がふさわしい部屋へと仕上がってしまった。どれもこれもあの糞親父のせいである。息子が少しくらいオイタをしても見守ってあげるのが、美しい親子愛というものではないのか。こみあげる怒りと疲労感と徒労感とでぐったりとしながらも、右下にT大学のイメージキャラクター『トリリン(『オシドリ』がモチーフ)』が小さく印刷されている紙に目を落とす。そこには

『履修登録は四月十日まで。お早めに』

といった内容が小難しい表現で書かれていた。

 少しだけ説明を加えよう。大学には『履修登録』という質面倒臭いシロモノがある。前・後期の講義が始まる前に『吾輩はこれらの講義に出たいのである』という意思表示を行わなければならないのだ。登録だけなら別にどこででもできそうなものであるが、非常に残念なことに我がT大学において履修登録は大学に行かねば行うことができない。どこでどう繋がっているかもわからないほどネットワークが発達したサイバー現代では全くもって非効率的と断ずるしかあるまい。

 ベッド脇の目覚まし時計に目を向ければ、デジタル表記で三月二七日の午後1時45分を表示している。登録期限までは丁度二週間ある計算だ。

 これは、明日だな。

 早々に大学に行くことへ見切りをつけ、プリントを炬燵の上に置くとベッドの上に倒れこんだ。今日はもう何もやる気が起きない。やる気はないが腹はぐぅと鳴る。空腹と眠気の狭間に揺られながらボンヤリと天井を眺めていると、臀部の下で細かい振動が三度ほど起こった。どうやら先に放り投げた携帯電話が震源のようだ。それを手に取り、画面を開く。メールが一件。差出人は『斎藤圭二さいとうけいじ』。

 ごろりと寝返りをうちながら内容を見る。

『十八時』

とだけ書かれた短いメールであった。頭の側面部分がキリキリと痛みだす。人が今どんな事態に直面しているかも知らずにぬけぬけと……ふつふつと邪なる気持ちが胸を内から湧きでてくる。湧きですぎて鼻の毛穴辺りからチョロチョロと漏れだすほどだ。俺の不幸はコイツ等に出会ってしまったこと。そうでなければ、今頃は誰もが羨むキャンパスライフを存分に送った後、大学始まって以来の成績で主席卒業。一流企業に前途有望な新人として就職し、バリバリ第一線で働いていたに相違ない。間違っても留年を繰り返し、挙句の果てには親に見捨てられるようなのっぴきならない人生は送らなかったはずだ。怒りに打ち震え、手に持つ携帯電話を強く握りしめる。そして、

『バイト。ちょっと遅れる』

と返信した。

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